健康と青汁タイトル小 <1991年9月15日発行 第421号>
 ご 挨 拶

     医学博士 遠藤 仁郎 

    本号をもって「健康と青汁」の発行を停止いたします。
    長いおつき合いをありがとうございました。
    みなさまのご健康とご多幸をお祈りいたします。
    さようなら

    平成三年九月一日

    いつまでも どこまでも
    あおく あかるく 富士の山



 目次



1. 廃刊に寄せて

     貝原 邦夫 

     いつか、この日が来るであろうことは心に言い聞かせ、一号、一号と積み重ねて参りましたが、ついに四百二十一号が終着駅となりました。 八月号、先生の「急告」に対し、是非青汁の歩みをまとめてほしいとの要望も多少ありますので、淋しいとも、悲しいとも言葉に表すことの出来ない複雑な想いを抱きながら、長かった足跡をふり返ってみたいと思います。


    青汁のおいたち
     遠藤先生は、京都御在住の昭和十八年(一九四三)十月二十日朝、トイレの中で青汁開眼。そして、十九年春、中学生の息子さんの肺炎、奥さんの腎臓炎治療に素晴らしい成果をあげ、昭和二十年三月、内科医長として倉敷中央病院に転勤。着任して日尚浅く、五月初旬に三回目の応召、新任地は熊本県の人吉市。
     当時我が国は戦況とみに厳しく、応召の老兵部隊の健康管理に、また航空兵の疲労予防、回復のため、山中の草や木の葉を集め、民家の餅搗臼を借用して青汁をつくり、土地の人からは“薬草を食う兵隊”と評判される程徹底的な飲用によって、緑葉食青汁の効果に確信をもつにいたったとのお話。
     そして、二十年九月下旬復員、帰還後はこれから貴重な体験をもとに、倉敷中央病院において、当時我国病気死亡の首位を占め、施す術もないと言われた恐怖の難病結核患者を対象に、我が国で初めて臨床にとり入れられた由。
     その頃、生きて行く職場は全く別の、教育界における児童生徒の健康管理に呻吟していた私は、昭和二三年春、奇縁、この先生と出会いの機会に恵まれ、爾来四十数年、或僧籍の人からあなたは遠藤先生の脇仏と言われる程行動を共にし、ご指導を頂いて参りました。

     今、歩んだ半世紀を振り返って見れば、二人が弱音を吐いた事は一度もありませんでしたが、世の為、人の為と信じて行った善意が世人の非難、中傷、妨害、中には脅迫までもと、毀誉褒貶(きよほうへん)の過去が脳裡によみがえって参ります。
     しかし、このけわしい道のり、月日の経過とともに次々と臨床面にも、教育現場にも予想以上の成果が現れ、ささやかな研究発表や口こみのため、市内は勿論、近隣の市町村から、県内、県外へと波紋の輪が拡がり、かつての反対論者をも交え、各地から青汁に関する質問、要望が寄せられるよう予想外の展開となりました。
     昭和二九年五月一四日、各方面からの要望に応えるため、元厚生省公衆衛生局長で当時岡山県知事の三木行治氏、倉レ社長大原総一郎氏他諸名士のお力添えを得て、「遠藤青汁普及会」を結成し機関紙“健康と青汁”の発行が決議され、昭和三十年七月、現大阪在住の田辺光正氏の編集で創刊の運びとなりました。その後昭和三二年五月、一三号より私が田辺氏の後を引き継いで今日を迎えました。


    忘られぬ発刊当時の苦労
     戦後の荒廃のこる苦しい時代、会員に配布する機関紙、何とかして安価に届ける方法はないものかと捜索して、ようやく第三種郵便物認可の方法があることを知りました。
     早速、先生と二人で広島の郵政局へ出向いて認可の陳情をいたしました。担当者からこまごまと必要条件の説明を聞き、このような法的手続きの知識皆無の二人は驚き入ったことも思いだします。結局、二人の担当者の話は、あなたがたのお考え、とても継続は不可能。今までもそのような企画三号と続いたためしがない。また若し認可されても、一回でも欠号したら取り消しだとの冷たい結論いや絶対に条件を満たして永続しますと粘り抜いた末、申請手続き、内容遵守を約して帰倉しました。
     そして、いつの年申請したか、どれくらい待ったかは忘れてしまいましたが、昭和三四年四月十日、遂に待望の第三種郵便物の認可がくだりました。
     悲願達成!この慶びは四十年の歳月を超えて現在でも鮮烈な想い出となってよみがえって参ります。今、発行部数二万数千、国内は勿論海外までもー。発送が少しでも遅れれば、まだかまだかの催促まで受ける始末。今更のように歳月の重みに感慨を覚えずにいられません。


    青汁普及会のゴタゴタ
     昭和二九年「青汁普及会」結成にあたっては、当時の社会情勢を勘案して、普及啓蒙とともに青汁の製造頒布の事業を進めて参りました。しかし、時勢の推移、運営の複雑さ等もろもろの問題が生じ、一部には初心どこへやら、不良品を出し、営利のみに走るもの、遂には一部告訴事件にまで及び、昭和三二年五月の総会において、結成わずか数年を待たずして普及会を解散。新らたに、先生の悲願!一切の営利をかえりみず、社会への奉仕のみを考えた「遠藤青汁の会」を結成。生産部門は関係者で別組織をつくることに決定しました。
     以下、「遠藤青汁の会」の事業活動の主なものを各略記しますと
    1、 自家栽培用のケール(昭二九、米より輸入、キャベツの原種で、周年栽培可能、栄養価抜群)種子の無料配布。
    2、 各地に出向いての講演会(滞在費等主催者負担)
    3、 機関紙“健康と青汁”の発行
    4、 参考書籍の出版

    運営のあらまし
    1、 この会の職員は無給
    2、 各地より寄せられた原稿も無料
    3、 出版書籍についても原稿料、印税等、すべてを会に寄付。
     なお大量の書籍を広く各地の図書館、教育関係団体,会の支部等に贈呈してその啓蒙につとめる。(出版費半額以上の販売収入があったこと皆無)
    4、 運営経費は会費、出版物収入、篤志寄付等によって苦しい運営を続けて参りました。

     このいとなみ、昨今、新聞紙上に、テレビに報道される現在の汚れきったとも言える我が国の社会情勢のあさましさにくらべ、奉仕ほど心すがすがしいことはありもせんねと、先生と語りあう昨日、今日ではあります。
     一方、青汁の会結成と同時に普及会から分離した生産部門は、企業団体として、遠藤先生ご指導の主旨を遵守して、絶対安全で効果の高いものを廉価に供給することを条件に、「遠藤青汁協同組合」として活動を開始しました。愛飲者には遠藤青汁の会支部会員として機関紙“健康と青汁”を毎月配布することによって、巷間に出ている他の青汁と区別することにしました。
     その後ブームとも言われるように、需要が全国に拡大したこと等によってか、昭和三七年協同組合は解散し、遠藤青汁友の会と変更、さらに現在では青汁の会支部組織と併わせ製造頒布が行われています。


    今後の問題点
     一億総半病人とも言われる現在の国民の健康状態。かつての細菌感染症主体から体質病とも言われる癌、血管系をはじめ難病が激増し、その対策については欧米諸国でも臨床治療だけでは解決出来ない。それは食生活との併用によってはじめて健康の道が開けるとまで言われるようになりました。
     このような世相を反映してか、世はまさに健康ブーム。青汁もその例外ではありません。
     私どもに寄せられるお便りに、いかがわしい青汁によると思われる質問が多くなり、中には市販材料によると思われる青汁の多量飲用で肝障害の方まで出る始末。
     七月号に記載された遠藤先生の記事「もっと良心的であれ」にありましたような例。フリーダイヤルによる全国発送等々の誇大広告から、テレビコマーシャルまでエスカレートしていると、愛飲者からの御知らせを頂くようにもなりました。
     病気の種類にもよりますが、グルメに狂った体質改善には大量飲用が必要の場合が多い青汁。
     “健康と青汁”廃刊後の各支部、友の会におかれては、今後製品に[遠藤青汁]の商標を明記して、他商品との違いを明確にするとともに400号までの縮刷版(全三巻9)の活用によって、遠藤先生ご提唱の食生活のあり方、現代病の解説を学び、また全国から寄せられた多くの人達の血涙をしぼる難病克服の歓びを今後に伝えていただきたいものだと思います。
     最後に愛飲者の皆さんへ青汁は決して薬ではありません。今の世の中、口に入るものすべてグルメ、グルメー。その結果は、生きて行く栄養摂取に大きなアンバランスを来して病人多発。青汁はこれを正すための方便です。
     又、或学者のいみじくも言った言葉、現在口に入るものすべて人工有毒食品と。無農薬、自然栽培の青汁はこの毒を消す作用のあることも実証されています。  幸せの人生を送るため、終生のご愛飲をおすすめしてやみません。

     ともあれ、半世紀の長い年月、行きつ、もどりつ、ようやくたどりついたけわしい青汁の山坂。この間に寄せられた全国の方々の心温かいお力添えに、改めて衷心より感謝申し上げますとともに、今後とも遠藤青汁の一層のご発展と、皆様の御健勝をお祈り申し上げて廃刊のご挨拶とさせて頂きます。
     有難うございました。

    平成三年九月一日  編集人 貝原 邦夫


2. 肝炎、ともかく青汁

     肝炎には、A型、B型、非A型、非B型、あるいはC型などと、色々の原因ビールスがあるといわれている。うち、ビールスがはっきりつかまえられているのはBだけで、ワクチンもできていて、予防や治療につかわれている。しかし、その効果は、残念ながら、ほかの多くのワクチン同様、少々心もとないものらしく、これだけにたよりきるわけにもいきかねるようだ。
     ところで、青汁中心の正しい食をとってよくなること。たとえばB型では、それだけでビールスがなくなってしまった、つまり、完全に治ったことが確認された例のあること。また、ビールスのわかっていないものでも、症状や検査成績から、間接的ながら、よくなっていることが、証明されている例が少なくない。
     また予防的には、たとえば輸血の際、あらかじめ青汁をしっかり飲むことで、確かに防がれることが経験されている。
     そこで、肝炎には、たとえ何型であろうと、また型はわからなくても、ともかく青汁中心の正しい食、せめて青汁だけでもしっかりとって、抵抗力をたかめることだ。
     ただし、それには少なくとも一.五〜二キロ以上のケール(青汁にして六〜七〜八合以上)を根気よくつづけることが肝腎だ。B型などではワクチンを併用すれば、いっそう効果的だろう。

    (平成三.六)


3. 痴ほう症と長寿村棡原

     ◇三月十一日行われた第十六回山梨総合医学会で市立甲府病院の林 正高博士は、長寿村棡原地区老人の中枢神経の健康度について発表された。この研究は数年前から脳波計で棡原の巡回検診に参加した林博士の貴重な報告である。
     それによると対象老人は男四十四人、女五十六人の計百人で、平均年齢は七九.二歳である。その結論は痴ほう検査によると九一%が正常と準正常である。残りの九%は日常生活に支障がない。また脳波による正常率は七三%と脅威的によく、同年代一般の老人の二十%以下とは非常なちがいである。
     ◇ たまたまこの日の十一日から三日間、NHKのテレビスペシャル「痴ほう症」が放映された。このテレビを見る限り、アメリカ人の痴ほう症は容易ならざる病気であることが直感された。同時に将来、医学の進歩はこの病気を果たして完全に征服できようかとの大きな疑問を抱いた。なにしろかってのノーベル賞の受賞者さえもかかっているのを見ればうなずける。
     ◇ これに対し棡原は林博士の研究結果を一言で言えば痴ほうゼロ地帯である。この原因は一体なにか。五十余年棡原を観察している私をして言わしむれば、欧米の肉食と棡原のこの百人の老人たちは、かつて日本の不況のドン底の時代に全く肉食の欠如した食生活を送ってきた人たちばかりであるからだ。今後も林博士の研究を期待してやまない。



4. 高血圧の破綻

    「私、血圧が高いといわれてかれこれ20年ぐらいになりますが、今までこれといった自覚症状はございませんでした。それでも、ときどきは近くのかかりつけの先生のところで、血圧を計ってもらって高すぎるようなときには薬をいただいていました。この間、心電図をとっていただきましたら、心臓肥大だといわれ驚いてしまいました。なんだか、その頃から体がだるくて、疲れやすくなったような気がしております」という50代半ばのご婦人が外来に来られた。
    このご婦人は約20年間、高血圧をほとんど未治療のままにしていたために、心臓が知らず知らずのうちに肥大してしまったのである。
     長期間にわたり心臓に過大な負担がかかると、心臓はこの負担を乗りこえるために肥大したり、拡大したりする。だが、肥大や拡大は一時しのぎの代償にすぎず、やがては破綻(はたん)をきたすときがくる。その破綻は心不全となって現れてくる。
     心不全というのは、体が必要としているだけの血液を十分に抽出できない状態である。そうなると、全身の筋肉には十分な栄養と酸素が供給されず、またそこにできた老廃物の除去も完全にはいかなくなる。これらが“疲れやすくなる”主な原因となっている。
     さらに、心不全の程度が進んでくると、呼吸困難が前面に出てくるようになる。多くの場合、高血圧は長い期間ほとんど無症状のままで経過する。そして、自覚症状が出てきたときには、すでに心臓や血管はかなりのダメージを受けてしまっている。
     高血圧は“治療可能な悪性の病気”であることを銘記すべきだと思う。

    (63.5.22 サンケイ)


5. 肝癌と青汁

    上田市 Y.T. 

     私の母(五八才)は、約二十年前に輸血をして、それが原因で、慢性のC型肝炎になってしまいました。 その後、病気は、肝硬変に、そして昨年八月には、とうとうガンになってしまいました。十二月に手術をし、今は自宅で養生しております。
     青汁は、十月から粉末を飲んでいます。今は毎食前後に、一袋づつ、一日合計六袋飲んでいます。
     手術後、一度、尿がでなくなり、お腹がぱんぱんになったのですが、顆粒の青汁を飲んだら、尿が出てきました。青汁の量、飲む方法は、今のままで、よろしいかどうか。
     ある本で、読んだのですが、肝臓はビタミンAを採りすぎると負担がかかると書いてありました。母の場合、青汁にもビタミンAが多く含まれ、又、その他にビタミン剤を飲んでいて、大丈夫でしょうか。
    又、もしかしたらと、期待しているのですが、肝硬変は良くなりますでしょうか。便は緑色をしているそうです。量も多く、毎日出ます。(平成三.三)

    〇青汁はもっともっと多い方がよろしい。飲めさえすればできるだけ多く、一日少なくとも、もとのケール一〜一.五キロ以上。粉末はそれに相当するだけ(大体、生の葉の七〜八分の一の目方になっています)
     青汁のビタミンAは、少しも負担にはなりません。
     それに、青汁には、ビタミンAだけでなく、からだに必要なあらゆる栄養分がそろっています。多いほどよいのはそのためです。肝硬変もガンもよくなっています。


6. 緑内障もケールの青汁で

    高石市 T.O. 

     緑内障が見つかった当時視野欠損もなく、手術さえすれば簡単に治るとのことで、早く見つかってよかったという気持ちでした。それが二回、三回と手術するうちに非常に厄介な緑内障であることがわかってきました。緑内障には、閉塞性緑内障と開放性緑内障があります。この症状は正反対の性質をもっているといわれています。一般的にはこの二つのどちらかの緑内障ですが、私の場合にはこの二つが一緒におこっていて、緑内障の中でも難しいものでした。
     開放性緑内障の手術を行うと閉塞性緑内障が悪化、両者のまったく違う手術を何回か繰り返しましたが効果がなく、ダイヤモックスという利尿剤をつかって下げるような状態でした。
     病気発生後、三年目ぐらいに薬の副作用で腎臓に結石がたまるようになりました。
     その以前からケールが緑内障にも効くと聞いていましたが、緑内障には極力水分をとらないことが良いといわれており、ケールの水量が緑内障に悪い影響を及ぼすのではないかという懸念がありました。
     しかし、ダイヤモックスを飲む以上、腎臓、肝臓を守るためにケールを飲むことに決心しました。この頃でも緑内障にケールが効くと考えていませんでした。その後、九回の手術のあとあまりかんばしくない状態でしたがケールを飲み、利尿剤を併用することが五〜六年続きました。
     九十年の十月頃になり眼圧も安定しだし、これだと利尿剤がなくてもいけるのではという気になり、思い切って薬を止めました。一ヶ月、二ヶ月と過ぎる中で、寒くなると、毎年、眼圧が上がっていたのが昨年の暮れからは低く安定するようになってきました。
     この六年、他にこれといった療養もせず、ひたすらケールだけを飲んでおりましたが、ここにきてやっとケールの効果がでてきたようです。緑内障も血液からの水分をとりだし、眼の中心部から外に向かって水を循環さしている仕組みから考え、ケールが血液に及ぼす影響が非常によかったのではないかと思います。
    (ケール健人会報より)


7. “青汁ツーリング二千九百キロ”

    横浜市 H.T. 

     西行の後を追うようにして、芭蕉が歌枕を求める旅にでたのは、一六八九年三月二十七日(旧暦)のことである。今を溯(さかのぼる)三百二年前の五月十六日だった。曽良を従えての旅行きは、江戸は千住から、湖国、近江の大垣に至る六百里、二千四百キロ、百五十日という大長路といえるものである。
     この五月二十五日、横浜から、50ccバイクを駆って、深川そして千住。芭蕉と曽良の道をなぞり、大垣まで十七日間のツーリングを試みた私としては、先輩俳人達の健脚に、甚だしく尊敬と同時に、怖れさえ感じたというのが正直、実感だ。
     多分、芭蕉は曽良という同伴者に支えられたことで、死をも覚悟の旅を切り抜け得たともいえよう。
     今も随所に残る、奥の畑の道の街道の面影に出会うと、当時の二人の旅姿が、よみがえる思いがする。
     こちらは、ガイドブックを携えての50ccとはいえ、ほとんど足を使わないクルマ旅。それが、こんなに疲れ果てるのだから、当時は想像を絶する難行苦行の旅路であったろうことは、まちがいない。
     さて、芭蕉が曽良を伴としたのに対し、私は青汁顆粒を友とした。
     当方、十数年来の痛風持ち。赤坂の痛風外来医に生涯通うことを義務づけられている身である。
     そして、お江戸は花の銀座に青汁コーナー開設以来の青汁党なのだ。なにしろ、一日一回は、青汁の生一本か、顆粒か、いずれか、青汁と関係づけなければ、夜も、昼も明けないほどの、青汁バカなのだ。従って、今回のツーリングにも、青汁顆粒は欠かすことのできない携行食であった。
     年がいもなく、50ccバイクなどという、乱暴かつ危険な脚を駆ってのツーリング。この十七日間二千九百キロの超ハードなスケジュールをこなし得た、秘密兵器はまさに青汁顆粒だったと言えよう。
     ゆきあたりばったりながら点と点を結んだ旅。時に、山刀伐峠に、羽黒三山に、鳥海山に挑み、あげくは倶利加羅峠、親不知、子不知の難所に出遭うというツーリング体験を織り交ぜながらも、無事ゴールできたのである。
     青汁党ながら、普段、家に在っても、こんなに真面目に青汁と接することは稀れである。それが、毎日給油した顆粒青汁のお陰で、旅の間中、すべての安心感につながった。整腸はもとより、気持ちまで落着き、もろもろプラスと思われる節だらけ、こうなりゃあ旅そのものに、不安材料とてあろう訳がない。旅は快適そのものだった。一日の計は、目覚めの一瞬、青汁の服用にありという訳で、十七日間、欠かさず守った。シルバー暴走族ではある。

    心配で年がよる
    心配は寿命の毒
    心配は身の毒
    心配は人生の敵    (沙翁)


8. 肝臓にもひろがっているガン

    大宮市 K.M. 

    「胃のガンで、肝臓にもひろがっている、といわれています。青汁はどうですか?よくないという人がありますが・・・。」
    「とんでもない。絶対悪いことはありません。そういうガンには、それ以外うつ手はありません。 しかし、少々の青汁ではダメ。少なくとも、もとのケール一・五キロ。(青汁にして六〜七合)以上。多いほどよろしいが、必ずきくとはいえませんが、それで奇跡的によくなった人もありますから、ともかく熱心にやってみられてはどうでしょう。」

    (遠藤)


9. 青汁が効いた

    山形市 K.K. 

     昨年十一月、会社の検診で急性肝炎、胆のう症、脂肪肝と判断されました。GOT百四十三、GPT百五十あり、勿論、入院と云われました。
     青汁の事を思い出して、粉末を一日五回、三週間飲み続けたところ、数値が下がりました。
     病院の先生もびっくりした様子で、私もおどろきました。青汁のお蔭と感謝いたして、今も青汁を続けております。

    (平成三・五)


10. 青汁でパワーアップ

    新宿区 K.K. 

     私は指圧師ですので、健康医学、特に東洋医学を中心に研究していますが、食生活の重要性は本当につくづく感じています。
     健康の原点は、まず食生活。食を正して、運動、休養、リラックスなど心掛ければ気力溢れる健康体となることは間違いないと思います。ケールは無農薬の自然食ですので、大自然の気のパワーが秘められています。私たちの体に活力を与えてくれるすばらしい命の友となりましょう。


11. 質問箱 低血圧


     青汁は高血圧を下げるのにとてもよいそうですが、そうだとすると、血圧の低いも のでは下がりすぎるのではありませんか。


     絶対ありません。低い人の血圧はしだいに上がってきます。
     いうならば、高いのも、低いのも平均の所におちつくようです



コラム紹介

    光りあるうちに光りを仰げ、
    闇は間もなくやってくる。
    闇につかまってから光りを求めても既に遅い。

    仙語録







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