健康と青汁タイトル小 <1991年1月15日発行 第413号>
 目次



1.難病体験記

    岡山市 K.I. 

     ながい間、いろいろ厄介な症状――ネフローゼ、はげしい冷えとベトベト汗、カゼひき、白髪、肝臓、甲状腺、膠原病(おそらくすべて、膠原病によるものと思われますが)――に悩まされていたのが、イモ・マメ・ナッパ・青汁食でよくなった、という貴重な体験記です。

     1977年(昭53)春先軽いカゼをこじらせる。12月ネフローゼ。入院。プレドニン8錠からはじめ、1週間で蛋白尿消失。
     プレドニンを少しずつ減らし、完全にやめると、1週間ほどで再発。
     1ヶ月くらいして、又、プレドニンをはじめ、1978年(昭54)の12月1年振りに完治。
     退院したが、1ヶ月ぐらいで、又、再発。
     お医者さんもあきらめ気味で、気をつけながらひかえめに生活していくしかないとの事。
     体はむくんで重く、このままでは生きていけないと思い、1979年(昭55)の3月遠藤先生の「青汁と健康」の本何回も読みかえし、それでも信じられないまま、小松菜を朝夕コップ1杯ずつ、飲んでみる。
     2週間くらいで蛋白尿(−)になる。
     病院ではかると、いつも(+2)とか(+3)くらい出て、お医者さんからも動いたら出るのは仕方ない事、これ以上に治すのは無理。上手にコントロールして、生きていくよう云われました。
     それでも青汁を信じて、続けているうち、6ヶ月くらいで、動いても蛋白尿(−)となる。
     ネフローゼは治ったものの、プレドニンを飲みだした頃からはじまった異状な冷えと、全身のベトベト汗。
     そのためカゼばかりひき、カゼが治っても、冷えと汗とで体がつめたく寒気がして、外にも出られず、2年くらいほとんど動けず、退院して3年目くらいから、汗もやっと治り、冷えは残ったものの、普通に動けるようになる。

     青汁は1年くらい毎日のんだのですが、長い時間水を使うのがつらくて、時々飲んでは止めてのくり返しで、3年くらいで止めてしまいました。
     その後今日までネフローゼの再発はなし。蛋白尿も(−)です。
     普通に動けるようになってから4年くらいは、冷えは前よりは少し楽で、カゼもあまりひかず、元気に過ごしていましたが、ネフローゼになった頃から白髪が急に増えはじめ、段々と白くなっていきましたが、動ける事が嬉しくて、真白になった髪も気にならなかったのですが、冷えだけは真夏でもホカロンなしではいられない。つらくてニンニクエキスとか朝鮮人参とか、人参のジュース(人参、セロリ、リンゴ)など飲んでいました。(どうやっても冷えは治らないようでした。ネフローゼになるまでは、冬でも素足で冷えるなんで事知らなかったのですが・・・・・・。)
     1986年(昭62)春先から体がだるく、海辺などに行くと、息が苦しくなったり、夏頃には洗たく干すのも嫌なくらい。
     病院へ行ったのですが、どこも悪い所はないとの事。(あとでわかったのですが、この時血沈がとても悪かったそうです。)
     12月のはじめ微熱が出て、のどや胸が痛くなり、風邪との事で、抗生物質のみましたが、いつまでたっても治らず、食欲もなく、体もつらくて、3ヶ月間服薬をつづけてのみ、また入院の話が出たので病院をかえてみる。
     1987年(63)4月こんどの病院ではカゼではないとの事で、薬は中止。
     ただし肝機能が少し悪くなっているとの事でしたが、薬をとると、やがて体も楽になり、肝機能も治ってくる。
     でも、又ベトベト汗がはじまり、冷えも昔のようになり、カゼをひいては熱のくり返しなので漢方薬を飲む。

     〃 

     12月耳が痛いほど顔がむくんで、ネフローゼの再発かと思って病院へ行ったが、ネフローゼではなく甲状腺炎(橋本病)との事。
     抗体が6,000、白血球が5,000。又、朝夕コップ半杯ずつ小松菜の青汁飲みはじめる。
     検査のたび抗体は8,000 12,500 25,000と増えてゆき、白血球はだんだんと減って3,000になる。
     1989年(平1)10月抗体は10万となって、血液も注射針をさしても、なかなか出てこなくて、顔色も青黒く、お風呂に入っても疲れから、のどが痛くなって、熱を出し、3日ほど寝込むようになり、医者からは、膠原病の値も少しだけどあるとの事。
     思いあまって東京の田辺先生に相談。
     1989年(平1)11月23日からケール6袋、小松菜コップ半杯とイモ・マメ・ナッパ食始める。
     〃 

     12月26日の検査で、抗体は25,000に減り、白血球は3,500になったが、機能は低下しているとの事。
     いろいろの症状が出て、失禁も増々ひどくなるばかり。
     不安で、何度もケールやめようと思いましたが、田辺さんや主人にはげまされて、頑張っているうち、1990年(平2)の1月7日、ほとんど真白だった髪の毛が半分くらい黒く変っているのと爪の3ヶ月の白い所の線も、入道雲のようにデコボコになっていたのが、1本だけきれいな曲線に戻っているのに気がつき、不安も少し薄らいで、これでやってみようと思うようになりました。
     いつのまにか尿失禁も治ってしまいました。
     2月に入って主人のインフルエンザがうつり、下痢や、胸も重苦しくなり、又長い間寝込むのかとゆううつになったのですが、ちょっと微熱が出ただけで、動きながら治ってしまいました。
     今までの私だと、軽いカゼをひいただけで延々と治らず、37℃ちょっとの熱がいつまでも続いて、クスリを飲んでも効かず、のどと気管が痛く、食欲も段々となくなって、やっと治っても今度はベトベト汗と、異状と思えるほどの冷えとで、1週間もしないうち、又、カゼをひき、気管に入ってくるのを、くり返しでいつも温布して、寝ているしかなかったのですが・・・・・・。
     この頃では、冷えが少し軽くなってきたのもあるかも知れませんが、あまりカゼもひかず、のどが痛くなったり、多少寒気があっても、動きながら治ってくれるので、前に比べて信じられない出来ごとです。
     3月29日の病院の検査で、前回と平行線との事で、ちょっとがっかりしたのですが、頑張ります。
     5月7日現在カゼもほとんどひかなくなったのですが、不安な事も多く、一喜一憂しながら過ごしています。
     髪の毛もゆっくりですが黒い毛が増えていって、ピンク色だった頭皮も、ところどころ白く変ってきているのですが、ここ1ヶ月ぐらい、抜毛がひどくて心配になったり、バカみたいに、手足がだるく辛くて、ごろごろしている時があったりします。
     顔も前のようにはむくみませんが、時々アゴの下から耳の下あたり、つるような感じでハレているように思います。
     お風呂にも思い切って入ってみましたが、大丈夫でした。
     今では3日に1回くらい入っています。
     顔色もたまに茶色のときもありますが、明るい色の日が多くなりました。
     食事は今迄どおり、イモ・マメ・ナッパに青汁(小松菜)コップ1杯弱とドライ顆粒ケール6袋続けています。
     おかゆは週に2回だけ。あまり冷えなくなったと云っても、普通の冷え症はずっと重症です。
     冷え症が治って、抗体とかが無くなるまで頑張りたいと思っています。
    (平成2・5)

     さいきん(平成2年9月)の電話によると、其の後、不思議な程、冷え症は全くなくなって、動き廻れるようになりました。
     主人や近所の人も、病人ではないように元気そうだと言われますが、まだ、手のだるいのがとれません。
     甲状腺のためでしょうかと思います。
     其の外はとてもよくなっている、とのことです。
    (田辺氏より)


     おしらせありがとうございました。
     ご快方にむかわれおめでとうございます。
     ちかごろ、こういうわけのわからない病気がふえて来ているようです。
     医学の進歩で、くわしい検査はされますが、診断がなかなかつきません。
     原因や本態がはっきりしないので、適確な治療もなく、あてずっぽというのではないでしょうが、いろいろ新薬がつかわれ、時には、そのため、かえって、いっそうややこしくなることもあるようです。
     その多くは、膠原病といったたぐいのように感じられますが、こんな病気のばあい、ともかく熱心に青汁中心の正しい食養生をやってみるべきだ、とつくづく思います。
    (平成2・10)(遠藤)


2. 敗血症

    広島市 T.T. 

     「敗血症で入院していましたが、青汁でなおる、ときいて、退院しました。
     ほんとうに青汁だけでなおりますか?
     どのようにすればよろしいか?
     との電話。

     「そういうこともないではありません。しかし、病院の薬もつかわれる方がよいでしょう。
     敗血症の原因はバイキン。何かのバイキンが血の中にはいっておこるものです。
     原因のわからない難病のばあい、いいかげんな薬をつかうよりは、青汁食だけの方がよいといえないこともありませんが、敗血症というからには原因になるバイキンがわかっている筈ですし、それにきく薬もある筈です。
     そうであれば、食事といったまどろかしいことにたよるよりは、薬の力を借りる方が得策。
     青汁は、食べもののまちがいから来ている、からだの抵抗力、防衛力、治癒力をつよめて、病気に立ちむかおう。食べものが悪く弱っている兵隊に、しっかり、いい食べものをあたえて元気をつけ、敵にむかわせようというもの。
     しかし、弱い兵隊でも、すぐれた兵器(薬)をもたせば強くなる。食べもので強めてやれば戦果はいっそう上る筈でしょう。
     もっとも、核兵器や化学兵器のような危険な(向うもやられるが、こっちも傷つきかねない)ものはダメですが、適確にきく、いい薬はその意味で、大いに利用すべきです。
     もちろん、そういう副作用があれば、青汁だけの方が無難です。
     さて、青汁の分量は、多いほど結構。少なくとも、もとのケール1.0キロ以上。
     1.5〜2.0(青汁にして5〜6合)以上。
     その上、ほかの食べものも、できるだけミネラル・ビタミンにとみ、安全なもの。
     たとえば、イモ・マメ・ナッパ食といったものにし、嗜好品、ことに甘いもの(菓子・ジュース類など)にも十分気をつけることです。
     それを、根気よくつづけていれば、敗血症だけでなく、癌や膠原病その他、現代医学のおよばぬ難病でも治っています。
     敗血症もうっかりできない病気の一つです。この辺とくとお考えになり、主治医ともよく相談されて、まちがいのない治療に専念してください。

    (平成2・9)(遠藤)


3. むかし話(初期の旧稿から) 栄養失調症と青汁

     医学博士 遠藤 仁郎 

     戦争中から戦後にかけて多発した栄養失調症は、栄養不足ことに動物食の不足による良質蛋白質の欠乏に原因するとされているが、私はむしろ青物の欠乏がより重大な因子ではなかったかと考える。
     もっとも、定型的の症例には幸か不幸か出会っておらず、ただ2〜3私の青汁の話をつたえきいて試み、良効を得たという報らせをうけているだけなので、確信をもってこれを主張することのできない立場にあった。
     ところが昨年の夏、次のような極端な偏食からきた栄養失調症の一例を得て実試する機会に恵まれた。
     廿一才の青年。母親の語るところでは、やや月足らずで生れ、母乳不足のため専ら人工栄養により、かなり難義をしてそだてた子で、幼時から虚弱。
     とくに胃腸がよわい。偏食がちで、大魚の肉や甘味は好むが、野菜は好かぬ。
     ただし、15才で腸チフスをやったほか、大した病気はしなかった。
     2年まえ、原因なくながく下痢がつづいたことがある。その後、悪心(はきけ)があったため副食物は殆んどとらず、飯のみ食べ、とくに塩分をきらうようになって、お菜(さい)も水で洗って食べていた。
     この春、某大学で寄生虫だといわれ、野菜の危険を注意されて、ますます偏食の度が高(こう)じてきた。
     最近にいたっては食欲は全くなくなり、しだいに痩せ衰え、歩行さえも困難を感ずるという状態となり、脊髄性筋萎縮症とか、脳下垂体性栄養障害だとかいう不治の病気だといわれた。
     といって8月中旬入院してきた。
     なるほどひどいやせ方。元来細長型ではあるが、身長168糎で体重わずか35キロ。
     全く骸骨にかわをかぶせたという姿。
     ねがえりも仲々容易ではない。
     体温は35.5度より上らず、脈は50程度で小さく、弱い。
     血圧は最高70粍(正常には120粍)しかない。
     皮膚は弛(たる)み、乾燥し、鳥肌を呈しており、所々には出血斑がある。
     顔貌はいかにも物うげ、胸部にはレントゲンでも著変はない。
     腹部は舟状にへこんでいるが大したことはない。
     手足にも異常はない。便に蛔虫、鈎虫(十二指腸虫)卵があるが、尿には変化はない。
     血液には蛋白や血色素が少し減っているだけでほかはこれというほどのことはない。
     どうも、よそでいわれたようなむつかしいものではないらしく、まず、栄養失調ないし半飢餓というところ。
     家庭は母子二人ぐらし。父はすでになく、妹一人は他家に嫁している。土地の旧家のあととりという大切な身の上であるところへ、元来虚弱なのと、母親が相当神経質で、とやかくうるさく干渉する。
     これが本人の気に入らぬといった所もあるとみえ、これまでも、親戚へ行くと俄然食欲が出、肥ってくるが、家へかえるとまた痩せるといったことがよくあったそうだ。
     こうしたことがらからすると、もともと偏食癖の甚しかったものに、神経性の食思欠損も手伝うて、極端な栄養障害を来したものと思われる。
     とても少々の輸血や注射ではおっつかぬ。何としても食わさなければならぬ。
     が、どうしても食べようとせぬ。そこで、わざと口から太いゴム管を無理やりにおしこんで、胃内注入をやった。
     その苦痛にたまりかねたとみえてぼつぼつ食いだした。
     栄養失調症だというので、受持の医員君さかんに肉食をやらせ、肝臓食もすすめた。
     母親はどこかから、スッポンの生血がよい、ときいてきて、すごい費用もいといなく、毎日何盃のんだとよろこんでいるという有様で、回診のたびに野菜、野菜といってはいたものの、殆んどそうした動物食ばかりになっていたらしい。
     かなり元気づき、少しは肥ってきたが、9月のはじめ頃から足骨が腫れだし、腹水もたまり、顔も手も腫れてきた。
     つまり型通りの栄養失調症の症状がそろうたわけだ。
     そうこうしているうち、10日もすると、こんどは折角出かかっていた食欲がすっかりなくなり、何をみてもむかむかするといって、全然食べなくなってしまった。と母親が泣きだした。
     そこではじめて野菜を食べさせていなかったことがわかり、叱りつけるように青汁をやらせた。
     すると、尿利がついて腫れはどんどん退(ひ)くし、食欲は出る。急速に元気を恢復し、9月下旬には腫れも腹水も全くなくなり、体重は40キロ。歩行できるようになり、10月初めには退院。という好調ぶりだった。
     年末ちかい頃、駅頭で、田舎へ餅搗きに帰るんだ、と大きなルュックを背負っているのを見かけたが、最近ではまるで見ちがえるくらい肥っている(70キロもある)そうだ。
     栄養失調症は、たしかに体蛋白の欠乏によるものには相違ないであろう。
     そして蛋白質が不足しているからそれを補えばよい理窟ではあるが、この例でもわかるように、ただ肉食さえさせればよいのではない。
     栄養というものは、いかなる場合でも、すべての栄養素が完全にそろっていなければいけない。
     蛋白質が足らぬから蛋白食というのではなく、蛋白質とともに熱量源も必要なら、ミネラル・ビタミン類も大切である。
     いかに肉食をやってもそれだけでは片手落である。
     充分の緑葉ことにその生食がなくてはとうてい完全食とはならないことを、この経験はよくおしえている。

    (25・5)(遠藤)


4. 卒路をゆく

     医学博士 遠藤 仁郎 

     卒路にかかってかれこれ1年。
     さすがに急な下り坂。その早いこと。早いこと。正月がすんだら、もう花の4月。春の農繁。新緑の八十八夜。またたくうちに馬鹿暑い真夏日の連続。9月の台風シーズン。19、20、21号と、同じコースで、風はなかったが、秋雨前線の活動とやら、毎日の雨。秋晴らしい日もないままもう冬支度。
     さいわい体調はまずまずだが、年は年。体力はしだいにおとろえ、あちこち故障が出てきた。

     まず耳。もう難聴どころか、ツンボも同じ。膝つき合わせての対談でも、つい、トンチンカンの返事をしてしまう。
     電話ともなると、拡声器つきだから、大きくは聞えるのだが、内容がうまく聞きとれない。
     少し早口だと、まるでわからない(補聴器も同じ)。
     大事な相談ごとだと、ご面倒でも手紙で、とお願いするが、たいてい、それっきりになってしまう。
     まことに申しわけないしだいだ。

     次は目。かねて、白内障のあることは承知していたが、年のくれ、それまで、いく分かかすんでいる程度だった左の眼の中ほどが、一面にかすんでスリガラスのようになっていることに気がついた。
     その後も少しずつ進行しているらしく、右の方も視力がおちてきたようだから、やがて、ダメになるのかと、いささか心細い。
     手術もかんがえないではないが、この年で、さて、どうだろうか。

     からだは、まだ、かなり動く。
     1〜2月の寒い頃でも、脚腰の痛みは大したことはなかったし、暑くなってからは、全然なくなっている。
     重いものには閉口だが、菜園の作業や山の上り下りにも差支えはない。
     7月からは全国的の猛暑に早天つづき。時には38度近くになったこともあり、立秋(8月6日)とともに、いく分凉しいかと思ったのも束の間。きびしい残暑だったが、さいわい昨年のようなことはなくてすんだ。

     食欲はまずまず。体重は50キロもつれ。便通は順調。ねむりもよい。
     いや、むしろよすぎるようだ。夏の間、夜明けとともにとびおき、凉しい2時間くらい草刈りなどする。
     あとはひるね。夕食がすみ、くれかかってくると、もう寝ている。

     前立腺肥大による夜間の排尿困難も、食事と便通と足の冷えに注意しておれば、まず、大した故障はおこらない。
     血圧は130前後。脉は54〜5。しかも、時々休む(期外収縮のため)といった、まことに悠々閑々といったうち方。
     そのせいだろうが、以前から、時々脳貧血の発作をおこす。この正月にも、忰どもと屠蘇を祀っていておこし、事情を知らない皆を心配させた。
     3年まえの正月にも、新年互礼会の席でたおれ、救急車で病院にはこばれた。自分では何とも思っていないのだが、もうどんなことがおきてもおかしくない年だから、皆さんにご迷惑をかけたわけだ。
     専門家に相談すれば、すぐに、ペースメーカーといわれることだろうが、いつもはどうともないので、そのままにしている。

     歯は、すっかりダメ。
     かたいものは食べにくい。近ごろは飯にもホネがある、など冗談をいっていたら、ことしのジャガイモやカボチャまでも、石のようなところがある、と笑っている。

     もうひとつ変ったことは、去年の冬から、拇指の内ら側が乾燥し、ナメシ革のようになりだし、真冬には、ヒビわれで痛むので、いつもバンソウコウをはっていた。
     夏になってからはヒビわれることはなくなったが、いつもカサカサしている。それと同時に拇指の爪が変形しデコボコしてきていたが、これも、かなりなおってきているが、11月中旬から、またヒビわれてきた。いずれも、老化現象だろう。

    (平成2・11)


5. 入院中の患者さんにも青汁をすすめて・・・

     9月18日(土)の青汁出版記念講演会では御多忙中にもかかわりませず遠路はるばるお越しいただき、又、貴重なお話を拝聴させていただきまして誠にありがたく厚くお礼申し上げます。
     ご講演内容が徳島新聞に掲載されましたので、たくさんの方々が青汁の効能やその必要性についてよく理解下さった事と存じております。
     その後、店の方へ青汁に関するお問い合わせをたくさんいただき本当にすばらしいことだと感じてます。まずはお礼まで申し上げます。

    (三村隆範)(平成2・10)

     小松島市赤石町で外科・内科・脳外科等を診療している岩浅病院の奥様、岩浅美礼子さんは、青汁を飲み始めて2年。1日2本だが効果は抜群。
     視力が落ちてそろそろ老眼鏡のお世話にならなければと思っていた矢先、青汁でその必要もなくなったとか。
     その他、睡眠時間が短くても毎日元気で仕事ができるという岩浅さんは、入院中の患者さんにもすすめている。
     「腹膜透析をしている患者さんの場合、食欲がなくて調子が悪かったんですが、青汁を飲み出してなんとなく体の調子が良いと言って大分前から続けて飲んでいます」
     取材は9月8日、ちょうど貝原邦夫先生の出版記念講演会の日で岩浅さんは貝原先生と遠藤博士と直接話をすることができ、青汁についてより深く知ることができたようだ。
     両先生のアドバイスどおり、岩浅さんが毎日飲む量も4本(2合)に増え、病院の給食に青汁が並ぶ日もそう遠い日ではないであろう。
    (カム・ツゲザー10月号から)


6. ヨーガ スッキリ療法

    健康増進の術

    不老の坐功
     @朝夕2回行うと早く気持よくなります。・眠れない方。肝臓。腎臓。気管支。頭痛。リュウマチ。

       @図の様に座わり 心静かに深呼吸をゆっくり5回行う。

     A両手を広げて、耳にあてる。
     B左へゆっくり大きく曲げながら、口から息を吐く。・正面を向いて息を吸う。
     C右へゆっくり大きく曲げながら、口から息を吐く。

       左右おのおの3回〜5回繰り返す。簡単ですが息を吸って、ゆっくり吐きながら横へ曲げてゆきますと、痛いところがあれば、そこに気持ちを集中して、ジッと5〜7秒間痛さを味う。
       これがヨガの目的なのです。どんどん自律神経が整ってきます。ゆっくり、そしてジッとすればする程効果がある。

    耳の行法
     @・難聴の方、耳鳴り、頭重。人差指と中指のあいだに耳をはさみ、上下に20回摩擦する。
     A人差指を耳の穴に入れ、2〜3秒圧したのち、ポンと音がする様に抜く。

       @の耳脇の摩擦するときは耳たぶだけでなく、耳の周囲の皮膚も摩擦する事。こうすることによって、耳および耳の周辺全体の気血の流れがよくなるからです。
       A両耳全体を両手の平で少し強目に圧して2〜3秒したのち、ポンと音がするようにしてもよい。この時できるだけポンと音がするようにするのが「コツ」です。耳がさっぱりして頭が気持ちよくなります。

       @Aを1回として1日3〜5回行なうとよい。


7. 捨てずにいた粗末な古いノートから
  病気をして初めて心で読む
  血が濁る食養と心の調(ととの)へ

     越智 廓明 

     平成2年10月5日達摩忌。
     ガン細胞を押さえて老僧の行持1年10ヵ月。
     心身医学、栄養療法の道を歩んだ。
     小僧時代、月3回の説教日があった。5日達摩さん、17日観音さん、28日両祖忌。夜、修証義読経後説教。修証義をポケットへ入れている人もあり、外地の人は熱心に聴聞する人が多かった。
     出身地が教化の盛んな地帯も一つはあったと思われる。引き揚げの老師方は殆ど遷化されさみしい思いをする今日である。
     私も本年東堂になり雲水に若がえり有難く余生を戴いている次第である。
     77才の冬 膀胱ガンに気ずき内視鏡で手術。放射線をかけ自来、再発しやすいガンと懸命で養生している次第です。
     排尿を眺めて1年10ヵ月、再発の見張りでした。同時に行持として作務がガン細胞を押さえたものと思われるのである。
     この事はあまたのガン、難病が私も一員である奇跡的に良く飲んだ人は治っている。遠藤仁郎博士主宰の青汁療法のお陰と思いを致すのである。
     最近新刊書で、アメリカでガンの栄養療法に就いて各国の医師たちのグループが2年連続で会を持っている実蹟のあがっている事も知った。
     レーガン前大統領の主治医もメンバーとあった。
     遠藤青汁の会にも案内があったと後日拝承。
     発病以来食、大小便通、体の異常感、発熱、体重、血圧等正常で通せた。
     檀務回向の姿勢は精神統一。下腹に力がいり声は腹から、坐禅の行持である。作務は畑で青汁を作る。日に2時間畑の思考。更に畑に放送設備カセットの収録による提唱の聴聞。
     草木も聴聞。檀務は仏さまのお土産と必ず畑の学習も挿入し、短くとも法話の法施を捧げる。
     生き甲斐を感じ体調悪いと感じたことなくかえって精気がつくのである。
     ただ思うに任せぬことは10年来の膝関節症で、杖が頼りに除湿機の世話にもなり、作務をするあいだ肩の痛みも忘れる。
     鈴木格禅草の根の禅、中村元、鈴木正、三農と仏法拝聴。中央公論4月渡部昇一上智大教授文中江戸時代「勤労する禅宗」多くの日本人は勤労の中に最大の喜びを持ち続け云々興味深い私には励ましの数々であった。

    古い学習帳から 出て来たノートより

      ○西洋式医学
       発見した病原菌をねらい打ちして殺すことによって治病を追求。
      ○東洋式
       血が濁ると病気になる。例、おでき、火傷、切り傷。傷口、膿治しにくい。むつこい物、油こい物、餅等を控えと昔からの食事の考え方。
      ○血が濁る
       「酸性化」、アチドーシス「酸毒症」。強い酸、食物が体内で分解される時につくられる。
       蛋白質「肉類、硫酸、燐酸」。脂肪、糖質。酪酸、乳酸、焦性葡萄酸。中和するのがアルカリ鉱物質カルシューム、ナトリューム、カリユム。アルカロージス「カルシュームイオンが正常な状態」。
       正常な血液の正常な循環の為食物と運動に無関心では健康を保つ事が出来ない。
       よい血をつくる食物、健康を蝕む三悪白米、白パン、白砂糖。甘いもの食すると一時満腹感。
       高校生百人中87人うし。「38年調査」。
       骨格全体弱められている、骨折しやすい。

      ○食欲不振、
       口当たりの良いものは益々酸性。抵抗力を失う。運動不足、胃腸が働かない。

      ○一番弱いところから
       「病気」の状態ハッキリ起ってくる。

      ○注射
       薬、一時押さえ。根本的に治すため食生活、体質革命。

      ○西洋医学
       肉、卵、牛乳、魚、休養これだけでは本当に丈夫になれない。

      ○病人の見舞いと菓子、
       早くおさらば。

      ○アルキスカレル「ノーベル賞受賞生理学者」
       生体における組織器官の健康と病気を左右するものは体液「血液・淋巴液」の変化によるのであろうと定義。

      ○体液の性質を良くも悪くするのは
       「一」食物、「ニ」精神。
       毎日の食物こそ、生命、全身の細胞を養ひ続ける体液に直結する重要な因子。

      ○病気の原因
       疲労、誤れる食事の取り方、食べ過ぎ、栄養過多、野菜過少で肉、卵、砂糖分の取り過ぎはてきめん。
       消化に必要な酵素ビタミンを取りさった白米、白パン、白砂糖。

      ○ノイローゼ
       勉強のやりすぎ、生活不安の原因よりも、性欲刺激する肉食。卵。牛乳。動物性蛋白質の取り過ぎ、肉体的特徴、早熟、知能や精神面の発達が伴わない。頭の働きを悪くする白米。白パン。砂糖。肉体的悩みもみたせない原因。

      ○食物と血液
       結果だけにまどわされて原因をつきとめなければならない、非科学的。血液の酸性化、体質を虚弱化する。
       「現代青少年共通」 1、疲れ易い。
                 2、頑張りがきかない。
                 3、一つのことに集中できない。
                 4、風邪をひき易い。
                 5、忍耐力がない。
                 6、アレルギー疾患にかかり易い。

      ○日本人は世界一お菓子食い民俗
       白砂糖体内に入って燃焼する為、ビタミンB1、B2がないのでカロリーを出しにくい。
       中途半端に燃えて焦性葡萄酸や乳酸を作り血液を酸性にする。
       甘味−腸の働き鈍り、偏食−カルシュム減。

      ○美容と便秘
       若い女性と吹きでもの。便秘−腸の働きが弱い。胃腸丈夫な人には殆んど見られない。防止法−アルカリ性食品。

      ○英国の非行少年少女収容所食事対策
       玄麦パン、生野菜の食事に切り替えたところ、性格迄変ってまじめな人間になったと言う実蹟がある。

      ○食油
       一度火を通した油は使わない。酸化して胃腸障害を起こし兼ねない。
       ポテトチップ、バターピーナツ、油を警戒。



      平成2年10月10日水快晴
      医学随想 自己の反省
       朝食後庭掃除作務1時間。昨日は殆んどワープロ校正完成に終日取り組み第三輯をしあげた。
       宵に一寝。家内は公民館に花の出稽古、23時帰る。私はベットで書見、貝原先生著青汁とともに36年中、奥さんの扁桃肉腫昭和41年夏発病。コバルト1クールかけ20日足らず退院。難病を云いわたされた。
       余命はと医師は答え正月迄どうかと。

       遠藤博士「倉敷中央病院現名誉院長」とのお出会いは昭和23年。
       以来の青汁の御縁と拝承する。
       夫人は以来青汁6合5年間続けられたとある。
       医長さんは奇跡だと看護婦さんに漏らしておられたとか。現在23年経過、至って御健康そのものである。

       私は20数年前の古びた捨てようかと思うノートを開き思い掛けない金文を発見した。
       今回の私等夫婦の治病に遠藤先生一言、血をきれくせよと仰せの言葉。
       悪食を反省。正食。経文食事訓の一節に
       「良薬を事とするは形枯を療ぜんがためなり」と。
       ノートは古い昭和26年肉類の消費2倍ガンの死亡率昭和10年の2倍とある。
       現代医学もすばらしい進歩であるが、栄養、生活による特に経済発展による国民体質の大きく変ったことである。
       4人に1人は医師に用事があると文献にあった。
       要は科学文明にこの世界も追いまくられているのではなかろうか。
       医師多忙、看護婦不足、病人続出、難病増加。ガンには抗癌剤、放射線、万全なものではない。
       今東洋医学式、アメリカにもあった。坐禅は釈尊の示された心身医学の健康法。
       修行道場の食事、精進料理、慈悲の香りがするのである。
       相手より自己を反省する。

      古い聞き書きノートより
       ○医師は病者を見離すとも、自然は決して病者を見離すことなし。
      先ず他力に依るのを観念を捨てて自力に頼れ。
      自力的精神療法は難治疾患に対する最後の有力なる自然療法なり。「原栄博士」

       ○西洋の諺
      病気は自然が治してお礼は医師が貰う。療は医、癒は神。心を落ち着けて養生すれば治も早い。
      人体は病の容器。潜在する病的変化を意識せず勝手に無病健康と思っていると無病短命。

       ○健康法は中止してはいけない。

       ○老たのし。80、90修行中。歴年齢はあてにならぬ。
      1. 小寿、古稀より喜寿。
      2. 中寿、喜寿より米寿。
      3. 大寿、米寿より白寿。
      4. 超寿、百歳以上。

       ○食細く、苦を苦にせずにわが業をいそしむ身こそ長生きはすれ。
      「棚橘 先生」

       ○152才のパー爺さん、スコッチィウイスキー、オールドパー、トーマスパー、104才。104才暴行罪、12年間服役。116才で若い女性と再婚、152才皇帝の宴で食べ過ぎ下痢で死亡。

      木食上人の長寿 
       93才。千体仏彫刻、木食戒。火食、肉食を取らず。
       米麦粉、蕎麦粉、草の葉や木の実。酒は禁じなかった。
       入湯。三界無庵。菜食。無住。亨保3年、山梨県に生まれ、
        14才家を出、22才仏門に入る。
        45才木食観海上人を師として木食戒を守り身を修める事50年。
        56才千個の仏像彫刻発願。踏破した山河五千里。木食のけさや衣も破れても未だ本願は破れざりけり。
        皆人は此の世ばかりを楽しみにまた来る春は何を食うべき。

      (平成2・10)
      (紙面の都合で一部割愛させていただきました。)


8. かつてない困難な年でした

    亀山支部 T.A. 

     東海支部では、昨年、結成以来30周年を迎えました。
     これまで、無農薬、堆肥栽培の安全・良質ケールを供給するために、一貫して努力してまいりましたが、ケール畑を訪れる方々は、雑草が茂り、虫に喰われて、ボロボロのケールを見て、心から安心して頂いております。
     今後とも会の益々の発展のために力一杯頑張る覚悟ですので、これまで同様に暖かく御指導下さいます様、心からお願い申し上げます。
     本年は、夏の記録的な猛暑、干バツ、台風12号、20号の直撃、害虫の大発生等、ケール栽培にとって、かつてない困難に見舞われました。
     現在、すでに1ヶ月以上にわたって、ケールの供給ができない状態になっておりますが、1日も早く回復させようと、苗の植付け等、懸命に頑張っております。

    (平成2・10)


9. 10才は若い

    仙台 K.O. 

     おかげ様で、ケール顆粒を飲んで元気はつらつ、仕事をしております。
     1ヶ月丸々お休みが取れず働く時もございますが、あまりつかれず、働いております。
     そういう時は、ケール顆粒を6袋ぐらい1日に飲みます。
     今年72才になりましたが、ケールを16年飲んでるおかげです。
     この年になりまして、若さを保っていられるのは有難いと、心から感謝しております。
     10才は若いと言われます。
     毎月の青汁の月刊誌を拝読させて頂いておりますが、たまたま遠藤先生のおすがたを拝見、本当に健康そのものにお見うけします。
     私も先生のおしえを守り、先生のように健康で余生を送りたいと思ってます。
     又、田辺先生のマンガを楽しみに見ております。有難うございます。

    (63・10)

10. 自由化に無農薬米で勝負

    徳島県 K.N. 

     今年も、豊かに無農薬米を収穫させていただきました。
     日本人の常食のコメに、有機水銀系の農薬が大なり小なり混入されていて、私たち農業従事者も大変不安を感じています。
     しかし、わが家は農薬を使わず、自然の生態系の中で稲づくりをさせていただいています。
     田の除草にはカブトエビが一役かってくれます。
     腹部が毛に覆われていて、田の中を動き回ることによって除草の効果を抜群に発揮してくれるのです。
     また田植えから収穫期にかけての害虫対策には、カエルが非常に“協力”してくれました。
     おかげで今年も無農薬米の豊作となりました。
     私たちの家族は10年前までは都会で生活していたので、安くて安心できるコメを消費者の方が求められている気持ちがよく分かります。
     コメの輸入が自由化され、安いコメを消費者が入手できるのは必定だと思います。
     しかし賢い消費者の多くの方は、常食のコメについては安心できる無農薬米を求められる気運が強いのではないでしょうか。
     現在の日本の農業は、狭い耕地で多く収穫しようと煙幕を張ったように農薬を散布しています。
     生物たちにはもちろんのこと、付近の住民も多大な迷惑を受けていると思います。
     それよりも消費者の皆さま方に安心して召し上がっていただけるコメづくりこそが、農家の信条であるべきだと思います。
     コメの自由化にむやみに反対するばかりではなく、消費者に喜ばれる良質米の生産に力を注ぐことが、日本の明日の農業発展につながるのではないでしょうか。

    (2・10・23 サンケイ)


11. 老化防止に

    足立区 Y.K. 

     昨年の7月頃より、友達にさそわれて、老化を防ぐということで「青汁を飲んでみたら」といわれ、美食している私にはとても飲む気にはなれませんでした。
     銀座の青汁スタンドに行くと、キャベツにつく青い独特の虫が店一杯にいるようで、鼻をつまみながら店に入って行ったものです。
     1日2日と続けてみると、全然匂もしなくなり、私の身体は青虫になったのかしらと不思議に思いました。
     今では以前より身体の状態も軽くなり、これならば高血圧症だった私にも良いのではないかと、食事の一部として確信をもって飲み続けております。 若かりし姿しのんで 近ずけば青汁飲んで 高血圧と顔のシミ (63・3)


12. 食べ物を知ろう 食品添加物

    大阪・アップル歯科医 Y.T. 

     今回は、皆さんと一緒に簡単な実験をしてみましょう。
     市販の清涼飲料水数種類と、みかんを用意して下さい。
     ジュース類はコップに注ぎ、みかんはしぼって同様のコップに入れます。
     5秒後、早くもしぼったみかんのジュースは二層に分離しはじめます。
     透明な無色の部分が、次第にコップの底の方にひろがり始めます。
     24時間後、みかんのジュースは、表面にわずかなオレンジ色を浮かべて、ほとんどの部分が透明になってしまいます。
     48時間後、このみかんのジュースは、独特のいい香りがします。その香りにつられて、ショウジョウバエが飛んできて、コップの内面にとまります。
     醗酵しているのです。いっぽう市販のジュース類の方はどうでしょうか。24時間たっても48時間たっても、全く均質で、分離が見られず、見た目には最初と全く変わりません。
     ただ、よく観察すると、においが変っていくのがわかります。
     最初は果物のようなにおいがありますが、次第にそれがなくなると、何かの薬品らしいにおいが残ります。
     そして、このまま放置を続けても、変化はみられません。
     色が変わらない、分離しない、醗酵しないと数えていくと、食品添加物の多さを暗示してくれます。
     それでは、無添加の、果汁100%のジュースならいいのでは、と思われる方もおられるでしょう。
     皆さんが、これならと思われるジュース類を買ってきて、コップに入れてみて下さい。
     5秒で始まった、みかんのジュースの分離のような現象はみられません。
     24時間から48時間たって、かすかに二層に分離しているのが見わけられますが、みかんジュースの場合と分離の仕方が逆になっています。
     色がついている方が下の層に、やや透明な部分が上の層になっているのです。
     この実験で、目で見た範囲では、無添加であるとは思えないしろものなのですが。
     このような実験は、ジュース類だけではなく、いろいろな飲食物に応用できます。子供たちと一緒にじかに目で見て確かめて、私たちのいのちと食べ物について考えてみて下さい。

    (61・12・27 サンケイ)


13. 胃弱・便秘が‥‥。健康こそ何よりの宝です

    阿南市 N.M. 

     毎日飲ませて頂いています。母の血圧が正常になり、私も体の調子が良くなってきました。
     青汁の事を知り本当に喜こんでいます。

    (主人(60才)が、若い時から胃腸が弱く、下痢の日が多く、病院通いで悩んでいました。
     3年位前でしたか、友達から青汁を紹介していただき、早速飲んでみました。
     不思議に下痢しなくなり、決った排便となり、後で快調で、気持ちのよい毎日となっています。
     それ以来、青汁友の会より、種子を送っていただき、休耕田に四季を通じて栽培し、自家製青汁を家族中で毎日飲んでいます。私も母も便秘がなおり、家内中の笑顔が見られるようになりました。紙上をかりて、厚くお礼を申し上げます。)


14. 青汁と共に(慢性腎炎)

    東京都 M.K. 

     今から20数年前、小学校4年の時に私は風邪をこじらせ腎臓炎に罹り、それまで痩せたいた体がむくみにより腫れ、顔は満月のように丸くなってしまいました。
     学校はもちろん休学せざるを得ず自宅にて絶対安静となりました。
     なすすべもわからずにいた所、叔父より田辺様を紹介していただき、さっそく青汁を中心とした食事療法をはじめました。
     青汁の効果はすばらしく、尿も少しづつ出るようになり、血尿状態も日々回復していきました。
     これには往診していただいていた医者もただ驚くばかりでした。
     約1年後には小学校5年に復学し、学校給食ではなく私だけ特別に食事療法をもとにしたお弁当を持って行き無事に小学校を卒業しました。
     中学受験の時も青汁と食事療法を続けることにより大きな病気もせずに中学に進学することが出来ました。
     体質的に血がにごりやすいことを常に頭に入れ、少しでも具合いの悪い時は特に青汁の量を多めにし、白米を減らし、イモ・マメ・ナッパと合い言葉のように思いかえし?注意を払ってきました。
     大学を卒業後、英国系銀行の東京支店に6年半勤めその後英国系証券会社に5年勤めました。
     証券会社にいた当時は外国との時差の関係で朝6時半より夜11時ごろまで働き、常に1日14時間以上は働き続け、土曜や日曜日も出社していた期間もありました。
     今、問題になっている「過労死」で死ぬのではないかと思う位働きましたが在職中は1日も病欠もせず、社内では超健康な人間だと思われていたようです。
     部下に子供のころに罹った腎臓炎の事を話しますとみんな信じられないと言い、青汁を実際にためしてみようと言う社員もいました。
     子供のころ私はいつも手先が荒れて、すぐ目にはものもらいができ、蚊に刺されればすぐに化膿し、年に2〜3回は扁桃腺が腫れ高熱を出していたのが今では、そのようなことは全くなく青汁により血がきれいになっていくのを感じます。
     現在も必ず朝、青汁を1合飲みそして1日が始まります。
     肉料理はほとんど口にせず野菜中心の食事を続けています。
     肉を長いこと食べていないと、肉を出された時非常ににおいが鼻につき食欲がなくなり体が欲求していないのだと感じます。
     青汁を飲み続けてきたことにより肌の状態も良く、他の人からは年齢不詳だともよく言われます。
     最近は環境汚染問題や自然食ブームで以前は青汁のことに耳をかさなかったであろう人たち、特に若い人たちが非常に興味を持ち始め、私も今年の夏だけで5名程の20代の女性に銀座の青汁スタンドを紹介しました。
     体の中から、血のにごりをなくしていくには、青汁を根気よく続けて飲むと同時に食事全体を肉中心食から野菜中心にかえる必要性も少々説明してから銀座の青汁スタンドを紹介することにしています。
     若い女性たちにとっては健康になれると同時に美しくもなれるのでかなり熱心に私の話を聞いてくれます。
     これからは青汁もトレンディなもののひとつとして流行して行くのではないかと期待しています。
     一度失いかけた命を青汁友の会によって助けられた私がこのように毎日健康な日々を送ることが出来るとは夢にも思いませんでした。
     今後より多くの方々に青汁を知っていただき、不可能を可能にしていただきたいと願っております。

    (平2・9)


15. 食べるものがない

    保谷市 H.Y. 

     青汁のお蔭で丈夫に暮らして居ります。
     唯心配なのは食べもので、昔の様に安心して食べられるものがなくなり、不安です。
     水道水、農薬野菜、肉、魚等々どれも安心出来ず、肉は食べませんが、魚は食べて居ます。
     なるべく、鰯の様なものにして居ます。
     野菜も無農薬が簡単に手に入ればよいナァと思いながらそのチャンスがありません。
     せめてドライ青汁だけは一生懸命にのんで居ります。
     遠藤先生の様に元気で長生き出来たらよいなァといつも思って居ります。

    (平成2・8)


16. 酒も少しは飲めるように

    奈良県 S.M. 

     若い頃からの暴飲と夜ふかしの悪へきで体調を悪くしてしまいました。
     昭和62年4月頃に近くの医院で診察を受けると、血圧も高く、肝機能も悪くなっており注意を受けました。
     翌年の検査では数値が更に高くなり入院寸前とのこと、肝障害には黒酢がよいと昭和62年9月から昭和63年10月まで飲みましたが、効果らしきものも出ず、困っておりましたところ、今年3月に友人よりケール青汁のことをきき種を頂き、7月頃より1日3合の青汁を飲むようになりました。
     今年の9月に検査を受けると血圧は正常になり血液検査も改善に向いつつあります。
     青汁の効果に驚くと共に感謝いたしております。
     今後とも健康のため飲み続けたいと思っております。
     近頃は注意しながら時々酒も飲むこともあり感謝の日々です。

    (ケール健人会報より)


17. 本当におどろいた

    名古屋市 T.Y. 

     名古屋市の知人にケールを使用させていただきました。
     効果に本当におどろきました。
     田舎に住む両親にすすめたいと思いますので種子をお願いします。


18. 狭心症よくなる

    宮城県 M.O. 

     朝夕しのぎやすい季節となりました。
     私、今春、労作性狭心症になりまして、亡母が昭和36年主婦之友社発行の「青汁の効用」を買ってありましたのを思い出し、何度も何度も読みました。
     これ以外の方法(治療)はないものと確信いたし、ケールの種も送っていただき。鈴木ジューサーマシンを買い求め、4月6日より毎日欠かさずケールの青汁を3合づつ飲んで居ります。
     以後5ヶ月半で驚く程快復いたしまして、平常に近い程良くなり、知人にも教えて、苗も分けて上げ、喜んでいただいて居ります。
     近日中に2泊旅行に出かけようと思い、京都の青汁スタンドより旅行用のピロサンを送っていただきました。
     お蔭様にて元気になりました。感謝いたして居ります。

    (平成2・9)


19. 血圧下がる

    横浜市 M.H. 

     お蔭様で血圧も148まで下がりました。

    (62・9)


20. 質問箱 ききめはどれくらいで?


     ききめはどれくらいで出ますか?


     病気しだい、分量しだいです。中には2〜3年して出るのもあります。
     いそがず、あせらず、ともかくつづけることです。


コラム紹介

    天地の自然(かけ)のめぐみのナッパ・青汁



     青汁は、日常習慣食の誤りを正し、食の間違いから来ているからだの変調をなおして、健康になり、病気の治りをよくしようというものですが、しだいにゆがめられて来ているように感じられます。
     かならず、正しい理解のもとに実行して下さい。
     緑葉食や青汁用のナッパは、かならず、良質で安全なもの(下肥はもとより、化学肥料や農薬もつかってない)でなければなりません。



    勇敢に逆境を撃退せよ 元気を新にせよ


    心のままに従ふことは、夢に如(し)くはなし
     正蒙   



    人生の三条件
       岡山市 三木政男

      1. あなた今日の 献立は
        よい人生を 作るもの
        選びましたぞ 無農薬
        青い野菜を しっかりと
        入れております 血の素よ

      2. 暑い夏でも 寒さにも
        耐える力は よい血です
        身体の中に その粒が
        六十兆億 あるんです
        休みなんかは ありません

      3. 骨が丈夫で なかったら
        なまこみたいで 役立たず
        それを補う その素は
        瀬戸のいりこが よいですね
        飛んではねても くるわない

      4. 忘れてならぬ 便通は
        1日必ず 1回が
        基本ですよね 朝がよい
        青菜青汁 青い粉
        博士の教え 守りませ



    こうするしかない 現代病のきめて
     遠藤博士著   

    なぜ青汁を 今の食では国亡ぶ
     貝原邦夫先生著   

    この2冊を読んでしっかりと記憶・実行すれば
    日本中で病人が半減すると確信します。









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