<1990年10月15日発行 第410号>
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目次
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1. 再生不良性貧血治験詳報
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藤岡市 M.W.
第一信(昭63・9)
初めてお手紙を差し上げます。
二女8才(昭55・3生れ)発病
去年(昭62)の10月中旬カゼのような症状が4・5日続いたあと、顔や手足に紫斑が出て、検査の結果、再生不良性貧血の重症であると言われ、すぐ大学附属病院に入院になり、突然の難病に目の前がまっくらになり、いままでの生活が夢のような遠くのものになってしまいました。入院治療病院ではステロイドの大量点滴6日間(62・11月)とプレドニン、蛋白同化ホルモンの服用。その間に血小板の輸血は62年10月〜63年2月末まで毎週。赤血球の輸血62年10月〜63年2月末まで400c.c.を計6回受けました。2回目(62・12月)6日間のステロイドの点滴の後、顆粒球が500前後にふえ、3回目(63・2月)6日間のステロイドの後血小板が1万〜1万5千前後になり、輸血しなくてよいようになりました。赤血球は3回目ステロイドでヘモグロビンが11.1まで上りましたが、1ヶ月位でまた落ちこんでしまい、4回目(6日間)を4月(63年)中旬に受けましたが、それほど目だった成果はありませんでした。血小板は今までに2万3千になったのが3回で、それ以上ふえた事はまだありません。ヘモグロビンは5月〜6月いっぱい頃まで8〜7でしたが、7月に入ってからもっと下って5.6になってしまいましたので、7月28日に赤血球のみ400c.c.を輸血しました。
入院してすぐから今年の6月いっぱいまで「ヘルスロード」という会社の薬を飲ませていました。ほかにロイヤルゼリーの生をハチミツにまぜて現在も飲ませています。
今年(63年)の3月より知人から「生野菜汁療法」という本をみせてもらい、その本に有効とある野菜のジュースを約丼に8分目位飲ませ始めました。その時はスーパーで買ってきた野菜(ホーレン草、ニンジン、セロリ、アスパラ、セリ、レタス、外でつんだタンポポ菜)を使っていました。
退院
63年6月4日に状態がやや安定しているので退院し、現在に至っております。その後先生の「青汁は効く」を見つけホーレン草はよくない事も知り今は使っていません。
顆粒服用
7月10日よりケールの顆粒を1日5〜6袋(1袋8g入)飲み始め。
家のプランターで育てたシソ、はつか大根、タンポポ、小松菜、パセリ、オオバコ、タンポポなど混て、1日1回約1合のませています。ほかにニンジン、ハス、カボチャ(これは市販のもの、なるべく生協の品を買っています)のすりおろしたものにリンゴ汁を加えて小鉢に一つ食べております。家で作る野菜の量はそれほど沢山ではないので、たらない時はパセリなど市販のものを使う事もあるのです。今肝機能が良くなくGOT174GPT173です。体重も発病前は22kg位だったのですが、5月頃は34.5kg位にもなって、満月顔になってしまいました。
退院後は病院の薬は一切のんでおりませんので、体重が少し減り32.5kg位です。コンフリーを植えましたがジュースに入れても良いでしょうか。アシタバはどうでしょうか。東京の青汁相談所でケールの種をいただいたので、それも植えてまだ小さい葉ですがジュースの中に少し入れております。8月の新聞に血小板の少ない方が青汁で治った記事と再生不良性貧血の方の元気になられた事が出ていましたが、私の子供にも青汁で少しでも良くなってほしいと必死の思いで毎日飲ませております。去年の10月から学校もずっと休んだままで、3年生になったといっても名ばかりで、秋がくると1年間も休学の状態です。病院の先生は血小板が5万ないと通学は無理といわれています。長い病院生活で薬の副作用の恐しさも身をもって知り、もうこれ以上薬をやりたくない気持です。なんとか青汁で良くなってくれゝばほんとうにありがたいと思っております。
(現在主に食べているもの)
朝、卵1ケ、みそ汁、ひじき小皿1、トマト1/2 昼、夜はいろいろですが、なるべくいわし、さんま、とり肉など。野菜はなるべく細かく切って根しょうが、かつおぶし醤油で食べています。(キャベツ、大根、ニンジン、じゃがいも、トウモロコシ、さつまいも、しそ、みつ葉、玉ねぎ、ピーマン、チンゲン菜、キウリなどよく使う野菜です)牛乳は1日1本位、間食は1日1回だけ。青汁をのんだあと果物とアイス少々とかチョコ1かけ位です。
(食事以外に飲ませている健康食品)
梅エキス、ロイヤルゼリー、小麦胚芽、粉末コブ。・松寿仙という市販している薬草エキス(ニンジンエキス、クマザザエキス、松葉エキスの混合)ビタミンC、ビタミンE(月見草オイル)、霊芝の胞子1日2g ビタミンB2B6、ナイアシン、ビール酵母、パン酵母の錠剤、DNA、RNA。これは東京の森重福美先生のカウンセリングを受けて処方してもらったもので今年の1月からのませています。
これにたいし、薬や薬めいたものは、いずれもやめる方がよいこと。食べもの、とくに野菜もよいものはナッパだけ。それも無農薬(無化肥)のものでなければならない。市販のものはさける方が無難。健康食品なるものもあやしいものが少なくないこと。間食、菓子・ジュース類はもちろん、くだものも安心はできない。からだのためになるものは結局青汁しかない。それにしても今の分量では少なすぎる。多いほどよろしいなど、気についたことを返事しておいた。(遠藤)
折り返し、
御返事ありがとうございました。毎日青汁を続けて飲んでおります。
庭でとれた菜で約1合、ケールの顆粒を(1袋8g入)を1日9〜10袋やっております。先生から御手紙いただきとても心強くなりました。親子してがんばってやってみます。また経過など報告致します。
第二信(平成元・2)
| 赤血球 | 白血球 | 血小板 |
昭63年10/06 | 206 | 3800 | 8000 |
10/13 | 188 | 2400 | 10000 |
10/20 | 193 | 1900 | 9000 |
10/24 | | 2100 | 19000 |
10/31 | 170 | 2100 | 8000 |
11/07 | 168 | 2100 | 13000 |
11/14 | 168 | 2200 | 8000 |
11/21 | | 2200 | 17000 |
12/05 | 175 | 2100 | 16000 |
12/20 | 164 | 2200 | 17000 |
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平1年 01/12 | 181 | 3200 | 16000 |
02/06 | | 3400 | 23000 |
02/20 | 219 | 3000 | 15000 |
その後もずっとケールの青汁と青汁の顆粒を飲ませております。去年のうちはあまりはかばかしくなかったのですが、年が明けてから(平成元年)赤血球と白血球が少し良くなってきたようです。(右表)
ただ血小板がやはりあまりよくないのでなんとかもう少し回復してほしいと願っています。本格的に青汁を始めてから満8ヶ月になります。現在顆粒を1日6〜7袋と自家で育てたケールを主にパセリ、はつか大根の葉などまぜて1日400g〜600g位を青汁にして飲ませています。今年の冬は暖いのでいただいた種で育てたケールがずいぶん大きな葉をつけるようになりました。毎日ありがたく葉をつんでおります。素人の私が育ててもわりあい手入れも少なくとも丈夫に育ってくれるのでとても助かります。
第三信(平成2・3)
青汁を本格的に始めてから1年と6ヶ月になります。退院時は赤血球200万以下、白血球2,000前後、血小板10,000前後でした。
それから1年後(63・6月)が赤血球250〜280万、白血球3,000〜3,500、血小板15,000前後です。去年(平成元)の9月頃から急に数値が良くなってきました。ヘモグロビン9.5〜10.5、赤血球350前後、白血球4,000〜4,500、血小板25,000〜30,000。そして年が明けてから現在ヘモグロビン14.1、赤血球390万、白血球4,500〜6,000、血小板43,000になりました。赤血球、白血球はほぼ普通になりましたのであとは血小板が少しづつ上ってくれれば、ほんとうにありがたいと思っております。
冬は庭のケールが育たなくて少ししか飲ませられなかったのですが、2月下旬から3月にかけて暖い日が続き、この頃は葉も大きくなるのが早くなって嬉しいです。こうやって自然の恵みで育ったもので、少しづつ子供が良くなってゆくのはほんとうに感謝の気持が自然と湧いてきます。ケールの葉を洗いながら、いつも自分自身も反省しながら青汁を作って飲ませています。子供もまず汁、まず汁と言っていますが、毎日の日課なので素直に飲んでおります。私の家は商店なので(衣料品)忙しい時は朝、葉をとってすぐミンチにかけ、ドロドロになったものを冷蔵後に入れておき、学校から帰ってから3時半と、夕食の前、よく日の朝と3回に分けて、飲むときしぼり器でしぼって飲ませています。
子供も4月になると5年生になります。4年生の時は授業は午前中だけ受けて帰りましたが、4月からは午後までいられそうです。2年生の秋から3年生いっぱいはほとんど学校へ行けなかったので、とても心配していたのですが、勉強の方も遅れず、本人も頑張ったので進級できました。いつも青汁新聞で皆さんの良くなった記事を拝見して心強く思っております。これからも青汁をつづけていくつもりです。(平成2年3月)
おめでとうございます。もう一息です。ここで油断しないよう、いっそう熱心につヾけることが何より大切です。青汁は、少々時間のたったものでも少しもかまいません。がんばって下さい。快報をおまちしています。(平成2・3)(遠藤)
追記 最近いただいた通信(平2・9・4)によると、8月22日の検血で血小板は6万になっており、昨日からはじまった2学期には元気で登校しています。とあった。
コンフリーについてのご注意
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2. 春夏用のケール
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3. 緑葉の利用 むかし話(初期の旧稿から)
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医学博士 遠藤 仁郎
戦局の深刻なる推移とともに窮迫を加えつゝあった食糧事情は、戦後帰還邦人による人口増加と相俟ち、一層その度を加えるであろう。これに対処する方策としては、消費の合理化により、極力食糧の節約を図るとともに、たヾ一図に増産に邁進することあるのみであり、目下国をあげて主食米麦はもとより、雑穀・豆・芋類等代用食品の増産に懸命の努力が捧げられている。が、不幸にして、本年度米作は甚だ不良であり、甘藷の成績も余り香しくないと聞いている。併合国側の理解ある措置により、若干の外来の輸入が許可された由であるが、もとより取るに足らぬもので、これで安心するが如きは禁物である。のみならず、これ等禾穀類・豆・芋類等は、栄養的には不完全なる食品であって、これにのみによっては真の健康は、これを保持し得るものでない。主食米麦並に代用食品に欠乏する優良蛋白質及び脂肪の給源としては、動物性食品に勝るものはないが、食料と同一の飼料を要する食肉用家畜の飼育は不経済極まる食糧の浪費であることは、先人の既に指摘せる所で、現下の如き食糧事情下にては厳に禁ずべく、専ら河海の魚介類・山野の鳥獣・昆虫類に依存すべきである。しかも、動物食はその全体(内臓・骨骼ともに)を用い得るもの及び乳汁の他は、何れも栄養的に完全なる食品ではない。
果物・蔬菜(果・花・茎・根・葉菜)類は、主食または動物性食品に不足する成分(アルカリ・石灰・ビタミン等)の良供給源で、主食・動物食に劣らず重要な食品であり、これが充分なる補給によって、はじめて真の健康は約束される。しかも、その豊富なる摂取は主食の需要量を節減する能力があり、また、緑葉類はそれ自体完全なる食品で、必要なるすべての栄養素を有し、主食・動物食に不足する成分を補うのみならず、その蛋白質は肉類に匹敵する優秀性をしめし、これが摂取により動物食の必要はこれ無きこととなる等、現下の食糧事情下最も重要なる食品なのであるが、葉菜類はもとより一般蔬菜類も、耕作面積の減少、労力の不足、輸送難等のため、現在の如く極めて窮屈な状態にあるのはまことに憂慮にたえない。
かかる主食の不足、蔬菜類の欠乏の解決に残された唯一の途は一般緑葉の利用である。蔬菜類の緑葉は勿論、栽培植物、山野自生草木を問わず、凡そ無毒なる緑葉はすべてこれを用い、軟きは惣菜に、堅きは生鮮汁または乾燥末として食用に供する。生鮮汁(緑葉汁・青汁)糞便汚染なき清潔なる緑葉を摺り鉢で摺り、搾り汁とし(汁少なき際は適宜清水を加う)、少量の油脂を加え、適宜調味し、そのまま、あるいは羹汁・乳汁等に加え用う。
なお、この生鮮汁には極めて有力な治病効能があり、すべての疾患に応用される。乾燥末(緑葉末)生鮮緑葉を沸騰している熱湯に1〜2分間浸すか、あるいは急蒸ししたる後、乾燥し(製茶法に準ずる)、製粉(微細なる程可)。能うれば少量の油脂をしみこませておく(緑葉末油煉)。粉末にするから如何なる緑葉をも用い得られるし、乾燥してあるからよく長期間の貯蔵にたえる。製法は簡易で学童によってもよく製し得られる。飯に入れ穀粉に混じて主食の補助となし、また、惣菜に加え、あるいは適宜調味「ふりかけ」となし、蔬菜代用とする等、その用途は甚だ広い。
本県の如く比較的一般食糧に恵まれた地方と雖も、やがて深刻なる食糧難に直面すべきは火を睹るよりも明であり、これが準備は一日も忽には出来ない。冬近い今日ではあるが、幸い殆んど無尽蔵とも称すべき甘藷葉があり、桑葉・里芋葉・茄子葉・大豆葉・南京豆その他雑木雑草類葉等、利用すべき緑葉はまだまだいくらでもある。この秋晴れの好期を逸せず乾燥緑葉の大量生産を図り、来るべき食糧難及び冬季の野菜不足にそなえ、以て戦後の食糧対策に万全を期さなければならぬ。(20・10)
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4. 忙しい毎日 真向法体操
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遠野市 E.O.
総会に出席いたしまして先生方のお話や皆さまの体験などお聞きしまして、益々青汁に自信を得まして今後も続けて参ります。私は調理士でありますので、衛生と栄養には特に気を使い、自然食と玄米食、イモ、豆、ナッパ青汁の健康生活を続けたいと思っております。81才になって「真向法体操」を教えておりますが、図の如く、健康の体に康らかな心をもつように心がけております。これも奉仕活動の一つです。朝6時から青汁の作業開始、配達の終るのが11時。午後はケール畑の虫とり、明日の材料の調達と忙しい日が毎日続いて居ります。
(平成2・6)
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5. いつも思うこと
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岡山 M.M.
先生の青汁の本を読む。それを重ねて実行していると病気なんかけし飛んでしまうんですね。山陽新聞昭和62年11月1日の記事に、昭和61年度に病人が全国で3480万4千人いるそうです。その病人の家族は何を食べているんだろうか。先生の力説している食事を完全に実行してもらえば、患者が半減すると思います。よい食事を続けると言っても一生続けてもらい、子も孫も根気よく続けねばなりません。
大根葉の事ですが、出来た大根葉を捨てるのはおしいが、農薬で汚染されていないかどうかを見分けるこつが分らない。大根は汚染されていても大丈夫かなあと思ったりしている今日この頃です。大根の最盛期に10万本を出荷したら、葉が2トンあります。軸を除いて1トンの青い所を粉にして10分の1の粉末が出来ます。1日2袋20瓦をのんで何人前出来るのかなあと考え込んでいます。よい血作り、よい骨作り、便通の調整、この3条件は何としても自分自身の稼いだもの。健康の教ほんとうに有難とう。皆んなに実行してもらい病人を一人からでも無くしたいと今日も午の念仏かも分らないが頑張っております。(平成2・3・13)
病人の多いこと、全く悲しいことです。大根の葉、ぜひ利用したいものですが、農薬でダメ。残念至極です。(遠藤)
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6. 三代目は無縁仏
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7. その後いかが
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東京の田辺さんから、「電話で何度も連絡してこられた、九州と仙台の、2人とも老医さん、前立腺肥大で悩んでいられたが、先生式をやってみてもらったところ、調子がよいと、よろこんで電話して来られました。その後先生の前立腺対策はいかヾですか、くわしくおしえて下さい」といってみえた。
あれから4〜5年もたったでしょうが、大して変ったことはありません。いちばん大切なのは、やはり食べもののようで、夕食をひかえめにし、ダシのよくきいたうまいものをさける。その他には、便通をよくすること。つとめてからだを動かすよう注意しています。それでも、時折反則をおかして後悔することもありますが、まずまずの状態をつヾけています。これからどうなるか、それはわかりませんが、なんとか、これでおして行けるのではないかと思っています。
(平成2・4)(遠藤)
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8. 私の青汁歴
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奈良県 K.N.
先生、3月19日の大阪の会で初めて先生のお話しを聞くことが出来まして嬉しうございました。毎月健康と青汁を読ませていただいておりますが、お顔を拝見出来て、お写真よりお若く、とてもお元気なお姿に感動し、感謝しています。
私は67才の老人で、15年前に脳溢血、5年前に脳血栓をやり、初めは右半身、後は左半身不随になり、リハビリをやりましたが、今だに右手は不自由で、口は全然戻らず、喋れません。只今、娘夫婦と孫二人と同居しています。若い者と意見の合わないのも、私が喋れない為けんかにならず、平和に暮せます。喋れぬことも有難いです。先生が質疑応答で、くどくどと質問なさる皆様に、要は安心して青汁を少しでも多く飲みなさい、と仰っしゃってるようで、法然上人が若い僧達の悩みをお聞きになって、ただ一言、凡ての物に念仏する心になれと仰っしゃったのと同じように感じ、有難く、観音様のように思いました。
私は、20代の時肺結核で、あと6ヶ月と云われまして、戦後間のない時で食料もなく困っている時、従兄が青汁でも飲んで見たらとすすめてくれ、大阪にいましたので焼跡のはこべや南瓜の葉を摺ってどんぶり1杯ずつ飲みました。搾ったあと勿体無いと云って水を入れて2度目のを母が飲みましたら、私はすっかり元気になり、胃痙れんの持病の母も直りました。その頃ケールは知りませんが、奈良へ来てから先生のお本で知りまして、庭で作っております。大きく育ちますので花の芽は若い内に取ってブロッコリーの代りに、若葉はチンゲン菜の様に使って食べています。声が出なくなってから物を飲み込むのが大変で、青汁は沢山飲めませんが、私は自分の食事は別につくっていますので、畑で作っている野菜が主食の様な食事をしています。お医者さんも糖尿の方大変いいと云ってもらっています。
(平成2・3)
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9. 偶感
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三村 T.M.
連日30度を越える日々青汁を飲んでるみんなは元気で夏バテ知らず、蝶も青虫も暑さの中を生き抜いています。網でとっても、手でつぶしても昨日と同じ状態です。畑で一人で戦っていると照りつける太陽までが虫たちの味方をしているのかと思いながら汗をぬぐってしまいます。
最初は私一人で戦っていると思っていましたが、よく見ていると協力な援軍がいることに気がつきました。アシナガバチ、マユバチ、アオガエル、スズメなどが青虫などを食べてくれるのです。まるでサル、カニ合戦の世界だなと考えていると一人でする畑もまた楽しいもので、そんな思いをめぐらす時に、さわやかな秋風がほほをなでると冬の野菜を準備しなくてはなりません。
仕事の合間、いつものようにバイクで小神子海岸へ出かけました。夕日に輝く波間はいつになく美しく、改めて自然の豊かさを実感しました。自然の中で生かされ生きている私たちは、自然に調和し一体となろうとする生活が、人生を豊かなものにしてくれます。晴れの日、雨の日、嵐の日、正常を保とうとする変化がいろんな気象現象として現れます。人間の身体も同じで、悪くなればなる程、正常を保とうとする力が目には見えずとも強く働いているはずです。青汁新聞No.365号に「からだは治ろうと懸命となっている。じゃまさえしなければ治るほどの病気は治る。(略)責任の大半は自分自身にある」とのっていました。
(徳島、かちどき橋ドクターエンドー カムツゲザー紙より)
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10. 今後に楽しさを
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熊本市 S.M.
私の家には、80才をすぎた父母がいて、健康については、妻も、食事には、注意していましても、もっと、いいものはないかと、新聞や雑誌などよく見ていました所、4月6日付のスポーツ新聞にて、ケールジュースの事が、目に付きました。10才と11才と12才の子供もいますし、子供達には、インスタント食品から遠ざけてそだて、本当の人間の自然な食品を覚えてほしいと思うのです。ケールの種を少し分けてもらえないでしょうか。先生、これから先も、日本人が皆健康になるよう、のちには、世界中の人がと、世界全体の、食生活のためどんどん発表して下さい。私は先生の今後に楽しさを見つけました。
(平成2・4・6)
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11. 青汁の手応えに確信と開眼
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大阪市 S.T.
1987年7月、初夏のわりには暑く感じられる日々の中で、なんとなくけだるい疲労感があり何だろうと考えるうちに友達がケールの青汁が良いとすすめてくれました。彼は野菜が人の健康な生活にとって不可欠の重要なものだと言い、しかし農薬は危険であり、特に除草剤はダイオキシンという毒性の強い不純物を含んでいるので、青汁材料は無農薬でしかも有機質肥料で栽培されたものでないといけない、などなど、一体いつの間にどこで勉強してきたのかビックリさせられるほどよく知っています。
彼の説明に感服し、青汁を飲みはじめましたがなんともまずい代物に、飲んだりやめたりしていました。そんな不熱心な飲み方をして日を過してゆくうちに、だんだんやせてくるのがわかり、周囲の者にすすめられて府立成人病センターを訪れることにしました。受診する気になったのは自らも思い当るフシがあっての事です。若い頃から晩酌に日本酒5合〜6合は欠かさなかった生活でした。
診察の結果、糖尿病が発見され、砂糖の摂取を制限するよう言い渡されました。病院通いをするうちに医者から「肝臓にも何かあるようだ」とエコー検査による発見を知らされ血管造影、CTスキャンと精密検査を重ねた結果、やはり1センチ位の腫よう状のものを確認。「今のうちに手術した方が良い」との説明を受け、余り乗り気ではなかったのですが、思い切って医師のすすめに従うことにしました。
1988年1月肝臓の約4分の1を切除する手術は成功しました。友達は病院へ青汁をつくってもってきてくれましたので、せっせと飲みつづけました。食事もしないのに青い便が出るのを見て、医者がびっくり、といった事もありました。入院初期の頃は採血する時、ドス黒い血液が注射器の中に吸いこまれてゆくのが見えましたが、青汁を飲みつづけるうちに、採血の度に血液が真紅の鮮やかなきれいな血液に変っているのに気がつき遠藤先生が言われていた「青汁を飲めば血がきれいになる」というのはこのことかと、納得することができました。
1988年5月、遠藤先生がケール健人の会の催しのために来阪され、健康相談にのってくれました。1日2〜3合のんでいると言ったところ、肝臓を手術したのなら、日5〜6合は飲まなければ……との指導を受け、本腰を入れて飲みはじめました。しだいに体調の好転が感じられ、これは青汁が効いているなという実感と手応えが、はっきり感じとれました。毎月1回の受診に行くと、待合所で同病で入院していた同じ肝臓腫ようの患者さんと、しばしば出会うことがありました。
「○○さんはどうしている」
「彼は先般死亡した」
次の通院日に他の同病者に会い
「△△さんは元気になりましたか?」
「彼は○月○日死亡した」
など同じ時期に同棟に入院し手術した人々の多くが先に死亡しており、すでに9名をかぞえます。残っているのは私一人かもと思われる状況です。この差は一体何なのか?
ケールの青汁を飲んでいるかどうかが、決定づけているのではないかと考えさせられるいくつかの点が感じられます。定期受診の中で主治医は、「どうです体調は?」と聞くと共に、「検査結果はいい線いってますよ」と知らされ内心ほっとしますが、「何か食事療法でもやっていますか」と聞いてくれます。医者に悪いので、「青汁を飲んでます」とは言っていませんが、大っぴらに言える日が早く来ないものかといつも日本の医療制度の矛盾を感じているところです。
現在、私は1日4合〜5合を飲んでいます。自分で葉を洗い、自分でジューサーで絞り、一気に8合位をつくり、2日間で飲みます。3日先の分や何かの都合で飲めない時は、冷凍室に入れて凍らせてしまい必要な時に解凍して飲んでいます。酒は手術をきっかけに、ぷっつりと止めました。タバコも15年前に止めてしまいました。こうした節制への努力もあってか、今日まで再発もなく、元気にとびまわっています。今後は、病気に青汁が良いこと、私の体験を、より多くの人に知らせて飽食時代に役立つ生き方を余生の過し方の一つとして考えてゆきたいと思っています。(ケール健人会報より)
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12. 『私も言いたい』
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Y.K.
教師の急死と棡原の逆さ仏
3月29日付の山梨日日新聞で、県内の学校職員の突然死続出という記事を読んで胸を痛めた。というのはその内容は長寿村棡原の逆さ仏現象とあまりにもよく似ているからだ。原因は学校多忙、先生疲労とのことである。しかし、その前にもう一つ深く考えなくてはならない問題がある。それは食生活である。つまり、いかにストレスの多い現代社会でも、それを回避して健康を保持するための食生活が大切ではないかと思う。
実は長寿村棡原は現在、長寿と短命が同居していることで再びマスコミの注目を集めている。要するに棡原は老人はまだまだ元気だが、その子や孫たちの中年の多くがここ20余年来、成人病で相次いで死を急いでいる。この現象を棡原では逆さ仏という。老親が子や孫の葬式を出すことである。
では逆さ仏の原因は何か。それは昭和29年、陸の孤島棡原にバスの開通とともに生活と食生活が一変したことである。つまり昔からの伝統食は影をひそめ、食卓は近代食によって完全に占領された。このためでんぷん、脂肪、タンパクの多量栄養はオーバーとなり、肝心のビタミン、ミネラル、繊維質の微量栄養素は欠乏、半減した。一見、粗食と思える日本型食生活は、実は微量栄養素の宝庫であることを村人は知る由もなく、大きな落とし穴に気がつかなかった。NHKが近く棡原の逆さ仏を放映する。他山の石としていただきたい。(山梨日日新聞より)
甲府市、古守病院長の古守先生は、日本一長寿村山梨県の棡原村をご指導になった先生です。(貝原)
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13. 青汁ライフ、みんな健康になりました…
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<大沼さんの場合>
1年半程前、仕事に疲れぐったりしていた時に職場の同僚から青汁のことを聞き「一度飲んでみようかな」という軽い気持ちでドクターエンドーへ出かけたのが青汁との出会いでした。青汁が体に良いと痛感したのは、風邪をひいて体調が悪い時にどうしても運動をしなければならなくて、青汁を1リットル飲んで寝たところ、翌日は風邪の症状もなく、スッキリと、スポーツを楽しまれたとのことでした。
<森さんの場合>
血圧が高く悩んでいた時、大沼さんから青汁のことを聞き、まずは1か月飲んでみようということから始まり、3か月、6か月が過ぎ、やがて1年を迎えようとしています。最近ではお酒を飲む前に青汁を飲むと、悪酔いをしなくなったそうです。
<原さんの場合>
大沼さん、森さんと同じ課になり、お二人が青汁を飲んでいることを知り、ちょうど胃の具合が悪かったので、一度飲んでみようと思ったのが始まり。水泳などの激しいスポーツをした時、疲労もすごかったのですが、青汁を飲みはじめてからは、体が楽になったとか。
<全員の感想>
「今ではもう生活の一部です」(徳島市 ドクターエンドーカムツゲザー6月号より)
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14. 健康になる為の4つ+1つの条件
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大阪 山田喜一郎
呼吸をする事、飲食、自分で動く事、想い考える事、+環境です。
この4つは他の人に絶対代わってしてもらう事が出来ません。4つがどれ1つかけても健康でおれません。健康で気持ちよく生きていく上でよく心していただきたい。毎日の自分の生活が自分の体をつくっています。一人一人のこの活動の営み方によって、各人の体のあり方、健康状態がきまってきます。
- 食事…遠藤博士のいも、豆、なっぱが一番よいです。一般にはこゝ迄は出来なくとも、<うまいものを食べすぎない事>ケール青汁、粉末、粒を毎日沢山飲む事。
- 呼吸…一般的に浅い呼吸が多いので、深い呼吸をする事。吸の時は鼻から素早く、吐く息は口から長く。運動は息を吐きながら行う事。<呼吸と運動に法則があります>呼吸をする時は背骨がみんな動いています。背骨が動きましたら内臓もみな影響をうけます。呼吸の仕方一つで体の中が変り人間が変わるということは注目すべきことだと思います。
- 身体運動…自分の体を動かすのでも、気持ちのよい方向へ動かせばいいのです。8つの動き…前後屈伸、左右屈伸、左右の捻り、引っぱりと押しつげ。この8つの動きを一つ一つ試してみること。そしてもっとも気分の悪い動きはどれかが判れば、その動きの反対方向が一番気持ちいいんです。左の捻りに異状を感じたら、右に捻るのが一番気持ちがいい。この様に体が出来ているのです。
- 精神活動…ものの考え方をよい方向へ向ける。又自分の体内の各器官をほめてやる事。自分自身気分をよくする事です。ケールを口にしましたらこれは私の命の恩人と歓迎をして飲むのです。そうすると充分体内に吸収をしてくれます。1日1日を感謝をする気持ちが一番大切と存じます。
◎お問合せは(切手同封 遠藤青汁普及会ヨーガ部〒542 大阪市中央区南船場3丁目8‐11
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15. .ご活躍ください
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多摩市 E.S.
夏に入り朝晩涼しく過ごしやすい毎日ですね。例年の青汁会はいかがでしたか。青汁病院の見学を是非させてもらいたいものだと思います。理想を現実の物にした田辺一家の意気込みを見習いたいものと肝に銘じました。目標を失わずつき進んで行く1本の道が読み取れ、私の理想とする病院を開設されたのですから喜しい限りです。益々の御発展を御祈り致します。
(平2・7)
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16. 電車を農薬で消毒
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ゴルフ場での散布で、その毒性が改めてクローズアップされている農薬ですが、大勢の利用客を持つ電車内の定期消毒に、農薬とほぼ同じ成分の薬剤が使われていることが、わかりました。この薬剤は、有機リン系やピレスロイド系で、人体への影響を否定できません。消毒剤の電車にたまたま乗り合せて中毒症状を起こした環境問題研究家、大阪大理学部の植村握作さんは「農薬は慢性の毒性や発ガン性・遺伝毒性としても体内に残る。車内消毒は戦後の混乱期のノミ・シラミ・伝染病が流行した時代のもので、現代には必要ない」と訴え、運輸省は近く実態を調べ、安全性を検討する方針を固めました。
(全日本健康自然食品協会)
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17. 農薬使わず23年間グリーン管理 野鳥も見ているナイスショット
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岡山市三野市民ゴルフ練習場
ゴルフ場の農薬使用が全国的に問題になっているなか、岡山市の外郭団体「岡山水道サービス協会」が運営する三野市民ゴルフ練習場(同市三野)はオープン以来23年間、農薬を全く使わずにグリーンを管理し注目されている。モグラ退治や雑草取りに職員がかり出されるなど維持管理に四苦八苦しているが、四季を通じて野鳥が飛来するなど美しい自然は昔のまま。
「農薬汚染のゴルフ場に比べるとグリーンの状態は良くないけど、自然保護の大切さを忘れてはいけない」。練習場関係者は胸を張っている。練習場は旭川の中州約5万4千平方メートルを利用し、岡山市水道局が昭和41年に同中州にある三野浄水場の伏流水集水管(1日約4万トン集水)管理を兼ねて整備。6ホール、パー18のミニコースだが市中心部から2、3キロの所にあるため、手軽な練習場として年間に約1万6千人がプレーを楽しんでいる。コース直下の集水管や周囲の自然への影響を避けようと、オープン以来、農薬の使用は“ご法度”。芝生は専門職員2人と、業者5人が毎週金曜日の定休日に芝刈り機などで刈ったり、協会職員総出の人海戦術で雑草を抜くなどして管理してきた。
山辺正樹理事長は「除草剤などの農薬を一切使わないため、雑草がよく生え、担当者だけでなく、手のあいた職員も草抜きをする。部分的に枯れて、一部を張り替えすることも珍しくない。他のゴルフ場に比べると、コンディションは悪いが自然を守るためにも無農薬を続ける。料金が安いことも手伝ってプレーヤーにはまずまず喜んでもらっている」と語る。練習場や周辺にある大小の中州や川には、カモなどの野鳥が数多く飛来。水も澄み切って魚影もみられ「自然はオープンしたときと少しも変わらない」「このままで十分だ」という市民も。岡山県の調べによると、県内には36のゴルフ場が営業中。ほとんどが農薬を使っており、県は昨年、指導要領を集めた研修会を4回開いている。
(元・11・17 産経新聞)
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18. 転んでいないのに骨折
子供たちに増える 100人当たり骨折率過去最悪の1.28人
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岡山県学校災害報告書
転んでもいないのに、走っていて足を骨折−。こんな信じられないケースが子供たちの間などで増えている。日本体育・健康センター県支部がこのほどまとめた平成元年度の「学校災害と給付に関する報告書」によると、児童、生徒の校内や通学途中での骨折事故は前年度より320件多い5036件、百人当たりの「骨折率」は過去最悪の1.28人を記録した。生活様式や食生活の変化から、最近の子供たちの骨が弱くなった、と以前から言われていた問題が、数字で裏付けられた。
傷病別の順位は1.挫傷、2.骨折、3.ねん挫、4.打撲−で骨折は前年の3位から、ねん挫を抜いて2番目となった。トップの挫傷より80件少ないだけで、全体に占める割合も21.5%と前年より1.1ポイント増加した。件数では昭和61年度(5185件)に次ぐものの、百人当たりの骨折率は過去最高、授業中や休み時間に走っていて、転んでもいないのに足の骨を折ったり、ボールを投げた時に腕を骨折するなど、なんでもない時のケースが見られ、なかでも成長期にあたる中学生の骨折が目立っている、という。
子供たちの骨が弱くなっていることはかつてから問題となっており、同センターの中央組織でも昭和59年に、骨折に的を絞った調査を行ったが、実態報告だけに終わり、具体的な原因や、生活、栄養との関わりについてはわかっていない。同センター県支部は「統計の数字だけを追うのではなく、骨折事故の中身、原因について分析する必要がある」と話しており、今後、県教委の対策が迫られそうだ。
このほか、報告書によると、県内1578の小中高校、幼稚園、保育所で、元年度に起きた災害は2万3千379件でほぼ前年度並み。給付金額は前年度比1209万円少ない2億2486万円で、件数は全国4位ながら、給付金額が36位と低いことから、同支部は「小さなけがにも学校側が対応していることや、災害が最少で食い止められていることがわかる」としている。一方、学校での死亡事故は、浅口郡鴨方町の町立中学校で、3年生の男子が自殺したのをはじめ、通学中に乗用車にはねられた事故を含め計7件。昭和55年の8件に次ぎ、2番目に多かった。報告書は県内の各校や幼稚園などに配布され、生徒らの指導に役立てられる。
(平2・8・12サンケイ)
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19. 眼圧が正常に
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兵庫県 M.N.
私は68才ですが、昨年の11月に眼圧が35ミリもあって、緑内障と診断されました。先生も眼圧が高いので驚いておられた様子でした。目薬をいただいて、毎週通院して経過をみていましたが、正常範囲にならず、少し下ったかと思えば又上るのくりかえしでした。
私は以前より健康維持のため、ピロサンを1日に1〜2袋服用しておりましたので、思い切って1日に6〜7袋に増加して服用してみました。するとどうでしょう。服用して3ヶ月頃から20〜25の範囲になり、現在は18〜20の範囲になり、一応落ちついております。先生も眼圧は落ちついていると云われるようになり、現在は月に1回の診察をうけている状態です。ピロサンのありがたさが身にしみている今日この頃です。ありがとうございました。
(平成元・12)
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20. 孫のアレルギー
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長崎県 T.K.
昔は梅雨も雨7日、陽7日、風7日と最后にパーッとカビがどれにもこれにもふきまして真夏を迎えたように覚えておりますが、近頃は梅雨宣言も時として取り下げられたり、梅雨のもどりとやら言葉までございますようです。大正生れの私には事細かに分析をしたことも、人間自然体でよろしいのにと、考える最近でございます。
梁瀬義亮医師から、遠藤先生の青汁をすすめられましたのが3年前、ずっと食べつヾけております。老人の域に達しておりますのに30代・40代の若いお母さん達と同量の仕事をこなし、無農薬野菜畠に毎週のように出掛けます。今はじゃが芋堀り、玉ネギ収穫と、以外ときつい労働にハタからは、ご苦労様とねぎらい、驚かれも致しますが、一晩ぐっと休みますと翌日はケロリとなりますので、私きっと獅子ですヨネと大笑いいたします。
実は、私自身も健康はピロサンのお蔭様で、血管が綺麗に洗われたものと信じておりますが、1才8ヶ月の孫(女)が(母乳)授乳までは何ともございませんでした。1年で離乳。牛乳(低温殺菌)大好きになりました頃から牛乳アレルギーが出てまいりました。その頃はピロサンをかりかりと心よく喰みくだくようになりましたので、どちらが勝つかと笑いながら、自然体で牛乳も飲みたいだけ、ピロサンも20粒から時として30粒とほしがるだけ与えております。
ところが両肘の内側、両ひざ裏側どちらも軟らかな部位で、ひどい時は皮膚がテカテカと光り、今にも破れそうにございましたのに、背中のがさがさがお尻の方からツルツルになりまして、肘ウラ、ひざ裏も全く強い皮膚と変りました。或る日突然になり始めまして、ほんとうに家中で大よろこびでございます。梁瀬先生は牛乳も神経質にならないでほしがれば与えて様子を見ましょうと仰言って下さいました。
実にピロサンの効果と無農薬野菜を中心に無添加の食べもの(肉かハム類殆んど)に恵まれておりますお蔭様と思います。尊敬申し上げる梁瀬先生にお会い出来ました神のお恵に感謝申しております。遠藤先生からもご著書を贈られまして、田辺様のピロサンを心底信じてまいりました。口伝てに会員の中に少しづゝ広がってございますが、これこそ当人の食べる姿勢と併せまして分けて上げておりますが、何しろ半信半疑では効き目も半減でしょうからと思いまして、すゝめる事を止めております。お蔭様でと仰言る人達が少しづゝ増えてまいりました。孫のアレルギーが癒えてまいりまして、うれしくなりましたので、ひと言お礼を申し上げたくペンを取り上げましたのでございます。
(平2・6)
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21. ケールとの出逢い
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豊中市 K.S.
昭和62年4月末頃だったと思います。退院後の療養に、椿温泉に浸って居りました折、山田八智代さんが、特発性血小板減少性紫斑病をケールの青汁で克服した経緯を話されて居りました。温泉の片隅で、じっと聞耳をたてていた私は、何んの躊躇もなく、これに賭けようと心に決めて、初対面の彼女の紹介で62年5月初旬より青汁を載き始めました。
私の病気の経緯
昭和60年7月手足に、打ち身の後の紫斑が無数に表れ、勿論打った覚えもないまゝに不思議に思って病院に参りました。特発性血小板減少性紫斑病と云う聞いた事もない病名で即入院となりました。早速ステロイド10錠から始り、見る見る内に、ムーンフェイス「まんまる顔」になり、更に副作用の諸病に悩まされ乍らも、一応血小板は安定線までに上りました。
個人差はあっても血小板は10万から30万位との事、副作用を伴うステロイドを服用するより、脾臓摘出手術を受けたのですが、術後一時は30万に上りましたが、一ヶ月も経ぬ内に下り始め、4千までに落ちてしまい、副作用の糖尿病の為に傷口は治りにくゝ、更に消化器系の出血に依る貧血で、血尿、血圧は60と下り、何時脳内出血が起こるやもと、宣告されたのは61年4月も半ばの事でした。
血小板4千迄に下り、家族は電話のベルがなる度にどきりとさせられたとの事でした。その危機も一応潜りぬけ、61年7月、傷も癒えていない状態でしたが、ステロイド他数種類の薬を服用しながら、体調もよくないままに通院に切り替えました。61年暮頃より、手術の傷口より膵液(スイエキ)の混じった膿が出て、糖尿病も血糖280余りで、又も62年1月入院となり、62年4月に退院して椿温泉に直行、前記山田八智代さんとの出逢いとなりました。
通院中の事でもあり主治医にケールの話をしましたら、変な物をのまない様と反対されましたが、信念を持って5月の初旬より一生懸命に、えずき乍らも1日4合から5合飲み続けました。3ヵ月経った頃から、血小板が序々に5万、10万、15万と上り、血糖も90となり10月には恐しいステロイド剤とも縁を切り、現在血小板は21万余を7ヶ月保って居ります。私は思わず万才を唱えました。私のこの体験を未だ入院中の友達にも話しました。急性骨髄性白血病の人も副作用の糖尿病で苦しんで居りましたが、血糖が130に下った事。又、本体の白血病の方もケールを続ける事により、前途に光明が見えて来たと報告され、お互に喜びあったのです。この事を教えて上げられなかった十指に余る「黄泉の世界に行った」若い命にもっと早くケールと巡り逢っていたらよかったのにネ…とつぶやきつゝケールを洗っている現在でございます。(ケール健人会報より)
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22. 健康維持の為
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東京都 AA.H.
別にこれと言った病気はありませんが、とても疲れっぽく、疲れますと胃腸の具合が悪くなり、便秘気味の体質だと思っていましたが、ゆきつけの美容院の方から青汁のお話を聞いて、飲み始めて5年になります。顆粒を毎日1袋、疲れた時2袋。お蔭様で体謂もよく、体重も安定し快適です。遠藤先生の「療病の根本」を参考にして、心身健やかな老後を送りたいものだと思います。青汁は私の健康の友です。旅行にも持参しています。
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23. みんなすこやか
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兵庫県 S.K.
主人が青汁をいただくようになりまして、もう5〜6年以上になりますが、高血圧がお薬がなくとも上らぬようになりました。しかし軽い動脉硬化症にはなっておりますが、おだやかな、よい人柄になりまして、不思議なようでございます。もう73才の年寄りですから、別に差つかえなく、手先の仕事や畑の草ひきなど精出しております。初めは本人だけでしたが今では家内中で青汁をのみ、みんなすこやかにくらさせていただいております。
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24. 肝臓を病んでいたが
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25. 質問箱
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コラム紹介
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