健康と青汁タイトル小 <1983年3月15日発行 第319号>
 目次




1. 健康相談室 中耳炎と鼻炎

     医学博士 遠藤 仁郎 

     4才の男児。
     2才半のときハシカにかかり、中耳炎をおこした。
     それいらい、気候のかわりめになると、いつも中耳炎が出る。
     また、カゼをひくと鼻汁が多く、ながくつづく。
     いぜんは、時にはとまっていたが、さいきんでは、一年中、出しどおし。
     また、鼻がよくつまる。
     しかし、熱が出るのは、せいぜい1〜2ヶ月に一度ていど。
     かかりつけの先生は、扁桃が大きく、アデノイドがあるからだ、といわれている(両親とも扁桃肥大がある)。
     なんとかなおす方法はないものか、との手紙。

     ○ 

    中耳炎
     中耳は、一度炎症をおこすと、一応は治ったかに見えても、抵抗力がよわっていて、再発しやすいものではある。
     しかし、気候のかわりめごとに出るというのは、体質的に炎症をおこしやすくなっている(つまりアレルギー性になっている)からだろう。

    鼻炎
     鼻の方も同じで、もともと炎症をおこしやすいので、カゼをひき、鼻カタルがおきると、分泌がひどく、それをくりかえしているうちに、しだいに感じやすく、僅かな刺戟にもつよく反応するようになり、結局、絶えず鼻汁を出すことになっているのであろう。

     いずれにしても、そのもとは、中耳なり鼻腔なりの抵抗力がよわくて炎症をおこしやすく、また、感じやすく(アレルギー性に)なっているため、と思われる。

    その原因
     なぜ、そうなっているのか。
     一つには、生れつきの素質があったのだろう。
     それは、両親に扁桃肥大があるということからも想像される。
     耳、鼻、咽喉が一つの専門家になっているように、これらは互に似かよった性質のところなので、扁桃に異常があることは、耳にも、鼻にも通用することだからだ。
     しかし、そこに炎症がおきたり、それをくりかえしているうちにアレルギー性になるためには、全身に影響する平素の日常、ことに食べもののまちがいがかんがえられる。
     鼻炎がさいきん、いぜんよりひどくなって来ているということは、その関連――まちがいがつづいている間にしだいに亢じてきたことを――しめす事実ともみられよう。
     さて、この児の食事がどうだったのか、
     手紙には何も書いてないので真相はもちろんわからない。
     が、多分、こういうことではないか。
     すなわち、主食は白米飯。
     副食は肉・魚・卵・乳製品が多く、しかもインスタントものが多い。
     野菜は少なく、それも白いもの(無色菜)ばかりか、せいぜいいくらかの黄色菜、というところで、緑色菜ことに良質ナッパはほとんど食べてない。
     味つけは濃厚。
     間食には甘い菓子、甘いジュース。
     こういうことではなかったか。
     とすると、この児の食事は非常にかたよった不完全なものになっている。
     酸性食品が多くアルカリ食品が少ないため、カルシウムの不足をまねく。
     これだけでも、抵抗力をよわめ、ものごとに感じやすく、つよく反応する(アレルギー性)ようになる。
     また、ビタミンの不足による代謝の不調、ひいて血のにごりをまねくことでも、体力・抵抗力をよわめているだろう。
     出来あい食品・インスタントものの害(添加物など)も加わっているだろう。
     そこで、感染しやすくなっており、ハシカによる体力のよわりと重なって、中耳炎や鼻炎になり、それがいつまでも治りきらぬ、ということになっているのであろう。

    対策
     何といっても、まず、食習慣をあらためること。
     間食の菓子、ジュース類をやめ、クダモノにすること。
     三度の食事には、もちろん、カロリーも蛋白質も十分とらなければならないが、それに釣り合わねばならないミネラルやビタミン類は、むしろ多すぎるくらいにすべきだから、良質ナッパはうんと多く主食や蛋白食品にたいし2〜3倍くらいは必要だ。
     とはいっても、うまいおかずになれたこどもに、まずいナッパを食べさせることはなかなか困難なので、そのエッセンスともいうべき青汁をのますことだ。
     このようにして、アルカリ、カルシウムを十分補給し、食べもの全体としてのバランスを完全にすれば、血はきれいになり、抵抗力ができ、炎症傾向、アレルギー傾向もかるく、あるいはなくなってくるから、中耳炎も出なくなるだろうし、鼻炎もしだいによくなるだろう。
     ただし、その実行にあたって、もっとも大切なことは、こどもだけに、それを強いるのでなく、家族こぞって同じ食事をとり青汁ものむことだ。
     また、そうすれば、両親の扁桃もやがてなおるだろう。
    (55・4)



2. 心筋梗塞にかかって(4)
前回参照

     友成 左近 

     こうしたCCUで、7日払暁前から治療をうけて、一応危機を脱したので、8日の午后、普通の病棟に、それも、看護婦詰所の隣りにある観察室に移されて、看護婦が昼夜ほぼつききりで治療を続けてくれました。
     そして10日になって、普通の病室で治療ができるようになったので、そこに移されました。

     (なお、この普通の病室には、患者が入院した時から、その緊急事態に備えて近親者が待機することになっています。
     そしてこの近親者は、患者がCCUやICUにいる間は、日に2回、定時に数分間、患者に面会することができ、それも、施設内の清潔を保つために特別な服装をしたうえです。
     また、観察室にいる間も、やはり特別な服装をして、食事その他の身まわりの世話をするときだけ入室することになっています)。
     こうして、普通の病室に移った後、肺動脈までさしいれてあったカテーテルを、心臓の外まで引き出して普通の点滴注射にしこれに、手甲からの点滴注射を合流しました。
     そしてその後、病状がだんだんと軽快するにつれて、酸素吸入や点滴注射はやめて、クスリだけをあれこれと服用するようになりました。

     × × × 
     ところで、普通の病室に移ってからの療養ですが、まず運動はこうでした。
     普通の病室に移った後、心臓機能がほぼ安定して、点滴注射もやめてから、絶対安静がとかれて運動を始めたのですが、最初は、体をベッドにつけたまま、ベッドの上半分を徐々に起こして直角にたて、それに5分間もたれていた後、ベッドを起こしたときと同様にたおすのであって、これを日に4回しました。
     そして、これを3日間続けた後、つぎに、他人に手助けしてもらい、自分は全く力を入れずに上半身を起こし、5分間ほど自力で坐っていた後、起きたときと同様にねる、という具合に、その後のことは省略しますが、運動の強度は至って徐々にあげていきました。
     そのうえ、運動している間は、必ず看護婦が付き添い、そしてその前後には、血圧と脈搏をはかり、強度を一段あげたときは、担当医が立ち合って、心電図もとってみる、というふうに極めて慎重にすすめていきました。
     つぎに食事は、最初は、心臓の負担を最小限にするため、全くの流動食でしたが、心臓機能が回復するにつれて、だんだんと変わり、やがて普通食になりました。
     といって、心筋梗塞を起こした後ゆえ、比較的消化しやすく、そして動物性脂肪と食塩を制限し、また納豆などのように凝血作用の疑いがあるものは排除していました。
     なお青汁は、これまで長年の食養生から、なんぞ飲食物をとってもよい、ということになれば、まずぜひ飲まねば、というわけで、最初の間は水分制限がきつかったので、粉末を三食毎に一包、流動食でのみました。
     が、10日から水分制限がかなり緩和され、朝の給食に青汁が5勺つくようになったので、青汁仲間の木村さんに、毎日4合とどけてもらいました。
     けれども、水分にまだ少し制限があったので、そのうち3合を、1合につき粉末二包加えて成分を実質倍増して飲みました(なお、残りの1合半は、付添っていた家内用にしました)。
     ところで、その他の療養については省略しますが、入院して3週間ほど経過したとき、RI(ラジオアイソトープ)で心臓機能を調べてくれ、一応順調に回復していることが分かりました。
     そして、入院後5週間ほど経過した9月11日に、再度心カテで精密に検査してくれました。

次回参照

3. 気の毒なこと

     医学博士 遠藤 仁郎 

     Mさんは熱心な青汁のファン。
     その指導で、難病のスモンを克服した青年があるほどなのだが、さきごろ町で出あったとき、

    「さいきん体調がおかしいので診てもらったところ、思いもかけぬ高血圧といわれました。イモ・マメ・ナッパ・青汁に徹底し、味つけもうすくしたいと思っているんですが、家内が、“そんなものわたしはよう食べん”とてんで相手にしてくれませんのでよわっています。
     そのうち、いちど、家内をつれてお邪魔しますから、とっくり話をしてやって下さい」
     とのことだった。
     みえたら、さきのKさんの奥さんの話(前号「あるひ突然」参照)などもしてあげようとかんがえているが、いまだにみえられない。察するところ、交渉が難行しているのだろう。
     気の毒なことだ。


4. 両親へのメッセージ 幼児期に自主性を

    育児書の罪

     「お母さんたちによく言うんですが、子供がおとなしくて、親の言うことをよく聞いて、しかも勉強がよくできる、そんな“言うことなしのよい子”だったら、こりゃ大変だと思った方がいいんです」
     東京・麹町の大妻女子大児童学科研究室で、平井信義教授はそう言った。
     小児科医で、いまでも子供たちと遊んだりふざけたりしながら児童学一筋の教授はこのシリーズの読者であるお父さん、お母さんへの具体的な提言をとの注文に、まるで親たちに語りかけるように話し始めた。
     非行や登校拒否など、問題を起こす子供にしてしまうかどうか、それは幼児期をどう過ごすかにかかっている、と教授は三つの大切な心がけを説く。

     その一つは、三歳未満までは身体接触を多くして徹底的に甘えさせなさいということだ。

       昭和30年代の初めから
      「子供に独立心をつけるために、寝室を別にして一人で寝かせるべし」
       といった式の育児書が流行したことがある。
       高度成長に伴って多少とも暮らしにゆとりができた母親たちは、そのころから昔流の添い寝の習慣を捨て、抱きぐせがつくからと赤ちゃんを抱かず、母乳をミルクに変えた。

      探索欲求
       「外国にはガバチューってのがあるでしょう。親同士、親と子、人目をはばからずガバと抱き合い、チユーっとやるあれですよ。
       ああいう生活習慣のある国の育児のやり方を、部分だけツマミ食いで移殖した人の罪は大きいですねえ。
       一歳半から二歳半までは添い寝の時期と呼ぶくらいで、三歳未満まではうんと抱いてやったり、一緒に寝てやることです。
       母親に甘え慕って、分離しようとすると泣き叫ぶ子供ほど情緒が発達、安定している証拠なんですから」

     もう一つは、自主性を発達させようということだ。

       教授によると、自主性とは他人の力を借りずに行動を選択し、他人の力を借りずに行動する、ということだ。
       その自主性を身につけさせるためには、幼児期に大いにイタズラをし、親に反抗し、友達と遊びかつケンカするという体験が、ぜひとも必要だという。

      なぜなのか
       例えばイタズラ子供はハイハイをするころから、物を壊したり引っくり返したり、イタズラを始める。
       これは“自主性に基づく探索欲求”というわれる行動で、自主性を発達させるためにはぜひ通過しなければならない関門だ。
       イタズラを抑圧しないように注意しながら、徐々に生活秩序に適応する能力を身につけさせるようにするのが親の腕の見せどころだ。
       もし抑圧しすぎると、おとなしい子になる。
       それが称賛されると、子供はその評価に従って行動するから、おとなには扱いやすいが、ついには自主性の発達がとまってしまう。

      退却する子
       イタズラのあとは何かにつけて「自分でやる」と主張して、おとなの保護・干渉にかんしゃくを起こす状態がくる。
       これを不可能なことへの挑戦と受け取って“悪い子”扱いし、抑圧すると、ここでも自主性の発達は足踏みしてしまう。
       「思春期になると、この自主性が求められる機会が多くなるわけで、幼児期の過ごし方を間違えていると、子供はそのころになってどうしていいかわからなくなって、つらくなると内へ内へと退却してしまう。
       登校拒否や家庭内暴力の子供のお母さんが共通して言うのは“小さい時はあんなにいい子だったのに・・・”という言葉ですが、私は“それだからこそこうなったんですよ”と言うんです。
       それに子供の失敗を許さないお母さんが多いですねえ。
       失敗が発達を助けるのに、すぐ母親が手を貸してしまう。
       子供をダメにしていることに気付かない・・・」
     三つ目に教授が指摘したのは、子供にガマンする力、困難を乗り越える力をつけさせてやることの重要性だ。

       食べものを欲しがるままに与えないで「待つ」ことを覚えさせたり、家事の手伝いをさせたり、家庭のルールをキチンと守らせたり、幼児期のささいな訓練の積み重ねが、将来を決していくという。
       「僕のうちには小さい孫がいるんですが、座敷に机を運ぶときなんか、孫と一緒にワッショイ、ワッショイとやるんです。
       少しでも労働をさせたり、汗を流させる、そういう体験をさせる大人のチエが、子供をまっとうな人間にしていくんです」


     平井先生はこうした“子育て三則”を紹介してくれたあとで、こう言った。

    「しかし子育てはお母さんだけでできることじゃありませんよ。
     私は職業柄、よく結婚式に新婦の側で招かれるんだが、テーブルスピーチで新郎の会社の上司などが、××君はわが社を背負う戦士です、どうか家に帰ったらいたわってやって下さい・・・なんて言う。
     あれ、困りますねえ。男は外の人、女は家の人という古い考えをどうにかしないとねえ」

    (54・3・15 サンケイ)


5. 高血圧症から立ち直った私

    東京都 K.Y. 

     現在、私は都内の公立小学校に勤めているものですが、38才位から徐々に血圧が上り始め42才位から薬を飲み出しました。
     まだ45才位までは低い時は飲んだり飲まなかったりで、医者の指示通りに血圧を計りながら降下剤を服用していました。
     48才の時仕事の面や家庭の中でやや無理をしたためか血圧が非常に高くなり始め、最高血圧185最低血圧115位になり一生懸命お薬を飲むのですが、一時少し下りますがまたすぐ上ってしまい耳鳴り肩こりもするようになってしまいました。
     薬はきちんと飲んでいるのですが一向に血圧が安定する様子もなく、案じ乍らも毎日勤めていました。
     そして昨年の春、授業が終った時急に耳鳴りが激しくなり、立っていられなくなりふらふらして椅子を並べて横になりました。
     そしてすぐ救急車で運ばれ病院に行き注射をしていただき安静にしておりました。
     その後自宅で一週間安静に寝ていまして治療を続けていましたが、血圧は一時下りますがまたすぐ185になってしまいました。
     そんな時昨年主婦の友で青汁の事を知りました。
     多勢の体験談を読ませていただき、私も医者にかかり乍らこんなことでは安心できませんので、青汁を飲んでみようと思い立ち早速九段、青汁相談所の田辺先生のご指導のもとに食事療法を始めました。
     青汁を始めは顆粒6袋位飲み果物だけ食べて4日過しました。
     すると4日目から最高血圧130最低血圧80位になりました。
     薬も飲まずこんな下ったことはありませんでしたので嬉しくなりました。
     ふらふらしますが更に果物と青汁で過し血圧が安定したところで、いもや豆なども食べ今はすっかり元気をとり戻し学校に勤めています。
     耳鳴りもとれ、ふらふらするのもなくなり目がはっきりしてきました。
     前は血圧の高い時には舟の上で歩いているみたいにふらふらしていましたが、そういう事がなくなり安心して働いています。
     今は家族中で顆粒青汁を飲み、皆なさんに青汁をすすめております。


6. 潰瘍性大腸炎

    青森県 K.S. 

     入院して1ヶ月。ピロサンをずっとのんでいます。
     いつもの入院より非常に経過がよく、いつも、血色がよいといわれます。
     ただ今検査してきたら、薬を半分にへらし、来週また検査をし、よければ退院ということでした。
     入院している方々にも、色々と体験などを話し、これこそ本当の健康法ですよと「健康と青汁」をさし上げたりして、お互いにがんばりましょうと布教(?)にこれつとめています。


7. ハコベの青汁で

    茨城県 B. 

     青汁の話をきいてハコベをとってきて飲んでみました。
     2ヶ月位続けています。
     1日200ccから300ccづつのんでいます。
     主人は、肩がこって、毎日トクホンを15枚くらい貼っていたのですが、青汁を始めてから、肩がこらなくなり、今ではトクホンがいらなくなりました。
     私は、胃腸の調子がよくなって食事がすすみ、体重が2キロふえました。
     

    (東京 田辺弘氏報告)



8. 十数年来最良

     山田 守之亮 

     近頃は、自家製の青汁をのんでおりますので、手間もかかりますが、毎日、4合前後と、多くなり勝で、飲むのに苦労する状況でございます。
     そのためか、肝臓機能検査の結果は、十数年来の最良、GOT36(正常8〜40)、GPT23(正常5〜35)になりました。


9. 交通事故で大怪我したが

    愛媛県 K.N. 

     ほんとうにいい本を読ませていただきました。
     健康はこれでないと駄目だと思いました。
     3年前、交通事故にあい(骨折、内臓破裂はまぬかれたけど、お腹をしかれる)、二ヶ所二九針ぬう手術を2回、血液を15人分入れ、体調が思わしくなく、いろいろ薬とかためしてみました。
     3月の末に、本屋さんで先生の本をみつけ、とってもうれしく、その日から実行しました。
     毎日、3回にわけて一升ちかくのんでいます。
     体力がついてきました。
     毎日毎日が元気になって行く自分にうれしくてうれしくて。
     ごはんは食べずサツマイモにしています。
     ほんとうにいいと思います。
     ありがとうございました。


10. 頭もよくなる

    在米 H.H. 

     青汁は、どんな高価なものより尊い、ありがたい食物です。
     私ども一家は、もう8年あまり飲んでいますが、私だけでなく、元気な主人、長男は14才、次男は13才、長女は8才の時から飲んでいるので、みな元気です。
     よくカゼをひいていた子供、とくに長女は、カゼ一つひかなくなり、また、すばらしいことに、頭がよいので、学業もよくでき、いま10年生ですが、大学2年生(14年生)の学力がある、と先生の話です。
     学校では全校生徒のヘットプレジデント(総々代)となって、学校のため、生徒のためにいそがしく働き、学んでいます。
     日本学園でも、ずっと優等生で卒業し、お茶、お花も上手で、将来がたのしみですね、と先生にいわれました。
     食べもので、こうまで心身ともに恵まれることは、神はウソ、イツワリをいわれず、神の授けて下さった果実・野菜を食べていれば、生命もいきいきと、健康に生活できるのですね。
     聖書にも、「肉を食べて人をうらむより、野菜を食べて人を愛せよ」と神はいっておられます。
     先生、いつまでもご健康で、人々のために、みなのよろこぶ助けをして下さいませ。



11. 質問箱:耳鳴りで困っています


     耳鳴りで困っています。青汁はどうですか。


     青汁で治るかどうかはともかく、食べものの影響はたしかにあり、野菜、青汁が十分だと軽くなり、米飯、糖分、肉類が多いと強くなるようです。



 コラム紹介




    動脉硬化は、
    食の変更によって、
    かなりよくなることが、
    実験的にも臨床的にも証明されている。



    人々が賢明になればなるほど、
    ますます、彼らは腰を低くして、
    他人から学ぼうとする。

    彼らは、自分たちに教えてくれる人たちの単純さを、軽蔑したりはしない。
    彼らは、農夫や、貧しい女や、子供たちの水準にまで喜んで身を低める。
    賢明な人たちの注意をひかないような、
    単純で無学な人たちには、
    沢山なことがらが知られているのだ。
    私は有名な博士たちからよりも学識ではその名も知られていないような、
    身分の低い人たちから、比較にならないほどに大切な真理を、
    学んできたのである

    (ロジャー・ベーコン)
     桑原武夫 一日一言より



    青汁一口メモ
    食前、食後、食間のいつでも、
    ぐあいのいいとき飲めばよい。



    細き人生を
    三重県上野市 倉阪えん
    人生にやりなおしがきくものならば
    十年の闘病生活追いやって
    失敗の日々もとり戻し
    春芽の人生追いたいけれど
    いくら世の中進歩はしても
    これだけは許されぬ
    何はともあれかえらぬ人生
    自信ありげにつづけよう









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