<1979年9月15日発行 第278号>
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目次
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1. 動物にかえる
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医学博士 遠藤 仁郎
このごろのこどもは、背丈だけはのびたが、筋骨薄弱。背骨がまがったり関節がゆがむ。わずかなことでも骨が折れる。若いものにも腰痛やギックリ腰が多いし、中高年層には、高血圧、動脉硬化・糖尿病などの成人病。
これらは、いずれも、世の中がひらけ、何もかも便利になって、からだを動かすことがなくなり、運動上足に陥った結果(文明病)だというので、さいきん、にわかに運動熱がもりあがってきた。
そして、ナワトビ、ランニングがはやり、スポーツがはやり、いろいろの運動器具や施設も、ぞくぞくできだした。まことに結構なことだ。
運動の効用
直接には、筋肉・骨・関節や心・肺が強められ、血がふえる。また、運動によって体内代謝や排泄機能——汗をかく、呼吸がさかんになる、便通がよくなるなど——がたかまり老廃物がへり、血がきれいになる。
血がきれいになると、からだ中の細胞・組織・臓器のはたらき、したがって体調がよくなり、体力・抵抗力が強化される。
気をつけねばならないこと
しかし、運動自体、強烈な刺戟なので、その適応には十分気をつけ、それぞれの体力・体質に応じた、無理にならぬものでなければならない。
また、平素の食べ方にも注意が肝要。それは、平素の食べ方によって健康状態が大きく左右されるからだ。すなわち、食べ方が正しければ、健康状態がよく、どんな運動でも、とくに過激でないかぎり、よく耐えられ、それだけ、運動の効果も大きい。けれども、食べ方がまちがっていると、健康はすぐれず、僅かの刺戟にたいしても感じやすいので、十分の運動ができず、運動の効果があがらないばかりか、ばあいによっては、たとえば少し強い運動であっても、かえって逆効果、健康を害するおそれがないともいえないからだ。
動物とわれわれ
さて、からだを動かす、運動するということは、いわば、動物本来の姿にかえること。
少なくとも、それに近づくことだ。そこで、動物のばあいとわれわれのとをくらべてみよう。
動物のばあい
かれらの運動は、自然に則しており、すべての運動は自然環境の中でおこなわれている。
つまり、筋肉を動かすだけでなく、同時に、日光、風雨、寒暑にさらされ、これらの刺戟にきたえられている。
そして、かれらに適したもの、かれらにとっての完全食の適量を、自然のまま食べている(合理的完全食)。
われわれのばあい
われわれのばあい、運動の多くは室内でおこなわれ、自然の刺戟にさらされることが少ない。
また、スポーツにかたよっているため、とかく過激になりがち。
しかも、われわれの食は、平素から、穀・肉・糖・脂にかたより、高度に加工され、濃厚に調味された、栄養的にははなはだしく上完全な、つまり、あまりにも上自然・上合理化された贅美食を飽食しており、運動時には、さらに高カロリー・高蛋白食を要求する。
そのために生ずる血のにごりによって体調をそこない、体調上良は運動上足をまねくこととなり、いっそう体調をくずす、という悪循環をくりかえすわけで、上記のごとき、現在多い健康障害は、けっして、ただ運動の上足だけによるものではない。
効果的にするには
そこで、運動の効果をあげるためには、まず、体力に適した軽い運動(なるべく自然環境の中の)からはじめ、しだいにその量を増し、理想的には毎日、あるいは週1回でも、月2〜3回でも、ともかく続けること。
そして、同時にかならず食べ方を正しくすることだ。すなわち、なるべく安全な自然食品をえらび、十分の良質ナッパをそえ、調理は簡単、調味はうすく、自然のままか、自然にちかいかたちで食べる——緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁食。あるいは、せめて青汁だけでも、少なくとも1日2〜3合(もとのナッパ500〜750グラム)のむ。
こうすれば、体調はいつも上々。運動せずにはいられず、運動しても疲れず、たとえ疲れてもすぐに回復する。
この、適度の運動と正しい食とは、健康保持・増進のカナメであり、この二つがうまく調和して、はじめて本当の健康は約束されるわけで、これこそ、動物本来の自然の姿にかえること、少なくとも、それに近づくことといえそうだ。
ともあれ、自然のおきてにすなおにしたがっている動物の自然の生き方に、少しづつでも近づくようつとめるならば、かならずや、健康になり、現在、多くの人々を悩ましている文明病(運動上足・贅食病)からの解放も、けっしてむつかしいことはあるまい。
(53・11)
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2. 傷のなおり
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医学博士 遠藤 仁郎
外傷や手術のばあい、青汁をのんでいると、痛みや出血が少なく、なおりがよい。
痛みのかるいのは
精製穀(白米飯・白パン)、肉、魚、卵類、糖など、酸性食品にかたよった食事では、神経の感じがたかまっているので、痛みがつよく感じられる。アルカリやカルシウムにとんだ野菜、ことにナッパ、青汁食では、神経の興奮性がしずまって来るので、痛みが軽い。
ちょっとした怪我などでは、全然気づかず、血をみてはじめてわかる、といったこともあるほどだ。
手術後、麻酔のさめる時には、ふつう、かなり痛むものだが、青汁家の多くは、ほとんど痛みを覚えない。
出血の少ないのは
血液の成分が正常で、血がとまりやすいからで、抜歯や、手術のさい、ふつうの人にくらべ、とくに目立つようだ。
なおりがよいのは
血のにごりがないため、組織の防衛能や治癒能、つまり生命力が旺盛で、負傷部(軟部・骨)の回復力がよいこと、および、化膿菌の感染にたいする抵抗力がつよいためとかんがえられる。
だから、外傷や手術のさいは、なるべく早くから、ふつうの精製穀・肉・魚・卵や糖分にかたよった食(上完全な欠陥栄養食でもある)をさけ、ナッパを主とする完全食(緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁食)、せめて青汁だけでもしっかり、少なくとも1日3〜4合(もとのナッパ750グラム〜1キロ以上)のんでほしい。
私が青汁をいい出した当時、いちはやく共鳴されたのは、耳科や外科などのドクターだった。
それは、化膿を防ぐよい薬のまだなかった終戦前後のことなので、青汁の効果がもっともはっきりと認められたからだった。
体験例
過日、千葉街道で交通事故にあい、アキレス腱を切断、目下療養中です。ご存じのとおり80すぎの私ですが、日ごろの青汁飲用のため、その結果のよいことを、院長や係りの先生がおどろいています。
(市川市 島田盛三)
上慮の交通事故のために、10日間の入院生活をいたしました。右の足を十針ばかり縫ったのです。
その日は、皆さんが痛むだろうなと申されますので、ちょっと上安になりつつ夜を待ち、明けて朝は来ましたが少しも痛みませんでした。
これ、多年、青汁の使用のためではないかと、よろこんだわけです。
入院患者さんの中に、骨の悪いために長びいているのにおどろきました。普通で1ヶ月。6ヶ月以上も入院されている方もあります。骨を強くする平素の食生活を考えるべきだと、しみじみと思いました。
病院へお見舞に見える方の、見舞品は、これまた、お菓子、玉子が一番多いのです。
骨を強くする方法を知ることも、大切だとつくづく思いました。何はともあれ、青汁第一です。
(泉佐野市 城野叔武)
素人のことで学問的のことは申しませんが、生来、野菜類がきらい、ながい間、胃もよわく、また、おでき等ができても、なかなか治りにくいようでした。
入院後、友のすすめで青汁を飲用しましたところ、体の調子もよく、手術をうけましたが、他の方より出血量も少なく、一番心配していた肝炎等も併発せず、体重、食欲も平均していて、いわゆる順調コースをたどり、今回、退院のはこびになりました。
私の体験として、今後手術する方々へおすすめするしだいです。
(広島県 石井勇)
昨夏、私は下手な自動車事故にあい、人事上省のまま入院しましたが、ふつうなら3ヶ月はかかるというのに、2ヶ月足らずで退院。
後遺症も全くなく、入院中も、ついでの全身診察で、年の割に内臓諸器官がわかく、一番おそろしい動脉硬化も、さして進んでいない。
ドクターが脳波をとっては、しきりに「奇蹟々々《というのです。
頭をガンとぶっつけられてますから、足の骨折は治っても、「お気の毒ながら脳ミソの工合で一生おバカさん《と、家族に宣告しなければ、われら吊医(ロバート・ケネディが当地で兇弾にたおれた時、一番に呼ばれたドクター)の沽券にかかわると言わんばかり。
私は内心、「フフン、すべては10年実行の青汁のお蔭!それとはお釈迦さまでもご存じあるめえ、と北叟笑んで、一人ベットの中で、いささか得意でもあり、また真剣なよろこびでもありました。
(ロス市 石崎譲子)
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3. ビールにも発癌物質
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ハイデルベルグのドイツ癌研の科学者によると、ドイツ、イギリス、その他のヨーロッパ産のビールに、強力な発癌性のあるニトロサミンの痕跡が発見された。
158銘柄について2年間調査し、その70%に証明された。黒ビールにはふつうのビールより含量が多かった、という。
(Nature,277:250,1979)
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4. 食糧危機が来たら
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医学博士 遠藤 仁郎
世界の経済大国にのしあがり、尨大な外貨準備をかかえこんでいるわが国。
唯一の自給食品である米さえ生産調整をしなければならぬというときに、こういうことをかんがえるのは、いささかおかしいかも知れない。
けれども、ともすれば天候異変におびやかされ、中国、ソ連、アメリカなどの超大国でさえ、かならずしも、つねに豊作ばかりは期待できないこと。
世界人口の爆発的増加による食糧危機の到来は必至の状勢にあること。
また、世界のにくまれ子として、いつ、世界中からソッポをむかれ、食糧のしめ出しを食うかも知れないわが国。
しかも、国内の食糧生産能力は極度にひくくなっており、また、なりつつあるいま、本当に、いつまでも安閑としていてよいものだろうか。
少なくとも、イザというときマゴつかないために——そのとき、どんなパニック状態になるかは、洗剤やトイレットペーパーでさえ、あの騒ぎだったことからも、おおよそ想像されよう——急場をしのぐてだてだけでも心得ておくのは、あながち無駄とばかりはいえまい。
何でもつくる
国としての施策が何より大切であることはわかりきっているが、われわれひとりひとりも、出来るだけの努力はせねばなるまい。
それには、まず、食べられるほどのものは、ともかく、何でもつくるべきであるが、なかでも、なるべく早く出来、しかも利用価値の大きいものに重点をおくべきであり、それを、できるだけムダなく利用することだ。
主食品
米・麦・雑穀・豆・芋類のどれでもよいわけだが、やはり芋類が最適だろう。
それは、早くでき、収量が多いだけでなく、栄養的にもすぐれている。すなわち、白米や麦類は2〜3倊(玄米やソバ粉は同量)のナッパをそえなければ完全食にならないが、芋類では半量のナッパですむこと。
また、調理が簡単で、栄養分のロスが少ないことなど、有利な点が多いからだ。
もちろん米麦の栽培にも大いに力を入れなければならない。但し、搗精や、上完全咀嚼によるロスをさけるためには、全粒(玄米・麦)の粉食を励行する。
ソバ・キビ・アワ・ヒユなどの雑穀類や豆類、また同じ。
蛋白食品
質的にすぐれた蛋白質の給源としては動物食品がのぞましい。
しかし、穀・豆・芋・魚・肉など貴重な食糧を飼料にする家畜の肉・卵・乳や、養殖魚などは、はなはだしい食糧の浪費(利用されるカロリーは、飼料のもつそれの、僅か7〜8分の1にしかずぎない)となるので、なるべく避け、野生動物(野獣・禽・魚介)あるいは天然飼料による家畜の肉・卵・乳や、昆虫(イナゴ、コオロギ、バッタ、ハチの子その他)などに限るべきだし、ミミズも大いに利用すべきだ。
また、質的にはやや劣るが、大豆・落花生・胡麻・南瓜・西瓜・ヒマワリなどの子実、胡桃その他のナッツ類、酵母やキノコなど椊物蛋白質の利用をはかる。
副食品
副食としては、食用されるあらゆる、野菜・野草・山菜・海藻・果物など、できるだけ利用し、とくに緑葉の活用をはかること。
すなわち、良質ナッパはもとより、栽培あるいは山野の草木葉の多くは、いずれも、主食品、蛋白食品に上足がちなビタミン・ミネラルにとんでおり(また、すぐれた蛋白源でもある)、これを十分にそえることによって、すべての食品を完全にすることができる。
完全食
このように、緑葉を十分にそえて、全体としてバランスのよくとれた完全食にすれば、上完全のばあいにくらべ、栄養分の利用効率がよくなり、熱量も蛋白質も節約されるから、それだけ少量ですむようになる。
したがって、食糧上足のばあいは、とくに良質ナッパや緑葉の利用が肝要なわけだ。
なお、白米や麦、肉・魚の切身には2〜3倊のナッパが必要だが(乾燥物は2〜3割)、玄米・麦やソバ、大豆や卵には同量の、芋類には半量のナッパで足るから、主食を芋に、蛋白食を大豆にすれば(イモ・マメ・ナッパ食)、白米や麦、肉・魚のばあいにくらべ半分のナッパでよいから、さらに完全食は得やすい。
したがって、イモ・マメ・ナッパ食は食糧上足のさいには、もっとも合理的な食べ方といえよう。
緑葉の食べ方
さて、ナッパ・緑葉の理想的な食べ方としては、できれば生食。そのためには、清浄なものでなければならないことはいうまでもないが、やわらかいものは、そのままサラダとして(グリーンサラダ)、食べにくいものは、ミキサー粥にしたり、青汁にする。
また、ヒタシモノ、アエモノにし、アゲモノ(かたいものも食べよくなる)にして、あるいは、乾燥葉・粉末として利用する。
乾燥緑葉
ふつう、80度以上の熱湯に30秒〜1分間浸けたのち、かげ干し、粉末して、乾燥剤を入れ密封貯蔵。
または、椊物油をしみこませておくもよい(緑葉末油煉り)。
また、急ぐばあいは、乾し草製造の要領による天日乾燥でもよい。
水藻・海藻類も同様、生あるいは乾燥物として利用する。
調理上の工夫
加工による栄養分のロスは、できるだけ避くべきだから、調理はなるべく簡単にし、つとめて全体食すること。また、食べよくするとともに、満腹感をうめるための工夫も大切。
これらの条件をみたすのに最適なものは雑炊だろう。熱量源の穀・豆・芋、蛋白源の雑魚介・豆腐・キノコなどに、ナッパを主とする野菜・野草・山菜・海藻、さらにはオカラ、コンニャク、その他およそ食べられるほどのものは何でも、ウンと入れた雑炊。
こうすれば、食糧上足のときにおきがちな伝染病や寄生虫の感染を防ぐにも、消化のよいこと、腹ごたえのある点でもぐあいがよいので、乏しい食糧を食いのばすには、全くうってつけというもの。
なお、ミキサー粥や青汁も雑炊に入れれば、ずっと食べよくなるので、どんな葉でも利用できる利点もある。これらは、だいたい、昔の飢饉の時などの救餓法だが、栄養学的にも合理的だから、体力を維持するだけでなく、病気のばあいにも、けっこう役にたつ。
まとめて食べる
いまひとつ、これはⅡ大戦のドイツで経験され、のちの実験でも確認されたことだが、毎日に分けて食べては、やがて餓死をまぬかれないというギリギリの食量でも、それを数〜10日毎に、まとめて食べると、十分生きながらえることができる。
つまり、1日にしても、3回に分けて、少しづつ食べるよりは1回に、また、毎日少しづつ食べるよりは、数日分をまとめて一度に食べる方がよい、というのだ。
これは、おそらく、食糧の得にくかった大昔の人もやったことであろう——獲物がとれたらウント食ったであろうが、それまでは食わずに我慢するしかなかったであろうから。
もちろん、ほかにも、いろいろやり方はあろうが、さし当っての急場をしのぐためには、巧遅よりは拙速。ともかく、やれそうなことから手をつけて、時を稼ぐべきであろう。
(52・12)
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5. 八〇路ちかづく
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医学博士 遠藤 仁郎
この2月28日で満79才。
いよいよ八〇路への最後の年にはいったわけだ。
この10年間をふりかえってみると、70才(昭45)の6月、それまでメッタにひかなかったカゼをひき、3日間熱を出し(最高38.5C)、あと、咳がつづき、血沈が正常になって、完全に回復するには2ヶ月もかかり、やっぱし年だと、しみじみ感じさせられた。
その暮から1年間は、いつ突発するかわからないクインゲの浮腫にビクビクものだった。
また、48年の1月中旬(72才11ヶ月)から約2ヶ月(夜間起臥のさい、メマイがつづいたことがあったが、塩化亜鉛のうすい液の鼻ウガイ1回きりで治ってしまい、その後おこらない。
それ以外には、一般的に快調がつづき、食欲・便通、睡眠ともに良好。
あの方もまずまず。尿・屎に異常なく、血圧は120〜130/70〜80。血液コレステロール、中性脂肪、尿酸、いずれもほぼ正常。
休日ごとの畑仕事を欠かしたことはなく、農閑期(11月〜3月)の徒歩の会には毎回参加、たのしく歩るけ、疲れることもない。
もっとも、70代になって混りだした眉毛の白毛はかなりふえたし、いよいよ乏しくなった頭髪も、しだいに白さを増してきた。
68ではじめて気づき、翌年には遠くの蝉の声のようになっていた耳鳴りは、この10年間ほとんど同じ程度。聴力、視力にも、とくに衰えは感じない。
しかし、さいきん、眼の疲れというか、眼をつぶっていたいという感じがつよくなったようだ。
また、夜間の排尿回数がふえたほかに、70代の中ほどからは、ギリギリまで我慢していると、いざ出そうとしても、仲々うまく出ず、難渋するようになった。
その後、姿勢をかえたり、寒さにあたると、急につよい尿意をもよおし、制止がきかず、ウッカリすると洩らしそうになる、といったこともあったが、ともに、ここ2〜3年来、よほど緩和されてきている。
というわけで、とくに老化がひどく進んだという感じはない。
ところで私は、四〇肩、五〇肩、六○ヒザ、そして七〇肩と、10年ごとに関節の異常を経験している。で、八〇になったら、また何かあらわれるのではないかと、いささか興味をもっていたわけだが、その前兆かどうか、この1月から、いままでなかったことが出てきた。
右大腿のだるさ
その第一は右の大腿中ほどのだるさ。1月15日から約2週間つづいた。
それも、夜ねるときだけ、しかも、しばらく脚の位置をかえなどしているうちねむってしまう、という程度のもの。
昼間はなんともない。運動上足による血行上全のためかと、体操したり、もんだり、たたいたりしてみたが、影響なし。
21日は、1ヶ月ぶりの定例徒歩の会。15〜6キロ。かなりきつい山道もあるコースだったが、その夜のだるさがとくに強いということもなかった。
23日から当ててみた電気コタツがきいたのか、2〜3日ですっかりとれ、その後まったく感じない。
左手のシビレ感
同じ頃から、時々、左の拇指、人さし指と中指の先端から手のひらにかけて、時には前?におよぶ、足のシビレそっくりの感じが、サ、サァッとつっぱしりだした。
数秒から14〜5秒。ながくて20〜30秒で、スウッときえてしまう。
夜昼の別はないが、やや夜の方が多い。その際運動や感覚に異常はなく、色の変化もない。
初め、寒さのためかと思ったが、あたたかい部屋や寝床の中でもおこる。
左腕のだるさ
そのうち、2月25日ごろから、シビレとは無関係に、左の上膊にダルサが感じられだした。
大腿のと同様、寝床にはいると、まもなくジワァと感じられ、1〜2分でおさまるダルサだが、約1週間で自然になくなった。
シビレの方は、しかし、少しも変らず、むしろ、しだいに強くなり、3月にはいってからは、発作の終りごろには、ごく細い針で突くような痛みさえ加ってきた。
上膊神経をおさえてみると、左の方が痛く、きつく圧えると、指先の方にひびくシビレが走るから、どうやら、この神経の興奮性がたかまっておこる一種の神経痛——間のびした神経痛といったもののようだ。
1月の中ほどから始っていること、菜食にしていると軽いこと、穀肉糖食がすぎると強くなるらしいこと、さいきん体重が、これまでの平均より2〜3キロふえていること、などからすると、年末いらいの悪食のたたりのためだろう。(前記、48年のメマイ発作も、悪食のつづいた1月中旬からだった)
彼岸ごろから、回数、強さともに、だんだん減ってき、4月なかば(おこりはじめから約3ヶ月)には、ついに、まったくおこらなくなった。
こういうシビレは、脳動脉硬化症によくみられる症状なので、もしやと気になってはいたが、そうでもなさそうだ。やはり、代がわりの際の体調変化(ホルモンの異常による)のあらわれとみるべきだろうか
(54・4)
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6. −農滅び国滅ぶ−命を削る農薬万能“自然な生活”取り戻そう
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当世養生学 熊本・公立菊地養生園園長 竹熊宜孝 >下< |
都会型の病気急増
人間、食べなければ生きられないが、食べ間違えても長生きはできない。
「病は口から《とはよく言ったものである。
さて、その食であるが、それを生産するのは農業であって、今、その農業がたべものではなく、金を作る農業になってしまった。
自分の食べるものさえ作らなくなり「百姓《と言われた時代は去り、百姓が二姓になってしまった。二姓になった百姓は、米と畜産、米と果樹、米とサラリーマンという具合に、食べものが自給できなくなり、百姓は生活ではなく仕事になり、もうかる農業を模索するようになった。
農業青年の意識調査でわかったことだが、ほとんどが食べもののことは忘れていて百姓といわれることさえ抵抗があった。
農村医学をやって来て、農村の生活と病気の移り変わりを見て来た。
馬小屋がトラクターと化学肥料、農薬の倉庫になり、病気も肥満、糖尿病、心臓病、ガンといった都会型の成人病が急増した。
何がそうさせたかは、農業に家畜がいなくなり、肥料が自給されず、土が衰え、その結果、農薬を必要とした。
農薬は土と人々の健康をむしばみはじめ、直接、間接に人間の命を脅かしている。
また農家が食べものを自給しないため、加工食品や商品化された農畜産物が農家の台所にあふれ、成人病に拍車をかけることになった。
かつての日本の長寿村が短命村になりつつあるのは、日本の農村の典型的な縮図と言えよう。
考え直したい農業
私は現在、健診や一般診療のほかに食養生の指導をやり、その他休みや時間外を利用して農業をやっている。
むろん一人ではやれないので、青年や近くの農業者の力に負うところが大きい。
でも、たい肥づくりのための馬飼いは私と私の家族でやっている。
医者の道楽だと陰口を言う人もいる。私はかつて、小・中・高校と百姓をやり、牛や豚の世話で明け暮れた。昔とったキネづかでまた百姓をこころみているわけだが、それには理由がある。自ら実践することにより農業の大切さとすばらしさを訴え、また、農業の中から医学を、自然の営みの中から農業の在り方を学ぶのである。
ビニールハウスの野菜が農薬を必要とし、バタリ飼い(ゲージ飼い)の鶏が抗生物質づけになるのは、土壌や環境の条件の悪化によるものである。過保護の集団が流感にかかり、寝たきり老人が薬づけになるのと同じであろう。
言うなれば入院中の野菜や鶏をわれわれの食卓にのせていることになる。
卵だって、牛乳だって、病気の家畜からの産物ともいえる。
次の世代のために
わが庭には放し飼いの鶏がいて、風雨に耐えてヒナをかえし、そのヒナはたくましく育つ。
犬・ネコ、馬との共存の中で、最後の掃除役を務め、時を告げる役割も演ずる。
自然界は共存共栄であるが、人間は、邪魔者は殺せ主義で自然を破壊している。その行いは、医学でも農業でも、全く同じ方法でなされている。
「農薬は農毒薬の略字なり。虫はコロッと、人間はジワッと殺される《
人間は賢いようで大変愚かな動物ともいえる。家畜に与える牧草にはたい肥を入れ、農薬を使わず季節にあったものを作る。自分たちの食べる野菜や果物は化学肥料と農薬づけにし、季節はずれのワセものを好む。
これは農業ばかりに限ったことではない。医学や食の分野でも首をくくるようなことを数多くやっている。医学に関してはやや緊急性を要することもあるので、やむを得ないこともあろうが、食と農に関しては、まさに墓穴を掘っている感が強い。
自分たちより次の世代に目を向けねばならないのに、われわれは盲目の集団となりつつある。
疲れきった人と土
医者のくせに食や農に口出しするのはけしからんと言われそうだが、いのちを守るのが医者の務めであるならば、どうしてもいのちの根源の問題をさけるわけにはいかない。
百姓から医者になり、農村医学を志向してその現実を知るが故に、あえて世に訴えざるを得ない。
農業者には
「百姓に帰れそして食べ物を自給し、自ら毒をなめることなかれ《
消費者には
「たべものをわが命と思い、その価値と農業の大切さを知ってほしい《と。
農滅びて国滅ぶ。これは歴史の必然である。
病がなければ、医者はいなくても生きられる。しかしその医者と病院は急増し、食は汚染し、またその多くを他国に依存し、農業では人と土は疲れきっている。
いまや、いのちの食と農は忘れ去られた。3回にわたって、医、食、農の三視点から人間のいのちのことを考えてみたが、おそらく将来確実になるであろう混乱を予期して、現在、自治体の小さな診療所で、地域の人々と共に、医、食、農の三つの在り方を実践の中で問いかけているのである。
(54・1・22 中国新聞)
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7. 食料当面の間違いに対処するには(7)
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前回参照 |
友成 左近
当節市販の食料にはいろいろ重大な間違いが伴なっているので、そこに対処して健康を保っていくには、さしづめ日々の食料調達にあたって、その実状を、食料の諸要件をあげて吟味して、間違いを最小限にくいとめるように選択することが大切ですが、そのうち成分、安全、味わい、価格の諸面については前記の通りです。
供給面について
ところで、食料の要件にはこの他いろいろありますが、そのうち当面ぜひ取り上げてみなければならないのは供給面です。
それはいうまでもなく、なにぶん食料は、生活必需品のうちで、人生なにより大切な健康に最も深くかかわっているので、前記のように、成分が優れ、そして安全で、味わいも優れたものであり、さらにそうしたものが、広く人々に、家計でそうムリせずに調達できる値段であると共に、もうひとつ、すべての人々に必要なだけ十分供給されなければならないからです。
が、当節は、前記のようにいろいろ間違いは伴なっているものの、多種多様にわたって豊富に市販されているので、供給面には一応そう重大な問題はなく、見方によれば、しごくけっこうなことでしょう。
けれども、その国内自給率が、いうなれば史上未曽有に、著しく低下しているのであって、これは重大な問題です。
ところでこれは、国の政治の基調に深くかかわっているので、消費者としては、その是正に、日々の食料調達で有効な手がうてず、広く社会的政治的に運動をすすめなければなりません。
が、こうしたことは本紙になじまないので、ここでは、いわばことの序に、その事由や、それがはらむ問題点を簡単にあげてみることにしましょう。
自給率低下の事由
まずその実状を、食料の基本として最も重要な穀物についていうと、飼料も含めて、米を除けばいずれも、その大半を、なかには殆んどすべてを輸入に依存して、自給率約40%で、先進工業国のうちで最低になっています。
そして、大豆や麦などの主要穀物の生産組織は荒廃しています。
その事由は、ひと口でいえば、敗戦以来の国政の基調が、うたい文句はいろいろあったものの、明治維新以来の「富国強兵《から強兵をはずした、富国だけの経済的繁栄になり、それが、資源小国論と国際分業論のもとに、近代工業と貿易の拡大にあることです。
従って、そこに各種の企業が急速に増大して、その労働者を主として農村に求め、また工場用地にも農地を転用した場合が多かったため、農業従事者も農地も急減してきたわけです。
そして食料は、その特性を考慮せず、衣料その他の一般商品と同列に扱って、国内産より安価であれば外国産を輸入し、また工業製品の輸出の見返りにも、外国産を輸出したため、農産物の生産縮減が強いられたわけです。
ために、食管法のもとに戦時中から特別に扱われている米だけは自給率100%ですが、米と共に重要な大豆や麦は自給率数%になり、従ってその生産組織が荒廃したわけです。
また米も、過剰米の吊のもとに減反が強いられて、生産組織に衰微がきざしています。
もうひとつ農政では、農業は工業と生産方式が著しく異なっているのに、近代工業の生産方式を模倣して、専業化、大規模化、機械化を、従ってまた化学肥料や農薬の多用を(これも見方によれば近代工業の拡大のために)推進していることです。
ために、有畜農業がその姿を消し、従ってまた畜産では(これも専業化、大規模化、施設化を推進して)飼料の穀物依存率が高くなって、その輸入が急増して、自給率約30%と急減したわけです。
また、厩肥の上足によって、(連作や化学肥料と農薬の多用ともあいまって)地力が著しく低下して、生産に危険信号があらわれている農地が増加しているしだいです。
自給率低下のはらむ問題
ところで、こうした自給率低下はいろいろ重大な問題をはらんでいるのですが、その主要点はこうです。
まず第一に、 |
食料の輸入がこれまで順調であったのは、平和憲法のもとに対外的に紛争が起こらず、また外国間の紛争にも幸い輸入が妨げられなかったからです。
そしてこうした点、食料輸入をまかなう外貨をかせぐ加工業の、原料や動力源の輸入と製品の輸出についても同様です。
けれども、こうしたことが、わが国がどんなに希求しても、今後とも必ず長く続くという確実な保証があるわけではありません。
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また第二に、 |
加工業の原料も動力源も殆んどすべて輸入に依存しているのですが、そこには相手国のあることで、すでに石油で経験しているように、ものによっては、今後その輸入が、数量的にも価格的にも、これまで通り順調にいかなくなることが予想されます。
また、工業製品の輸出がこれまで順調であったのは、その品質が優れ、そして安価であったからですが、それは、わが国の工業技術が発達し、それに広く国民が勤勉であったからであり、また公害をたれ流して生産していたからです。
けれども、これまで通り公害をたれ流すことは、国民健康上、もはや許されないので、それだけ高価になってきます。が、もっと重大なことは、すでに繊維産業で経験しているように、輸出相手国とりわけ後進国が、技術が発達して、品質や価格や生産量で、わが国を追い越して、これまで通り順調に輸出できなくなるものがあることが予想されます。
また、現に自動車などで兆しているように、品質が優れ、そして安価であり、さらにサービスも行き届いていても、輸出相手国が、国内産業を保護するために、輸入を抑制するものがあることが予想されます。
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さらに第三に、 |
食料の輸入がこれまで順調であったのは、その輸入相手国に凶作がなかったからです。が、なにぶん農業は自然相手のことで、豊作の年もあれば凶作の年もあるので、輸入相手国が今後ときに凶作にみまわれるかも知れません。
そして、もしそうなった場合、数量や価格の点で、これまで通り輸入できなくなるものがあるのであって、これはすでに大豆で経験した通りです。
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そして第四に、 |
食料は、生活上必要上可欠な度合が、衣料その他の生必品とは格別に高く、これが欠乏した時の困窮は、その他の生必品の比ではなく、これはさきの戦中戦後に経験した通りです。
そのうえ食料は、衣料などとちがって、保管にどんなに注意しても、品質が低下して食料に使えなくなる度合が高く、それに年間必要量が莫大であるため、凶作に備えて十分蓄えておくことが至難です。
従って、もし凶作になった場合、必然自国民の食料が上足してくるのですが、そうなったとき、それをギセイにして輸出するようなことは、決してしないのが食料というものです。
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そこで第五に、 |
もし必要なだけ十分輸入できないときは、必然国内で生産しなければなりませんが、それには農地、種子、人員、技術その他多面にわたる生産組織を良好な状態で保持していなければ、とうてい間に合いません。
そして、もしこれを怠ると間もなく荒廃し、いったん荒廃すると、再建には相当の年数がかかるのですが、大豆や麦などの主要食料の生産組織はもうすでに荒廃し、米にも衰微が兆しています。
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そして第六に、 |
もし主要食料が欠乏してくると、いうなればナリフリかまわず他国に依存するようになりますが、もしそうなった場合、当面の国際関係では食料が政略に利用されて、経済的にも政治的にも、ときには軍事的にも、その国に従属して支配されるようになるおそれがあるのであって、これは人間どうにもガマンできないことです。
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ところで、この他いろいろ問題をはらんでいるのですが、こうみてくると、いささか杞憂にすぎるかも知れません。が、食料の供給確保には、その特性上、万全の策が必要なのです。
従って国政の基調に、当面まず第一に肝要なことは、平和の維持と共に、どんな事態が起こっても、国民ひとしく最低限の栄養はまかなえるだけの基本食料は、国内でほぼ自給できるように、その生産組織を再建して、良好な状態で保持することです。そしてこれは、これまでの実績から、その研究や指導その他の施策に必要な予算と人員を、これまで米に、また近代工業にそそいできた通りにそそげば、決して上可能ではありません。
(つづく)
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次回参照 |
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8. 自然食はナンセンスという方がナンセンス
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医学博士 遠藤 仁郎
「あるドクターの著書に、
“自然食はナンセンスな信心——
大衆には、自然食品という言葉は、何となく魅力的にひびく。しかし、加工もせず、自然のものを、そのまま食う方がよいなどというのは、まったくナンセンスな一種の信心であって、根拠は何もない”
と書いてありますが、私など、生野菜をなるべく料理せず、生のままおいしく食べている者にとって、このドクターの方こそよほどナンセンスと思いますが、如何でしょうか。《
(在米 広兼晴子)
○
私も、その通りだと思います。
なにもかも、たとえば、かたい穀物や豆なども、自然のまま、生で食べるというのは、あるいは、ナンセンスかも知れません。これらの生食は、よほど歯の強い人でもむつかしいでしょうし、たとえ、熱をあてても、そう大してこわれる栄養分はないからです。
また、肉や魚は、刺身にして、生で結構食べていますが、安全なものでないかぎり、うっかりするとサナダムシその他の寄生虫の危険があります。また、このばあいも、火をあててなくなる栄養分はそう大してありません。
ですから、しいて、これらを自然のまま、生で食べることはナンセンスといわれてもしかたないかも知れません。
けれども、果物や野菜、ことに良質ナッパ類は、生で食べるに少しの困難もないばかりか、その中にある、大切なビタミンやミネラルの利用には、生食にまさるものはありません。
ビタミンには、熱をあててこわれるものもあり、煮汁に出てすたるものもあります。
ミネラルも、煮汁にすたるもののほか、変質して吸収がわるくなるものもあります。
たとえば、カルシウムは自然のままでは、イオン化したかたちになっているので、大変吸収されやすいが、熱をあてると、これがこわれきゅうしゅうされにくくなります。
そのほか、自然の生のものには、いわゆる「生の力《といった未知のものも想像されているほどですから、そういうものの自然食をナンセンスというのは、たしかに、いう方がナンセンスでしょう。
現に、このドクターは吊医の吊の高い方でしたが、存外、はやくなくなりました。
いかにナンセンス呼わりされようとも、神さまの下さったものは、なるべく手を加えず、そのまま、自然のままを、すなおにいただくべきだ、と私もかんがえています。
(53・11)
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9. のぞき見記 (9) 牧歌的風景
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前回参照 |
ふつうの観光コースにないドイツを見せようと、つれてゆかれたのが、ハイデルベルグから小一時間、ネッカー川ぞいに上り、左折して田舎道にはいった、なだらかな丘の上の展望台。ボダイジュが数本立っており、粗末な木製のベンチがあるだけ。
あたりには、黒々とした森と、その間にひろがる畑。
人も車もめったに通らない。
畑には、小麦が黄色くみのっており、飼料用に密椊したトウモロコシの葉が風にそよいでいる。
色とりどりの花をつけた雑草の茂っているところもある。
遠くにも、同じような森と畑がつづいており、間の低地に、小さな村落があり、家畜らしいものがみえる。
という、ごく単純な風景だが、ボダイジュの葉かげからみえるこれらの配置や配色が、いかにもうまく調和していて、自然のたくまぬ美しさを讃えているかのような眺めだ。
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10. キーンベック病よくなる
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福山市 S.S.
昭和50年5月頃、右手首に痛みを感じた。
病院へ行くと、「使い痛みです。すぐによくなりますよ。《と云われ、しばらく通院したが、一向によくならず、痛みは激しくなるばかりで、病院を次々とかえて行ったが、思わしくなくとうとう右手は一切使えなくなりました。
最後に岡大病院へ行きましたが、「お気の毒ですが貴女の手はキーンベック病といって、現代の医学では治療の方法がありません。《と宣告されました。
前途が真暗で、途方に暮れていた矢先、さる方から青汁の話を聞き、「地獄に仏《、「溺れる者は藁をもつかむ《思いで、毎日4、5袋横浜スタンドの顆粒を飲むようになりました。
半年程した頃から痛みがとれ、現在ではほとんど痛みがなくなり、80%の用を達することができるようになりました。
以前は病気をよくしておりましたが、青汁を飲むようになってから、身体の調子がよくなり、風邪もひかないようになりました。
これこそ本当に青汁のお蔭です。有難うございました。一生飲んで行くつもりです。
この喜びを、青汁のすばらしさを、同じ病で困っている方々に知っていただきたくペンを取りました。
○
キーンベック病は、手首の間接の月状骨が軟化し、腫れ痛む病気で、20〜30代の若い人、手仕事をする人、したがって右手に多い。原因ははっきりしていないが、骨の石灰分がへっているそうだから、何かのために骨の栄養がおかされるのであろうが、おそらく、食べもののまちがい——穀・肉・糖に傾いた偏食によるカルシウムの上足や、血のにごりがあずかっているのだろう。青汁がきいたのは、青汁でカルシウムが補給されたことや、栄養のバランスがうまくとれ、血のにごりがなくなるか、へって来たからであろう。
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11. 血圧おちつく
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津山市 Y.T.
老人で、血圧が、上150〜160、下80〜90くらいでしたが、青汁にハッサクまたはリンゴを混ぜ、2週間ほどつづけてのみましたら、130/70に下りました。
家族のものにもすすめています。薬は中止しました。
○
リンゴはナッパといっしょにはつぶさないようにして下さい。ビタミンCがこわれるので勿体ないです。別々に汁にして、飲むとき混ぜて下さい。
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12. 肝臓が乾燥青汁で治った
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兵庫県 T.T.
私の住んでいる所はみかんを栽培しています。
そのみかんに、年2、3回の消毒をしていますが、昨年5月の消毒の時、定められた分量より2倊も濃い消毒液をあやまってつくり、その液を、ホースの上完全から体にあびてしまいました。
すぐに石ケンで洗ったり、着更えたらよかったのですが、その日は、そのままで消毒をつづけました。それから2ヶ月過ぎた頃から(7月)体がだるくなって、立っていられなくなってきました。
早速病院へ行き診察を受けました。結果は、肝臓が悪いと聞かされ、つづけて2ヶ月治療を受けましたが思わしくなく、毎日ゆううつな日を過ごしていました。
ちょうどその頃、近くに住んでおられる奥さんが青汁の会に入っておられ、ケールを作って毎日青汁を飲んで、元気になったから貴女も飲んでみては、と親切におっしゃっていただき、それから、毎日ケールのジュースを飲みました。
乾燥青汁もお世話して下さって、初めの1ヶ月は沢山飲みました。
その頃から、体の調子がよくなって、病院へゆく度、検査結果がどんどんよくなって、先生が、貴女は何を食べてそんなに早やくよくなったか、とくり返しくり返し聞かれました。
私はとてもうれしくて、病院から帰ると奥さんに話しよろこんでいただきました。
それからずっと、主人も、子供とともに家族4人、ケール・グリンジュースを飲んでいます。
よく風邪をひいていましたが、昨年秋からは、風ひきもなく、みんな元気で楽しい日々を暮しています。グリンジュースのお蔭と感謝しています。
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13. カエデ
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14. 咳が多いとき
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咳が多いとき、胸にあつい湿布をする。
ノドがハシかゆくて、咳が出そうな時には、クビにも湿布する。
手のひらをノド笛のあたりにあててもよい。
それだけでも、なくなることもあるし、少なくともずっと楽になる。
薬害のもっとも恐れられている妊娠初期の妊婦など、ぜひやってみてほしい。
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15. 慢性腎炎
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16. 生きるよろこび
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川越市 M.Y.
20才頃から、からだが弱く、貧血、神経衰弱で、ボロボロの体をしていました。
朝は起きづらく、グズグズいつまでも寝たいし、とても疲れ、動きたくなく、夫に叱られてばかりで、苦しい毎日を送っていました。
ある店の主人から、青汁がよいと聞き、先生のご本をみて、コマツナを2束のんでいると、上思議とイキイキとして、生き返ったような、生きる喜びを味わいました。
でも、夏になるとナッパが全部なくなり、また、苦しい毎日のこの頃です。
ケールの種子をおくって下さいませんか。さっそく椊えてみたいと思います。
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17. 質問箱:青汁の材料にダイコン葉
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問
青汁の材料にダイコン葉はどうでしょうか。
答
農薬さえかかっていなければよろしい。ただし、ふつうのはカラくて、刺戟になるので、養鶏用のカキハダイコンをおすすめします。なお、サラダ油を少し入れるとカラ味はかなりきえます。牛乳、キナコでもよろしい。
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コラム紹介
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