健康と青汁タイトル小 <1978年7月15日発行 第263号>
 目次




1. 糖害

     医学博士 遠藤 仁郎 

     ふつう食べている砂糖の栄養価は、表のように、殆んど純粋の熱量原。
     熱量蛋白質脂肪糖質カルシ
    ウム
    ビタミン
    B1B2 
    白双3871000.1 
    三温3770.996.8×401.8×蔗糖95%
    黒砂糖3531.589.9×293399.00.020.04×蔗糖80%
    糖蜜2772.569.6×2507010.00.120.18×蔗糖29%
    蜂蜜3070.279.235140.80.010.01 
    ビール酵母28846.02.835.450100080.015.63.7 
     カロ
    リー
    グラムグラムグラムミリ
    グラム
    ミリ
    グラム
    ミリ
    グラム
    国際
    単位
    ミリ
    グラム
    ミリ
    グラム
    ミリ
    グラム
     
     精製糖(白双)では100%糖質。
     粗製糖(三温)でも95%が糖分。
     ミネラルはごく微量しかなく、ビタミンは皆無、という不完全食品。
     そこで、砂糖がすぎると熱量過剰となるうえ、食全体としてのバランスがみだれやすい。

      ビタミンB1不足
       そのだいいちはビタミンB1の不足。
       糖分の代謝にはビタミンB、ことにB1が必要(糖質の1カロリーにたいしB11ガンマ=千分の1ミリグラム)。B1が十分あれば、糖分の代謝は完全におこなわれ、炭酸ガスと水まで分解される。が、不足すると、分解はピルビン酸どまりとなり、これがたまると脚気になることはよく知られているとおり。
       もっとも、この糖害はビタミンB1と、できる酸を中和するアルカリ、ことにカルシウムを十分補給すれば、防ぐことができる。

     しかし、糖害はそれだけではない。

      美贅食の害
       それは、砂糖になれた舌が、しだいに美味をもとめ、精白米飯(白パン)、肉魚卵の濃厚味にかたむき、野菜類をほしがらなくなる。ために、熱量・蛋白質は十分〜十二分でも、それらの代謝に不可欠のミネラルやビタミンが甚しく不足する、という不完全食(欠陥栄養)となり、代謝の不完全、血のにごりをまねき、体調を悪化。いよいよ美味をもとめるという悪循環に陥り、不健康をつのらせるもととなるからだ。
       この美贅食は、現在の文明社会に共通の食型式であり、その弊害とともに、まさに砂糖によってもたらされたもの、といっても少しもいいすぎではあるまい。

      肥満
       砂糖は377〜387もの高カロリー食品だから、すぎれば、当然ふとってくる。そして、血のにごりとともに、高血圧、動脉硬化、糖尿病をはじめ、多くの文明病の原因になる。
       しかも、その傾向は、すでに生後間もないころからはじまっている(人工栄養や離乳食に多量の砂糖が加えられ、また間食は甘味のつよい菓子や飲物になってしまっているなど)。

      動脉硬化
       砂糖は血液の脂肪やコレステロールを増し、動脉硬化ことに冠状動脉(心臓を養っている動脉)の硬化(心筋梗塞や狭心症をおこす)との関係がいわれており、砂糖消費の甚しい欧米では、その下地は、すでに幼児期にきざしているという。わが国でも、このままでは、やがて、その轍をふむことになろう。

      高血圧
       高血圧は食べすぎ、ことに濃厚味食の食べすぎから。食塩をへらすとともに、熱量をへらすこと(減食)。それも、主食だけでなく、間食の菓子、味つけの砂糖(目に見えない飯のようなもの)にも注意が肝要。

      糖尿病
       砂糖好きに多い病気。素質(遺伝関係)のあるものはもとより、食べすぎ(ことに美贅食の)だけでも、ついには発病するようになる。糖の負担過重および血のにごりによるのだろう。

      痛風
       痛風も、同様。砂糖好きに多い。

      栄養失調
       動物実験で、限界量の蛋白しかない飼料の、澱粉を砂糖にかえると、発育が悪くなる。
       すなわち、蛋白質が不足しているとき、砂糖を多くとると、蛋白質不足の影響がいっそう甚しくなる。つまり、砂糖は蛋白質の利用を妨げるわけ。アフリカのこどもに多いカシオルコルという栄養障害は、そのため(蛋白が乏しくて砂糖の多い食をとっている)らしい(Yudkin)。

      骨が軟らかくなる
       砂糖がすぎるだけでも血が酸性になる(酸血症)。肉・卵・穀食などの酸性食品が多ければなおさらだ。その酸を中和するためにカルシウムが奪われるが、食べものからの供給が十分でなければ、骨のカルシウムで補充されるので、骨は軟らかくもろくなる。なお、肉食では成長ホルモンの分泌がさかんで、からだは大きくなろうとする。
       そこで、カルシウムが不足すれば、骨は細長くなることを余義なくされる。さいきんのこどもに、骨折が多い(ボールをなげただけでも折れるのがある)ことや、細長型の体格が多いのは、糖分のとりすぎと、カルシウムの少ない穀肉食に傾いている結果と思われる。

      歯が悪くなる
       砂糖がすぎるとウ歯や歯槽膿漏ができ、歯がぬけやすい。

        ウ歯
         砂糖好きの不完全食では、歯質がよくないうえに、粘着性のプラクが出来やすく、そこに繁殖するバイ菌(ウ蝕菌)のつくる酸のために琺瑯質がとかされ、ウ歯になる。

        歯槽膿漏
         歯と歯肉との間に化膿菌が繁殖するもので、不完全食や砂糖の食べすぎによる血のにごりで、バイ菌にたいする抵抗力がよわるため。

        歯ぬけ
         歯のぬけやすいのは、不完全食によるカルシウム不足や血のにごり、および、ウ歯や歯槽膿漏での咀嚼不足により、歯槽骨(歯を支えている骨)がおかされるため。

      近視になる
       発育中のネズミに、蛋白質の乏しい砂糖食をあたえると、回復不能の近視になるという(Yudkin)。欠陥栄養のために、鞏膜(眼球のかたい膜)がよわくなり、眼軸がのびるためであろう。わが国に近視の多いのも、おそらく、欠陥栄養と砂糖のとりすぎの結果であろう。

      食欲がおちる
       菓子がすぎると食欲がなくなる。それは、菓子のために、いつも満腹しているからでもあろうが、ビタミンBの不足や、血のにごりのため、胃のはたらき(分泌や運動)がわるくなるからでもあろう。

      胃アトニー、胃下垂
       ビタミンBの不足だけでも、胃の筋肉の緊張がよわり、活動がにぶり、胃アトニーや胃下垂を原因する。

      便秘する
       大腸また同様。腸管筋の運動がおとろえ、便秘しやすくなる。常習便秘のばあい、少々食事をかえても、糖分(菓子や味つけの砂糖)がすぎていると、どうも、うまく通じない。

      胃・十二指腸潰瘍
       砂糖好きには胃・十二指腸潰瘍が多い。糖分がすぎるとカルシウムが欠乏し、神経が不安定で、感じやすくなるため、胃液の分泌がさかんになったり、血管が痙攣して粘膜の抵抗力がよわり、強力な消化力に抵抗できなくなるためであろう。

      胃癌も多い
       砂糖好きには胃癌も多いようだ。血管栄養のため抵抗力がおとろえているところへ、贅美食に多い発癌物質(有害有毒食品、添加物、喫煙など)の影響が加わるからであろう。

      肝臓
       菓子や濃厚味にかたむいた欠陥栄養のばあい、不完全な代謝による血のにごりや、有害有毒食品の処理、また、便秘による腸内有害有毒産物の処理のため、負担が過重され、肝臓はつねに過労状態にあり、抵抗力がよわめられている。

      胆のう
       砂糖好きには胆のう炎や胆石が多い。ビタミンB不足で、胆のうの緊張がよわり、運動がにぶり、胆汁が停滞しがちなこと。血のにごりのため抵抗力がおとろえ、バイ菌の感染をうけやすいこと。糖分過剰で血液コレステロールがふえ、胆汁にもふえていること、などによるのであろう。

      腎石
       腎石も愛糖家に多いようだ。

      腎炎
       腎臓はビタミンB不足に敏感。それだけでも腎炎がおきるらしい。三代にわたって腎炎の多発した砂糖問屋があった。

      喘息
       砂糖好きに多い。気管支の神経が不安定となり感じやすく、アレルゲンにたいして強く反応するためであろう。その他のアレルギー症また同様。また、冷え性、しもやけ、イライラ、自律神経失調(不安定で感じやすい)なども、糖愛好家に多いようだ。

      痛み
       リウマチ、神経痛、炎症痛その他のコリや痛み、すべて、砂糖であらわれたり、強くなる。

      感染
       菓子好きのこどもはカゼをよくひき、扁桃腺もよくいためる。血管栄養の血のにごりのため、体調不良となり、バイ菌にたいする抵抗力がよわる結果であろう。
       また、砂糖好きは膿みやすく、慢性になった蓄膿、中耳炎、歯槽膿漏なども少なくない。ニキビまた同様。砂糖がすぎると皮脂の分泌がますことと、バイ菌の感染によわいためであろう。

    糖害を防ぐには
     ともかく砂糖(菓子、味つけの砂糖)をへらすこと。それには、
    1. )まず、砂糖はただの魅惑食品であり、食べなければならないものではないことを、よく承知しておくこと。(糖質はもちろん大切な栄養素ではあるが、澱粉〔穀・芋など〕として十分とっているし、蛋白質〔肉類〕からもできる。)
    2. )どうしても欲しければ、なるべく粗製糖にすること。白双を黄双にしたくらいでは、大して変りはないが、黒砂糖にし、さらに糖蜜・蜂蜜にすれば、栄養的にずっとよくなる。しかし、それとて、いくら食ってもよいというものではない。
    3. )糖分の直接の害を防ぐには、ビタミンBの不足を除くことで、そのもっとも有力な給源はビール酵母。白双100グラムの熱量は387カロリーだから、ビール酵素2.5グラム(B1 390ガンマ)で釣り合う。しかし、食全体としても、Bは一般に不足がちだから、もっと多い方がよい。
    4. )なお、栄養が完全になると、代謝は完全、血はきれいになり、体調が整って来、それにつれて、糖分にたいする欲求もへってくるものだ。そこで、糖害を防ぐには、糖分のとり方を少なくし、粗製糖にかえ、ビール酵母をとるほかに、良質(ビタミンにとみ吸収しやすいカルシウムにもとむ)ナッパを十分にそえ(白双100グラム(387カロリー)に相当するB1を大根葉で供給するには約400グラムが必要)、食全体としてのバランスをよくすること。すなわち、緑葉食・青汁、イモ・マメ・ナッパ・青汁食にするか、せめて青汁だけでも十分(1日少なくとも3合、もとのナッパ750グラム以上)のむことが大切だ。

    (51・9)





2. 危なかったことども

     医学博士 遠藤 仁郎 

     この3月、私の兄と家内の兄とが相前後して、この世を去った。
     それぞれ、かなりいい年ではあり、ながくわずらっていたので、覚悟は十分していたが、そう年がちがわぬだけに、やはり、あまりいい気持ではない。
     そこで、なによりアキラメが肝腎と、これまでに、なんどか死にかけた、あるいは、死んでいたかもしれない出来事を、思い出してみた。

    おやじのいのち
     私の生命が出くわしたそもそもの危機は、まず、おやじの生命をおびやかした事件にはじまる。おやじはひとり息子だったが、家をとび出して海軍に入り、水雷艇に乗り組んでいた。
     泳ぎは達者だし、心臓が強いので、かなり重宝がられたらしい。
     北海道で、スクリューに昆布がからみつき、動きがとれなくなった時、選ばれて冷たい海にもぐり、見事これをとり除いたことがあった。
     日清戦争では、威海衛の夜襲に、一番艇として暗夜の奇襲を敢行。
     発射した水雷はたしかに敵艦に命中した。しかし、不運にも敵弾をうけ艇は沈没。おやじは戦友と二人、氷をくぐって味方の占拠していた島めがけて泳ぎに泳ぎ、ようやく岸にたどりついた。
     戦友は、おやじの足にすがったまま、ズルズルと沈んでしまう。おやじは辛うじてはい上ったまま意識を失い、気がついた時には病院に収容されていた。
     その島には、さいわい戦友がいて、「コイツは心臓の強いやつだから」と手当をしてくれ、いきかえったんだそうだ。
     こうしておやじのほかは、艇長以下全員(といって僅か12〜3名だが)死亡。
     敵艦撃沈の功績は、無事帰還した二番艇にマンマとしてやられてしまった。
     それを知ったおやじは、地団多ふんで口惜しがり、すすめる人もあって、上告してもみたが、証人がないため、無念にも断念するほかなかった。そして、戦記にも、そのまま二番艇の手柄として記録されているんだと、一杯やるごとに、涙ながらに話してくれた。
     それはともかく、おやじがこの時くたばっていたら、私というものの存在は絶対にありえなかったわけだ。

    母の胎内で
     つぎに、私という人間が形づくられて初めて出あった危機は、母の胎内にいたとき。
     私の兄は明治31年4月、私は33年2月生れだから、兄の生れた翌年には、母はもう私をみごもっていた。祖母は、世間ていを恥じて(当時はこういうことまで気にしたらしく)、しきりと堕胎をせまる。
     母はいたし方なく、わざわざすべり転んでみたり、薬をのんでもみたそうだ。しかし私は、懸命にしがみついていたとみえ、小さい袋子だったが、ともかく、無事この世に生れでることができた。

    ジフテリー
     生れてからの最初の危機は5才のとき。元気であそんでいたのが、急にヒイヒイ息をはずませて帰ってきて苦しみだした。熱もある。かかりつけの医者、半道ばかりの所に開業して間もないS医師は、「これは大変、ジフテリアで息がつまりかけている。いそいで血清を注射せねば助からぬ。しかし、津山(7〜8里はある)まで買いに行かねば、ない。」とのこと。
     泡を食って父を呼びにやったが、いそがしくて帰っても来ぬ。オロオロしている母を見かねて、番頭の虎さんが自転車で出かけてくれた。
     なかなか帰って来ない。薬があればよいが、間にあえばよいがと、待っていたであろう母の姿が、心配顔が、見えるようだ。
     呼吸はいよいよ苦しくなる。顔色は紫がかってくる。ハラハラしているところへ、ようやく薬をもって帰って来た。そして私は、からくも救われた。新しい知識をもったS先生がいられなかったら。虎さんの心切がなかったら。薬店にもしや血清のそなえがなかったら、いや、免疫血清をつくられたベーリング先生がなかったら、私は死んでいたにちがいない。

    流感肺炎
     その次に死にかかったのは高校1年の冬。大正7年のこと。
     田舎にそだち、津山の中学を終えて京都に出た私には、何も彼も珍らしいものばかり。
     あそび呆けているうちにカゼをひき、1週間のあいだ40度もの高熱と、胸痛、呼吸困難に苦しんだ。急性肺炎ということだったが、その後も38度前後の熱がとれず、腸チフスを疑われて大学病院に入院。
     3月末ようやく退院、帰郷静養。結局、9月の新学期まで休学した。
     その冬から翌8年の春にかけては、例の悪性インフルエンザ、スペイン風の大流行。ずい分沢山の人が死んだが、私はカゼ一つひかず、臨時休校になって大悦びしたものだ。どうやら、さきの肺炎は、この流感のハシリ(それとまだ知られないうちに)であり、免疫ができていたのだろう。
     郷里での静養中、中学同窓のS君――主席卒業で、岡山の六高に無試験入学していた――が見舞ってくれ、鎮守の宮の鳥居のほとりで日なたぼっこしながら、まだ声なれぬ鴬を聞いたのが思い出されるが、このS君とH君(長崎高商にはいっていた)は冬の流感にやられ、あとで結核になり(若い人にはこういうのが多かった)、ながい療養のすえ、とうとう二人とも死んでしまった。

    召集されて
     その次の危機は、何といっても、昭和12年の支那事変の勃発で、あと半年残っていた補充兵隊にひっかかって召集を食い、兵隊にされてしまってからだ。
     都合4回召集されたが、初回と次回は内地の陸軍病院勤務だったから、べつだんのことはなかった。
     3回目は、南方派遣部隊の要員としての召集だったが、体調不良で即帰になった。
     4回目、最後の赤紙をうけたのは昭和20年の5月。編成地は山陰の浜田。兵站地区隊というのだが、何をする部隊か、何処へ行くのか、本部でもわからぬ、ともかく、外海へ出たらおしまいと思え、とのご宣託。遺髪入れの紙袋を渡された日、出雲市の病院にいた女医のO君とN君が面会に来てくれ、髪を切ってもらった。
     こんどこそはどうでも死なねばなるまいと覚悟して、夜行の軍用列車にのりこみ、万才におくられて出たときは、まさに感無量。翌早朝、下関に降りた。
     しかし、「乗れ」といわれた船は関門の渡し舟だった。一路南下。群がる蛍火を車窓にみて、まだ明けきらぬうちについたのが九州のど真中。熊本県の人吉。海岸線はやがて危険になるので、艦砲射撃のとどかぬ山の中に、南北縦貫の兵站路をつくろうというので、この地区の塹壕掘りが、隊の任務だと初めてわかった。
     毎日のように、B26がはるかの上空を北上する。たまに艦載機もやって来るが、ちかくの特攻隊基地が目標らしく、われわれは一向相手にされない。そのうち広島の原爆。
     これも、決して私に関係のないことではなかった。それは、知人の軍医のいく人かがその犠牲になったことや、隊長や副官をはじめ兵の大部分が広島出身だったことだけでもない。
     実は、隊付きが嫌さに、浜田に待機中、広島陸軍病院の病院長がこん意なのをツテに、ひそかに転出の裏工作をやっていたからだ。
     もし、これが成功していたら、そして広病に行っていたら、私は、もうとっくの昔、一片の灰もとどめず吹きとんでしまっていただろう。
     戦況は日に日に不利。沖縄もおち、やがて敵は九州のどこかにとりつき、しだいに奥へ奥へも圧迫されるだろう。そしたら、さしあたり、この深い山ににげこみ、草を食い木の葉の汁をのんで生きるほかはない。
     しかし、少人数ならともかく、大勢だと、いかに山が茂っていても一たまりもあるまい。
     もし、そういう羽目になっていたら、いずれは飢え死したに相違ないし、もともとひ弱い私など、まっ先にまいっていただろう。
     8月15日の詔動によって、こんどこそはと覚悟していた危機からも助かった。そしてあの日、恨みをのんで散華した多くの戦友を思い、死ぬべくして活かされたわが身を思い、緑葉食・青汁の普及に一生をささげようと誓ったのだった。

    発疹チフス
     最後の危機は終戦の翌年21年の2月。東京、大阪はじめ、大都市では発疹チフスが猖獗をきわめ、多くの死者を出していた。このとき、所用で大阪仕立の超満員列車で、もとの駐屯地人吉まで出かけた。
     数日後帰宅したが、まもなく、もの凄い頭痛、腰痛をともなって発病。熱は38度台で、そう高くはなかったが、苦痛がはげしい。
     しかし、5日目になって型通りの発疹が出たので、この辺りに多い発疹熱(満州熱)だろう、とタカをくくっていた。そして、自分では確かなつもりだったが、まったく夢うつつ。意識も朦朧としていたらしい。
     医局のN君が診てくれていたのだが、何度も、大学の先生をよぼう、といい出したほどだったそうだ。
     どうやら本物の発疹チフスで、ギュウギュウ詰めの列車の中で、大阪のシラミをもらい、それから感染していたのだろう。
     時節がら、よい材料もないので、家のまえの農研のまがきに、イバラの残り葉があるのを、家内に摘ませ青汁にしてのんだ。隣家だった友成夫人がこれをみかけ、「隣は何をするものぞ」とあきれかえられたのは、この時のことだ。
     こうして、この大病からも、ともかく生きのびることができた。おやじが戦死していたら、おふくろの企てが成功していたら、私というものはこの世に生れてくることはなかった。
     ジフテリーでも、インフルエンザでも、発疹チフスでも、多分に死ぬ可能性はあった。
     そして戦争中にも、その機会はいくらでもあった。だから、生れなかったと思い、病気か戦争でやられていたと思えば、たとえ気のきいたことは何一つできなかった一生であったとしても、ともかく、今まで生きられたことだけでも有難いことと感謝しなければなるまい。

    (53・4)



3. 考えてみませんか! 化粧品公害 化粧品被害続きで やっと注意表示

     顔のかぶれやシミなどの被害が問題となっている化粧品に、ようやくたばこ並みの“注意表示”がつけられることになった。
     日本化粧品工業連合会(420メーカー加盟)に所属している東京化粧品工業会が26日に開いた役員会で、この表示を承認、近く開かれる大阪、名古屋の同業者組織の役員会を待って、一斉実施に踏み切る方針。
     11月にも“注意表示”つき化粧品が店頭にお目見えする。すでに化粧品工業連合会の専門委員会で内定した表示の内容は「体質等により、ごくまれにおはだにあわないこともあります。そのようなときは、ご使用をお止め下さい」というもの。
     ただし、メーカー側はこれを「親切表示」と名づけている。
     化粧品の“注意表示”問題は、さきに「化粧品110番」をつくり、メーカー側と化粧品被害の補償交渉などに乗り出した大阪府地域消費者団体連絡会などがその実施を強く要求していた。
     一方、化粧品工業連合会の調べでも化粧品被害をめぐるトラブルは、被害の発生初期に使用をやめれば“大事”にならないケースがかなりあることから、この表示に踏み切ることになった、という。
     これまでも、使用説明書の中に同じような趣旨を書き添えていたメーカーもあるが、新表示は消費者がだれでも目につくように容器や外箱にはっきり印刷することにしている。
     化粧品工業連合会ではクリーム、化粧水、ファンデーション、パックなど基礎化粧品類を対象としている。この表示実施について、東京化粧品工業会の馬場武次専務は「化粧品をめぐるトラブルはメーカー、販売者、利用者の三者の責任、という側面があり、メーカーはこれまで販売店、利用者に使用上の注意をしてきたが、徹底しない面もあったので、表示案をいろいろ自主的に検討してきたもので、業界としては一歩前進と考えている」と説明している。
     一方、大阪府地域消費者団体連絡会の木積重子事務局長は

    「メーカー側が売らんかな商法をひとつでも改めたことは評価できる。しかし、今後のトラブルで、メーカーが利用者だけに責任を押しつける可能性も強いので、さらに販売店、セールスマンへ使用上の注意をよく指導させるよう要望していきたい」
    といっている。

    メーカー個別交渉が終わる ー大阪の消費者団体ー
     化粧品被害をめぐってメーカー側と補償問題についての個別交渉を進めていた大阪府地域消費者団体連絡会は、26日に行った中小メーカーとの話し合いを最後に一連の交渉を終えた。
     個別交渉は資生堂、マックスファクター、カネボウ化粧品、ポーラ化粧品など計8社との間で行われたが、ほとんどのメーカーが、自社製品の愛用者で化粧品による被害であることが明らかなものについては、治療費、交通費をメーカーが負担、見舞金などについても話し合いに応ずる、との基本態度を示した。
     このため、同連絡会は今後も具体的な補償交渉を続けることにしているが、これまでの話し合いで一応の成果があった、と評価。
    (50・9・28 朝日)



4. 総会だより

     昨年まで倉敷市立中洲小学校を会場としていた、「遠藤青汁の会」総会が今年は、有名な大原美術館南隣りの保育園「若竹の園」において、満開のさつきの中5月14日午前10時より開催された。
     出席者ははるばる台湾よりご参加の陳錦坤ご夫婦をはじめ、遠く東北の秋田、山形、宮城県より15名、東京、横浜方面より7名、京阪神より20名、四国7名、中国各県と遠来の客を含め約150名参加のもとに、盛会裡に行われた。

     日程の概要は、先生のご挨拶に続いて、会場の園長さんである本田スイ星の本田先生より園のご紹介、52年度事業経過と決算報告、53年度事業計画、予算案の審議が全員で異議なく議決されました。
     つづいて会長遠藤先生のご講演。
     要旨は自分は明治33年生れ78才であるが、長年月健康長寿の秘訣を探し求め、自分の体をどうしたら健康になるかの結論がナッパであった。
     しかも大量のためにこれを汁にして飲む。昔から頭寒(精神的安定)足熱(運動)腹八分といわれているが、食が正しくなければ腹八分ではもたない。
     戦時中にあった二合三勺の配給では健康が保たれず栄養失調になった。
     これにナッパを加えれば充分もつことを経験した。

     現在の食生活では血がにごる。したがって不完全燃焼になってしまう。
     これにミネラル、ビタミンを加えると完全燃焼が可能、これがナッパである・・・・・・。
     引き続いて先生に対する質問、この間全員青汁の飲用があり、各地の会員よりの意見、体験発表が、イモ・マメ・ナッパの昼食のサービスをはさんで、午前午後と続けられた。
     体験談の中には難病に驚異的効果なり、全治したもの、直腸癌、ぜんそく、胃炎、急性肝炎、膠原病等々。話はつきないが遠来会員の帰省の時間の関係もあって、又来年の再会を約し名残を惜しみつつ、一同先生ご夫妻に感謝の拍手を捧げて会を閉じた。

     ◎参考

     当日の献立 

      ・イモ   ジャガイモとサツマイモそれぞれ200gを皮つきのまま蒸したもの。
      ・マメ   大豆50gを味つけなしで柔かくにたもの。
      ・ナッパ  青ナッパ150gに玉ネギのみじん切りを添え、いりゴマ、キナコ、米酢、塩で調味したもの。



5. 水銀入り台湾クリーム 妊婦から検出 愛媛で使用中止指示

     【松山】愛媛県保健部は水銀入り栄養クリームを使ってシミができたなどと苦情を持ち込んだ消費者らの毛髪検査を急いでいるが、27日までに松山市内の保母A子さん(29)=妊娠6ヵ月=の髪から女性平均値の25倍に当たる60PPMという高濃度の水銀を検出。
     同日、厚生省に胎児への影響などについての調査を依頼するとともに、県下の各保健所に対し改めて使用中止と回収を文書で指示した。
     同保健部の調べでは、大阪府衛生部の検査で水銀入りとわかった台北市の富生貿易股?有限公司製造の「黒真珠栄養クリーム」6百個を、松山市内の宝石デザイナーが昨年9月ごろから大阪のサウナ業者を通じて仕入れ、販売しているのを突き止め、県衛生研究所で分析の結果、水銀4%を検出したため販売中止などを命じ、すでに230個を回収している。
     A子さんは最近まで1年2ヵ月にわたって、このクリームを使用していた。
     またA子さんとは別に、これまでに同クリームを使ったという消費者36人のうち6人が顔に黒いシミなどができたと苦情を持ち込み、11人が毛髪検査を頼んでいる。
     県衛研の資料では、県民の毛髪から検出された水銀量は女性平均で2.4PPMで、最高が10PPMまで。栄養クリームとの因果関係については、11人分の検査結果を見ないと即断できないとしながらも60PPMという異常数値を重視、即時使用中止を呼びかけている。

    (52・10・28 産経)



6. 医療自明の前提要件(4)
前回参照

     友成 左近 

     前記のように医療は、そこに必要な養生に、当の患者がみずからつとめることを自明の前提要件にしています。
     が、当節、この医療が最近急速に進歩もし普及もし、とりわけ以前とはダンちがいに有効な治療薬が開発されたため、それに幻惑してか、とかく医療を過信して、ついこの養生は怠る場合が多く、ために予期通りに治ってこないばかりか、ますます進行もし余病も併発してくる場合が少なくないのが実状です。
     ところで、この養生は生活各面にわたっていますが、そのうち実状最も重要なのが(その事由は省略しますが)食養生であって、とくに最近は数多くの指導書が出版されています。
     が、このうち実状最も的確なのが青汁食養生であって、その他はそれそれ、それ相当の意味はあるものの(なかには、およそ無意味なもの、間違ってさえいるものもありますが)、いずれもカンジン・カナメなところがボヤケているのですが、それは要約つぎのようなしだいです。

    青汁食養生というのは
     まず、食「養生」というのは、いかにも分かりきったことながら、めいめい生来身につけてきた習慣のままの食事には、あれこれ不行届や間違いがあるので、そこを改めて、自分の体に、とりわけ病気にかかっているときは、その病状に応じて、各種の栄養分をもれなく必要なだけ十分とって、人為の及ぶ限り完全な栄養をはかることです。

    必須条件
    そこで「青汁」食養生では、まず第一に、
     数多い野菜のうち、各種の栄養分が、とりわけ各種のミネラルもビタミンも、もれなく最も多く、そしてそれが、とくにカルシウムが吸収しやすい良質青野菜を、その他の食物に見合って、必要なだけ十二分に、習慣食の10倍以上と増やすこと、従って、その最も有効適切な食べ方として、それを青汁にして飲むことを必須要件にして、これを食養生の大黒柱にしています。それは、習慣食で最も著しく不足しているのが、この良質青野菜であって、ために栄養が、各種のミネラルもビタミンも著しく不足して、ひどく不調和不完全になっているからです。
     そして、これは青汁にして飲めば、実状どんなに多量に飲んでも、栄養と健康に少しも差し障わりなく、多々益々弁ずるからです。
     なお、こういう良質青野菜は具体的には、コマツナやダイコン葉やシソ葉や、ふつうは家畜の飼料にしているカキバダイコンやシーオーナタネやケールなどであって、なかのなかまで緑色の濃いナッパです。が、このうちホウレンソウやフダンソウあるいはビートなどの葉などは、緑色は濃いが、シュウサンが多いため、カルシウムが吸収しにくく、また生のまま食べたら、それも青汁にして多量に食べたらなおさら、このシュウサンがそれ相当量吸収されて、腎臓などに結石ができるおそれがあるので除外します。
     そして青汁には、こうした良質青野菜でも、ふつうのダイコン葉やシソ葉あるいはヨモギなどのように刺激性の強いものは、飲みずらくもあり、また胃腸などにもさわるので、薬味程度であればともかく、それ以上には使わないことにしています。
    補足要件
    そして、そのうえで第二に、
     その他の食物で主としてエネルギー分をねらったものも蛋白質をねらったものも、それぞれ各種のミネラルやビタミンが実状できるだけ多いものに改めること、そして調理は、そうした成分ができるだけ損失しないように、また極力薄味にして、ほどほどに、そしてよくかんで食べることを補足用件にしています。
     それは、せっかく増やした良質青野菜の効果がそがれるからです。
     また、こうした食物は実状とかく必要以上に食べすぎがちなのですが、食べすぎると、それも荒がみすればなおさら、それに見合うだけの青汁を飲んでも、栄養と健康に差し障わるからです。
     そして、最近のように運動が不足すれば、なおさらであるからです。なお、前記のような食品として実状最も適切なのが芋と大豆であって、これにつぐのが未精白の米や麦と全体食の小魚や卵などです。
     また味つけの砂糖分や塩分は、栄養には実状無用有害であり、精製したものはなおさらです。
    安全要件
    もうひとつ第三に、
     すべて食物には実状できるだけ安全なものを使い、とくに青汁には必ず安全なものを使うことにしています。
     それは、前記の両要件をみたして完全栄養をはかっても、それに使う食品が危険な農薬などに汚染していたり、危険な添加物がはいっていたりすると、不可抗的に、その中毒作用をうけて健康を損なうおそれがあるからです。
     そして、とくに青汁を必要なだけ十二分に飲めば、これに使う良質青野菜は習慣食の10倍以上と多量であるため、テキメンにその中毒作用をうけるからです。
     従って当節、ふつう市販の青野菜は、殆んどすべて栽培に危険な農薬を使い、それがそれ相当量残留しているので、無農薬栽培が確認できなければ使ってはなりません。
     とすれば、自家栽培か委託栽培で安全に作ったものを使わなければならないのが実状です。
     また、多種多様にわたって出まわっている加工食品は、とりわけ出来合いの既製食品は殆んどすべて危険な添加物を使っているので、これは極力使わず、つとめて原材料を、それも、よく吟味して実状できるだけ安全なものを手に入れて、調理は家庭ですることが大切です。
    その他
    の食養生では
     ところで、その他の食養生では、青汁食養生で補足要件にしているものはあれやこれやと取り上げています。
     が、安全要件もさることながら、必須要件にしている良質青野菜は、その種類についても数量についても、マトモに取り上げていないのが実状です。
     けれども、習慣食を改めて完全栄養をはかるには、この良質青野菜がカンジン・カナメなのであって、そこをもう少し詳しくいうと、つぎの通りです。

    (つづく)


次回参照

7. 砂糖考 見舞の菓子

     病気の見舞には菓子、といってもいいくらいになっている。
     うまい菓子だと、食欲のない病人にも好かれるだろう、との思いやりからかもしれない。
     なるほど、カロリー源としてはすぐれているだろう。卵や乳のはいったものでは蛋白質の補いにもなろう。
     けれども、菓子がすぎると、食欲はかえっておちる。洋食で最後に菓子が出る。あれは、より十分な満腹感をあたえるためだから、スジはとおっている。
     しかし、食欲のない病人のばあいの菓子は逆効果。いよいよ食欲をなくしてしまう。
     また、食欲のよい病人では、ますます栄養のバランスをみだしてしまう。
     それも、たまにならまだしも、始終となると、結局、糖害をつのらせ、添加物の害をうけることにもなる。
     だから、見舞の菓子は、極言すれば、病気のなおりを祈るというよりは、ながびくことを祈っているようなものではないか、と私は思う。



8. お八つの菓子

     医学博士 遠藤 仁郎 

     お八つに菓子が多すぎる。
     幼いときから、家庭はもとより、保育園や幼稚園でも、お八つは菓子ときまっている。
     それこそ、明けても暮れても、菓子、菓子、菓子。
     田舎路や野山をあるいてみると、うまそうにうれた草イチゴや木イチゴ、グミ、桑の実。秋には熟柿がすずなりになっている。
     だが、こどもたちは見向きしようともしない。そして、どんな片田舎にも菓子店があり、いろとりどりの、うまそうな菓子がいっぱいならんでいる。
     経済的にゆとりができ、生活レベルが上ったおかげには相違なかろう。
     けれども、それとともに、こどもたちの健康状態は悪化の一途をたどっている。
     虫歯がふえた。近視がふえた。カブれたり、ヒキつけたり、疳癪もちのダダっ子。ちょっところんでも骨折する、といった弱い子ばかりが多くなった。
     このことは、やがて次の時代の国全体の弱化、国力の衰微につながるわけだが、誰れもどうすることもできず、また、どうしようともしない。
     まったくおそろしいことだ。うまい菓子を作るなとも食うなともいうつもりはないが、せめて危険な添加物のない安全な菓子にすることと、なるべく早く、赤ん坊の時から、おそくとも、幼稚園・小学校の時から、良質ナッパを食べ、青汁をのむクセをつけ、栄養のバランスをとるべきことだけでも教えてほしい、とつくづく思う。(53・1)



9. 心筋梗塞と肉と砂糖

     心筋梗塞と関係のふかいのは肉(脂肪にとんだ)食と砂糖とだが、西欧で心筋梗塞が多くなったのは1925年ごろ(19世紀の後半には殆んどないか、ごく少なかった)。
     肉の消費がさかんになったのは世紀のうつりかわりごろからで、砂糖はもっと早く、前世紀の後半からだったというから、やはり、肥肉との影響の方が大きいようだ。



10. 虚血性心疾と砂糖

     砂糖のとり方が多いと虚血性心疾(狭心症・心筋梗塞など冠状動脉の硬化による)がふえるといわれる。
     しかし、西欧でこの病気が多くなったのは1925年ごろ(50年前)からだが、砂糖の消費が多くなったのは19世紀の後半からだから、その関係は、そうハッキリしたものではない、という説もある。
     もっとも、さいきんの砂糖のとり方が急増したためかも知れない。



11. 西欧の砂糖消費

     1700年代初期の西欧では、砂糖の消費量は、年間わずか2キロ程度だったが、現在は50キロ。熱量の15〜20%を占めている。
     イギリスでは、その%は、パン、小麦粉、肉、鶏、魚、牛乳、チーズ、卵などよりも多く、10代の子供では、実に、その熱量の50%にも及んでいる。

    (J.Yudkin.Nature. 1972.9.22号より)



12. 食欲のないとき

     食事のすすまないとき、なるべく本人の好きなもの、欲しがるものにすべきで、いやなもの、まずいものはすすめるべきではない、というのが一般の通則だ。
     しかし、たとえいやなもの、まずいものでも、からだのためになるものなら、たとえば、口には苦くても良薬ならば、すすめなければなるまい。
     青汁も同じだ、と思うのだが、いかがなものであろう。



13. 中華料理病

    シアトル M.S. 

     シアトル、タイムスのエジターの話。
     中華料理をおごるから、食べに行かないか、といったら、誰れでも、声を上げてよろこぶ。
     シアトルの中華料理は特別おいしい。そしたら一人の女の人が、病気になるから行かないという。
     食べる所が悪くてあたったのだろう、私は一番よいレストランへつれて行くからと、無理無理つれていった。
     こわごわ少し食べていたが、おいしいので、満足するほど食べたらしい。
     ちょうど帰る頃になって、このガールの顔は真赤にふくれ上り、熱を出し、病院へつれていったら、医師は、アクセント(米国製の味の素)だろう、ということでした。
     中華料理病のことは先生の本で知って、不思議に思っていただけに、はじめてのことでしたが、特別の人だけでしょうね。
     娘も(はや52才ですが)、味の素をつかった食事を大変きらいます。
     ほんのちょっと入れても頭へヅーンと来て痛くなるというのです。



14. チョコで神経痛 年末のお歳暮

     たいていの方はメッタなものは下さらない。が、中には相当のものが来る。
     今年はチョコとキャンデーがあった。豪華な箱にはいっていていかにもうまそう。
     たまにはよかろうと、開けたら最後。根が食いしん坊のこと。しこたまほうり込んで寝た。
     夜半。左の太股のまん中あたりに、ズキッズキッと電撃のような痛み!しまったと思ったがもうおそい。
     さいわい間もなく止んだが、なるほど、やっぱしと今更ながら感心する。(50・12)



15. 2年はもたぬといわれたのが

    京都府 T.T. 

     わたしの従妹、ことし61才。昭和42年2月に、京大で乳癌の手術をうけました。
     両方にあり、左の方は腋の下までのびていました。手術後、1年半とはいわないが、2年もすれば再発するだろう、といわれ、3ヶ月ほどコバルト照射をうけました。その後、1年くらいたった頃からでしょうか緑汁社の青汁をのみ始めました。
     2本づつ。45年、胸の傷跡にかたまりらしいものが出来ているといわれ、心配しましたが、間違いで済みました。
     その頃から粉にかえました。47年ごろから、目のふちにホクロの小さいようなのができ、悪質の黒色腫瘍で、切りとっても、必ず転移して出てくるということでした。
     で、そのままにして、また緑汁社の青汁にし、6本に増しました。
     1年くらいはもつだろうが、くずれて来たら手のつけようがなくなる、とのことでしたが、その1年間も、少しは大きくなったという程度でした。
     50年の6月、手術するなら今だ、といわれながらすごし、11月から丸山ワクチンを始めました。
     そして、今日まで、2年くらいといわれたのが、満11年、大して変化なくつづいています。



16. もっと飲みたい

    岡山市 O.N. 

     青汁を1日3合(毎食事ごと)、主食はイモと米飯約半椀、副食は大豆製品とナッパ、淡白な魚介類少々、牛乳1合にしています。
     はじめて9日目ですが、便秘が徐々にではありますが正常に復しつつあります。
     また、頭重も大分なくなりました。そして嬉しいことに、毎食の青汁飲用が、少しもまずく感じないことです。ケールの都合さえつけばもっともっと飲用したいような昨今であります。



17. 重宝している

    吹田市 S.H. 

     ケールの種子ありがとうございました。おかげさまで大きくそだち、毎朝、主人と二人で青汁を飲用させていただいています。
     ご近所の方々にもお分けいたしました。
     最初は虫に食べられ困りましたが、今では葉も大きくなり、虫もつかなくなり、本当に、重宝させていただいております。



18. 6年すぎても卵をうむ

    備前市 M.T. 

     先日、知人から聞いたはなしですが、鶏に、青汁のカスと糠、かきがらを混ぜて与えていたところ、もう6年もすぎ、毛がぬけて汚なくなっているのに、まだ卵を産んでいる、そうです。
     いかにからだによいかうかがわれます。



19. 本当に最高

    大阪市 Y.G. 

     お知合いの、広大な畑をもっていらっしゃる方が、今年の彼岸にまいて下さったケール。
     5月にはボチボチとれだし、それから暑さとともにどんどん成長。
     いくらでものびて来るので、本当にのみきれないほどです。
     毎日5合以上はのんでいます。先生、本当に最高です。



20. ポプラ

     葉に一種の芳香がある。西洋では、このヤニをつけると髪がよくなる、というので、バタをいれたツボに、葉をきざみこみ、1週間おいて、火にかけて脂をとり美髪料にした、という。
     ギリシャ神話に、アポロの子フェートンは、アポロにせがんで日の車にのせてもらったが、あやまって手綱をはなしたので、地上に近づき、世界中が焼けだした。
     ジュピターは驚いて雷火で車をくだいたので、フェートンはエクダヌス川に落ちて死んだ。
     兄の死を悲んで川岸に立ちつくしていた妹のヘリダヌスはポプラの木になり、落した涙はかたまって琥珀になった、とある。
     葉は食べられないことはない。味はそう悪くはないが、ヤニがあるので、生食や青汁よりは、むしろ、ゆがくか乾して粉末にするほうが無難だろう。



21. 質問箱 糖尿病に青汁

    三重 N 


     糖尿病に青汁はどうですか


     うんと飲めば、それだけでもよくなることがあります。
     少なくとも食事療法がずっとやりよくなります。
     口渇があるようなら、水代りにどんどん飲んでみるべきです。



 コラム紹介

    われらは成功よりも失敗より却って多く智慧を学ぶ

    スマイルス



    幕末の儒医中井履軒は、
    すでにその当時、文禄以後、
    短命に終るものが多くなったのは、
    まさに砂糖の濫用による。
    薬用なればいざ知らず、
    一般に用ふること有害恐るべし、
    とのべている。



    毎時毎刻を以て
    己が最後の時間と覚悟する人には
    一日も千年も全く一にして差別なし
    セネカ



    本当に死に徹底しなければ真の生はわからない。
    日本武士は切腹の仕方から修養した。
    常に立派な生命観を持ち、
    生死を超越して生命を重んずると同時に
    死を恐れぬ安住の境地に達しなければならぬ。
    死ぬ日に初めて死ぬのではない。
    毎日死んでゐるのである。
    毎日死に毎日生きてゐる。
    本来始めから死んでゐる。
    生れた日、それが自分の死ぬ日である。
    生れたこと、それが死ぬことである。
    生きてゐること、そこに死ぬことがある。
    友松円諦



    医業は物質的営業にあらずして
    科学的道徳的業務なり
    ステンゲル



    大凡生を養ひ長寿を保つの要は
    形を錬るにしかず
    形を錬るの要
    神気をして丹田気海の間に
    凝らしむるにあり、
    神凝る時は気聚る、
    気聚る時は即ち真丹成る、
    丹成る時は形固し、
    形固き時は神全し、
    神全き時は寿し、
    是れ仙人九転還丹の秘訣に契へり
     白隠 夜船閑話










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