健康と青汁タイトル小 <1974年9月15日発行 第217号>
 目次




1. 慢性気管支炎

     医学博士 遠藤 仁郎 

     慢性気管支炎とは、気管支炎の症状が二年以上つづいており、一年のうち三ヶ月間(とくに冬期)連続して咳や痰があり、結核とか、気管支拡張症などといった特別の病変のないもの、をいうことになっている。
     原因の主なものはタバコをはじめとする大気汚染と感染。
     タバコの煙、工場の煤煙、粉塵、自動車の排出するガス、硫黄酸化物、窒素酸化物、オキシダントなどの物理的、化学的刺激。
     さらに、細菌やビールスの感染による気管支炎をくりかえしているうちに、しだいに慢性化して来る。そうなってしまうと、その治療は、現在の進んだ医学でもなかなか困難。根治は、まず不可能とされている。そこで、なにより予防が大切なわけ。

     さて、現在もっとも関心がもたれているのは、いわゆる公害性の慢性気管支炎。その予防については、原因である公害、自動車の排気ガスや工場の産業廃棄物による汚染の規制を徹底し、環境の浄化をはかることが根本。
     したがって、行政面や企業側からの抜本的施策が強力に推進されなければならぬことはいうまでもない。

     しかし、現状、とても急速にその目的をたっすることはむつかしいようだ。
     それに、おなじ公害地域でも、結局は素質あるもの、抵抗のよわいものがまずやられる事実からもわかるように、抵抗力さえ十分強ければ、少なくともある程度、発病ないし病変の進行、慢性化は防がれよう。
     だから、ただ、いたずらに当事者の怠慢をせめるだけでなく、自らの健康は自ら守る、という心がまえのもとに、進んで積極的に、全身ならびに、とくに呼吸器の強化をはかるべきだろう。

     まず禁煙。喫煙は私的汚染の最大因。それ自体、慢性気管支炎の有力な原因であるだけでなく、大気汚染による障害も、喫煙によってはじめてあらわれ、また悪化するともいわれている。
     次に日常生活の合理化、自然化。現代人の不健康のもとは、日常生活、ことに食生活があまりにも不自然となり、不合理となっているところにある。
     せめて、食だけでも、合理化、完全化(自然化)すること。
     つとめて完全食とし、すべての食品はなるべく安全なもの、農薬その他の汚染、あるいは有害添加物のおそれのある加工食品、貯蔵食品をさけ、自然のままか自然に近いかたちで食べること。
     すなわち、精製穀(白米飯、白パンなど)、肉魚、糖、脂に傾いた美贅食をさけ、緑葉食・青汁、ことにイモ・マメ・ナッパ・青汁といった安全完全(自然)食に徹底するか、せめて、青汁だけでもうんと飲むべきだ。


2. 続・青汁を飲む心(12) 生活各面に波及して
前回参照

     友成 左近 


    心身共に健康な生活の基本的な心がけ(つづき)

     縁あって青汁を飲み始め飲み続けていると、その間に体験する青汁食養生の理解や心がけが、しぜんと生活各面に波及してきますが、これは積極的に活用して、心身共に健康に、毎日精出して生活していくのに好個な心がけです。

     その第一は、これが最も重要なのですが、まえにみたように、平素もさることながら、とくに生活に困難したときには、ただいたずらに習慣や好みに執着せず、それに従いながらも前向きに、打開的に、当面そこで必要な生活活動を実際に行なっていくこと、そして、そのあとを反省し総括することです。

    体験者の親身なすすめはすなおにきく
     第二に、こういうふうに実行していくときに大切な心がけは、まず自分でよく考えたうえ、親しい人に相談すること、そして、とくに体験者の親身なすすめはすなおにきくことです。自分でよく考える、というのは、放送や新聞、雑誌や専門書、あるいは友人知人に見聞したことを参考にするが、つまりは自分自身で、どうしたら生活の困難が打開できるか、その実状に即して考えることです。が、これがまず大切なのは、生活には個人差が著しいので、どんなに見聞をひろめても、自分でよく考えなければ、困難の問題点も打開の手がかりも的確につかめず、実行していく意欲も起こってこないからであり、人に相談しても、先方としては的確な相談にのれないからです。
     人に、それも親しい人に相談するのは、どんなに自分でよく考えても、自分の習慣や好みのカラからぬけだして、困難打開の手がかりに考えつくのは容易でないのですが、「岡目八目」で、親しい人であれば、意外と的確な手がかりに考えつく場合が多く、親身に相談にのってくれるからです。であれば、別に相談しなくても親しい人から注意されたときは、ありがたく、こころよく耳を傾けることが大切です。
     自分のことは自分で気がつかない場合が意外と多く、親しい人であれば、それに早く気がつくことが多いからです。ところで、人に相談するのは、困難打開の手がかりを考えてもらうためですが、そこで大切なことは、その実状と自分の考えたことを、ありのままに伝えると共に、先方の考えてくれることをよくきいて、いっしょに考えて、自分に最も必要で、必ず実行できる手がかりを考えだすことです。
     であれば、とくに親しい体験者が親身に考えて、すすめてくれることは、すなおにきくこと、そして自分でよく考えなおして、必ず実行することが大切です。といって、これは実状そう容易なことではありません。人々だれでも、自分の習慣や好み、それが根ざしているものごとの理解や感情には、強く執着するからであり、それにそわないことには、なんとも不快や不安を感じるからです。

    自分の感情にこだわらず感じるままに感じながら
     そこで第三に大切な心がけは、こういうふうに自分で考え、また人に相談し、そして実行するとき、自分の好き嫌いや不安や恐怖といった感情にこだわって、あれこれと選り好みしないこと、といって、それを感じないようにと、始末をつけようともせず、感じるままに感じながら、とにかくことにあたることです。
     人間「感情の動物」であれば、なにごとにつけ、とかく自分の感情が先立ち、それにこだわって選り好みをします。
     が、生活の困難はもともと、この感情と、これに根ざしている習慣や好みが、生活環境という客観的な事実に即応していないからであって、それでは困難はいっこうに打開できず、かえってますます大きくなるばかりです。といって、この感情もまた、当人には主観的な事実であって、感じないようにと、意志的に理知的に始末しようとしても、とうてい始末しつくせるものではなく、かえってますます強く感じるようになります。
     けれども、考えることも相談することも、ましてや実行することは、主として意志や理知に基づくことであって、あれこれ感じながらも、して、できることであり、だれでもこの意志と理知を備えています。そこで大切なことは、好き嫌いや不安や恐怖といった感情は、感じるままに感じながら、とにかく当面必要なものごとにあたっていくこと、わけても今しなければならない生活活動を実行することです。
     そうすれば、はじめはなんとも耐えがたいようであっても、やがてはそう強くは感じないようになり、感じても、実生活には別にそう妨げにはならないようになります。感情というものは本来そうした性質のものなのです。

    自分の理解にこだわらず体験者のすすめに従って
     と共に第四に大切な心がけは、自分の理解にこだわらずに、体験者のすすめには、そのわけがよく分からなくても、とにかくきき従って実行することです。
     人間「理知の動物」というのは、他の動物では、環境に適応していく本能や習性が生得的に極めて強力に完備していますが、人間では、これが至って微弱である反面、動物とは比較できないほど高度に理知が発達しているからです。
     といって、これは(感情も同様に)生得的には可能性であって、生後長い間、両親その他周囲の人々と養育その他の社会生活を営んで、だんだんと発達し、その間に生活環境の理解をひろめ、それに根ざして習慣を身につけるのです。が、いったん身につくと、感情の場合と同様に、自分で考えるときも人に相談するときも、とかく自分の理解のワクで取捨選択するようになります。が、生活の困難はもともと、この理解が生活環境の事実に即応していないからであって、それでは困難はいっこうに打開できません。そこで大切なことは、とくに体験者の親身なすすめは、そのわけがよく分からなくても、たとえ疑いを抱いても、とにかくそれに従って実行していくことです。
     親身な人が体験したことであれば、個人差はあっても、実状そう大きな間違いはなく実行していけるからであり、そうすれば、いな、そうして初めて的確な理解が新たに身について、これまでの理解が補足修正されるのです。

    自分の生活は自分もちで
     もうひとつ最後に、こういうふうに実行していくとき、自分の生活は自分もちで、ということです。
     人間「社会的動物」であれば、各種各様の社会関係のもとで生活しており、実状、生活活動の殆んどすべては人々の世話になっています。
     が、それはごく一面ずつについてであって、それを選択もし補足もして総括して、一個の人間として生活していくのは、当人自身であって、それはだれにも代わってもらうことはできません。そしてその結果も、つまりは自分自身で負わねばならず、だれにも代わってもらうことはできません。
     昔から「イノチとベントウは自分もち」といわれている通りです。であれば、実行にあたって、人に相談し、とくに体験者のすすめにはすなおにきき従って、といっても、もし予期しなかった結果を招いても、人のせいにしてはなりません。また、自分が体験したことは人に親切にすすめることが大切ですが、こころよくきいてくれなくても、またの機会を待って、常に必ず先方の自主的な選択を尊重しなければなりません。

    (おわり)


3. ヒンドヘーデ

     ヒンドヘーデは丁抹の田舎にそだち、蛋白の乏しい食物になれていた。
     大学でうけた栄養学にしたがい肉食を試みたが、却って体力は衰えた。
     開業後、馬鈴薯、バタ、イチゴ、牛乳等で、一日量蛋白質は25グラム位にすぎなかったが、身体の調子は非常によくなった。
     後、家族一同、蛋白質に乏しい植物食をとって、何等悪い徴候はみられず、子供たちは半年乃至一年以上の平均に相当する発育を示した。

    (宮入慶之助、食べ方問題から)


4. 平均寿命

     人類は自然から、115乃至120才の最高限度の天寿を授けられているに拘らず、4000年前の平均寿命は18年、2000年前で22年と推定され、1000年前でも男子34年女子43年とされ、20世紀の始めは50年前後であったが、急激に寿命は延長し、最近では男子71.9(スウェーデン、1967年)、女子76.5(オランダ、1970年)に達した。日本人も昭和47年には男子70.5年、女子75.9年となり、男子は米、英、ドイツ、ソ連等を追越し、女子はまだ下位にあるが、上述の国々の平均寿命を追越すのは時の問題である。

    (渡辺 定=寿命学研究会理事長、産科と婦人科、49、2月号)


5. 抑ウツ剤飲み奇形児出産 各国に警告出す 豪州

    (シドニー3日UPI=共同)
     サリドマイド禍による奇形の発見者であるオーストラリアの婦人科医ウィリアム・マクブライド博士は3日、抑ウツ(鬱)症治療薬として数種の商品名で市販されている「イミプラミン」を服用した母親が腕のない奇形児を出産した例が、ことしシドニーで少なくとも3件発生したことを明らかにした。
     これはシドニー婦人科病院でことし7人もの奇形児の出産があったことに疑念を持ったマクブライド博士が調査した結果、うち3例は母親がイミプラミンを服用していたことがはっきりわかったもの。他の4例についてもイミプラミンは明らかに奇形と関係があるが、決定的には証明できない、と同博士は述べている。
     マクブライド博士は、イミプラミン禍についてオーストラリア及び各国当局に警告を発したと語り、神経系統に作用する薬の服用は、特に妊婦に危険を及ぼす恐れのあることがはじめてわかった点を重視している。

    マクブライド博士の話
     「サリドマイドは骨に作用して手足の奇形の原因となるが、イミプラミンは神経系統に対する作用を通じて奇形児出産の原因となる。それがわれわれの調査で決定的に判明した」

    松永英国立遺伝子学研究所人類遺伝部長の話
     「手足の欠損などの障害は他の薬剤でも起こるが、サリドマイド奇形は特異的なもので、他の薬で発生するという例はこれまで聞かなかった。
     しかしマ博士はサリドマイド奇形に詳しい人だから、この警告は早急に検討されねばならない。
     精神薬の次代への影響は、染色体異常や奇形を起こすという報告もあるし、否定する報告もありまだはっきりしていないが、障害が起こる可能性は十分考えられる。
     とにかく大部分の薬剤が胎盤を通過することがわかっているのだから妊娠初期に薬剤を服用するのは控えるという原則を貫くことだと思う」

    (47・3・4 サンケイ)


6. ハギ

     萩。秋の七草の筆頭。
     咲きほこる花にはえもいわれぬ風情がある。
     栄養分にとむ、すぐれた飼料のようだが、うまくない。家畜もあまり好かぬものらしい。
     「牛馬は夏には生葉を好まぬものであるが夏をすぎると、一般に嗜好するにいたるものが多い。タンニン酸その他の原因によるものであろう」、
     と飼料学の本には書いてある。
     しぶ味のほかに軽い刺戟味と、なにか舌をしびれさせるような感じがある。
     救荒食として湯がいて食っているのも、そのゆえだろう。
     「葉も茎も炊て食べし。又、あえもの等にすべし」

    (救荒本草抜粋)
     だから、生では、少々をサラダや青汁に入れるのが精々、というところで、こればかりの青汁は、おそらく飲みにくいだろう。


7. 長生きのコツ

     D.Cebotarev教授によると、ソ連には、現在、100才以上の老人が21000人以上おり、そのうち、女性が約16000人。
     このような長寿の理由の一つとして遺伝の問題があるが、もう一つの要因は絶えず肉体を活動させること。
     グルジヤ、アゼルバイジャン、およびウクライナには長寿のものが多いが、これらの地方の住民は、農業などの重労働を生涯つづけている。
     最高齢記録165才を樹立したChirali Mislimovさんは、最後の日まで畑仕事を続けていた。
     長く生きるコツはなんといっても、長期間創造的な生活を送ること、働き続けることだ。

    (メジカル、トリビューン 昭49・2・28日号より)


8. ヴイルカバンバの老人

     エクアドルのヴイルカバンバ谿谷は、3つの山でへだてられ、きれいな水と、平穏な気候にめぐまれたところ。
     そこには、スペイン系の住民がおり、100才もの老人が少なくない。
     しかも、かれらは陽気で元気で姿勢がよく、ことに歯が丈夫。何十才も若く見える。
     主に菜食で、総カロリー1700。非常によい環境の中で静かにくらしているが、決して怠けものではない。
     一日に40〜60本のシガレットを喫い、2〜4杯のラム酒を飲んでいるが、動脈硬化や癌は稀。エクアドルには、他にも孤立した僻地があるが、どこでもそう長生してはいないようだから、ここの人々は、特によい素質をもっているのだろう。

    (JAMA,1973.5.28号 論説より抜粋)


9. 狭心症発作なくなる

    高知市 N.M. 

     青汁をのみつづけますと体の調子がよくなり、ありがたいと思っています。高血圧の上、心臓が悪くて、狭心症があるのですが、最近はお蔭で発作をおこさなくなりました。


10. 青汁飲んで八十八

    小諸市 S.O. 

     今年1月7日を以て、私は満88才を迎えるに至った。
     日本の男子平均寿命が70才とすれば、既に18年も生延びたことになるのであるが、自分は、それ程の高齢者とも感ぜられない。
     然し、考えて見れば、私の小学校同級生中、現存者は80名中わづか2、3名に過ぎなくなり、又、師範の同級卒業生も、106名中、生存者は10名内外となってしまった。
     斯くの如く、同級同年輩の諸兄に比し、私が比較的に長寿を保ち得られたことは,或は、環境状況に恵まれおった事や,日常の生活条件が保健に適合しておった事などにも因ることだろうが、その第一の原因とも見るべき事は、何と申しても青汁を熱心に飲用して来たお蔭である事を思わずには得られないのである。
     回顧すれば、13年前、即ち私が齢75才の春、偶々、風邪に犯されるや、それが慢性化し、容易に快癒せず、困って医師の診察を受けた処、それが老化現象から来る高血圧症と診断されたのであった。
     そして、医師は、血圧が少し高いが心配する程の事はないと慰めてくれたので、すっかり安心し、兎角治療も怠り勝ちになった天罰が、終に、私の病気を長引かしめるに至ったのであった。
     ここに於てか、私は始めて自分の老齢を覚ると共に、後悔やらあせりやら、いらだちなどで心を痛め悩むに至り、そのあげくには、終に、ウツ病かノイローゼか、その上不眠症も加わり、心身ともに衰弱し、容易に快癒の望みも乏しくなって来たのであった。

     斯かる際、幸にも一縷の光明を私に与えてくれたのが、日本経済新聞紙上に於ける大阪某銀行支店長たる飯村氏の闘病体験記であった。
     飯村氏は、青汁飲用により多年の高血圧を克服全治し得た事、並に遠藤青汁会を紹介してくれたのである。
     私は早速その青汁会に入会し、遠藤先生の御指導の下に熱心に青汁を飲んだ処、約一ヶ年にして完全に元の健康体に戻ることが出来たのであった。
     一時は生命の絶望をも覚悟せねばならぬ程の私も、再び蘇生の望みを得た事、恰かも、神の加護にあづかった思いで、衷心感謝感激に咽んだのであった。

     爾来、13年の今日まで、私は専心青汁を飲み続けて来たのであるが、其間、再発もなく完全に健康復帰が出来たのである。
     更に又、わが家の家内も、かねてより心臓疾患や高血圧症で、長らく医師の診療を受けておったが、はかばかしくなく、困って私が青汁を飲用するに及び、私は毎日約3合程青汁を作り、その半分程を家内にも飲用せしめて来た処、矢張りその効果は覿面、いつの間にやら病気は快癒し、今年2月を以て満84才を迎えるに至ったのである。

     斯くの如くにして、吾等夫婦は青汁飲用によって健康長寿を勝ち得たのであるが、青汁飲用につき医療上の効果を早くより説勧めて来られたる遠藤先生の御功績に対しては、衷心感謝せざるを得ない次第である。
     終りにのぞみ、私は青汁飲用から種々の教訓を思出されるのである。
     例えば、無病短命、一病長寿の諺の真実なる事や、禍も転じて幸福となるの教訓の如き、或は又、医師の存する処には必ず途ありの名言の如き等である。
     私は是等の青汁飲用から得た幾多の教訓を活かし、残る余生を生き抜き天寿を全うせん事を念願してやまない次第である。


11. 効果に驚嘆

    倉敷市 S.K. 

     目が朦朧として、物がはっきり見えなくなったので、眼科で診察して戴くと、これは動脈硬化現象であると言われ、早速、遠藤先生をおたづねしました。
     先生のおすすめで、青汁を毎日4合から5合飲み始めた所が、不思議に、3日目には足がとても軽く感ぜられました。
     平生、車に乗っていた所も、自分の足で歩いてみたくなりました。
     そのうちに、目がはっきりと見えて、眼鏡をはずしたくなる位でした。
     体調もすこぶる快調で、1ヶ月前の自分が嘘のように思われる程元気を恢復しました。
     はじめは半信半疑であった私も、今は、青汁の偉大な効果に驚嘆すると同時に、先生に感謝の念で一杯でございます。


12. 葉を見るだけでもホッとする

    群馬県 Y.O. 

     のみ始めて10ヶ月余り。一日として欠かした事はありません。ケールの届かない時は心配で、ケールの青い葉を見ただけでホッと安心するしだいです。


13. 韓国親友会

     韓国ソウルの金起源氏からの来信によると、氏は、さいきん、遠藤青汁韓国親友会をつくり、先輩の同市金重甲氏と協力、正しい緑葉食・青汁の普及に奔走。すでに会員は200名にたっしている由。健闘を祈りたい。

    (中区乙支路一街×××、電○○−○○○○)


14. 質問箱 胃ポリープで

    奈良県 F. 


     胃ポリープで手術をすすめられていますが、青汁はどうでしょうか。


     胃のポリープには、手術しなくてもよいものもありますから、専門の病院でよくしらべてもらうことが先決です。
     青汁でポリープが治るかどうかについては、確答いたしかねます。


 コラム紹介

    市民の理想的食物は菜食。
    これによって長命し子孫は幸福なるべし。

    プラトン



    狭き門より入れ、
    亡びに行く門は大きく、
    道は広くしてそこより入る者多く、
    永遠の生命を行う門はせまくしてその道は細く、
    これを見出す者少きが故なり 
    モルモン教 ニーファイ三書14−13−4



    もっとも多く知る者はもっとも少なく信ず
    イタリア俚諺







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