健康と青汁タイトル小  <1972年4月15日発行 第188号>
 目次




1. 肉食

     医学博士 遠藤 仁郎 

     緑葉食・青汁だとか、イモ・マメ・ナッパなどというものだから、「肉は絶対にたべてはいけないか」という質問をよくうける。なるほど、私どもは、ナッパを食べることを強調しているが、それは、何を食べるにしても、ナッパ(すべての栄養素のそろった唯一の完全食品)が添えられねば、完全食にはなり得ないからだ。そして、肉を食ってはならぬとは、一度も言ったことも、書いたことも無い。

     肉(獣鳥魚介)食は良質蛋白質をとるためであり、蛋白質が必要欠くべからざる栄養素であることは、今更いうまでもない。けれども、そのよしあしは、それぞれの食品の蛋白質の質によるし、それ以外の栄養素ことにビタミンやミネラルのあり方にもよる。
     また、安全性のいかんにもよる。これらの点からすると、肉よりは大豆や小魚の方が、より有利だというまでのことだ。

     なぜかというと、切り身の肉類は、いかにも蛋白質にとみ、その質もよいが、ビタミン類やミネラル類ことにカルシウムに乏しく、酸性度の大きい不完全食品だ。そして、安全性にも問題がなくもない。
     だから、どんな肉でも、それが安全なものであり、良質ナッパを添えて、ビタミン・ミネラル類を十分補うならば(それには大体2〜3倍重量の良質ナッパが必要だが)、少しも差支はない理窟だ。
     私どもも、なるべく大豆ものや小魚にはしているが、刺身や煮もの・焼ものの肉も、あれば食べる。
     但し、安全性はもとより、釣り合うだけ、あるいはそれ以上のナッパ(青汁その他として)をとるよう(また、主食は穀類をさけ、イモ類にするよう)つとめている。そして、これでよいのだと信じている(ここが、肉食を極端に排斥する、いわゆる菜食論者とちがうところ)。

    肉の安全性
     さて、肉の安全性だが、家畜の肉には、飼料中の農薬やカビ毒、肥肉用の薬剤(抗生剤、ホルモン剤、砒素剤など)、屠殺前後に使用される薬剤(牛や豚には屠殺前抗生剤が注射され、屠殺後、肉に塗る。鯨ではモリにしかけ、また腹腔内に注入するという)、などによる汚染があり、それらが肉に残留している可能性がある。

     このうち、抗生剤はアレルギーを原因したり、耐性菌が出来る、といったことくらいだから、そう問題ではないかも知れないが、BHCやカビ毒、ホルモン剤などには発癌性のものがあり、しかも、それを妊婦がとれば、極微量でも、胎児をおかし(発癌物質にたいしては幼若なものほど影響をうけやすい)、長年月を経て発癌する、といったものもある。

     魚介類には、降下性放射能、農薬、工場・鉱山の廃棄物、養殖魚介には、その他、大量に使用されている予防用薬剤(抗生剤その他)などがとり入れられており、しかも、それらは、かなり濃厚に汚染されているおそれがある。
     貯蔵もの、冷凍ものには抗生剤。塩蔵や乾物には食塩、油脂酸化防止剤のほか亜硝酸塩(肝臓をおかし発癌性の強いナイトロサミンの発生の危険がある)。
     燻製には、さらに燻煙中の発癌物質の付着。
     加工品には、その他各種の添加物(色素、調味料、香料、防腐剤など)。
     これらのうちには、あるいは肝・腎をおかし、貧血をおこすもの、アレルギー。また癌を原因するものも少なくない。
     また、ハム、ソーセージといったものになると、材料そのものにも不安がなくもないといわれ、識者からは危険視されている人造肉(大豆からの加工品)は、殆んどすべてこれら加工食品につかわれているそうだし、なかには石油カスからの製品(発癌性がうたがわれている)さえも、ひそかに混入されているらしいという。なお肉類は調理によって発癌性をおびる可能性もいわれている(焼肉、使いふるした油での揚げものなど)。
     牛豚肉など陸棲獣の脂肪には、血液コレステロールを増し、動脉硬化をうながす傾向につよいこと(鶏、魚介ではその傾向はないか少ないが)は周知の通り。

     このように、肉類は、必ずしも安全な食べものとはいい切れない。したがって、良質ナッパを十分にそえて栄養のバランスさえとれば、いくら食べてもよいというものでは無いようだ。
     ともあれ、肉類は多くの人に愛好されており、子供や妊産婦、虚弱者、病人、あるいは老人にも、推賞されているが、決して、そうすぐれたものでもないし、健康維持のために必要欠くべからざるものでもない。
     そして、また、時には(とくに妊産婦や子供たちにとっては)危険な食べものでもあり得るということは、よく心得ておかねばなるまい。



2. アケビ

     山地に自生する蔓性の木本で、秋、長腎臓形の実が出来、たてに裂けて肉をあらわす。そこで開肉(あけび)。
     その形が女陰を思わすからだろう、山女の異名もある。茸狩の行きかえりなど、甘ったるい中身を、あらそい食べたものだ。
     葉も食べる。煮ても、生でも食べられ、青汁の材料にもなる。
     もっとも、ややしぶ味がある。
     嬉遊笑覧は、

       「鞍馬木芽(きのめ)漬は、通艸(あけび)、忍冬(にんどう)、木天蓼(またたび)等、春末夏初の新芽なり。安斎云ふ。出羽国人の談に、其土俗、毎年四月、老若男女、山野に出て、木芽を採り煮て食ふ。或は塩に漬て畜ふ。其木芽といふはアケビの芽なり、アケビは木通なり。鞍馬の木芽漬も是なりといふ。」



3. 青汁教室の食養断想(6) ガンの予防について
  再発・転移の防止例
前回参照

     友成 左近 

     老年期の近づいていた人のことである。
     子宮ガンと診断されたが、もう年だからといって手術をためらっていた。が、極度に悪化して出血がはげしくなったので、やむなく入院して手術をうけた。ひどく衰弱していたので、どうにか手術はすんだものの、はたして無事に退院できるか、ということであった。
     が、すすめられるままに、とにかく青汁を毎日4合以上飲み、牛乳や芋やトウフなどを気のむくままに食べた。
     ところが不思議。だんだん体力がついてきて、放射線治療も必要なだけはうけて、無事に退院することができたのだ。そしてその後も、ほぼ同様の食養をつづけたところ、年相応の健康をとりもどし、再発・転移の様子もなく、もう7ヶ年以上たっている。

     * * * 

     中年の人のことである。
     乳ガンと診断されたが、手術がこわいといって容易に決心しない。それではとにかくと、すすめられて、毎日青汁を3合4合と飲み、その他の食物もよほど改めて、しばらく様子をみた。
     2ヶ年ほどたって、名医にすすめられて手術を決心した。ところがガンは、ごく初期の状態のままであった。これはすなわち、青汁を取り入れた食養で、進行がくいとめられていたわけである。
     それから数年、ほぼ同様の食養をしていた間は、別に再発・転移の様子はなかった。が、転居しなければならない事情が起こり、そこでは安全な青汁材料が手に入らなかったので、つい青汁をやめてしまった。すると1ヶ年ほどたって、他にガンができ、しかもそれが、まえの乳ガンのときとはちがって、急速に悪化してきた。

     * * * 

     中年の人のことである。
     直腸ガンと診断されて、さっそく手術をうけた。初期でもあり、場所もよかったので、その局部だけを切りとって腸をフン合し、人工肛門はつけずにすんだ。そして、必要なだけの放射線治療もうけた。
     が、月日のたつにつれて、度々ひどい腹痛が起こり、便秘もするようになったので、再発したのではないかと検診をうけた。別に再発の様子はないが、フン合部が狭くなっているので、そこを再手術しては、ということである。
     けれども、ガンの再発でなければ、なんとか手術をしなくてすませる工夫はないかと、すすめられるままに、とにかく青汁を毎日4合5合と飲み、その他の食物も主として芋と大豆にしてみた。すると、だんだん便通がよくなり、腹痛も軽くなり、毎日の仕事に不自由がなくなった。
     が、念のため、手術後3年ほどたって検診をうけたところ、再発・転移の様子はなく、狭くなっていたフン合部も、弾力性がついて、便がうまく通過するようになっていた。

     * * * 

     こうした事例をあれこれとあげていくと、それは、はたして本当なのか、誤診であったのではないか、偶然のめぐりあわせではないか、と思う人があろう。あるいはそうかも知れない。
     だが、こうした事例は少なくないのだ。であれば、もしガンにかかった場合は、ためらわずに必要な治療をうけると共に、決して忘れず怠らず、みずからこうした食養につとめて、再発・転移を防止し、さらに、よりいっそうの健康をはかることが大切なのではあるまいか。
     そうつとめて、別に決して治療の効果や健康の向上を妨げるわけではないのだ。これは、ただガンに限ったことではなく、およそ治療が困難な病気、いな、すべての病気に共通したことである。

     * * * 

     だが、それには、誤解している食養知識や、もっぱら営利のみを目的としている企業の巧みな宣伝にふりまわされることなく、医師について人間本来の法則に忠実に従った、本当に正しい食養の知恵を学ばなければならない。と共に、習慣通り、好みのままに食べたいという、わがままな、執念深い自分に、みずからうちかたねばならない。
     そうして初めて、ガンをはじめ、およそ治療が困難な病気も、治るものなら必ず治って、あらためて健康を喜ぶことができ、また毎日の食物が、このうえなく、ありがたく、おいしくなるのだ。
    (おわり)



4. 脊柱の矯正

     医学博士 遠藤 仁郎 

     オステオパシイ、カイロプラクチク、スポンジロセラピー、ナチュロパシイ、ラジカルテクニク、などいろいろの流派がある。これらの流派に共通したところは、すべての病気の源が脊柱の異常にあり、これを矯正することで治すことができる、というにある。
     脊柱は、30数箇の椎骨がたてに重なって出来ており、その間のすき間の孔(椎間孔)から、神経、血管、リンパ管などが出入りしている。それらが正しい条件のもとにあれば、からだ中の機能は、すべて順調に行われ、健康でいられるが、何か少しでも異常が起こると、機能に変調が出て来る。
     脊柱の骨は、元来、四足獣のように、横にならび、梁(はり)として出来ていたのだが、人間は直立したため、たてに重なり合ってならぶ柱となった。そこに、まず無理が出来た。
     そして、職業や習慣上の不自然不合理な生活、年令による変化、あるいは外傷や疾病による異常などによって、椎骨の位置に狂い(亜脱臼)があらわれる。
     椎骨が亜脱臼を起こすと、椎間孔をせばめて神経、血管、リンパ管などを圧迫する。
     神経の組織は、構造がきわめて繊細であり、機能はきわめて精徴なので、僅かの圧迫でも、その機能がおかされる。
     ところで、諸臓器の正しい機能は、それを支配している神経のはたらきの正常であることが前提だから、こうした椎骨の異常による神経の変調は、必然的に支配下の臓器の機能に影響する。
     また逆に、ある臓器に病変があれば、直ちに、一定の椎骨に変化(亜脱臼)をおこす。
     こうして、「疾病あるところ亜脱臼なきことなく、亜脱臼あるところ疾病なきことなし」(もちろん、すべての疾患が脊柱の異常に原理するとはいわないが、大多数、90〜95%の原因はここにある)というのが、これらの流派の根本原理になっている。
     そして、亜脱臼には、後弯、前弯、側弯、前転、後転、左右転、下転、前下転、後下転、左右下転などがあり、その症候としては、

      椎骨列が不整になる
       筋・靱(じん)帯が収縮し、肥厚する
       運動が制限される
       疼痛があり、圧えて痛む
       などのことがある。そこで、これらの異常を矯正し、神経、したがって諸臓器の機能を整復すれば、病気も治る。しかも、その矯正は次のような手技で容易にやれる。すなわち、
      1、  睡眠中の筋・靱帯の弛緩。自然に生ずるほどの軽度のものは、これで矯正される。
      2、  脊骨を動かす運動
      3、  矯正手技
      (イ)  転位した椎骨に手をあて、その転位の状により、一定の方向に、適当の衝撃(圧迫、震動など)をあたえる。
      (ロ)  緊張した筋や靱帯に衝撃をあたえて、これが緩和をはかる。灸、温罨法でもよい。
     というのである。
     確かに、何か外傷によって、急に生じた亜脱臼のばあいには、この矯正手技によって、まさに、奇績的ともいうべき効果をしめす。しかし、あらゆる病気が、あるいは多くの病気が、はたして、こういう脊柱の変化だけで生ずるとか、また、多くの病気で脊柱に変化を生ずるということ。
     つまり、脊柱の異常に、そうした病因的の意義があるかどうか。そしてまた、そうした矯正手技だけで、多くの病気を治すことができるかどうか。すこぶる疑なき能わず、ではある。

     もっとも、その症候、また、矯正手技の点からも明かであるように いわれているところの変化には、脊椎骨の転位そのものも、もちろん、あろうが、多くは、むしろ、骨膜や筋・靱帯の興奮異常であり、治療法そのものも、この興奮異常の緩和にあるように感じられる。灸や温罨法によっても同一の効果をあげるといわれている点など、殊に、それを暗示するもののようだ。

     さて、そうした筋・靱帯の収縮、つまり「コリ」をもみやわらげたり、灸や温罨法でときほごす処置は、いずれも無難なものだから、どんな場合に応用しても差支あるまいが、強い衝撃をあたえて脱臼を整復する、本来の矯正手技となると、よほど適応に慎重でなければならない。適応をあやまると、とんでもない事故のもとになりかねないからだ。現に、脊椎カリエスによる脊椎の変形を亜脱臼とまちがえて施術し、脆くなった骨をつぶしてしまい、下半身の麻痺をおこした、などという事例もある。むやみに素人治療をやってはならない。

     なお、無難なだけでなく、脊椎骨の病変の予防にも役立うというものは脊柱の運動だろう。頚や躯幹の、あらゆる方向への運動――前後への屈伸、左右へ傾けたり、回転する。また、それらを組み合わせた回旋運動など。健康な動物や子供の脊柱は、まことにしなやかだ。しかし、われわれの日常生活では、脊柱はとかく運動不足に陥りがちで、それを取り巻く筋や靱帯はかたくなり気味だ。

     また、相当の年配になると脊椎骨の病気も少なくない。年のせいもあろうが、日常生活における悪い習慣、姿勢の不自然なことや、脊柱の運動の不足のためでもあろう。アクロバットとは行かなくとも、バレーや体操選手のしなやかさをみてもわかるように、要は練習だ。
     脊柱の運動を励行することで、内臓病変に良効が期待できるかどうかはともかくとしても、脊柱の病変の予防、あるいは早期発見には、少なくとも役立つだろう。
     この脊柱の矯正法は、すでに3000年もまえ、エジプトでも行われ、ギリシア時代にも盛んだった。
     インジアン、ゲルマン、ボヘミア、スカンジナビアにもあり、また、武道の脊療法、背活方、灸法のいわゆる「毒背につく」ということなどともにその規を一にするものと思われる。



5. 肉食の歴史

     わが国、上代には肉食はさかんだった。
     いわゆる山の幸、海の幸、山(山野)に住むものは毛の柔(和(にこ))物、毛の荒(あら)物、青海原に住むものは鰭(はた)の広(ひろ)物、鰭の狭(せ)物。
     なかでも、採取の容易な魚介類が主であったことはいうまでもなかろう。
     神饌に魚介が多いこと、倭人伝に、

      「倭の水人、好んで沈没して魚蛤を補う」とか、

     う飼の行われていたこと、などでも明かだ。
     牛馬については、倭人伝に、

      「その地牛馬なし」とはあるが、

     農耕用には飼育されていたらしいし、昔、大国主神田を営むの日、牛を以て田人に食わしむ(古語拾遺)、弟猾大(おとうかし)いに牛酒を設け、以って皇師を労饗す(日本書記 神武天皇記)とあるから、時には、牛も食ったとみえる。
     また、豚も食った。猪飼部(いかいべ)があって飼養された。
     猪飼野などの地名があるのはその名残。
     鶏も飼われ(鳥養部(とりかいべ))卵を食べたらしい。
     牛乳、乳製品、奈良朝時代からもちいられ、主に薬用に供せられた(乳戸)。
     内臓、介類はもとより、蟹の(ひしほ)、鹿の肝のなます、鹿の蒭のみしほ(肉醤)を食べた。
     万葉16乞食の詠(うた)二首のはじめの一首は鹿を詠ったもので、

       吾が肉(しし)は御鱠栄(なますはや)し、吾が肝も御鱠栄し、吾がみぎはみしほの栄し・・・

     ・・・とある。
     みしほのしほは(ししひしほ)、肉醤とも書く。今の塩辛。
     みぎは味気、後に爾気といふ。鹿が蒭をかみ出し、また、かむの義(趣味の飲食物史料)で、胃袋の中で半ば消化された内容のこと。それを食ったわけだ。
     仏教渡来後、たびたび禁令が出た。天武帝4年、牛馬犬猿鶏の肉を食うことを禁じ、聖武帝天平13年、牛馬の屠殺を禁ずるなど。平安時代には、牛馬の肉は、一般には食べなかったらしい(池田、平安朝の生活と文学)。
     鎌倉時代には闇市が出たというし、戦国時代にはさかんに食った。
     梅井氏の「時代と風俗」によれば、

      「鎌倉時代における武人は、比較的多く野獣を嗜好せし証あれども、室町幕府は京洛の地にありしより、自ら、公家階級分化の影響をうけ、武士的嗜好――食品のみに限らず――の変化を生じ、従って獣肉も回避せられ、最小限度の需用を見るに留りしならむ、魚鳥類といへども、貴人は一定種類を限り食用に供せしのみ。」

     というから、一般庶民はあまり食べなかったのであろう。
     ザビエルが来朝したのは室町末期だが、当時の日本人は家畜は食べていない。
     鶏は、雄雌一番(つがい)しか飼ってはならなかったし、これを食うこともポルトガル人から習った(ハース、日本に於けるキリスト者の歴史)。
     魚も時折食べるという程度だった。
     江戸時代には、寛政3年の「食穢」にみるように、羊、狼、狸、雉は5日、豚、犬、鹿、猪は70日、牛馬は150日の身の穢れ、とされたほど獣肉を忌んだ。その肉を食ったものは、神詣りや貴人のまえに近づくことは許されず、家では、器や火も別にするほどで、僅かに「薬喰(くすりくい)」と称して薬用に食するだけだった。
     このように、肉食が汚穢視される思想が一般化してからも、魚や鳥は食べ、兎も公然賞味された(兎は鳥のうちに数えられたわけで、今でも、兎を一羽二羽というのはその名残)。
     牛肉がまた食べ出されたのは元禄のころ、江戸彦根で屠肉を味噌漬とし、江戸藩邸で公然売下げ、対馬邸でも同じく牛肉を売り出して以来のこと。大石から堀部弥兵衛に出した書翰に、可然方(しかるべき)より肉を到来にまかせて進上致し候。
     彦根の彦黄牛の味噌漬、養老品故其(ゆえそこ)許には重宝かと存じ候。
     伜主税(ちから)などにまゐらせ候と、かへってあしかるべし。
     大笑々々。天保以来、肉食の風ようやくさかんとなり、西洋文明の輸入とともに一般化し、終戦後さらにその度を加え、今日にいたった。



6. 蟹醤(かにひしほ)

     万葉に、

      「足引の、この片山の、もむ楡(にれ)、五百枝(いおえ)はぎ、天(あま)照るや、日のけにほし、さひづるや、かう碓(うす)に舂(つ)き、庭に立つ、碓子(からうす)に舂き、おしてるや、難波(なには)の小(さ)江の、始垂(はつたれ)を、辛く垂れきて、陶(すえ)人の、つくれるかめを、今日ゆきて、あすとりもち来、吾めらに、塩ぬりたべと、まをしはやさも、まをしはやさも。」

     とある。
     (大意 楡の皮を切り、干して臼に搗き、その中に我(蟹)を搗きまぜ、難波江のよき塩を入れて肉醤となし、土焼のかめに入れ給え。猶、吾が妻子らも同じく肉醤となし給え、と奏聞あれ、奏聞あれ。)



7. 踏み療治

     毎年、夏になると、母は足がだるくて、ほてる、といって、うつ伏せになり、子供たちに、足の裏を踏ませていた。
     千金方に、

      「人、有事無事を問ふ無く、
       恒(つね)に、須(すべから)く、
       日別一度、人をして、
       背および四肢、頚、項(うなじ)を踏ましむ。」

     とあるのが、それだろう。
     つまり、事あるなしにかかわらず、1日1回、背中や手足、頚などを踏ませろ。
     というのだ。足力(そくりき)といって、手と足とともに使う按摩もあるそうだが、大の男の強い足で踏まれては、とても、たまるまいから、おそらくは、子供や女の子に踏ませたのだろう。
     プルターク英雄伝には、(あしのおやゆび)に病気を治す霊力のある王が、ギリシアにあったと記されているが、そういう人に踏んでもらえば、なおききめがあろう。



8. レジャー農園

     これからはレジャーの時代。もて余す余暇がしだいに多くなる。
     人混みの中に出かけても疲れるだけ、子どもたちのためには特によくない。
     むしろ郊外に農地をもとめて、家族ぐるみで出かけることだ。
     過疎現象の甚しい農山村では、米の生産調整も手伝って、遊休耕地がいくらでもある。
     レジャーには家庭農園。家庭農園こそ本当に健康的なレジャー、というものだ。



9. カロチンイモ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     健康になり、それを維持するには、すべての食品が安全であり、すべての栄養素がうまく釣り合っていなければならぬ。そのためには、主食の米は、イモやマメに、蛋白食の肉類は、小魚や大豆にかえ、十分の良質ナッパをそえること。すなわち、イモ・マメ・ナッパといった食が適当であることは、私どもの、かねて強調しているところだ。
     なぜかというと、イモや豆、小魚や大豆が、白米や切身の肉類にくらべ、完全食になりやすく、また比較的安全な食品でもあるからだ。

     さて、イモは、サツマイモ、ジャガイモ、サトイモ、ヤマノイモと、およそイモと名がつけば、どれでもよいわけだが、わけてよいのはカロチンイモ。
     カロチンイモは、サツマイモの一種で、ふつうのとちがうところは、カロチン(これからビタミンAができる)にとんでおり、黄色〜黄褐色をしていることだけ。(カロチン量は品種によってかなりのひらきがあり、1000〜4000、Aとして330〜1330国際単位。)で、もっとも少ない場合を考えても、その100グラムにたいし、大根葉250グラムをそえるだけで、もう殆んど完全食になる。

     ところで、わが国一般の栄養実態からみて、ビタミンAは、まだ、かなり不足している。
     それは、有力給源である有色菜の摂取不足によるものだが、これは、主食をカロチンイモにすることで、簡単に解決する。
     つまり、野菜の摂り方のもともと不足しているわが国の栄養改善にとって、野菜が少なくて完全食になるカロチンイモ(白米には3倍量、サツマイモには半量のナッパが必要だが、カロチンイモでは、さらにその半分の僅か四半量ですむ)のもつ意義は大変に大きいわけだ。

     昨年訪ねた中国農試(福山市)の楠原農林技官は、

       「戦後やって来たアメリカの学者が、日本に近眼が多いのはカロチンイモを食べないからだ。」

     と話していられたが、もっとこれが利用されるならば、おそらく日本人の体質は、ずっとよくなるにちがいあるまい。
     ところが、残念なことになかなか手に入らない。渡辺忠夫氏(日南市サボテン公園技師長)によると、今までにわが国に導入されたり、育種されたカロチンイモは、次のように多数にのぼっている。
     アイノコ、赤元気、米国赤、中支七号、隼人藷、飯郷、石川実生、カロチン源氏、カロチン沖縄一〇〇号、膠県紅、麻機、人参、大屋山、ポルトリコ、山陰一号、センテニアル、ゴールトラッシュ、リニア、台農五七号、九州一二号、九州二七号、九州二八号、九州四六号、関東三五号、関東七八号、農林六号、紫野三号。

     しかし、当局の目標が、澱粉生産用の白肉甘藷の育成にあったので、カロチンイモの方は、いつしか忘れられてしまい、今では、指宿(いぶすき)付近に僅かに栽培されているのにとどまり(先年泊った指宿のホテルでお茶うけにカロチンイモが出たし、長崎鼻の焼芋もカロチンイモだった)、一般には、殆んど見当らなくなってしまった。
     いや、それどころか、農政関係方面では、南九州農業の、甘藷からの脱却さえも考えられているほどだ、という。甘藷が、農家の貧困の原因ないし象徴のように考えられ、折角の栄養食品が抹殺されようとしているのは、まことに惜しいことといわねばなるまい。

     一昨年渡台された長崎県の島田昇氏によれば、台湾では国策としてカロチンイモの増産に力を入れているということだが、わが国の現状と思いあわせ台湾当局の見識にたいし、心からの敬意を表したい。
     私は一昨年上記渡辺氏から紫野三号(鹿児島県紫野に育種場があった当時の交配撰別種で、大正か昭和初期頃の育成種の由)の苗、昨年は渡辺氏の紹介で、中国農試や熊本農試からセンチニアルその他の種芋をいただき、試作してみた。
     収穫量に大差はないし、味も、やや大味の感がなくもないが、結構おいしい。
     渡辺氏は、カロチンイモ衰微をなげかれて、指宿農試(現在わが国唯一の甘藷育種場。温泉熱を利用して周年栽培し、開花交配による新品種の育成をやっている)に、より美味で、より栄養にとんだ品種の育成を依頼されているそうだ。
     なんとか、これが日本国中に、あるいは、せめて青汁仲間だけにでも普及することを念じてやまない。
    熱量蛋白質脂肪 糖質カルシウムB1B2
    カロチンイモ 100g 1201.30.2 27.724400.7330〜13301504030
    大根葉 25g 12.251.30.175 1.77547.57.50.35750257522.5
    132.252.60.375 29.47571.547.51.051080〜208017511552.5
    カロリーグラムグラム グラムミリグラムミリグラムミリグラム国際単位ガンマガンマミリグラム



10. 青汁教室の食養断想(1)健全な子どもを生むには

     友成 左近 

    異常児の出生増加は人間尊貴上極めて重大
     心身ともに健全な子どもは、自分の子であれ他人の子であれ、だれしもひとしく、なにごとにもまして念願している。
     が、それにはいうまでもなく、まず最初に、肢体健全な子ども・心身ともに健全に育つ素地を備えた子どもを生むことが肝要である。
     だが最近、流・死産もさることながら、異常出産児・未熟児・奇形児の出生がだんだん増加している。
     それだけではなく、生まれたときは外見一応健全ではあるが、成長するにつれて、先天的・生得的と思われる潜在的な異常があらわれて、心身に障害のある異常児になる場合も増加している。
     人間尊貴が最高命題であるのに、生まれたときから顕在的にか潜在的にか、心身に異常・障害という負荷をもった子どもの出生が増加していることは極めて重大な問題である。

     * 

     ところで、異常出産や異常児の出生、わけてもこれが最近だんだん増加していることには、それ相応の原因があるわけであり、原因によっては予防できるはずである。
     だがこれは、なにぶんとも神秘な生命にかかわることであり、また科学的な調査研究には種々困難な問題を伴なうため、まだなにほども究明されていないのが実状である。
     だからといって、根も葉もない言い伝えや迷信に盲従して、いたずらに取り越し苦労をしたり、また、どうにもならないことと、なりゆきにまかせていては、ことは打開されない。
     不十分ながらも科学的に、そのおそれがあるといわれていることでも手がかりにして、人類が長い間つみ重ねている知恵に学んで、そこは賢明に推察して予防に最善をつくすことが肝要である。

     * 

     と共に、もし異常児が生まれた場合には、できるだけ早期に発見して、その治療と福祉に最善をつくさねばならず、それには広く社会的政治的に行き届いた配慮が必要である。
     ところが実状、異常児の問題心理については、個人的にも社会的・政治的にも、その出生予防よりも治療や福祉の方にウェイトがおかれているきらいがある。
     だがこれは、同時に同等に、最善をつくして対処しなければならないことがらであり、筋道としては、まずもって予防に、そしてそのうえで治療や福祉に、というのでなければならぬ。

     * 

    遺伝による異常児は近親結婚をさけて
     人間しょせん生きものである以上、どんな子どもが生まれるか、ということは一面、生物学的な遺伝の法則に支配されている。

     * 

     子どもとして生まれる新しい生命は、母親になる女性の卵子が、父親になる男性の精子を受精したときに始まる。
     そして、この卵子も精子も、それそれ一個の細胞ではあるが、その内部にある染色体は、ふつうの細胞の半数、23個であり、この染色体が、それそれ数万個といわれる遺伝子を内包しているのであって、この卵子と精子それそれの遺伝子によって、どんな遺伝的素質をもった子どもが生まれるかが決定するのだ。
     そこで先天的異常児が生まれるのは、まず第一に、この卵子か精子あるいは双方の遺伝子に祖先から代々うけついでいる異常がある場合であって、ふつう遺伝による先天的異常というのは、こういう場合である。

     * 

     だが、今日の人類が生まれるまでの遠い昔の進化の歴史はさておき、人類の長い歴史の間に、生活環境にうまく適応できないような異常児は適者生存の法則のもとに、多くの場合、流・死産し、たとえ生まれても自然に淘汰されて、今日では、異常児を生むような遺伝的素質をもった成人は極めて少なくなっている。
     とはいってもまだ、血友病や色盲その他の遺伝病をもっている人や、手足その他心身に遺伝のよる奇形・異常をもっている人が、全くなくなっているわけではない。
     また、顕在的には別に異常はないが、生まれてくる子どもに出てくるような異常を潜在的にもっている人も、同様である。

     * 

     そこで肝要なことは、近親結婚をさけることだ。近親者は、良し悪しにつけ、ほぼ同じような遺伝的素質をもっているので、双方の悪い方の遺伝子が重なって、異常児が生まれるおそれがあるからだ。
     であれば、自分自身に、あるいは近親者に、なんらかの遺伝的な異常がある場合は、容易にたどることのできる範囲の近親者とは結婚しないのが賢明である。

     * 

    異常児の出生には生活環境による場合が多い
     流、死産した胎児や、異常出産であれ正常出産であれ、生まれた子どもに、奇形その他の異常があるからといって、それがすべて、祖先からうけついだ、いわば不可抗的な遺伝的素質によるわけではない。
     そうした遺伝だけによるものと推定されるのは、流・死産児も含めて、せいぜい10−30%であり、その他は、多少とも遺伝的素質があるところに、それを助長するような生活環境が作用した場合や、もっぱらそうした生活環境の作用による場合である。

     * 

     ところで、この生活環境は、動物のように自然そのままのものではなく、いろいろな意味や程度で人手を加えた文明的自然である。そしてこの文明は、もともと適応していきやすいようにと人手を加えたものではあるが、人手といい人知といい必ずしも常に十全なものではない。
     ために、ときに結果的には、思わぬ副作用を伴なって、かえって適応していきにくい生活環境をつくりだしてしまうことがある。
     とくに最近は、科学=技術と、それによる産業=経済の急速な発展によって、この副産物もまた急速に増大している。

     * 

     人類は本性、その長い進化の歴史を経て、すべての動物のうちで、生活環境の変化に最もうまく適応していける生活的な素質を備えている。
     だが、最近の生活環境の変化・悪化は、この適応能力をはるかに上まわっている。
     このため最近、かつては極めて少なかった病気や、思いも及ばなかった病気が急速に増加・発生すると共に、遺伝とは考えられない異常児の流・死産や出生もまた増加しているのだ。
     そうとしか考えられないのであり、科学的にもだんだん究明されているのであって、そこから異常児の出生予防に手がかりがえられる。
    (つづく。この断想つづきは、遠藤先生が青汁教室であれこれと強調されていることを主題にそって整理したもの)


次回参照

11. BHCの発癌性

     BHCで野菜・食肉・牛乳・母乳などが汚染されていることは周知の通りだが、10月6日の第30回日本癌学会総会で発表された、奈良医大グループの研究によると、ラットに660PPMのBHCを24週間投与して全例に肝癌の発生をみたという。
     この量は、汚染として認められる量に比べれば、はるかに大量である。
     しかし、発癌物質による発癌は、その総量が問題で、たとえ1回の量は少なくても、それが長期にわたるときは、ついに発癌するにいたるといわれているから、BHCに発癌性が認められたということは、注目されねばなるまい。

    (日本医事新報46・11・27号 学会見聞記より)



12. 公害時代もこうやって行けば

     友成 左近 

     むかしから健康長寿の要訣として、「頭寒、足熱、腹八分」とおしえられているが、私ども青汁仲間では、「いつもにこにこ、セッセと動き、イモ・マメ・ナッパで息災長寿」といいかえている。
     イモ・マメ・ナッパとは、白米飯や白パンをイモ(ジャガイモ・サツマイモ・サトイモ・ヤマイモなど)に、切り身の肉や魚を大豆に、それに良質(ビタミンもミネラルも多い)ナッパを十分に、というもの。
     ねらいの一つは、完全食になりやすく、したがって少食(腹八分)ですむこと。
     食べものの多くは不完全で、それを完全食にするには、多いか少ないか良質ナッパ(すべての栄養等のそろった唯一の完全食品)をそえねばならぬ。
     そして、白米飯には3倍(重量で)、小麦粉には2倍、切り身の肉や魚にも2〜3倍が必要だが、イモ類や大豆には半量でよいから、穀肉食にくらべ、ずっと少ないナッパでよく、それだけ完全食になりやすい。(現行の一般習慣食では400−500グラムのナッパ〔青汁にして約2合〕が必要だが、イモ・マメ食にすれば、200〜250〔青汁約1合〕ですむ)も一つの利点は安全性。
     つまり、イモ・マメ類には、穀・肉類のように農・畜・水産用の薬剤や、貯蔵・加工用の添加物で汚染される危険がないか、少ないこと。
     この食改善になるナッパも、もちろん安全でなければならぬが、現在、安心して食べられるものが殆んどない、のは周知の通り。質的にも劣っている。
     それは、耕作地の耕耘が不十分である上に、化学肥料に偏りすぎているため、土壌の荒廃、地力の減衰し失調をまねいた結果、そこに育成される作物の質の低下をまぬかれず、また、農薬の助けなしには栽培しえない状態になってしまっているからだ。
     これが対策としては、耕地はなるべく深耕し、肥料には堆肥・緑肥を中心として、木灰・石灰・鶏糞・油粕・魚粉などの有機質肥料を十分に施し、化学肥料はなるべくさける。
     こうした、旧式の、いわば自然的農法によると、私どももやってみているが、土壌菌やミミズ、また天敵昆虫の協力がえられて、病虫害に強い健康な、そして質的にすぐれ味のよい野菜ができるから農薬の必要もなくなる

      (健康農法。なお、農産物はすべてこうあるべきだし、こういう良質安全作物を飼料とする健康畜産が願わしい)

     この安全良質ナッパをもりもり食べ、青汁にして飲み
      (少なくとも1〜2合。4〜6合ものむと、時に、神効といいたいほどの効果をみることがある)、

     イモ・マメを主体とした完全食をとり、
      (その他の食品もつとめて安全良質のものをえらぶようにし)、

     自然のおきてにすなおに従って行くならば、公害いっぱいのこの時代にも、かならずや、いつも笑顔で元気にはたらけるだろうし、そうしていれば、あるいは人並以上の長が生きができるのではなかろうか、というのが私ども青汁仲間のひそやかな願望であり、時流にさからうささやかな抵抗でもあるというわけ。
    (遠藤)



13. 新会員となるの記

    山形市 M.S. 

     心筋梗塞で入院して5ヶ月目になる。
     隣組で「青汁会員」という方が、親切にも青汁の効能書をリコピーして勧誘して下さったが、字がハッキリしなかったので放任しておいた処に、久しぶりにK氏が見舞に来た。

       「面会謝絶ときいたから今迄来なかったよ」
       「其の方が有難い病中だけでも、せめて、世と隔絶して、孤独を楽しみつつ、自己反省をしたいものだよ。ところであなたは、何をしているの?」
       「朝はかけ足。年はもう70才になったから、老後の社会奉仕に青汁の会の山形支部長をやっているよ。青汁の事を知っているかい?」
       「噂には聞いている。僕は健康管理事務を廿年間やったから、理論上青汁の効能は充分にうなづける。キャベツの化物の様なものを栽培してあるのを見た事もあるよ。然し、青汁ってとても飲みにくいんだってね。」
       「ソリャ、青汁は青臭いにきまっているが、その強弱は植物の種類や、配合法にあるよ。」

     K氏が置いて行った「健康と青汁」紙を読んでいたら、別に勧誘されたわけではないが、入会したくなった。
     飲み悪いもの、継続の根気を必要とするものは、会員組織によりでもして励ましあわねばならぬと思ったからだ。
     K氏と私の会話を聞いていた胃潰瘍の患者も入会したいと言う。「健康と青汁」紙は、狂信的な叙述がなく、植物の種類に拘泥せず、著書等の内容が無駄なく、そして極めて安価で、すべてが奉仕精神に溢れていて快いという。

     山形の今の季節は、青汁原料にするものが未だ成長していないから、乾燥粉末を注文すべく電話していたら、聞いていた他の病友が更に新たに入会を希望して来た。
     ここは病院内だから、勧誘してよいものならば、若者より年輩者が、初めての者よりかねて噂を知っている者が、そしてインテリ程容易に、遠藤青汁の会に魅せられる様な気がする。
     元気になった患者グループの、婆さん連が巷の青汁の話をしていた。
     話ぶりから推察するに、「健康と青汁」紙を容易に理解し得ぬ人々には、よい指導者がないと継続飲用が難かしいかも知れない。
     K氏に貰い、家内に蒔かせたケールの種子の芽生えと、成長が楽しみである。
    (46・5・2)


     退院して帰宅したら、K支部長から頂いたケールの種子はもう発芽していた。成長が待ち遠しい。

     山の麓にある家の周囲・・・
    ・・・畑と雖も数年来農薬は使っていない・・・

     ・・・は若緑の野草で満ち満ちている。ギシギシ・スカンポ(共にほうれん草同様、蓚酸を含んでいてあまりよくはないのでしょうね。お伺いします)・スギナ・オオバコ・ノカンゾウ・ヨモギ・クマザサの新芽・・・・・・等、牛馬兎の食べるものなら手当り次第に摘み、重さをはかり、ミキサーにかけて試飲した。
     飲み悪い事、乾燥粉末の比ではない。が、粉末と生汁を交互に飲みつつ、徐々に生汁に移行方を練習しようと思う。
     まさに難苦行だが、又、楽しみでもある。
    (5月16日)


     (ギシギシ、スカンポは感心しません。但し少量を混ぜるのは差支ありません。)



14. 回虫もわかぬ

    直方市 R.M. 

     青汁は3〜4ヶ年続けておりますが、とても効果が出はじめました。
     快食、快便はもとより、好きだった酒と脂濃き肉類がいやになりまして、人柄が大分優しくなりました。
     人々は生野菜からの回虫の心配をよくたずねられますが、何故か、いつ検査しても回虫はおらず、根絶やしになっています。
     これは、回虫の幼虫が、あの苦汁では育たぬので、絶滅すると考えます。
     妻も長男の嫁も、今では青汁党になっており、医者通いもぐんとすくなくなりました。


     ご高説の通り、青汁を飲んでいると回虫はわかなくなります。からだの方が強くなって、虫をうけつけないようになるといわれています。



15. 持病の神経痛

    愛知県 T.U. 

     冬中、細々と続けてまいりました青汁のおかげで、今年の陽気の変りめにも、持病の神経痛も出ず、よろこんでおります。



16. 慢性的頭痛もち

    北九州市 S.S. 

     目下育成中のケールの葉が採取出来るまでの代用として、キャベツの外葉を、毎日2合程飲用していますが、体調が非常によいことが感ぜられます。
     愚妻など、平素、慢性的な頭痛持ちでしたが、青汁を用いてからは、それが無くなり、その偉効におどろいた次第です。



17. 動脉硬化

     脳卒中や心筋梗塞の原因になる動脉硬化を防ぐには、まず、やせること。
     といって悪ければ、標準以上の体重にならぬよう注意すること。
     食の絶対量をへらすこと、つまり少食。精製した穀類(白米飯、白パンなど)をひかえ、脂肪にとんだ牛・豚肉・バターおよびその製品、糖分(菓子類と味つけの砂糖)、酒類をさけ(タバコも)、良質ナッパを中心とした野菜・海藻・果物を十分に食べ、青汁は少なくとも1日2〜3合(もっと多ければなおよい)のみ。
     精々まめにからだを動かすこと。



18. よろこびの毎日

    茨城県 S.T. 

     住み慣れない北国に移り住みましてから、すでに半年を過しました。
     気候と風土の異りと戦いながら、裏庭の丈なすヨモギを、草刈鎌と移植鏝とをたよりに、拓き耕しましてケールを育て、毎朝、青汁を飲用いたし、おかげ様にて、コレステロールも高まらず、よろこびの毎日をすごしております。



19. 湿疹

     小児の湿疹の食べものについては、明かに悪化さすようなものがあるかどうかに注意し、もしあれば、それを避けるということ以外には、これといって特に制限したり、禁止する必要はない、というのが一般的の見解のようだ。
     しかし私どもは、このばあいにも、多くの、あるいはすべての病気におけると同様、あやまった食餌が直接または間接に関係があると考え、緑葉食青汁を中心とした完全食をすすめている。



20. 質問箱 ムシ歯と青汁

    滋賀県 O. 


     ムシ歯と青汁との関係についてお示し下さい。


     ムシ歯は、現在、子供たちにもっとも多い病気の一つといってよいでしょう。
     その原因は、まだ的確にはわかっていませんが、栄養の誤り、つまり不完全栄養の結果、といってまず間違いはないようです。
     青汁は、その栄養の誤りをなおす一有力手段です。
     菓子をやめ、砂糖をへらし、ナッパを食べ、青汁をのむようになれば、おそらく子供たちのムシ歯はうんとへるでしょう。



 コラム紹介

    長生きするには、
    要するに、その個性に適した生活、
    多すぎず少なすぎず。

    ストラッツ



    老人の病気なる人なれば、
    養生の為に、少し酒を飲み、
    又は肉の類を、折々用ひてもくるしからず。
    (町人嚢)



    動物蛋白は人間にとって必須ではないにもかかわらず、
    人類の大多数は肉にたいして天性ともいうべき食欲をもっている。
    (Sapeika)



    事柄にしても、病気にしても、
    時によっては、薬でかえって悪化するのがある。
    どんな時に薬を用いたら危険であるか、
    それを知ることこそ、
    腕利きの腕利きたる所以である
    ラ・ロシュフコオ



    人生の言葉
    体験を積むほど自分の歩みに自信が持てる。
    (旅愁)



    真実の伝え

    東京都 青木五郎

    • 世の中の思想は急速に悪化してきました。今にして良識者が奮起して世直しをしないと悔を百年の後に残すことに成ります。
       最近で目立つことは、例えば、親子、兄弟、夫婦、親友、師弟等の様に、特に密接で相互に助け合いを必要とする関係者の中でも、互に意志の疎通を欠いで、円満に物事の運ばないで困って居る人が多く見受けられます。


    • これ等の原因の多くは、超スピード化した社会に生きて行く為めの時代思想の相違から来る事は申すまでも無い事ですが、人として生きて行く上の基本教育を怠った事に基因していることは見のがしては成りません。


    • 人は誰でも夫々の倖を求めて居るものであるから、人々は自分の希望する倖せを自由に確保出来る道のあることを、凡ての人々に教育することを怠っては成らない。
       凡そ、倖せとは、
        「豊かな心が倖せの根元であって、倖せとは心に余裕のある事」
       で、現代人の云う権利主張第一主義は倖せに遠ざかる道であり、何事も如何なる恩恵に浴しても皆当然であると主張する今の教育はこの辺で改めねば成らない時であると思います。
       人々の共通した最も大きい倖せを例に取れば。


    • 宗忠神の御教えの中に、
        「生きものは息するものと云ふことで、人間は勿論、鳥畜類に至る迄、天照る神の御神徳が二六時中(24時間)鼻と口より通ひ玉ふ故に生きて居らるる、何と有難く尊いことではござらぬか」
       と、又宗忠神は、
        「お前のおかげで、このとうり、足もいたまず、長い道、どうもごくろう、さまでした」
       と、古いわらじがやぶれると、いつもおがんでかえました。
       わらじばかりか、何もかも、おがんでこの世をおくります。
       倖せは心に余裕のあることでありますから、常に心掛けて、陰徳を積む事であります。


    • 即ち倖は感謝報恩の証であります。





    療治は病に臨みての事にして
    平生は養生の道忘るべからず
    三津梅園 養生訓








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