健康と青汁タイトル小  <1969年11月15日発行 第159号>
 目次




1. 漬物

     医学博士 遠藤 仁郎 

     香の物、香々は漬物の総吊で、今では沢庵漬のことになっているようですが、もともとは、味噌漬大根のことだったそうです。
     吊のいわれには、いろいろあり、

      1. むかし味噌のことを「香《といったのて(勾いがたいから)、香の物。
      2. むかし聞香といって香をたいて、それを、かぎわける遊戯があったが、その際、嗅覚の疲れをいやすために、これを食べたので香のもの。
      3. あるいは、食後に食べて、口中の臭気を消したので香のもの、

     といった。
     そこで、香の物は食事の途中には手をつけず、最後に茶をのむときに食うのが古来のしきたりなんだそうです。
     しかし、一般庶民、ことに農家では、日常食に漬物の占める位置は相当に大きくて、副食の殆んどを、これに依存するという場合が少くありませんでした。
     ところで漬物は、本来、食物の貯蔵の目的に出たものであり、塩分がつよい(うす塩もので2〜3%、ふつうは5〜6%、甚しくは9〜10%)。
     ために、少量の漬物で主食をうんと食うという、甚しい偏食のもとになるし、漬物を大量に摂ろうとすれば、たとえそれが良質菜っ葉であって、栄養のバランスは幾分よくなるとしても、甚しい食塩の食べすぎになります。
     いずれにしても、栄養上香ばしからぬ結果をまねくわけで、このことは従来からも喧しくいわれていました。
     けれども今日では、さらに別の、ゆるがせに出来ぬ問題が加わって来ています。
     というのは、元来、農家の自家製品であり、しかも安全良質であった漬物が、今では、殆んど食品業者の手にうつり、色素、人工甘味、防腐剤など、有害あるいは有毒であるかも知れない各種添加物が混入されているからです(農薬汚染があってならないことも勿論)。

    沢庵
     漬物の代表ともいうべきものは沢庵でしょうが、市販品のあのあくどい色と味はどうです。
     むかしの農家でつくっていた本漬け糠漬けは、本当に、何ともいえずおいしかった。
     高校時代(もう50年もまえだが)、別府で療養していた友人を見舞ったあと大分から、3日がかりで外輪山をこえて阿蘇谷へ下ったことがあります。
     その途中の田舎宿(何という所だったか思い出せない)で、お茶うけに出された沢庵。
     色といい、香りといい、味といい、実にすばらしかった。
     今ではもう、ああした純粋な漬物の味は、おそらくないのではないでしょうか。
     漬物の出来栄えを主婦の誇としていた農家でさえ、色をつけ、人工甘味を入れています。
     まして、一般市販の沢庵と来ては、全くもってお話しになりません。
     その上、糠は糠で、もとは、米の糠で、失われた成分をいくらか補う意味もあるといわれたものですが、今は農薬の水銀や砒素が気にもなるという始末です。

    粕漬
     奈良漬のあの美しい色。
     あれは、少くとも3〜5年はかからねば出ぬものです。
     それが、なんと、瓜や茄子の時節が来ると、いちはやく立派に色づけされて店頭に姿をあらわします。
     それに、我慢のならぬある甘さ。

    味噌漬
     香のものの元祖だという味噌漬また同じ。三年味噌、五年味噌、十年味噌と、むかしはながくねかした味噌ほど珍重され、それに漬けたのですから、色あいも、香りも、味も実にすばらしい、正に無類のものでした。
     今では、味噌そのものが速成品になってしまったので、こうした本物の味噌漬が、そうざらにあろう筈がないのに、どこの店にも、まこといい色をした(色づけした)のが並べられています。
     もちろん、特有のあの香りもなければ、味はひどく甘ったるいものになってしまっています。

    福神漬
     大根、蓮根、牛蒡などの醤油漬ですが、これまた、純粋のものでは、あの色が出るまでには相当の時日がかかるもの。
     ふつうの市販品の殆んどは、色づけし、人工甘味で味つけしたものばかりです。
     ですから、一般に漬物は香の物の本義にかえって、食後の口なおしに少量を食べるのが精々のところで、副食物として大量にたべるものは、ごくうす塩のもの以外は問題だし、人工甘味の甘ったるいものでは、さらに、その口なおしが必要、といったぐあいです。
     ともかく、現在のところ一般市販品の中には、安心して食べられるものは、まず無いので、むかしながらの純粋の、しかも美味しい漬物を食べるには、少々手数でも自分でつくるほかありません。
     その際気をつけねばならぬことは、

      1. 材料が安全でなければならぬこと。
        つまり、下肥や農薬で汚染されてない清浄、無毒性のものでなければならぬこと。
      2. 良質でなければならぬこと。
        つまり、食後の香の物の意味であれば、野菜果物のどれでもよいわけですが、栄養の補給が目的の副食にするのであれば、なるべくミネラル・ビタミンにとむ良質菜の葉、あるいは海藻でなければならず、また、なるべくうす塩漬けでなければなりません。

     この意味では、飛騨の酸菜漬という塩なしの漬物(大根の葉を温い湯に浸して、塩なしで桶に入れ、重石をのせておく)は、もっとも合理的なものといってよいでしょう。



2. (青汁教室)食養生についての断想(25)
主として時候の変わり目と病気について
前回参照

     人々だれでも、春秋その他の時候の変わり目には、多少とも体に変調を感じるものであるが、この頃は、これを強く感じ、あれこれと病気にかかる人が少なくないようである。
     なかには、その度毎に、必ずといってよいくらい、しっしん・ぜんそく・結膜炎その他の持病が出て、医者通いまでする人がある。

     * 


     生きた体というものは、それをつくりあげている各種各様の物質が、栄養として化学変化・新陳代謝を営んで、その健康を保っているのであるが、この場合、いろいろ必要な条件があり、そのうち、体温が一定していることが重要である。
     ところが、生活環境の温度、とりわけ気温はたえず変化しているので、生きた体、わけても皮膚は、たえずこれに抵抗して体温を一定に保って、順応していかねばならないのだ。
     けれども、それには、なれということがあって、とくに春秋のような時候の変わり目には、なれるまで、それ相当に日にちがかかるので、だれでも、どうしても多少は体に変調が起こるわけである。

     * 


     生きた体、わけても皮膚が環境の温度の変化にうまく順応するかどうか、ということは、ひとつには、平素からきたえてあるかどうかに深い関係がある。
     いまひとつには、それには生きた体をつくりあげている各種各様の物質・栄養が必要なのであって、この栄養が体内に必要なだけ十分あるかどうかに深い関係があるのだ。

     * 


     この頃は、冬夏の暖冷房設備や被朊その他が発達して、しぜん平素から、体・皮膚が寒さ暑さにあまりきたえられないようになっている。
     それに、スポーツを見て、それも、テレビで見て楽しむ人は多いが、みずから汗を流して楽しむ人、ましてや、毎日つとめて薄着をし、また体操・乾布マサツ・冷水マサツその他で積極的に体・皮膚をきたえている人は少なくなっている。
     ある民俗学者の説によると、日本人がかぜをひきやすくなったのは、木綿の着物をきるようになってからだそうである。
     なるほど木綿は、それ以前にきていた麻などに比べて、はるかに保温に好都合であり、それだけ平素、体・皮膚がきたえられなくなったわけだ。

     * 


     この頃は、生活水準が向上し、わけても食事の内容が著しく豊富になって、栄養が目立って向上してきた、といわれている。
     だがそれは、熱量・蛋白質わけても動物性蛋白質・脂肪といった一部の栄養の増加であって、そうした栄養が、栄養として役立つために、化学変化・代謝をするとき、なくてはならないカルシウムその他のミネラルと各種のビタミンは、それにつりあって、別に少しも増加せず、むしろ逆に減少しているのであって、極めて上調和・上完全な栄養となっているのだ。
     それというのは、熱量や蛋白質や脂肪の多い米・麦・砂糖・肉・魚・油といったもの、その加工食品は沢山食べるようになったが、カルシウムとビタミンが最高に多い緑色の濃い青野菜、それも、その生ものは、なにほども食べなくなったからである。
     なるほど、ビタミンやカルシウムの給源である野菜果物はあれこれと豊かに出まわり、わけても、促成・抑制栽培をした野菜や加工した果物まで、季節にはおかまいないしに出まわっているが、いずれも栄養の至って貧弱なものばかりであり、青野菜に比べたら、材木に比べたツマようじのようなものだ。

     * 


     青野菜、わけてもカルシウムとビタミンの最も豊富な緑食の濃い青野菜は、ホウレンソウ(こうした青野菜のうちでは最低である)を除いては、人々が好んで食べないためか、いっこうに積極的に栽培されず、年々、種類も数量も少なくなっている。
     ために、とくに1〜3月と7〜9月には、なにほども出まわってこずしぜん人々もいっこうに食べないわけである。
     であれば、とくに春秋の時候の変わり目に体の変調を強く感じ、あれこれと病気にかかり、持病の出る人が多くなったのは、いわば当然の成り行きである。

     * 

     春秋の変わり目に、しっしんその他の持病の出る人は、ほとんど例外なく、青野菜が大嫌いであり、そうでなければ、へいそ事実なにほども食べず、わけても1〜3月と7〜9月の頃には、ほとんど全く食べていない人である。
     その上、年末年始以来、モチ・菓子・酒・肉・魚などを平素より沢山食べている場合が多く、また、7〜8月の暑い頃は、食がすすまないままに、好み、それも栄養上著しく偏った好みにまかせて、あっさりしたものばかり食べている場合が多いのだ。
     時候の変わり目に持病が出る人は、私はアレルギー体質で、といって、なにかあきらめている場合が多い。
     確かにそうであって、時候の変化その他特定の物質に強く感じ易く、うまく抵抗し順応していけない、だらしのない体質となっているのだ。
     だがそれは、別に決して、どうにも変えることのできない性質のものではない。平素から栄養が著しく上調和上完全であり、その上、体をいっこうにきたえていないからなのであって、そこを改めたら、それ相当に日にちはかかるが、必ず体質は変わってくる。
     それには、まずもって青汁を、毎日2合3合と飲み、とくに1〜3月、7〜9月には、もっと沢山飲むことが肝要である。
     そして、菓子・砂糖・米や肉・魚を極力へらして、芋・雑穀や大豆にかえ、また人工の甘味料・着色料・防腐剤その他の添加物のはいった既製の加工食品を極力食べないことが、また同様に重要である。こうすれば、長年の間、私はアレルギー体質でと、なかばあきらめていた人でも、すっかり体質が変わって、時候の変わり目でも別に、持病は出なくなる。

     * 


     この子は親ゆずりのアレルギー体質で、といって、時候の変わり目には、必ずといってよいくらい、医者通いのお伴をしている親がある。
     この子はこれこれのものが体にあわず、それを食べたら必ず病気になる、これも親ゆずりと、なかばあきらめて、あれこれと食べ物を制限している親がある。
     じょうだんじゃない。自分のあやまった食習慣で子供を育てた結果なのだ。
     早くみずから反省して、まずもって自分の食習慣を改め、それを見習わせて、子供に食習慣を改めさせないと、ちょっとやそっとでは改善できないアレルギー体質になってしまう。
     その上、万事みずから改めていこうとする積極的な心がまえと知恵の芽をつみとって、なんともいくじのない人柄になってしまう。


次回参照

3. 私の斗病歴

    北条市 Y,K, 

     私は現在、57才で、農業を営みながら、心身ともにしこく健康に生活していますが、青年期から中年期までは、いろいろと厄介な病気にかかって斗病し、ようやくこうした生活ができるようになった次第です。

    19才のとき慢性胃腸病
     少年期すぎまでは至って壮健で、小学校も8ヶ年間皆勤でした。が、この壮健にまかせて上節制もし偏食もしたためか、19才のとき胃腸病を患い、これが慢性化して、治るまで医療3年を要しました。
     それから25才のとき、痔を患って、50日間入院して治療をうけました。

    27才のとき神経衰弱
     ところがこの間、精神的に過労したためか、27才のとき強度の神経衰弱にかかりました。
     そして専門医の治療をうけると共に、医療だけにたよらず精神修養にもつとめよとの指示に従って、当地の禅寺大通寺の越智先生に師事して、毎日、供養看経・坐禅行に勤めました。
     すると、だんだん安心の境地が養なわれ、医療とあいまって、2年後には完全に治りました。
     と共に、この間に、なにか強い精神力といったものも体得しました。

    41才のとき十二指腸潰瘊その他
     ところが41才のとき、極度に食欲が減退し、体も衰弱して、ついに病床に倒れてしまいました。
     もともとそう丈夫でなかったのに、精神力にたよりすぎて働きすぎたためでしょうか。
     主な病気は十二指腸潰瘊で出血が始まったわけですが、これ以外に、ひどい胃下垂・肝臓悪化・腎臓悪化・腸癒着などがあって痛みがはげしく、腹膜炎まで併発したのです。
     もちろん入院して治療をうけようとしたのですが、もう施す処置なく死の宣告をうけて、家で斗病することになりました。
     そしてこのとき、あらためて精神修養につとめると共に、青汁と酵素の活用を始めた次第です。
     それはちょうどそのころ前記大通寺に来られた布教師河村先生が、青汁と酵素の活用で胃潰瘊を治した体験や、肺結核そのたの治癒例を話されたので前記越智先生が来宅説明して下さったからです。
     そこで早速、河村先生に紹介して頂いて、兵庫県の光琳寺住職本窪田先生(現在故人)のご指導をうけて、熱心にこの療法につとめました。
     はじめは少量より始めましたが、別に吐きもせず、上思議とおさまりますので、しだいに増量して、やがて毎日6合の青汁を飲むようになりました。
     ために病気は、うす紙をはぐように快方にむかい、まず最初に腹膜炎が治り、十二指腸の出血も止まり、腎臓もよくなって、残るは肝臓と胃下垂と腸癒着だけとなりました。
     そして、自分で材料を採取して青汁を作るのが日課となり、また酵素も原菌を送ってもらって自分で培養するようになり、まだ独立していない子供のために、親の責任をはたさねばと、さらに必死に養生につとめました。
     もちろん医療もつづけてうけ、指圧その他の民間療法も併用しているうち、肝臓も治り、胃下垂も腸癒着も別に症状は起こらなくなり、よくなるまで前後6年間の斗病を要しました。

    現在、天地の恵みと人恩を感謝して農業に精進
     そして現在、無事農業が営めるようになり、夫婦で果樹園と水田八反余を耕作しています。
     そして、子供もみな成長して、まだ岡山大学に勉学している一人を除いて、他の3人は会社員、小学校、幼稚園の先生となって独立しています。
     そして、こうした斗病で新たに深く体験したことは、天地自然の恵みと人恩の有り難さであり、あらためて深く感謝しています。
     また斗病には、病人自身の精神力とくに家族に対する責任の自覚と家族の愛情と、そして現代医学の活用とそれに必要な完全栄養と完全休養の実践が重要であり、そうすれば相当の難病も治るということです。
     なお、これまで私は青汁材料として、地の利と職業の便に恵まれているわけですが、キャベツの外側青葉、ニンジン葉、シソ葉、ダイコンやカブの葉、サツマイモの葉、それから柿や桑の葉、ハコベ、オオバコ、タンポポ、ヨモギ、フキなどを、季節によってあれこれと活用してきました。
     ところで去る5月、越智先生にすすめられて倉敷に出かけ、遠藤青汁の会総会に出席して、遠藤先生をはじめ全国各地から集まった青汁食養家から貴重な体験をききました。
     そして、健康に食養生がいかに大切であるかということを新たに深く感銘すると共に、青汁材料の活用法やその他広く食養生の具体的な方法も新たに学び、これからの食養生に大いに参考となりました。



4. 下痢

     ながくつづく下痢には十分の栄養。
     よくバランスのとれた食べものが必要。
     そして生バタをそえた青汁が、しばしば奇効を奏する。



5. ケールの青汁

    洋画家 R.S. 

     ケールはキャベツのような野菜である。
     日本各地のことは知らないが、東京では主婦の友農場に栽培しているだけである。
     そのケールをジューサーにかけてしぼった青汁を、何年も前から私は毎日のんでいる。
     これはたしかに健康保持に効能がある。
     高血圧と痛風に悩まされていた私が元気でいられるのは、ケール青汁のおかげらしい。
     ケール青汁を提唱されたのは、倉敷市の遠藤仁郎博士である。
     私は遠藤博士と面識はない。
     パリ時代からの友人であるフランス文学者の小松清君を通じて、ケール青汁療法を知ったのである。
     小松君は無理に無理を重ねたため、昭和37年にバンコクで若死にしているが、その以前に故郷の神戸でケールの青汁を教えられたそうである。
     彼が頼まれて講演をしていると、聞きに来られた一婦人が、小松君はどうも病身のように見えるというので、このケール青汁をのんでみなさいと言って、毎日とどけてくれた。
     のんでいると大変きくようである。それで小松君はケール青汁療法をパンフレットに仕立てて、東南アジアへ旅立っていった。
     そのパンフレットがブリジストン美術館においてあったのを私は読んだ。
     パリ以来の相棒の書いたものではあり、またなんとなく効能があるように思えたので、倉敷の遠藤博士に自分の身体のことを書いて問い合わせた。
     そして返事をまって、今日まで毎日この青汁をのんで、大いに健康に役立たせているというわけである。
     けさもケールの青汁をのみながら、そんなことを思い出しつつ、亡友小松君のこともいろいろ思い出されてきた。
     書けば長い話になるので書き尽くすことはできないが、まず第一には私がパリにいたころは、日本人といえば「ジャポネ、きたねえ野郎だ《と言って、カフェーなんかでも相手にされなかったことである。
     日中戦争のころである。それから三十余年、日本人は大もてときくが・・・。

    (44・5・29・山陽)



6. ケールの葉を食べる

    神戸市 N.O. 

     83才の叔母、少しボケ気味です。
     見ていますと、お腹がすいたり、たいくつしたりした時、庭をあるきながら、始終ケールの葉をとって食べています。
     子供にかえって本能的に体が要求するものを口に入れる。
     ケールのジュースも勿論いただいていますが。
     それをみて、ハハア、83才になっても丈夫な人は、自然に体にいいものを要求するようになっているのだナ、と関心いたします。
     冬、小鳥が私の家の庭に来てケールを食べるのと同じです。
     やっぱり、ケールは上老長寿の得がたい食事でございます。



7. 多い夜間尿

    栃木県 H.U. 

     青汁をはじめた理由は、何年来の神経痛で悩んでおります時に「青汁の効用《を読ませていただき、とびつきました。
     現在、薄紙をはぐように快方に向っているように感じられます。
     が、それよりも、卓効のあったのは、歯ぐきから、磨くたびに出血がありましたのが、飲用して3日後にピタリととまりました。
     それから、頬の血色が非常によくなったことです。
     但し、就寝してからのお小水の回数の多いのにホトホト閉口しております。
     9時にやすみまして、翌朝7時に起床しますのに、その間4〜5回。
     やすんだような気がしません。
     自分では腎臓や心臓は悪いとは思われませんので、これも青汁の作用かしら、と上審にも思われますので。


     青汁のせいです。なるべく、朝のうちか午前中。
     あるいは午後の早いうちに飲んで下さい。



8. のまずにいられぬ

    福井市 T.M. 

     長いこと病弱にて、毎日ケールをのんでおりますが、大変からだによく、のまなくてはいられません。
     具合がとてもよろしい。



9. 質問箱:子供のゼンソク

    東京都 A. 


     子供のゼンソクで困っています。青汁がよいと聞きましたが?


     それだけで治ることもあります。ぜひ熱心にやってみて下さい。
     但し、たいていの喘息児は、甚しい偏食でことに菓子を好みます。
     この悪習をあらためねば、本当には治りません。



 コラム紹介

    人間は現在を貴び生かすことを知らないから、
    よりよい未来にこがれたり、
    過去に媚びを送ったりする。

    ゲーテ



    よく士たるものは、武(たけだけ)しからず、
    よく戦うものは怒らず、
    よく敵に勝つものは争はず、
    よく人を用ふるものは人の下となる。
    これを上争の徳といひ、
    これを人の力を用ふともいひ、
    これを天の極に配すともいふ。
     老子 



    青汁いろはがるた
             岡山市 中吉広
    (ヤ)病ひどけりゃ青汁5合
    (イ)一升五合飲む人もある
    (ユ)ユルス偏食ユルム体力
    (エ)「エイ《と一息青汁「ゴクリ《
    (ヨ)よろこぶ顔には感謝の瞳



    人生の言葉
     深山旅愁  
    歩くほうが安全である事を知らぬ人は気の毒だ








ご意見・ご要望はこちらへクリック
階層リンク 田辺食品 青汁 健康と青汁 上の階層へ
サービスリンク 更新記録 全体構成 商品紹介 注文方法

Copyright 2010 06 田辺食品株式会社