健康と青汁タイトル小 <1967年7月15日発行 第131号>
 目次




1. 食をへらす

     医学博士 遠藤 仁郎 

     食欲がよいということはたしかに健康のしるしといってよいでしょう。しかし病気によっては、たとえば、ふとりすぎとか、高血圧、動脉硬化、糖尿病などといった、いわゆる成人病の類では、食欲がよい、ご飯がよく食べられるということは、必ずしもよろこばしいことではありません。いや、むしろ、実はそれが=食欲がよいということが病気そのものだ、ともいえます。
     それは、これらの病気が、まちがった、ご馳走の食べすぎの病気だ、といっても差支えないからです。だから、食をへらすことは、この際、もっとも大切なことです。いや、成人病ばかりではありません。今では、多くの病気(あるいは殆んどすべての病気)の食養生のかなめといえば、その予防にたいしても、治療にたいしても、結局、いかにして食をへらすか、ということにあるといってもよいでしょう。

     では、なぜ食べすぎるのでしょうか。それは、ながい間の習慣(いつも腹一杯たべるくせがついている)からでもありましょう。しかし、また、平素の食が栄養的にかたよった不完全食のためだ、ともいえましょう。栄養が不完全であれば、栄養分の利用がよくありません。そこで、うんと食べなければからだがもたぬからです。つまり、大食するのは、からだからの自然の要求だ、というわけです。
     ですから、食をへらすためには、まず完全食にすることです。そうして栄養分の利用がよくなれば、食にたいする欲求は、おのずとへり、少食ですむ筈です。たとえば、蛋白質は体力維持のために無くてはならぬもので、ふつう、体重1キロあたり1.2〜1.5グラムは必要とされています。しかし、それは、現在のような食構成(ビタミンやミネラルの甚しく不足した食)の場合でのことであって、良質野菜を十分に添え、ビタミン・ミネラルを十分に補給すれば、ずっと少くてよく、キロ当り0.5グラムでも十分だ、といいます。
     熱量また同様。ふつう体重1キロ当り40カロリー必要となっていますが、これまた、ビタミンやミネラルの少い、利用率のよくない食でのことで、野菜が十分でビタミン・ミネラルが豊富だと、キロ当り30カロリー、あるいは、もっと少くてもよい、といいます。

     だから、良質緑葉を主とした野菜類をうんと大量に配し、しかも、なるべく多くを生食し、食全体のバランスをとるようにすれば(緑葉食)、蛋白質も、カロリーも、遥かに少くてすむ、つまり少食ですむわけです。さて、食事の量をへらすにあたって、もっとも困難を感ずるのは、飽食のくせのついたものには、たとえそれが、いかに栄養的に完全であっても、腹ごたえがなく、腹もちが悪くては、気持のよい満腹感がえられないことです。
     そこで、覚悟はもちろん大切ですが、減食になっていながら、しかも十分に満腹感のえられるような食べ方の工夫が必要になります。そのためには、かさの大きい食べ物をなるべく多くすること、腹ごたえのよいものをえらぶこと、そして、よくかむことです。

      主食
       この観点からすると、白米飯は、栄養的に劣っている上に、腹ごたえがなく、軽いものだけに、つい食べすぎます。玄米はよいが、今では農薬(水銀)が心配。せめて半搗米というところですが、これでは、食べすぎの傾向は白米飯と大差がありません。で、米飯は、いっそのことやめるか、精々へらすことです。
       パン、ウドン、麦飯は栄養的にも、また、あまり食べすぎにならぬ点でも、白米飯よりはよろしい。黒パンなど、全粒ものは、なお結構です。さらによいのは、腹ごたえ、腹もちのよい点、また栄養の点でも、ずっとすぐれているソバ・マメ。そして、イモはもっともよろしい。
       そこで、主食としては、せめて雑穀、マメ。出来れば、むしろイモでも、なるべく食べすぎないこと。、なお脂肪を加えると、腹ごたえも腹もちもずっとよくなるので、ゴマ、ダイズあるいは植物油などをつとめて利用すべきです。

      蛋白食
       肉類は脂肪もあり、腹ごたえ腹もちもよろしいが、栄養的には劣っています。しかも、陸棲動物の脂肪は動脉硬化、ことに心臓の冠状動脉の変化をおこしやすい(海棲動物では、その心配はない)そうですから、肉類なら、やせ肉か、新鮮な魚介類とすべきです(もっとも、魚の脂肪は古くなると変質して有毒になるそうです)。
       卵はややよいが、脂肪、コレステロールにとんでいるので注意を要します。成分の点からも、よいのは全体(骨も内臓も)食べられる小魚類と大豆でしょう。

      野菜・果物
       かさばって消化の悪い、したがって腹ごたえがあり、腹もちもよい代表的なものは野菜、山菜、野草、海藻、果物の類です。なかでも良質菜っ葉類、ことに、その生食は、満腹感がえやすいばかりでなく、栄養のバランスをとる上からも、なるべく十分とらなければなりません。

    よくかむこと
     また、満腹感は胃の充満度によります。かさの高い食物が好まれるのもそのためですし、脂肪の好まれるのも、胃中の停滞時間がながいからです。よくかむのもその一つ。よくかむと唾液がよく出るし、胃液の出もよろしい。胃の容積は、その人々によって、一定していますから、よくかむことだけでも、相当の満腹感がえられるわけです。

    イモ・マメ・ナッパ食
     つまり、減食するには、主食は、米よりは麦、雑穀、ソバ、マメなど。もっとよいのはイモ。蛋白食は、肉、卵。あるいは、むしろ小魚や大豆。そして、良質菜っ葉をうんと。それも、なるべく生で食べ、青汁にして飲み、粉末も利用すること。極端にいえば、イモ、マメ、ナッパを中心にした食が理想的だ、というわけです。
     これをよくかんで食べ、それでもひもじければ、果物、人参、トマトでまぎらす。このようにすれば、十分満腹しても、実際には、そう食べてはいないし、八分目に食べればなお結構。そしてバランスは完全にとれています。

    我慢できるか
     けれども、うまいものを腹一杯たべたいのは人情です。そうした、まずいものばかり食べて、はたして満足できるだろうか、という疑問がおきるのも当然です。が、それが何の不思議もなく実行できます。いや実行されているのですから、奇妙といえば奇妙です。それは、緑葉食・青汁に徹してみなければわからぬでしょうが、ともかく、これを続けていると、何を食ってもうまくなります。したがって、白米飯や肉、魚、卵をやめて、イモ、マメ、ナッパばかりにしても、結構おいしい。いや、これほどおいしいものはない、とさえ感じられるほどになるのですから、こうした食べ方に切り換えることも、少しも苦痛ではないし、分量は僅かでも、少しもひもじさを感じません。

     だいたい、空腹感というものは、食べ方(量および質)によっても、大いにちがいます。「食は食うにまさる」といわれる通り、大食のくせがつくと、いよいよ食いたくなります。しかもそれは、そういう習慣(いつも腹一杯たべなければ我慢できぬという)からだけではなく、また、消化力がとくによいからだけでもありません。
     大食するには、どうしても、消化のよい、そして、うまいものになります。そういう食が、不完全で、飽食しなければからだがもたぬからでもあることは、まえに述べた通りです。そしてまた、そうした不完全食では、異常に食欲が旺盛になるようです。
     動物に不完全な食をあたえると、彼らは、不足している成分にたいして異常に強い食欲を生じ、本能的にそれら不足分にとんでいるものを、貪り食べようとします。しかし、人間には、そうした目的にかなった、正しい本能は全くなくなり(もとはあったのでしょうが)、不定の、食不足感(つまり飢餓感)だけしか起きないとみえ、食への際限のない欲求となり、むしょうに食べたがるようになるもののようです。
     このよい例は農繁期の農家の食べ方。白米飯に沢庵や佃煮をそえて、一日5−6回、あるいは、それ以上も、腹一杯、一日5合も1升もの米を食べ、それでもまだ、腹が減ってたまらぬ、といっている、あれです。

     ところが、菜っ葉をしっかり食べると、1日3合たらずの米飯でも、むやみに腹はへらず、少くとも、辛抱できないほどのひどい空腹感はなくなり、しかも、それで、十分活動でき、農繁期の労働にもよく堪えられることは、私自身も経験しています。
     これは、食が完全となり、必要なすべての栄養素が十分みたされるため、からだの方からの、余分の食への要求がなくなる結果だと、解釈してよいのではないでしょうか。それはともかく、イモ・マメ・ナッパといった徹底した完全食はもちろん、少くとも緑葉食・青汁による完全食では、ふつうよりはずっと少量の食でも十分からだがもち(毎回7〜8杯もの飯を食っていたのが、2〜3杯ですむようになる)それで、結構、我慢出来るようになります。いや、我慢できるようになるのではなく、それで、十分、満足できるようになるのです。


 
2. 青汁教室 食養生についての断想(2)
前回参照

     友成 左近 

     人々だれでも、病気にかかれば、なんぞ早く治るテはないかと求める。だが、それ相応に、みずから生活に節制をつとめ、とりわけ食養生には、正しく上手に心がけて努力せずに、安直に治るテはない。

     病気がうまく治るかどうか、ということは、その病類や程度にもよるが、医師の診療と患者の養生とハタの配慮によってきまる。患者みずから養生を怠り、ハタもロクに配慮をせずに、ヤブ医者メが、といわれては、医師こそ、いい迷惑だ。

     医師は高度に発達した技術をもって診療にあたっているのに、これをうけてたつ患者は、それほど発達した養生につとめているようには思われない。船に乗ったら船頭まかせ、病気になったら医者まかせ、といっても、みずからつとめなければならない養生が、よいかげんであっては、とうてい病気はうまく治らない。医師の診療と患者の養生とは、あたかも車の両輪のようなものである。

     診療をうけて、たとえ医師が、養生とりわけ食養生について細かく注意しなかったからといって、患者みずから、養生につとめなくてもよい、というわけではない。この頃は分業の世の中である。医師の受けもちは、主として、診察して、薬や注射、処置や手術で治療することであって、養生は患者の領分だ。入院患者以外は、いわば全く患者みずからの責任と心得で努力しなければならない。食養生まで細かく注意し指導するのは、この上もなく親切な医師である。

     患者のうちには、ときに、ヤタラと病状や病因や治癒の見込について、さらには診療方法やその理由についてまで、こと細かく聞きただす人がいる。こんな人は、とかく、ただ、そんなことを聞き知っただけで、あたかも「医学博士」になったつもりで、ことをすませてしまう。それも、病む身とあれば、ムリからぬことであろうが、カンジンなことは、診療に即応した養生法を聞いて、その通りにつとめることだ。

     療養中の患者は、それ相応に、みずから心がけて、いろいろと養生につとめているわけではあるが、とくに食養生については、多くの場合、習慣的にか流行的にか、意外に間違った点が少なくないようだ。オモユ・オカユに塩・梅干は、その最たるものだ。

     医師の診療技術は著しく進歩してきているのに、患者の養生法はそれほど進歩しているようには思われない。これは、いったい、どういうわけであろうか。こんなことを研究し普及しようとしても、儲けにならないからであろうか、人々が本気になって受け入れないからであろうか。

     病気がながびいて療養にイライラしてきた人には、よく「イノれ」「クスれ」といって、はげますわれわれは、さらに「アオれ」と付け加える。だれしも、病気がながびいてくると、はたして治るんだろうかと心配する。この心配は療養を著しく妨げる。ここで大切なことは、必ず治る、治してみせる、という希望と自信と闘志をもつことだ。
     そして実際、具体的に療養に精出すことだ。まず、神に加護を祈り求めて、それを堅く信ずることである。と共に、医師の診療を信頼して、どんなに辛くても、すなおに受け入れることである。と同時に、決して怠らずに、医師の指示に従って、みずから養生につとめること、とりわけ青汁は、たとえ飲みずらくても、せっせと飲んで、本格的に食養生に取り組むことだ。

     いのち と べんとり は じぶんもち、と古老は教えている。なるほど、そうだ。健康も生命も、これを保っていくには、いろいろと人さまの世話にならねばならないが、ひっきょう、自分自身で責任をはたさなければならない。そして、それには、いろいろと心がけねばならないが、まずもって食養生につとめなければならない。これも、いろいろ人さまの世話にならねばならないが、ひっきょう、自分自身が責任をもって、よく考えて工夫し実行しなければならない。

     (付記)
     この断想は、毎度の青汁教室で、遠藤先生が繰り返しお話しになっていること、これに学んで参会者が自ら体験して話し出したことどもです。 


次回参照

3. 大声を出す

     医学博士 遠藤 仁郎 

     大きな声を出すこともよい健康法だ。仙道、練鍛練身十八番には、「出来るだけ大声を出す」、というのがあるし、ヒポクラテスは、体操の、鍛錬法としての意義をのべたあと、「また、発声が、甚だ、その目的に叶うものである。実に、発声は、湿性分を排泄するの効があり、従って、肉を乾かす」、といっている。私どもの中学校時代は、歌をうたうのは隋弱だとあって、きびしく禁じられ、号令をかけたり、剣道の気合などどならされた。
     詩吟もよい。朗読するのもよい。何でもよい。ともかく、うんと力んで大声をあげ、わめきちらす。深呼吸による浄血作用と、腹筋の運動との綜合効果だ。いつかの「のど自慢」に、胃下垂があったので、すすめられて小唄をならい、病気を忘れた、という婦人があったが、大声を出したり、歌をうたうには、腹に力がはいるからたしかに胃腸は丈夫になる。肝臓や腎臓も、横隔膜の運動で、血行がよくなるだろう。たるんだ腹にたまりがちな血液が駆り出されて、全身をめぐるようになるから、からだ中の血行がさかんになり、調子もよくなる。声楽家や管楽家には高血圧が少いそうだし、毎日3回、5分間づつ歌をうたえば、2〜3ヶ月で高血圧や動脉硬化にも効果があらわれるという(チララ氏歌唱療法)。

     べつに、大声を出して歌わなくても、ガス交換による浄血効果だけはあるから、鼻唄まじりの愉快な毎日をおくるいうことも、気分の上ばかりでなく、一般健康上にも、よい影響があるにちがいない。「笑いは血をきれいにする」という諺があるが、歌も血をきれいにしてくれる。いぜんは、年をとると、義太夫や浪曲や謡曲にこったり祝詞をあげたり、読経したり、念仏をとなえる信心家が多かったが、あれも、ただ、年寄りの暇つぶし、というだけでなく、やはり、立派な健康長寿法だったわけだ。



4. ワラビ

     医学博士 遠藤 仁郎 

     青汁はやりたいが、適当なナッパがない。何かよい材料もがなと、野山をあるいて、目につくのは、原っぱいちめんに生えているワラビの親葉(シダ)だ。
     葉は少々かたく、汁は少なそうだが、こいつがつかえれば、まさに無尽蔵なんだが・・・…。が、どうやら、こいつ生憎くと、青汁にはむかぬらしい。というのは、このシダの芽であるワラビに、アノイリナーゼという、ビタミンB1をこわす酵素があるので親葉のシダも、おそらく同じだろうと思われるからだ。
     よく知られているように私どもの日常習慣食にはB1が不足がちだ。そこへ、わざわざ、この大切なB1をこわす成分のあるものを食べて、でなくても乏しいB1を破壊するのは余りにも勿体ないことだ。というわけだ。B1が不足すると脚気になること。脚気になるほどではなくても、ねむくなったり、からだがだるくなり、精力が衰えるなどということは、よく知られている。
     ところで、わが国最古の医書である「医心方」(丹波康頼撰)のワラビの項には、「多食すれば睡り、人身を重からしむ(崔禹)」本草綱目には、「多食すれば陽気を消す。故に人をして睡らしめ、人の脚を弱からしむ(蔵器)。食医要編には、「人をして睡らしめ、陽を弱くす。小児之を食へば脚軟へて行く能はず」などとあるが、これらはいずれも、この間の消息をものがたるもののようだ。
     もっとも、ふつうには、煮て食べるから、そういう酵素はこわれてしまう筈なので、それは問題ないわけではある。しかしまた、ワラビの根には、一種の毒素があり、失明や流産をおこすとか、サナダ虫や蛔虫の駆除作用がある、ともいわれているので、ワラビやシダにも、そういう成分が微量にでもありはしないだろうか。それはともかくとして、ワラビは、生にしても、乾物にしても、よく煮、十分アク抜きして少しだけを食べるべきもののようだ。そして、その親葉であるシダを利用するとすれば、やはり、同様、十分熱処理して、乾燥粉末にでもすべきで、青汁にすることなどはもってのほかのことだといえそうだ。


 
5. 市田氏の食餌

     医学博士 遠藤 仁郎 

     5月(129)号所載、市田氏の「失明寸前の眼と青汁」の体験記にたいし、食餌の詳細が知りたい、との申出がありましたので、お答えします。

     初め、青汁だけ、1日6合。次で生菜っ葉150グラムを加え、3日間。4日目から、ジャガイモ600グラム、牛乳3合を加え、3日間。その後、大豆100グラム、豆腐1丁半を追加。つまり、主食に、ジャガイモ600グラム。蛋白食に、大豆100グラム、豆腐1丁半、牛乳3合。青汁6合、生菜っ葉150グラム。ジャガイモ、大豆、豆腐とも、味つけなし。
     調味料として、チリメンジャコ、味噌、サラダ油、食塩、酢。その他、間食に南京豆の少量。つまり、イモ、マメ、ナッパを主とした完全食です。これで2年かかっても治らなかったのが、僅か2ヶ月で退院出来ました。このごろの私どもの合言葉は、「イモ、マメ、ナッパ、これでお医者は上ったり!」というのですが、市田氏は、まさにそのよい一例です。

     その後、いま一人の、市田氏と同じ葡萄膜炎の青年も、同様の食餌で、約3ヶ月で退院できるまでに、よくなりました。この食餌の特長は、一つは、栄養のバランスがよくとれ、ミネラルやビタミンにうんと余祐をもたしてあること。も一つには、すべて安全な純正食品ばかりで、有害な農薬や、危険な添加物のあるものは、出来るだけ避けていることです。私ども青汁仲間は、毎日こうした食をとるようにつとめていますが、ふつうの食よりは、ずっと調子がよいように感じられます。もちろん、どんな病気のばあいにもよい筈です。


 
6. 昭和42年度総会だより その1

     遠藤青汁の会では、昭和42年度の総会を、5月28日、倉敷西小学校図書室で開いた。参会者は全国各地より約70名。
     午前10時開会。会長の遠藤先生の挨拶についで、副会長の貝原先生が前年度の事業成果と決算を報告し、新年度の事業計画と予算を説明、参会者一同、関係者の労を謝して、これを承認。役員の改選は遠藤先生に一任。ついで会関係物故者の冥福を念じて黙祷をささげた後、会顧問の矢野先生、中国近代史の大家で京大名誉教授、先日満95才となられ、耳と目と足に多少の不自由はあるが、それ以外、心身ともに、まことに壮健な矢野先生の約1時間にわたる健康長寿の秘訣談を感銘深く拝聴。
     ひきつづき参会者全員、自己紹介にあわせて、互いに体験や抱負を語りあい、途中、青汁を飲み、昼食を共にして、午后3時、来年の参会を楽しみにして散会。この度も、会場の準備や青汁と昼食の準備、その他のサービスは、倉敷西小学校や倉敷青汁教室の方々の世話になり、その材料も寄付して頂き、参会者一同、深謝多謝。なお、この度の昼食は、遠藤先生が常々力説している完全栄養調和食の模範型で試食したので、その説明を中心にして、遠藤先生や矢野先生その他参会者の主な発言を取りまとめて総会だよりを。

    (文責在友成)


 
1、 会の歩み

     この会のねらいは、人々だれにも、なにより大切な健康をはかるために、毎日の食物に完全栄養調和を工夫することであり、その最も手近な決め手として青汁を飲むことである。それもすべて安全な食品でまかなうことである。
     けれども、その的確な理解は極めて困難であり、また、食物についての好みは、各人各様であると共に極めて根強いので、その改善はなおさら困難である。ために、会の歩みは、一時はブームを起こし始めたが、それも束の間で、その後は、まことにゆっくりしたものである。とはいっても、この会のねらいは別に独占的なものではないので、会の目につかず、耳にはいらないところで、だんだんと滲透しているようである。
     それを裏づけるかのように、会員外、意外のところから、問い合わせや体験報告があったり、ケールの種子や寄付金が送付されてくる。なかには、故人の遺志によるという寄付金もある。また、あちこちの学校や事業場で試みていること、なかでも、韓国の軍隊で試みようとしていることが、直接間接に耳に入ってくる。なお、こうして会の知らぬところで試みられることは、まことにけっこうであるが、青汁の材料や作り方その他広く食改善に、栄養・安全・衛生上、間違いがないことを念願している。


 
2、健康長寿の秘訣

     健康長寿は、だれしも強く願い求めるところであるが、それには、常日頃からの、たえざる精進と努力が必要である。その具体的な要件として、みずから体験していること、また遠藤先生をはじめ広く友人知人の体験から、食養・無欲・謝恩・奉仕の4つを強調したい。
     この4件は、互いに深く関連しあっているわけであって、そのすべてに努力して初めて、健康長寿がまっとうできるのは、いうまでもない。

    食養
     食養というのは、毎日毎度の食物が、真の健康・体力を養なうように努力工夫することである。それには、まずもって青汁を飲むことが大切・適切である。病気にかかったとき、ただ薬で治そうとしても、ましてや食物に不養生をしていては、容易に治るものではなく、たとえ治ったようでも、間もなく再発する。こんなことでは、とうてい健康長寿をはかることはできない。
     人間だれしも、なまみであれば、ときに病気にかかることは、さけがたい。また、全知全能ではないどころか、横着で、わがままなところがあるので、ときに、いな、しょっちゅう食物に不養生をする。
     たまたま病気にかかれば、人知によって開発した医療・薬療をうけることは、当然、必要・適切であるが、これを機会に、平素の食物を反省して、よりいっそうの食養につとめることが肝要である。

    無欲
     無欲というのは、自己中心の我欲を克服すること、欲の皮をつっぱらぬことである。人間だれしも、数限りなく欲望をもっている。無欲であれ、というのは、別に、なにも欲望をもつな、というのではない。自己中心の我欲・小我の欲望を克服せよ、わがままにとらわれた欲望を捨てよ、見苦しく欲の皮をつっぱるな、ということだ。
     この点、食養についても全く同様であるが、物・金・性・地位・権力・名声その他についても、たえず反省して、みずから深くつつしまねばならない。それには、つねに、分に安んじ、貧に甘んじ、天命に服従し、足るを知るようにつとめることが肝要である。

    謝恩
     謝恩というのは、自分の今日あるは、天地・父母・師友・衆生その他のおかげであり、これを念謝することである。この念謝に心がけておれば、当然自分の体力知力その他の全力を十二分に発揮することができ、また、食養につとめることも、自己中心の我欲に打ちかつこともできる。こうして初めて、生きがいをもって、心身ともに健康で長生きできるのだ。
     念謝する、といっても、ただ心でそう思うだけでは無意味である。具体的な行動が必要である。最も手近なところでは、こうしたおかげを人に話すこと、とくに父母・師友には、たえず便りを出すこと、心から喜ぶ贈物をすることだ。

    奉仕
     奉仕というのは、自分の今日あるを念謝して、まずもって日毎の仕事にひたすら精出すことである。また、それ以外に、折にふれ、ことにつけ、自分のもてる体力知力その他によって、友人知人その他未知の人々に役立つことである。こうして初めて、わがままにとらわれた欲望から解放され、また食養にもつとめるようになり、心身ともに健康で長生きをして、心の底から生きがいを味わうのだ。


 
3、完全栄養調和食の模範型

     昼食で試みた完全栄養調和食の模範型は、1人当たり、さつまいも200g、だいず50g、だいこん葉100g、牛乳180gである。
     さつまいもは、蒸しただけ、だいずは、味が悪くならない程度に、いわゆるみそ豆に近いくらい、やわらかく煮ただけ、ともに、なにも味つけしないものだ。だいこん葉は、生のカキハだいこんに、香辛料として、しそ葉・パセリ・みじん切りの玉ねぎを加えて、生油・味塩・酢で調味したグリーンサラダである。

    イモ・マメ・ナッパ健康のもと
     この型は、これまで5年間、毎月1回・遠藤先生の指導をうけている倉敷遠藤青汁教室で、昨年末の忘年会で試みたものであって、教室の世話人がいろいろ話し合っているうちに、モチがダンゴになった結果である。そして、席上、先生から、これはまことに理想的な組み合わせであり、「イモ・マメ・ナッパ、医者あがったり」と、ほめていただいたものである。それ以後、青汁教室では、「イモ・マメ・ナッパ健康のもと」という合言葉をつくって、これを食物構成の模範型・基本型として、めいめい家庭で食改善に努力すると共に、広く人々にすすめているものである。

    完全栄養調和食となっている
     まずもって、この模範型の栄養分析は、別表をみれば、よく分かるように、栄養摂取目安量に十分かなっており、各種の栄養素が、必要なだけ十分そろい、その間に、うまく調和が保たれて、完全栄養調和食となっている。
     なお、この表の栄養基準量は、厚生省で昭和35年に決定したものであるが、その数値は、いわば、口にはいったときのもの、すなわち調理による損失を考慮していないものであり、それも、健康保持に必要な最低量に、消化吸収上の損失を考慮に入れたものである。
     これに配する栄養摂取目安量は、この基準量を手がかりにして、食品成分表の数値で、すなわち調理前の食物で、調理による損失を考慮に入れて、最高の健康を保持するには、どの程度に増加したらよいか、遠藤先生が修正したものである。
     ともに、日本人全体について総平均した一人一日量である。そこで、一日3食するとして、摂取目安量の3分の1量と模範型の栄養分析を比べてみると、完全栄養調和食であることが、よく分かる。

    模範型の栄養分析
    食品名重量熱量蛋白質カルシ
    ウム
    りんB1B2
    さつま
    いも
    200
    g
    240
    Cal
    2.6
    g
    48
    mg
    80
    mg
    6
    IU
    0.30
    mg
    0.08
    mg
    60
    mg
    だいず5019617.19523560.250.100
    だいこん
    100495.21903030000.100.3090
    牛乳1801065.21801621800.050.270
    59130.151350731920.700.75150
    栄養摂取
    目安量
    1人
    1食
    73025.0500500〜
    1000
    17000.670.6734
    栄養摂取
    目安量
    1人
    1日
    220075.015001500〜50002.002.00100
    栄養
    基準量
    1人
    1日
    220071.0600300019001.201.2063


     第一に、熱量は、目安量より少な目となっているが、実状、少な目の方が、かえって栄養と健康によいのだ。重要なことは、ビタミン、とりわけB1との関係であり、1カロリーにつき1ガンマ以上となっていることである。模範型では、591に700であるから、B1に十分余裕がある。従って、摂取した熱量が完全に利用されるので、この程度に熱量があれば、別に不足することはない。また、めいめい好みに応じて、菓子や酒などを多少とっても、B1不足ともならず、熱量過剰ともならない。

     第二に、蛋白質は、目安量より多い目になっているが、少し多い目の方が栄養と健康によいのだ。重要なことは、それが良質のものであり、また、ビタミン、とりわけB2との関係であり、1グラムにつき25ガンマー以上となっていることである。模範型では、最も良質である、だいず・だいこん葉・牛乳の蛋白質であり、30gに0.75mgであるから、うまく調和している。

     第三に、カルシウムは、実状、著しく不足し易いのであるが、模範型では、513mgであるから十分である。しかも、これは、主として、生のだいこん葉と牛乳のカルシウムであるから、吸収と利用にすぐれた最も良質なものである。さらに重要なことは、りんとの関係であって、カルシウム1に対してりん1ないし2以下となっていることが、体液を弱アルカリに保つために必要である。りんが、この割合以上に多くなり易いのであるが、模範型では、513に対して507であるから、まことに適切である。

     第四に、ビタミンAは、実状、かなり不足し易いのであるが、極めて多量で、約2倍である。しかも、その大部分は、だいこん葉のカロチンであり(有効力価3分の1に換算した数値で示してあるが)、油で調味してあるから、うまく吸収されるので、あり余るくらいだ。けれども、これは、Aそのものではなく、必要なだけ、体内でAに合成利用され、不要な分は体外に排出されるので、動物性食品や薬剤のAのように、体内に蓄積されて、副作用を起こす心配はない。(この点、この表では数値をあげていないが、その他の脂溶性ビタミンについても同様である)。

     第五にビタミンCも、4倍以上と、あり余るくらい多量である。これも、必要なだけ利用されて、不要な分は体外に排出されるので、別に副作用を起こす心配はない。この点、B1・B2その他の水溶性ビタミンについても同様である。

     第六に、調理による損失についてである。さつまいもは、大形に切って蒸しただけであり、だいずは、数時間、約3倍量の水にひたし、その水で煮たものであり、別に重曹などは少しも加えていないし、だいこん葉は新鮮な生ものであるから、調理による損失は最少限である。

     第七に、調味についてである。この模範型では、だいこん葉だけを調味しており、それも、生油と酢と少量の味塩であるから、まことに適切である。実状、とかく塩分が多くなりがちであり、その上、砂糖もかなり加えやすいのであるが、こうした濃厚な調味が意外に、栄養と健康の妨げとなっているのだ。

     最後に、念のため云い添えておきたいことは、この表で示していない栄養素、とりわけミネラルとビタミンについてであり、それも既知のものだけでなく、未知のものにもついてである。
     模範型では、すべて自然の食物であり、わけても青野菜を、習慣食より、はるかに多量に取り入れており、その上、最少限の調理をしているので、こうした栄養素が十分あり、よく調和していることが、古来の食物や動物の食べ方から推定される。

    安全度が現状最高である
     つぎに、この模範型では、各食品が、栽培上、保存上、現状、最も安全度の高いものである。

     第一に、さつまいもも、だいずも、いまのところ、栽培や保存にあたって、危険な農薬によって汚染されることが最も少ないものであり、各種の熱量食品・蛋白質食品のうちで、安全度が最も高いものである。

     第二に、青野菜は、実状、栽培や保存に危険な農薬を使っていないものを入手することは、極めて困難であるが、この度のものは、とくに仲間にたのんで、安全に栽培したものである。従って、この模範型を活用するとき、こうした点について、とくと注意しなければならない。

     第三に、牛乳については、安全上、全く問題がないわけではないが、いまのところ、安全度の高いものである。

     第四に、調理とくに調味には、危険な添加物が殆んどはいっていないものばかりを使っている。

    食べて互いによくあうほどよく満腹する
     さらに、この模範型の各食物は、食べて互いによくあい、また、ほどよく満腹感も起こり、ほどほどにハラもちもよい。事実、総会の席上で、100人分の準備をしたのであるが、参会者全員、まことにおいしく頂いた次第であり、残ったものは、だいず以外には、殆んどなかった。
     実は、最初、だいずを30g程度にしようとしたのであるが、話し合いのはずみで、50g(実際は約80g)となったので、確かに多すぎたわけであり、少々残るのが当然である。

    食費が至って少なくてすむ
     いまひとつ、いい添えておくと、この模範型で食事をすると、食費が至って少なくてすむ。おおざっぱにいって、さつまいも5円、だいず5円、だいこん葉5円、牛乳15円、計30円に、調味料代がなにがしか加わるだけだ。これだけの食費で、これほどの完全栄養調和食をしかも、おいしく頂けるのだ。よく、カネがなくて満足に食えないという言葉をきくが、それは、ヒニクにいえば、好みのままに、従って、病気になるような不完全不調和食、その上危険な添加物の多いものを、タラフク食べるカネがない、ということではなかろうか。

    (以下8月号へ)


 
次回参照
 
7. 母達にもわけたい

    西之表市 S.Y. 

     昨年9月ケールの種子をお送りいただいたものでございます。おかげ様で、この頃より生葉がとれるようになりました。種子といっしょにお送りいただきました「健康と青汁」で乾燥青汁のあることを知り、今日まで続けております。でも、もうこれからは、自分で作って飲めますので、今までよりも、もっと飲めると主人も喜んでおります。3才になる子供が、食欲がなく、細くて、とても心配いたしておりましたが、最近、少しづつ食欲も出てまいりまして、元気ピンピンです。本当に有難うございます。私達一家が、こんなに幸福なのも「ケール」のおかげ、是非、この悦びを母達にもわけてやりたいと思います。


 
8. そろって健康

    高田市 Z。H。 

     5年程まえ、スクーター転ぷくからけがをして坐骨神経痛をおこしました。医薬を20日程服用しましたが、副腎に栄養をあたえる目的をもって青汁を飲用し出し、薬をやめたことがありました。自然に神経痛もなおり、青汁が、健康の材料として偉効のある事実を知りました。以来、副腎を大切にするビタミンC補給に青汁を愛好しつつあるうち、先生の「青汁の効用」を読み、意を強うして、ケールを栽培し、青汁は2−3日に1回、パセリは朝食時1ドンブリ位を微塵きりにしたものを卓上において、一家の常食にしている生活が始まり、そろって健康体を保っているしだいです。


 
9. 肉食がちだった

    東京都 ん。T。 

     先月から、主にコマツナとキャベツの汁を、ジューサーでしぼって飲んでおりますが、積年の病癖ともいうべき胃腸の変調も、徐々にですが、よくなって来ておるようです。とくに気がつきますことは、肌の色が大変よくなり、血色がよくなったこと、食後の満腹感がなくなったこと、食欲がでてきたこと、便通がよくなったこと、などです。従来は、どちらかといえば、肉食にかたよりがちでしたが、先生の著書から、緑色野菜の重要性に、さらに目覚めた、というわけであります。これからも続けていきたいと思っております。


 
10. 闘病5年

    長野県 I.T. 

     闘病生活5年となり、この間、青汁をいろいろと工夫しつづけ、今日になり、効果の偉大なることに感謝申し上げる次第です。こうして通信できるようになったのも、その賜物と存じ嬉しく思うわけです。


 
11. 毎朝の青汁

    山形市 K.M. 

     毎朝の青汁で、おかげ様で健康で毎日楽しく暮しております。


 
12. 「青汁を飲んで」感想

    中一 M.T. 

     青汁を、始めてのんだ時は、草のにおいが、していやだった。味を消すために、牛乳を一息で、飲んでいました。だが、このごろは、なれてきました。喘息が出ても、早く元気になりました。これからも飲み続けるつもりです。


     H.A. 

     僕が入学して始めてのんだとき、のみきれないですてたことがある。しかしこのごろは、あまい感じがする。青汁をのんでぜんそくがでないのかしれないけれどぜんそくがほとんどない。これからもずっとのむつもりである。


    中二 K.M. 

     始めはまずく感じたが、このごろはあまく感じる。青汁を飲みはじめてから、かぜをひかなくなったり、つかれが早くとれるようになった。そのため発作があまり出なくなった。これからもずっと飲むつもりである。


    礒川 K.I. 

     私は、今の青汁をのむまで、こなの青汁をのんでいた。でもこなの青汁は、水でとかさなくてはならないばかりでなく、味も今の青汁よりまずいので、約1年ぐらいでやめましたが、やめてしばらくすると、そのせいだろうと思いますが、ほっさの回数がふえました。それで11月ごろ、阪本先生から、「青汁をのみたい?」と聞かれた時は、とてもうれしく、これでやっとほっさの回数も少なくなると、よろこびました。今の青汁も、すぐききませんでしたが、やっぱり、だんだんとからだのちょうしもよくなりました。これからも、ずっと青汁をのみ、ますます元気になりたいと思います。


    上野 T.U. 

     10月以来、青汁を飲みだして、今までと比べて見ると、はるかに元気になったように思える。だいぶ前に粉末の青汁をといで飲んでいた時は、そんなに効果があるように思えなかったので、今度の場合も、あまり気が進まなかったが、その時一緒に静養室に寝ていた林さんに進められて飲みだしたところ、はじめは、にがくいやだった青汁もなれて来、今までより喘息のでる回数も少なくなって来、冬休みなども、いつもだったら、2回ほどでる喘息の発作も、帰ってずっと元気で、帰って来る前に1回でただけある。だから、これからもずっとできるだけ、毎日飲み続け、一日も早く、元気になる様思っています。今の青汁だったら、前の青汁の様に、とく時間がはぶけ、もろもろにならないので、とても飲みやすい。


    中一 T.H. 

     ぼくが、青汁を、のみはじめた日は、とっても、のみづらかったです。でも一日一日と、のんで行くと、だんだん、なれて来て、1ヶ月ぐらいたつと、すうっと、まえのように、鼻を、つままないでも、のめるように、なりました。それから2ヵ月ごに、なると、すこしおいしくも、感じられました。それから、今では、たいへんおいしく感じられます。それに、たいへん、やすいです。のみはじめてから、とってもいいです。それに、ぜんそくが出ている時でも、のむとたいへんよくなります。


 
13. 家内中健康

    山口県 M.M 

     昨年7月より、毎日欠かさず、野菜や木の葉でつくり、愛飲し、家内、大変健康になり、非常によろこんでおります。


 
14. 色々さがした末

    上野市 I.H. 

     毎日照りつける夏の太陽に、だんだんと日焼けしてゆくわが身を毎日見つめていると、青汁の効力がこうもきいてきたのか、とびっくりする程です。私は37才で、去る5月末日に血圧を計ると160‐96ありました。それから色々本をさがして研究した末野菜の青汁にふみこんだわけです。腹部のまわりも既に一寸程細くなり、小便も以前より回数が目に見えて多くなり、便通もらくになりました。


 
15 青汁人として
以前参照

    愛媛県 I.W. 

     私ども一家4人青汁に救われ、恵光ある毎日が楽しく送られております。一時どうなることかと、不安の毎日でした。私どもには長男(高校3年)の健康が何よりの喜びで、それに次ぐ長女(小4年)も、主人、私もほんとうに、心も、それにつれ身体も、人間らしい人間としての道を歩んで行く心算で、来る一日一日を、また、新春をもその覚悟でおります。青汁を知り教わりまして5年、真の栄養学なるものにも、一入の興味を覚え、今までの学びなるものにも、より深く掘り下げたい思いが手伝ってくれて、私には何より嬉しいこととして、過ぎ去った5年という数字が、途中のくじけもあったりですけれど、尊い積み重ねとなり、今からも一歩一歩高いところに上っていけることでございましょう。一そう青汁の人間として努力してみたく、たのしみのある生活をくりかえしたいものと願っています。


 
16 川柳 「青汁」

    大阪市 H.N. 

     農薬禍この青汁にすがりつき
     青汁のなんとおいしい青くさみ
     顔色がよいと青汁ほめられる
     お見舞に乾燥青汁抱いて行き
     出張へ青汁錠も三日分
     青汁を飲みのみやめぬ不摂生
     薬石もさることながら心掛け


    水島 T.H. 

    年賀状より
     青汁の十年選手で皆達者


 
17. 質問箱

    高知市 H.M. 


     先日、青汁を飲んでいたら血液中のコレステロールが急によくなった、と聞きましたが、青汁にこうした効能があるのでしょうか


     青汁は栄養のバランスをよくするのが目的です。バランスがよくとれて来れば、すべての代謝が正常になりますから、コレステロールもよくなってよろしい。但し、ただ青汁を飲むだけではダメです。かならず食全体として、うまく釣り合うだけ十分に飲まなければなりません。


 
 コラム紹介

    人の身の栄花なるは短命多く、
    質素なるは長命多し。
    末代気運おとろへ、万民夭死多し。
    上代の民長寿多かりしといふも、
    上古の人は質朴にして、末代は栄花なればなり。
    古今気運盛衰の故にはあらざるべし。

    百姓嚢



    強壮ならんとせば
    徒然無為なるべからず。
    必ず体操すべし
    ソクラテス

    散歩はやや自然的で、
    しかも諸他の運動中で
    もっとも自然的な運動である
    ヒポクラテス

    一時間の散歩は一時間の生命をのばす
    ベーコン

    身体を十分に使役し、
    かつ利用することは神のおきてである
    ガンディー

    身は常に動かすべし。
    終日安坐すれば病生じ易し。
    久立久行より、久臥久坐はもっとも人に害あり
    養生訓



    近代人に於ける自律神経の機能が、
    精神の機能の如く、多く調和を失っていることは事実である。
    自律神経系統が、心臓や、胃や、腸や、腺を、
    いろいろな感動に対して護る力は、
    よほど不十分になっているらしい。
    原始的な生活の危険や、
    残酷さに満ちた時代に於けるそれは十分なものであった。
    しかし現代生活に於ける絶えざるショックに対しては、
    もう抵抗力が殆どないのである。
    (カレル)



    朽ちたる木は彫るべからず
    (論語)








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