健康と青汁タイトル小 <1966年4月15日発行 第116号>
 目次




1. 大豆

     医学博士 遠藤 仁郎 

     大豆は熱量が多く、蛋白質にも脂肪にもとんでいます。しかも、この蛋白質には栄養上大切な、つまり血や肉になるのに無くてはならぬアミノ酸が、殆んどそろっており、動物蛋白にちかい良質のものです。最も、シスチンというアミノ酸だけはやや少いが、このシスチンは米には多いので、米に大豆を添えると、互に不足を補いあって、肉や卵に劣らぬりっぱな蛋白質になります。
     また大豆の脂肪は、レシチン(類脂体の一種)や必須不飽和脂肪酸が多いせいか、バタやマーガリンや牛豚脂などとちがい、血液中のコレステロールを増やさないばかりか、むしろ、これを減らす作用があるので、動脈硬化の発生や進行を防ぐ力があるともいえるわけです。

     ミネラルではカルシウムや鉄にもとんでいます。そしてカルシウムと燐の比は1:3(理想比は1:1〜2)で、穀類や雑豆類にくらべ(白米では1:25、豆ではインゲン豆1:3.1〜エンドウ1:6.2)カルシウムに有利、アルカリにとんでいるわけ。ビタミンはBだけで、A・Cはありません。B1は非常に多く、熱量392カロリーに対しB1、500ガンマ(理想比1カロリー対1ガンマ)。しかし体内代謝でB1の不要な脂肪が多いので(17.5%)B1には十二分の余裕があるわけです。
     したがって大豆は、白米を主食としているわが国の習慣食の改善にとっては、まさに、欠くことの出来ないもの。余り肉食をしなかったわが祖先の蛋白源として大切な食べ物でしたし、今でも大豆をよく食べる地方には長生きするものが多いといわれている所以でもあります。

     なお大豆は、ただ栄養的だけでなく、安全さという点でもすぐれています。それは、大豆には、肉や卵や乳などの動物食品のように、飼料が不完全であるための影響もうけなければ、飼料中の農薬、あるいは疾病の予防や治療にもちいられる薬品などによる汚染の危険もないと考えられるからです。このように大豆は、確かに優秀で安全な食品ですが、けっして総ての栄養素が完備した完全な食品ではなく、やはり適当量の良質菜っ葉が添えられなければならぬことはいうまでもありません。もっともその量は比較的少くてよく、たとえば大根葉だと、大豆100グラムに対し僅か50グラムでもほぼ釣り合いはとれて来るし、100グラムにすれば殆んど理想にちかいバランスになります。

     このことからも、いかに大豆がよいものであるかがうなづけるわけです。大豆飯 大豆は米の欠陥を補うのに適しています。白米100グラムに大豆30グラム入れた大豆飯にすると、大根葉200グラムでほぼ釣り合いがとれます。白米100に大根葉300、大豆30には15〜30、計315〜330が必要なところが200ですむのですから、確かに大豆飯の方がよいわけですし、菜っ葉を入れた大豆菜飯にすれば、それだけでも完全な食が出来上るわけです。
     欠点は消化のよくないこと。(煮豆の利用率は65%にすぎない)。あらかじめ長く水かしし、十分ふやかした上、そのかし水のまま飯に炊くことと、出来るだけよくかむこと。戦時中私のいた部隊では大豆飯をよく出しましたが、その度に下痢患者が多く出ました。大豆餅も同じ。煮豆 軟かく炊くコツは、十分ながく水にかし、とろ火で炊くことなのですが、余り時間をかけるとビタミンが減るそうです。もっとも、早く軟かく炊こうとして重曹を入れると、ビタミンの破壊はいっそうひどくなりますから、やはり気永に煮るほかはないわけです。多少のビタミンのロスはあっても止むを得ないでしょう。

     なお煮豆は、ふつう味つけして「おかず」にしますが、これでは主食ばかりの偏食になる上味よくするため砂糖が多くつかわれ、偏食の度はさらに甚しくなるので、これは感心できません。素煮きのままか、精々、ごくうすい塩味(昆布や和布を入れて煮る程度の)くらいにして、野菜を十分そえて、飯代りに食うべきものです。

    枝豆  栗や甘藷と一緒に蒸した枝豆の味は、田舎そだちの私どもには忘れられない秋の味覚の一つです。たいてい間食にしましたが、今時の子供の間食が危険な菓子ばかりになってしまっているのにくらべ、健康的であった私どもの幼い時代の有難さが、今さらのように、しみじみ感じられます。
     今では早蒔き種もあって夏のうちからビールのつまみなどにも出されます。美味しくもあり、なま物ですから野菜にちかく、ビタミンCの多いのも嬉しいところです。そして、白米100グラムに枝豆100グラムと大根葉150グラムで、うまくバランスがとれるのですから、こうした配合の枝豆飯にしたり、煮豆と同様、主食代りにすれば、いっそう素晴しいわけです。
    納豆  納豆菌のため消化がよくなり、ビタミンB2もうんと殖えています。(B1は菌の繁殖のため消費されて少くなっていますが)もっとも、嗜好の点でやや一般的でないうらみがないでもありません。関東や東北では非常に好まれていますが、関西ではさほどでないし、私どもの地方では、むしろ嫌われます。以前、病院で出してみたことがありますが、「こんな腐ったものを!」と、食養係がひどく叱られました。また、粘素のため、かみにくい点もありますが、納豆汁のように、すりつぶせばよいわけです。
    黄粉  炒るため、いく分ビタミンがこわれますが、他には大して失われないし、消化はよろしい。但し、市販品には、かなりの麦粉(はったい粉)がはいっているし、色づけされているのでないかの疑いがなくもありません。手数でも、家庭で、味も香りもよいつくり立てを食べたいものです。ご飯にまぶしても、おさいの黄粉和えも、汁物に入れても黄粉茶にしてもよろしい。小麦粉、ソバ粉、芋粉などの粉食料理にも、かならず入れることです。

    生粉
     なまのままの粉はなおよろしい――もっとも油気があって後の掃除が大変なので製粉屋はいやがりますが。この生粉に沸湯をかけてソバかきのようにして食べてみたことがありますが、なかなか美味しいものです。
    豆腐  大豆製品のうちでは、いちばんなじみ深いものは豆腐でしょう。食べよくもあり、消化もよく、栄養にもとんでいます。もっともビタミンはかなり減っているようです。カルシウムが多いのは、最近の豆腐には凝固剤として石膏(硫酸カルシウム)がつかわれているからでしょう(以前はニガリ=塩化マグネシウムでしたが)。
     そのせいかどうか、この節の豆腐は、むかし田舎の豆腐屋でつくっていたものとは格段に味が悪くなっているようです。私はよく夕食の豆腐を買いに走らされましたが、帰り道で、ちょいちょい角をかいで失敬したものですが、あの頃のは本当においしかった。今では、ビニール袋入りなど、保存のきくものも出来ていますが、添加されている防腐剤は果して無害なものばかりでしょうか。
     豆腐は、やはり、新しいもの。そして時間がたてば腐るようなものに限る、と私は思います。それはともかく、豆腐100グラムに大根葉50グラム添えれば、それだけでも完全にバランスがとれて来ますから、すぐれた栄養食品であることに間違いはありません。

    揚げ豆腐
     これも昔のはおいしかった。学生時代、ハイキングの折など途中の豆腐屋で揚げたてを求め、山の中や野っ原で、何もつけず、そのままを食ったものですが、とても美味しかった。今は、豆腐の質がおち、油もよくないのか、いかにもカスカスしていて、とんとうま味がありません。
    豆乳  水によくかした大豆を臼でひき、しぼったもの。これに凝固剤を入れて豆腐をつくるので、豆腐のもとといったもの。そのまま飲んでもよろしい――ひと頃健康法としてこの飲用が宣伝され流行したこともありました。調理用に、水代りにつかうのもよいでしょう。


     ともあれ、大豆はもっと大いに利用すべきであり、なるべく成分の損失のない、しかも美味しくて消化吸収もよい食べ方が、もっといろいろ工夫されなければなりません。なお、大豆や大豆製品はふつう副食として主食にそえられていますが、栄養素の関係からは主食に準ずるもので、十分の菜っ葉をそえて、飯代りに食うべきであることを忘れてはなりません。


     熱量蛋白質脂肪カル
    シウム
    B1B2
    大豆
    39234.317.51904707.065002000
     仝+大根葉50
    416.536.917.852854857.7150655035045
     仝+ 〃 100
    44139.518.23805008.4300660050090
    大豆飯 白米100
        大豆30
    458.616.396.05632912.51.8240900
      仝+大根葉200
    556.626.797.454433515.36001.8440690180
    煮豆
    28216.49.8672002.8050300
    枝豆
    12512.13.6982003.01303007045
    枝豆飯 白米100
        枝豆100
    47618.34.41043503.413039010045
    仝+大根葉150
    549.526.15.453893955.54630540550180
    納豆
    19116.510.0921903.30705600
    黄粉
    42638.419.21905009.054001500
    豆腐
    586.03.5120861.4020200
     仝+大根葉50
    82.58.63.852151012.115007015245
    揚豆腐
    34618.631.43002304.2020200
    豆乳
    423.62.015491.2030200
    カロリーグラムグラムミリ
    グラム
    ミリ
    グラム
    ミリ
    グラム
    国際
    単位
    ガンマガンマミリ
    グラム


 
2. 青汁教室 青汁のねらい その5 正しく食べる精神の修練
前号参照クリック

     友成 左近 

     病気の治療にも健康の増進にも、その最も重要な土台は、毎日の食物に完全栄養をはかることです。このため私は、まずはさておき青汁を、毎日2合3合と飲むようにすすめています。けれども、この青汁は、別にそうおいしいものではありません。とりわけ初めて飲む方には、見た目といい臭いといい味といい、決してよいものではなく、確かに拙いもの、飲みずらいものです。それに、家庭で毎日作るには、それ相応に手間もかかります。けれども私は、あえて、この青汁をすすめています。それは、これ以外に、さしあたり毎日の食物に完全栄養をはかる有効な決め手がないからです。さらに、正しく食べる精神をきたえるためです。

    飲みずらくとも、そこを辛抱して飲むように
     いったい青汁は、ただ、生の青野菜をすりつぶして汁だけしぼりとったもので、タネもシカケもない平々凡々なものです。そのためか、これをすすめても、その意義が容易に分かってくれません。分かってくれても、あんな拙いものと、容易に飲み始めてくれません。飲み始めても、なかなか毎日飲みつづけてくれません。そして、なんとか工夫して、飲み易く、おいしくならないかと、しつこく反問されることが度々です。
     けれども私は、飲みずらくとも、そこを辛抱して、飲み始め飲みつづけるようにすすめています。そして、できるだけ味も成分もよい材料を使い、つとめて新鮮なうちに、よく冷やして作り、作りたてを、生地のまま飲むようにすすめています。そうすれば、拙いながらも、いくらか飲み易くなり、そのうち飲みなれて、けっこう楽しく飲めるようになるからです。
     とはいっても私は、とくに飲み始めの頃には、香ばしい番茶や冷水で、ほどほどに割ったり、また、生の食用油、酢、塩、ミカン、牛乳、バター、クリーム、生卵、蜂蜜、カルピスなどで、好みに応じて、ほどほどに味つけしたり、あるいは、果物でも菓子でも、好きなもので口なおしをしたらと、いろいろ工夫もすすめています。けれども、こうした工夫をしても、やはり青汁は青汁で、別にそうおいしくはなりません。人によっては、ずいぶん飲みずらいものです。だからといって、私は、この青汁を、わざわざ、おいしいものにして、だれでも好んで飲み始めるようにしようとは考えません。できそうもありませんが、そうする必要もないのです。実は、飲みずらくとも、いや、飲みずらいからこそ、あえて飲むようにすすめたいのです。

    食物の習慣と好みは要塞のように頑固
     いったい私たちの食べ方には、めいめい一定の習慣があり、好みがあります。だれでも平素は、全く習慣のまま好みのままに食べています。ところが、この習慣食は、この頃どことも、栄養上著しく不調和です。その上、多かれ少なかれ、有害有毒とさえなっています。けれども、それを知っていないためか、知っていても習慣にとらわれるためか、その改善は事実まことに困難です。
     こうした食習慣は、当人の生まれつきもさることながら、生後養育され生活していく間に、家庭や社会の影響をうけて、だんだんと作りあげられたものです。そして、食物についての理解や家計や、食料の供給や食品メーカーの宣伝その他によって、だんだんと変わってはいきますが、その基調は、当人の好みであるようです。好みといっても、それは主として、見た目、臭い、口ざわり、味についてです。そしてこの好みは、極めてわがままで、好きなものには目がないが、嫌いなものは死んでも食べたくないというふうに、まことに強情なものです。このため食習慣は、こうした好みの筋にそっては変化していきますが、この筋にはずれたものには頑強に抵抗します。まことに食習慣は、たとえていえば要塞か城壁のように、自己防衛的で、極めて頑固なものです。その改善には並々ならぬ努力が必要です。

    この頃の目や鼻や口はいたく惑わされている
     ところで、この好みをみわけるのは、主として目と鼻と口と舌です。動物では、これが本能的に鋭く、栄養によいものと悪いものとを確実にみわけて、よいものを好み悪いものを嫌うようですが、人間では、これが至って頼りないのです。たやすく惑わされ、いったん惑わされると、容易にマトモにもどらないようです。この頃は、いたく惑わされているようで、的確に、よいものを好み悪いものを嫌う、というふうにはいっていないようです。そこで、動物では、好みのまま食べて、別に間違いは起こらないようですが、人間では、とくに、この頃は、「好きなものは身につく」とか「うまいものは身につく」といって、好きなもの、うまいものだけ食べていては、とうてい身がもちません。「うまいものは身につく」というのは、目や鼻や口がマトモに働らく場合であり、しかも、あれこれ調理せずに、できるだけ自然のままで食べる場合です。けれども人間は、動物とちがって、高度に発達した精神、ものごとに正しい理解を深めて、これを改めていく精神を備えています。私たちは、この精神をシカと働らかせて、惑わされている目や鼻や口をマトモに引きもどして、誤った好みと習慣を正常にすることができるのです。

    拙くとも、あえて飲んで正しく食べる精神を修練
     ところが、この精神は、とかく平素は、たるんでいます。なにかに立ち向かって、それ自身きたえなければ、しゃんと働らきません。習慣通り、好みのまま食べていては、なまけてしまいます。けれども、正しい理解を深めて、嫌いなものでも、いな嫌いなものであればこそ、あえてこれを食べているとしゃんと働らくようになります。そして、惑わされている目や鼻や口が、だんだんとマトモにもどって、誤った好みが改められ、栄養によいものを好み悪いものを嫌うようになります。
     これは、体をきたえる場合と同様です。少々筋骨や節々がいたくても、そこを辛抱して、正しい運動をするからこそ、丈夫になるのです。こうして精神をきたえるのに、青汁はまことに適切なものです。実際、初めて飲むときは、だれでも、こんな拙いものと、かなり抵抗を感じます。けれども、健康をはかる最も有効な決め手であると、人のすすめも信頼し、みずから理解も深めて、あえて毎日飲んでいると、いつの間にか、そう拙いものとは感じなくなります。やがては、別にそうおいしいものではないままも、けっこう楽しく飲めるようになり、なんとなく体が要求して、毎日飲まねばモノ足りなくなります。と共に、だんだんと食物全体について正しい理解が深まり、好みも変わってきます。わけても、生の青野菜が格別おいしくなります。また、塩気といい砂糖気といい香辛料といい、万事、味つけがうすくなって、自然のままに近い食物そのものの持ち味を好むようになります。従ってまた、人工甘味や人口色素その他の添加剤を使った危険な食物が、目につき舌にさわって、嫌いとなります。そして、既成の加工食品は極力使わず、つとめて安全な原材料を手に入れて、家庭で調理するようになります。

    正しく食べて心身共に健康で幸福な生活を
     まことに青汁は、毎日の食物に完全栄養をはかって丈夫になる、もっとも有効な決め手です。ところが、これは、別においしいものではなく、やはり拙いものです。けれども、あえて、これを毎日飲んでいると、だんだん体が丈夫になると共に、正しく食べる精神がきたえられます。そして、惑わされていた目や鼻や口がマトモにもどり、好みが正常になると共に、食物全体について正しい理解が深くなってきます。そうして、毎日の食物がだんだんと改善されて、完全栄養に近づき、また有害有毒物が排除されて、本当に健康な体となります。と共に、気分も明かるく晴ればれとしてきます。
     それは、栄養がよくなって体が健康になったからです。そして、人間だれしも最大の関心をよせている食物が、毎日おいしく楽しく食べられるからです。また、好き嫌いのわがままをおさえて、正しく食べる精神がきたえられていく間に、これが、万事正常に働らくようになるからでしょう。昔から、よくいわれている通り、わがままをおさえる修練に、たえず努力しない人は不幸です。青汁は、ささやかながらも、この修練に役立つのです。しかもこれは、ごく自然で、正常で、こころよい修練です。まことに青汁は、正しく食べて、心身ともに健康で幸福な生活を営なむ、ひとつの重要な手がかりです。

    (おわり)

    付記
     この稿は、毎月第3金曜日の夜、倉敷中央病院の古久賀会舘で開かれている青汁教室で、遠藤先生がくりかえし強調されていることの一端をまとめたものです



3. 深憂す日本の運命

    皇學館大学教授 T.T. 

     私は歴史学が専門でありますので、本来申しますと、自分の専門の歴史についてお話しすべきでありますけれども、歴史を研究するということは、単に古い時代をもてあそぶのではなくして、むしろ現実の問題、この日本の国家が現在どうであり、また将来どのようになってゆくのであろうか。或いは、この民族が現在どうであり、将来どうなって行くのかということについて考える一つの材料として私どもは歴史学を研究しておるのであります。その意味で今日は、最も関心の深い現実の問題について申し上げてみたいと思います。あたえられた題は「愛国心のめざめ」でありますが、時間の許す限り平生考えておりますことを率直に申し上げてみたいと思います。

    このまま行けば日本は滅亡
     結論を先に申し上げますとこの国はどうなってゆくか実はこの事について私は悲観的であります。この国は、このまま行けば衰(おとろ)え、衰えるのみならず、恐らくは滅亡するであろう。私は一歴史家としてそう言わざるを得ないのであります。かように申し上げますと、それは如何にも誇張された言葉であって、極端な言い方ではないか。見よ現実の日本は、経済は復興し、街を歩けば自動車は至るところにはんらんし、買おうと思えば何でもあるじゃないか。この日本がどうして衰え、どうして滅(ほろ)びるであろうか。そういうことは有り得ないと、皆さんがたは、あるいは思われるかも知れません。
     しかしながら私は、衰えるどころか滅びると断言せざるを得ないのであります。それはなぜであるか。それは経済の復興を言われますけれども、戦後の日本の経済の復興を担って、ここまで育ててきたものは誰であるか。それは主として戦前の教育を受けた人々でありましょう。それらの人々の努力によって、日本の経済は今日まで復興してきたのであります。しかし、これからの日本を担うのは、そういった戦前の教育を受けた人々が中心ではなくなるのであります。そして戦後の教育を受けた人たち、もっとはっきり言うならば、現在の教育を受けておる子供たちが、この国を担うのであります。従って今後の日本を考えようとするならば、現在の教育がどのようであり、現在の子供たちがどうであるかということをはっきり見極めなければならないのです。

    こんなに違う欧州と日本の子供の考え方
     その立場で考えますと、現在の日本の子供たちはヨーロッパの子供たちとくらべて、非常にかけはなれた考え方を致しております。どれほどかけはなれておるかと言いますと、例えばここに一つの資料があります。これは先年、九州大学の比較教育文化研究所においてヨーロッパの子供たちと日本の子供たちとの考え方を比較研究したのであります。その時に幾つかの問題を出しておりますが、その1、2をあげてみます。

     「自分の事はどうなってもよいから、先ず恩人のことについて考える方が正しいと思いますか」と、こういう質問を子供に出したのであります。これに対して「ハイ」と答えた者が、ドイツの子供たちでは86パーセントであります。イギリスの子供たちは92パーセントです。フランスが94パーセントです。これらの子供たちは「ハイ」と答えております。しかるに日本の子供たちは「ハイ」と答えたものは僅かに43パーセントであります。そこで東京都のある小学校の校長先生が、東京の子供たちについて別に調査してみたところが、その結果は、東京の子供の答えは驚くなかれ、たったの30パーセントだった。こういう数字が出ているのであります。

     それから次の質問「お父さんやお母さんを助けるためなら、自分はどうなってもかまわないと思いますか」この質問に対してドイツの子供たちは92パーセントが「ハイ」と答えております。イギリスが98パーセント。フランスも同じく98パーセント。しかるに日本の子供たちは僅かに57パーセントです。東京だけを取り上げますと、驚くなかれ、実に23パーセントであります。どうか、このパーセンテージをじゅうぶんにご覧になっていただきたいと思うのであります。

    憂慮すべきこの事実を
     世間では、恩人に対しても無関心であり、親に対しても冷淡である、こういうのが現代っ子というのであって、それが当り前なんだ、世界の子供はどこでもそうなんだという風に考えておられる方もあろうかと思いますが、実はそうではございません。ヨーロッパの最も進んだドイツ、イギリス、フランスにおいては、親に対しても恩人に対しても、これ程までに徹底した教育が行なわれておるのであります。しかるに日本では、ここにはっきりと一つの線を引くことが出来る。それは前の国々の半分以下の数字、半分前後の数字に過ぎないのであります。

    犯罪白書は何を語るか
     しかし、これだけではないもっと恐るべきものは例えばここに持って参りました『犯罪白書』であります。これは政府で出しておるものであります。それによれば少年犯罪が近年激増しておるというのであります。これらの日々の新聞によっても大体察することができますけれども、こういう政府の統計に示されてきますと、もっと痛切に感ぜざるを得ないのであります。
     これを見ますと、全犯罪の中で占める少年犯罪の比率でありますけれども、その比率は昭和26年には総数の22.8パーセントであります。26年といいますと占領軍が引揚げました時でありまして、世の中はまだ混乱しておった。その時に少年犯罪が22.8パーセント占めておったのであります。それから昭和30年には18.2パーセントになりました。これはそれだけ世の中が落着いた証拠であります。少年犯罪は減(へ)ってまいります。しかるに昭和37年には、またぐっと殖(ふ)えて28.6パーセントになった。そして政府自から言うのであります。すなわち「全刑法犯の3割近くが少年によって犯されているという驚くべき事態に立ち到っているのである。・・・」政府が自から驚くべき事態であると言っておるのであります。しかし御考え下さい。昭和37年という年は、どんな年だったかを。それは所得倍増が叫ばれ出し、レジャー・ブームがはやり出し遂にはそれがバカンス・ブームとなり、ひどい言葉がはやりました。無責任時代であるとか、或いは消費は美徳なりという言葉とか。しまいには残酷物語まで・・・こういったことが皆から喜ばれて行った時代であります。
     天下泰平、世の中はこれで何事もないんだ。非常に幸福だという風な気運がみなぎっています時に、実はそれとは逆に、少年犯罪は激増しておったのであります。そしてますますこの犯罪傾向は増加の一途を辿(たど)っておるのであります。これは一番新らしい統計資料を持ってきたのですけれども、まだ昭和39年版が出ていないのですが、それが出れば恐らく3割を突破するのではないかと思っております。

    一番大きい教育の責任
     さて、ここで考えてみましょう。日本の子供たちは、ヨーロッパの子供たちにくらべて、親に対しても恩人に対しても無関心であり、冷淡である。また犯罪は激増してきている。こんな国が将来発展をし栄えてゆくと思われるでしょうか。これだけの材料を見ましても、この国がやがて衰え、やがて亡びるだろうということは、誰が考えても、歴史家に限らず、どなたがお考えになりましても、お解りになる筈であります。しかも、もっと注意すべきことは、こういう日本の現実であるにかかわらず、これらの子供たちの問題に対して、真剣に自分達の責任と考えて、何とかしなきゃならんと思っている人が果して何人あるかということであります。成る程、政府に責任があります。或いは社会にも責任がありましょう。資本主義社会というのにも責任があるだろうと思います。或いは家庭にも責任がありましょう。しかし最も重大なる責任のある者は外ならぬ教師であります。教師という者は毎日学校で子供たちを教えているんです。その子供たちが、こういう傾向にあるのですから、誰が何と言ったって教師に一番大きな責任があることは明らかであります。

    (以下略)


 
4. アカザの天ぷら

    大隅 M.O. 

     アカザについては、本紙9月15日号上(昨年)遠藤博士が書かれているし、昔からよく知られていますが所謂食生活の豊富で、その多用化している今日では、かえってよくわからないのではないかと思われますので、博士の文と重複の所もあるかと思われますが、私の体験と共に次のことを御紹介したいと思います。

     戦争末期の20年春の事、所用で岡山県総社市(当時は町)へ行った時、かねてほしいと思っていた「食用野草」に関する本で、陸軍獣医学校研究部著、毎日新聞社刊の“食べられる野草”を入手しました。当時不自由な食生活にどれほど助けられたか分らない事が、なつかしい思い出になっています。

       「アカザの類は栄養(蛋白質及塩類)に富み、永い間軟かく、各地に分布群生し、採草容易で利用価値大。高さ1〜2米位。茎は稍木化する。葉は柔かく、幼葉は紅紫色の粉を頂きつけた様で(美しい)、夏秋にかけて黄緑色の細かい花を穂状に着ける。
       稚葉が白味を帯びたものを特にシロザ(ギンザ)というが、同じ植物である。分布は、樺太より台湾まで各地。食用部位、葉、種子。食べ方。葉は蒸したり、茹でて汁の実、和へ物、お浸し等。或は飯に交ぜる。ハウレン草に似る。種子は醤油漬とし、蒸して皮を去り米に交ぜて飯とし、或は粉にして団子等を作り、乾して貯える。又同種の物に「コアカザ」あり、高さ30糎位、葉は小さい。次に「ハマアカザ」あり。海辺に生ずる草で高さ60糎位。夏秋に淡緑色の小花を開く。両種共食用部位はアカザに同じ」

     というものであります。「種子」については、以前知人から「薬用」になるとききましたが、何に効き、どうするかについては忘れました。御存知の方は御教示願いたいと存じます。もう大分前になりますが、私はフト気付いて「天ぷら」にして見ました。所が、大変風味もよく、甘味もあり、適当な歯ごたえもありで、今日では私の大好物の一つとなり、毎年実の熟する頃が待ち遠しい程になっております。
     前述の「種子団子や、醤油漬、種子飯」等はまだ試食しませんが、今年は一つやって見たいと思っています。定めし好食の一つではあるまいかと考えています。一つお試しあられん事を――。
     それから今一つ、春先き少し大きくなったもの2、3寸〜5寸位のものを浸物にしましたが、軟らかく、美味しく、何んとも云えません。種子を保存し都合のよい時まけば、いつでも食膳に供する事も出来るとも考えています。又アカザの木はまことに軽く、昔から「長寿の杖」としているともききました。


 
5. 制度病

    水野 H.M. 

     先年、アメリカのロックフェラー研究所のデュボス博士をたずねたさい博士は開口一番こういった。

       「ガンのワクチンができ、脳卒中をなおす薬ができても病気は決して減らない。いま、世界中の医学者や生物学者は、あまりにも局限された範囲の研究に没頭して、ウイルスや病原菌にこだわりすぎている。もっと広い視野で人間の病気を診断していかないと、医学はやがて病人をつくるために存在するようなことになろう」

     デュボス博士の考え方は、一見いまの医学をややぼうとく?したかのような感さえある。だが、よく考えてみると、たしかに一理あるようにも思える。人間の寿命は戦後日本では20歳近くものびた。だが、病気は一向に減る傾向はなくむしろふえている。疫痢、肺炎などで死ぬ人は減り、結核は不治の病ではなくなった。しかし、がん固な老人性結核や、耐性を持った赤痢の健康保菌者や、症状のでない淋病というようなものがかわりに生まれている。
     それだけではない。自殺はいぜんとして多いし国民の1割はノイローゼで、1割は胃腸の不快を訴えている。40すぎになって極端に太る肥満病は各国ともなやみのタネである。交通事故によるケガ人はふえる一方である。このようにみて来ると生活が豊かになり、バカンスをおう歌するほど、別の病気がやって来るようにさえ思える。
     スウェーデンであれだけ社会保障が行き届いて何一つ将来への不安がないのに、自殺とアルコール中毒と精神病の増加に困りはてている。“胎児から墓場までの保障”が逆に不幸を生んでいるというのはなんと不幸なことか。アメリカでは自動車の台数の増加と肥満病の増加のカーブが一致していて、しかも一方ではゴルフ族はそのカーブに比例してふえているという。こうなると、文明が病気をつくっていくとさえいえそうである。
     デュボス博士の話はつづく―。

       「いまや、病気を局限の段階でみてはダメだ。からだ全体のなかの病気という見方が大切であると同時に、社会のなかの病気にメスを入れなければ、人類は幸福から遠ざかって行く。いまの医学は病気そのものをやっつけることができても、人間のからだ全体から見ると、よくない場合もある」

     かっては顕微鏡の世界のなかにいた医学は、現代では、いやでも社会と密接な関係をもたざるを得なくなってきたようだ。「制度病」とよばれる一連の重症をどう救うかは、これからの大きな課題である。
    (医事評論家)


 
6. 積雪地のケール作り

    山形 K.K. 

     寒くなるとケールの青汁は格別うまくなる。然し当地方では幾年か冬季間のケールの確保に苦心した事であろう。寒くとも雪さえなかったら、ケールは存外耐寒性があって苦労が少くなるが、積雪(多くて50センチ位)にも対策を建てねばならない。青汁会の支部を作っても、ケールの配給が止まる様では、存在の意義を失うにも等しい。当支部が出来て4年目に入り今冬は漸く確保の目安がついたので、寒い地方の方々の御参考になればと思って、左に報告する。

     かっては暖い地方の人々を羨しく思ったのであった。何等苦労をしないでケールの栽培が出来、入手が出来ると云うことについてである。然し今ではこうして確保出来ると、雪国のケールは特に清浄でうまい事に、感謝せざるを得ない。これも熱心な会員の栽培者伊藤孫三郎、たけ両氏夫妻と云う人物が居ったからであろう。当支部会員は130名近くであるが、其の内ケールの受配者は40数名で、週に2回、冬分だけ1回配給し、1回の配給の量は80キロほどである。大体4ヶ月分1300キロのストックが必要になる。この植付面積は約1段歩である。会員も最初は少いし、どうせ冬期は駄目とあきらめて、お隣りの福島支部から分けて貰った事もあった。4年たった今日、配給受ける会員も年々5割位増加し本格的に冬囲い対策を建てられる様な経済性も出来た訳である。

     然し経済性より熱意であろう。伊藤夫妻に感謝したい。雪囲いの方法としては、個人的なものと当支部の様に集団的なものと二つに分けられるかと思う。個人的なものについては11月号に載って居った秋田県の梁田久之助氏の御報告が非常に参考になった。積雪前に長さ1米位の支柱を立て、軽く藁で結束した、とありましたが、非農家の自宅では、ビニールで軽く包む様にして居ります。葉の収穫を制限せよとの事で尤もです。
     次に集団的なものとして当支部でやっているのは、写真でお目にかけましょう。個人的なものと違って数量確保の条件を必要とします。ケールの生長する夏季には購入希望が少く、冬季だけ倍加します。一番困るのは消雪期の3月末頃から5月上旬頃の期間です。それでケール不足の時の補充用として、前年5・6月頃から雪下甘藍なども栽培して居ります。ケールは越冬用、早春用と幾段階に播種育成して居る事は勿論です。

     2・3年間の経験での失敗は、越冬法としてケールの株寄せをして、それに小屋掛などして大事にした事でした。採光の少い密閉式は黄葉が出来腐れが発生するのです。それで今年は徹底的大事にするならとビニールハウス栽培方法を採り、あとは写真の様に畑に株寄せしてビニールで包みました。放置しても葉の雪折れ以外は存外丈夫です。ビニールハウス内でのケールは、厳冬でものびます。最良の方法です。
     来年あたりから本格的に取組まうかと思って居ります。然し僅かの資金では出来ません。一冬のケール代金を棒にする覚悟が要ります。当地方の冬季は農山村でも、野菜が不足し血圧患者も多く発生します。此のシーズンにケールの入手が確保されると云うことは、ほんとうに遠藤先生の云わるる「天与の恵み」の感が致します。

    (40・12・16山形支部長)


 
7. 糖尿病全快

    神戸市 Y.M. 

     3ヶ年、糖尿病にかかりまして、当市大学病院に通院、加療しておりましたがハカバカしく快方になりませんので、何かよい養生法はないものかと、ある日、書店にて「青汁の効用」という書を読んでみましたら、よいようでしたので、購求して読了。早速、市場から野菜の葉を(冬期でしたので)求め、作って飲用して、メキメキと効果を認め、夏は青草葉をつづけ、只今は全快いたしました。



8. 全く別人のようになった

    岡山県 M.A. 

     青汁のことを知らなかった以前の私は、病の問屋の如く、またしても、又しても、此処彼処と、医者通いばかり致して居りましたが、一度、先生の青汁を知ってからというもの、全く別人の如く、医者通いはやんでしまいました。至って元気に暮させていただいています。老父母たちも、数え年89才と87才でございますが、青汁のお蔭で、健康な幸福な余生を送らせていただいております。



9. 疲れがない

    水沢市 B.I. 

     ケールの青汁を、毎朝1合位いただいておりますが、疲労感がありませんので喜んでおります。



10. 睡眠時間へる

    奈良県 M.D. 


     従来のキャベツ、ニンジンを、2週間前から、大豆葉、シソ葉などの青汁にきりかえてから(1日2回)、睡眠時間が平均1時間半も短かくなって、おどろいています。とにかく、これから一生懸命やるつもりです。



11. 水虫も便秘も潰瘍も

    西宮市 K.T. 

     昭和38年4月3日、長女より「青汁の効用」の本を見せてもらって、早速その翌日から、近くの畑にあるキャベツの外葉を入手して青汁を作り、その時同時にケールの種を送っていただき、また、その他野菜の葉など次々と探し求めて青汁を作って、1日に少くとも1回は飲んでおります。そのお蔭で、永年苦しんでいた水虫が完全によくなりました。それから便秘もよくなりました。また38年春頃から胃潰瘍と診断され、入院手術の一歩手前までの所を、青汁のお蔭で、現在は全く癒りました。朝夕2回に約1合位のコップに1杯づつ飲むのが楽しみになりました。腹痛などは、最近、忘れました。青汁をのむ時、のみにくい時は、一気にのみほして、その後でキナ粉(豆の粉)をおさじに一杯位ほうばったら、とても後口がよいです。



12. 希望にみちた毎日

    千葉県 K.W. 

     とりあえず大根葉、人参葉、かき葉カンランの葉の青汁をのみまして、本日で1ヶ月たちました。以前は就寝しても、すぐに眠れなくて、1時間以上も目がさえていましたが、この頃は、床につくとすぐにぐっすり睡眠できるようになり、体がつかれなくなり、また手足のだるいのも自然にとれてきました。胃の具合もだいぶ落着いて、食欲も出て来ました。何年も悩んでいた胃病も治りはじめ、明るい希望にみちた毎日を送るようになりました。



13. 運を天にまかして

    輪島市 S.K. 

     何治病と診断され、もうこうなったら運を天にまかして、医者のいう通りにして、はや4年。この春、いままでなんとも思っていなかった牛が、草を食っている姿を、のどかなよい日、ながめておりました。
     牛が草を食って私らによい乳を与えてくれる。これやア何かよい何かがあるナア!と思い、また運を天にまかして、早速、噂の汁しぼりをはじめました。汁はなかなかとれず、やっとコップ1杯とり、のみましたが、青くさくてなかなか飲めるものではありません。やっとこへんとこ、2ヶ月たちました。からだの工合もよいように思われます。気のせいかな。このことを書いた本がないものか、と思い本屋へ行き、あさっておりましたところが、一番うしろに「青汁の効用」を見つけ出しました。



14. 健康を守るため

    広島県 T.I. 

     芦田町役場に勤務しております保健婦ですが、去る6月、岡山で貝原邦夫先生の「健康と食生活について」講演をうけたまわり、現在の食生活が非常に危険なものであること、また、それにひきかえ青汁の効用について、あらためて認識を深くしたしだいです。と申しますのは、芦田町でも、青汁を熱心に愛用していらっしゃる家族ですが、乳児の発育のすばらしいのに全く驚いていた矢先、先生の講演をうけたまわったものですから、どうしても地区住民の健康を守るためには、まず食生活の改善からと思い、勉強をつづけてまいりたいと存じます。



15. 胃下垂

    水俣市 T.M. 

     私は胃下垂にて、慢性下痢で大変やせておりましたが、昨年の秋頃から青汁を飲み始めまして、今日まで一日も欠した事はございません。お蔭さまで、今ではおなかの調子が大そうよく、少し肥ってまいりました。



16. 質問箱

    山形県 I. 


     青汁の効果は葉緑素の効ですか。


     葉緑素と血色素とは化学構造が非常によく似ており、異るのは、中にあるミネラルが葉緑素ではマグネシウム、血色素では鉄であることだけ。また葉緑素の製剤には、ちょうど青汁と同じような効果があります。そこで青汁の効果は葉緑素によるものだ、という人が少くありません。しかし青汁の中の葉緑素は腸から吸収されません。したがって、胃腸管には直接の葉緑素効果もありましょうが、葉緑素剤(吸収しやすくされている)のような吸収効果はありません。そこで私どもは、青汁の効の大部分は、葉緑素そのものによるのではなくて、葉の中に豊富にある栄養素、ことにわが国の習慣食に不足の甚しいミネラル(カルシウムや鉄)とビタミン類の補給によって、栄養のバランスを改善することにある。と考えています。



17. 駅

     A.K. 

     人と人とのめぐりあい
     そして別れとすれちがい
     駅――
     そこに人生のドラマがある
     ある者は
     はじめて足をとどめたエトランゼであり
     ある者は
     乗りかえる旅行者
     帰郷――旅立ち――
     朝夕は通勤の起点として息づく駅――

     その中で
     昨日見知らぬ人が
     今日は離れがたき人となり
     今日の親しき友が
     やがてはそしらぬふりでゆき違う

     ゆううつな顔
     喜びの足どり
     さまざまの人
     さまざまの心
     さまざまの生活を背負って
     吸いこまれ
     吐きだされ
     急ぎ足で、又ゆるやかに
     その流れはとだえることなく……
     駅――
     そこに人生のドラマがある

    −40・9−



18. 平和な家庭

    1. 野良もどうやら片づいた        嫁が唄う
       父さん母さん御苦労さん
      疲れなおしにお二人で
       温泉旅行は如何です

    2. 留守はおいらが引きうけた       倅が唄う
       何の遠慮がいるものか
      行っておいでよゆっくりと
       少ないけれどお小使い

    3. 聞いたか母さん今のこと        父が唄う
       若い気持ちで出かけよか
      思いついたが吉日じゃ
       後はよろしくたのんだぞ

    4. 久し振りだよお父ちゃん        母が唄う
       たった二人で水いらず
      孫の土産に何買うか
       お湯に平和の花が咲く



 コラム紹介

    身は労すべし、やすめ過すべからず。      千金方

    体躯を労す、労するも亦養生なり。      言志晩録

    身は心のやっこなり、動かして労せしむべし。  養生訓



    老人の養生を忘れざるは固より可なり。
    然れども己甚しきに至れば則ち人欲を免れず。
    労すべきは則ち労し、苦しむべきは則ち苦しみ、
    一息尚ほ存しなば人道を愆あやまること勿れ。
    乃ち是れ人の天に事(つか)ふる道にして
    天の人を助くる理なり。
    養生の正路はけだし此に在り。

    言志耄録



    食事の度数は多く規則正しく摂ることができ、量がたっぷりになったことは、人類の生存に一つの大きな役割をつとめてきた機能――即ち、食物の不足に対して適応する力を殺してしまったのである。
    原始時代の生活では、人間は屡々絶食しなくてはならなかったものである。
    食物が乏しくて、それを余義なくされる場合でなくても、
    自発的にこの苦しみに甘んずることがあった。
    すべての宗教は断食の必要を力説している。
    (カレル)



    人はまづ健康ならざれば聖なるを得ず    (スエッチン) 



    人生の助言
    深山 旅愁 ご苦労さんでした。有難うご座居ました。
    この言葉が、どんなにか他人の心をまるくすることを思ってみよう。








ご意見・ご要望はこちらへクリック
階層リンク 田辺食品 青汁 健康と青汁 上の階層へ
サービスリンク 更新記録 全体構成 商品紹介 注文方法

Copyright 2004 02 田辺食品株式会社