健康と青汁タイトル小 <1965年10月15日発行 第110号>
 目次




1. 講座 肉食はよくないか(2)
前号参照クリック

     医学博士 遠藤 仁郎 

     肉類を食べるのは、主として身体に必要な蛋白質を補うためです。必要な蛋白質は、肉類のように質のよい蛋白質では、大体、体重1キロにたいし1グラム、ということになっています。
     つまり60キロの人なら60グラム。肉の中の蛋白質の量は約20%ですから、肉ばかりだと300グラム(約80匁)要るというわけ。
     しかし蛋白質は穀物や芋類、豆ことに大豆や大豆製品や野菜にもあるので、ふつうの日本人では、1日の必要量は70―80グラム。うち約30%を動物性食品から。つまり1日に肉や卵で100―150(蛋白質として20―30)グラムをとるべきだ、ということになっています。けれども蛋白質の必要量は、からだの大きさだけで、きまるものではなく、食物の組み合せによって大いに違って来ます。
     上の量は、今の日本人の習慣食のばあい――ビタミンやミネラルの不足した不完全栄養、したがって蛋白質の体内処理の不完全な食べ方、いいかえれば体内で無駄にすたっている栄養分の多い食べ方のばあいのことです。
     もっと栄養の組み合せが完全になり、ビタミンやミネラルが十分になると、蛋白質の利用率はずっとよくなり、体内での消費も少くなるので、遥かに少い分量で足るようになります。
     たとえば肉食に偏った食で100グラムの蛋白質が必要なものにも、ビタミンやミネラルの豊富な菜食になると、僅か25―30グラムでも十分だという事実さえあります。
     そこで、肉類だけ、あるいは穀・肉ばかり食べるのでなく、それらに良質菜っ葉(ビタミンやミネラルの豊富にある)を十分に添えるばあいは、決して普通いわれているほど大量の蛋白質は必要でなくなります。
     また、大豆などのような優秀蛋白質にとむ食品があれば、一層肉の量は少くてよい、いや全然動物性蛋白質は無くてもよいのです。
     ですから、ともすると害をなす恐れのある肉食をへらすには、ともかく、ビタミンやミネラルに富む良質菜っ葉を十分に補い、バランスのとれた完全食、いやむしろビタミンやミネラルに余裕のあるくらいにし、必要な蛋白質量をへらすように努めることです。
     またそうすれば、良質蛋白質の供給を増すことにもなります。


 
  植物性蛋白質  

     というのは、これまで一般に植物性蛋白質は、質的に劣っており、血や肉など体構成材料としての価値が少いので、不適当だ。ために、良質蛋白源として動物性食品にたよらねばならぬように教えられていました。
     しかし、植物性蛋白質も決して、すべて質が悪いのではありません。
     蛋白質の質は、それを構成しているアミノ酸が人間の蛋白質のアミノ酸に近いほど人間の血や肉になりやすいので、それだけ優秀なわけですが、動物性蛋白質は、大体そういう性質をもっています。
     そこでこれが優れているといわれるのです。
     穀物や芋類や多くの豆類の蛋白質は、なるほど、ある種の必須アミノ酸(なくてはならぬ大切なアミノ酸)の少いものがあるので、動物性蛋白質に比べて劣っています。
     しかし大豆の蛋白質では、ずっとそれらよりもアミノ酸がよくそろっているし、菜っ葉類の蛋白質ともなれば、殆んど肉類のそれと差がないほどアミノ酸がそろっており、決して動物性蛋白質に劣るものではありません。
     それは野生の草食獣が、牛でも、馬でも、いやサイや象までもが、ただ葉だけを食って、あれだけの体躯をもつことを考えてもわかるというものでしょう。
     蛋白質は蛋白質からでなければ出来ないので、葉だけであれだけの体、つまり蛋白質が出来ることは、その中の蛋白質が、いかにすぐれているかを示すものですし、化学分拆上の結果もこれを裏書しています。
     また事実、最近では、一般緑葉の蛋白質が動物性蛋白質の代用としての価値が高く評価されて来ています。  そこで、動物性蛋白質でなくても、こうした良質植物性蛋白質をとっていればよいわけですし、少くともこうした植物性蛋白質があれば動物性蛋白質はずっとへらすことも出来ます。
     なおこれら植物性蛋白質源、ことに菜っ葉には、同時にビタミンもミネラルも十分にそなわっている点から、条件はさらに有利なわけです。(植物性蛋白質が害作用も少く無刺激性である、といわれるのもそのためでしょう。)
     ただ欠点といえば動物性蛋白質に比べ消化吸収がよくないことと、味がよくないことですが、これらは食べ方の工夫で解決することです。
     また、ビタミンやミネラルの点で、内臓、乳、卵、大豆などは、肉類よりは、よろしい。しかしこれらとても、それだけでは不完全で、いく分かづつの良質菜っ葉が添えられなければ、本当に完全にはなりません。
     ところが、ふつうには肉や卵や豆とともに飯やパンを食べます。また砂糖、菓子、酒もあります。
     したがって、いつも菜っ葉に十分の余裕のあるよう心がけられなければなりません。
     それはともかく、食べものの組み合せを合理的にして、栄養的にうまく調和し、しかもビタミン・ミネラルに十分余裕のあるようにすれば、肉食しても少しも差支はありません。まして、植物性蛋白質をふやして肉類をへらせばさらによいわけです。
     したがって、一部菜食論者の主張するように、動物食を、極端に排斥するにはあたらぬことです。
     但しそれは、あくまで上述のバランスを守ること、ことに良質菜っ葉をしっかり摂って、ビタミン・ミネラルに十分の余裕を残すようにしての話です。
     もしそうでなく、現在のような不完全な食構成のままで、ともかく高蛋白食が大切だ、必要だと、むやみに肉類、とくに脂肪のつよい肉類をとるばあい、種々の病気を原因し、あるいは悪化することも、到底まぬがれないでしょう。
     したがって、純菜食か、なるべく菜食に傾くほうが無難というものでしょう。

 
 脂肪

     陸棲動物、牛、豚、鶏などの脂肪は乳脂(バタ、クリーム)とともに、血液コレステロールを増し、動脈硬化を原因するといわれています。
     そこで、これらの肉類は、なるべく脂肪の少いやせ肉にすべきです。
     もっとも海棲動物の脂肪には、そうした傾向がないそうですから、肉を食う動物としては魚介類のほうが、有利というものらしいようです。
     なお、調理用脂肪としても、肉食に傾く食習慣では、とかくバタや牛豚脂が使用されがちですが、植物油にはヤシ油を除いて、動物性脂肪に多いコレステロール増加作用がないばかりか、むしろ血液コレステロールを下げるようにはたらくといいますから、これら植物油のほうが、ずっとよいわけです。

 
 安全性

     次に牛・豚・鶏など家畜の肉の良否は、その飼育法のいかんによります。
     現在の畜産では、多くのばあい、まず畜舎が問題である上に、飼料は余りにも不完全かつ不合理になっています。
     すなわち完全飼料と称せられる、不完全きわまる構成の飼料であるばかりでなく、(したがって栄養の点からもはたして本当に健康的であるかどうかの問題でしょうし)、今一つの問題は原料そのものの安全性です。  降下性放射能物による汚染はともかくとしても、気になるのは農薬による汚染です。
     今は、農薬なしには農業は成り立たぬ、といわれているほどで、あらゆる面で農薬が用いられ、むしろ甚しく乱用されています。
     そこで、飼料用の糠、雑穀、豆、芋、野菜、あるいは牧草などに施用された農薬が、ごく少量づつでも残っていて――各の飼料についてみれば、おそらく中毒するほどのことは勿論なく、殆んど取るに足らぬほどの微量にすぎないかも知れませんが――それが、ながい間に動物体内に蓄積されていないでしょうか。
     アメリカなとでは、DDTその他脂溶性のものが脂肪組織の中に、かなりの%にたまっているということですが、もしやわが国でも、そうした心配がありはしないでしょうか。 
     また、不健康な環境、不健康な飼料を与えられて病弱となった家畜に、病気の予防あるいは治療のために、用いられる薬剤(抗生剤その他)も少くないし、肥肉の増産のために用いられる成長促進剤(ホルモン剤や抗生剤など)もあるのですが、そうした薬剤が食肉の中に残っている心配はないでしょうか。
     また、屠殺後に防腐その他の目的で加えられる薬剤にも、ながい間には災をもたらすようなものがありはしないでしょうか。

 
 魚介類

     海産の魚介類は、自然の環境の中で育つものですから、養殖ものを除き、飼料に関する問題はもちろんありません。
     しかし、遠洋ものは貯蔵のために防腐剤や殺菌剤や抗生剤が加えられているそうです。
     こうした点から、いわゆる地ものの「イキ」のよいものが好ましいわけです。
     しかし、一面、これら沿岸や河川の魚介類には、工場廃液または農業、さらにまた、これも甚しく乱用されている洗剤などによる汚染の危険がしだいに大きくなって来ています。

 
 加工品

     加工品ともなればさらに、多くの危険がはらんでいます。
     塩乾魚などでは食塩も問題ですが、これは塩ぬきすればよろしい。
     ミリン干など、今では本物のミリン干はなく、大抵はアラビアゴム干だそうですが、これはそう大した問題ではありません。
     燻製品では煙の発癌性が問題になっていますが、これはどうでしょうか。
     また罐詰では、馬肉や鯨肉が牛肉に化けたり、マトン(羊肉)やカジキがハム・ソーセージに加工されているとしても、それは大したことではありません。
     カマボコには、製造所に行ってみればわかることですが、随分どうかと思われる材料が使われています。しかし、それでもこれらは、実はまだそう大した問題ではありません。
     本当の問題は、これらの加工の際に用いられる混合物や添加物――防腐剤、防臭剤、漂白剤、着色料または人工甘味など――これらが、はたして無毒のものばかりでしょうか。実のところ私どもには全くわかりません。
     多くのものは、ただ売らんがため、儲けんがための製品であって、消費者のためを考えに入れた、新鮮良質の材料をつかい、危険な混ぜもののない、本当に良心的なものが、はたしてどれだけあるだろうかと疑いたくなるのが、遺憾ながら現在のいつわらぬ現実なのです。
     無論これら加工品に添加されている色素・人工甘味・薬剤などは、あるいは毒性の弱いものであるかも知れません。また分量は、それぞれの食品についてみれば、殆んど取るに足らぬ僅かなものにしか過ぎないかも知れません。
     けれども、あらゆる食品が加工されている今日です。
     毎日とる食品のどれもこれもが、少しづつでも有害物をもっていれば、一つ一つの食品の中の毒性は極微でも、食べもの全体としては相当なものになるでしょうし、それが毎日つづくとなれば、ながい間には積り積ってどんな害をもたらすか、わかったものではありません。ですから、一つ一つの食品の中の分量が少いからといって、少しも安心できないと私どもは恐れるのです。
    (つづく)


 
 
2.クシャミの効用

     クシャミは、鼻腔内の刺激によって中枢が興奮し、反射的に気道(鼻腔、気管、気管支)の分泌の亢進と、強い吸気がおこり、ついで、横隔膜と腹筋のはげしい収縮による腹圧の上昇とともに、強い気流を噴出するもので、本来は気道内にある異物を除くのが目的だ。
     ところで古方には、このクシャミを利用した療法になかなか面白いものがある。

     腹圧上昇によるもの
     鼻腔や気道の中の異物だけでなく、食道につまった物を除くためにもクシャミが応用されている。
     本草歌に、「餅などが咽喉へつかえて苦しまば、紙撚(こより)を鼻にくしゃみさすべし。」
     ヒポクラテスは、分娩の後産を促がすために、鼻に藜蘆(リロ)根をあてて噴嚏せしめ、同時に鼻口を圧えさせている。

     分泌亢進によるもの
     鼻腔内の清浄法として杏林内省録に、
     「医便に、温疫の家に入りたる後、紙撚を以て探り、深く入れ、噴嚏せしむ、」とある。
     温疫といえば流行性熱病のことだから、さしあたり流感のようなものだろう。
     古方では、その予防策として、その家にはいった後でクシャミをして鼻腔内を掃除しているわけだ。
     こういう流行病には、病原体が鼻腔や咽頭から侵入するものが多いことからみて、今では精々ウガイくらいしかしていないのに比べ(これでは口腔と咽頭部だけしか掃除できない)、古方の方が(鼻腔まで掃除するのだから)ずっと合理的だといえそうだ。

     浄血法として
     古方では汗吐下(発汗・嘔吐・潟下)の三方が浄血法として重要視されているが「鼻涕も嚏も皆吐剤の理なりと張子和はいへり」(蘭軒医談)で、クシャミも吐方の一とされた。
     ヒポクラテスも、クシャミを頭部の排泄法だとしている。

     健康法として
     吉林内省録には、また、「前備の国学者萬波辨吉なる人、壮年より此の術(紙撚でクシャミをすること)を行って、耳順を過ぎても無病安健なりしは、即ち予が目撃する処なり。
     この法を貧民に授くるも亦仁術の余緒にして、摂生の一端ならん」とあり、健康法でもあるらしい。

     中枢刺激法として
     解剖学的に、鼻腔は脳幹の中枢に近く、うすい骨で境するだけだし、淋巴も交通している。
     そこで、鼻腔に入れた薬物は中枢に達しやすいというので、古方では
     卒死を救う法として、噴嚏剤が鼻腔内に応用されているし、ヒポクラテスは、「吃逆(シャクリ)はクシャミがおこれば治る」といっている。
     また中枢マヒや痙攣へ強直や牙関緊急=痙攣で口のあかね状態などにたいしても、はげしいクシャミをおこさせている。
     クシャミをおこす方法として、古方では随分の劇薬がつかわれているが、無難なものは、羽毛や紙撚でくすぐることだの、胡椒末や唐辛子粉を吹きこんだり、火にくすべて煙をかぐのもよかろう。
     なおパスカルは、「クシャミは霊魂のあらゆる機能を中絶させることに於て仕事に似ている」といい、野乃舍随筆には、クサメの語原について、「クサメは休息萬命と云う呪文の転音。按ずるに、休息萬命をつづめればクサメとなるなり」とあるから、どうやら気分転換といった意味もありそうだ。
     いずれにしても、アクビと同様、クシャミもまた、なかなかもって、おろそかにはならぬもののようだ。



3.遠藤青汁の会 昭和40年度総会より その3

     これは東京の田辺さんが、最近始めたことである。
     この田辺さんは、十数年前、32才の頃、胃潰瘍を患い、遠藤先生の青汁療法で、やっと治った体験の持ち主である。
     ために、当人は、もちろん、親も弟2人も、一家全員、毎日、青汁を飲むようになり、かつて味わったことのない健康を、共に喜ぶようになったのだ。この喜びを広く人々に伝えている間に、いつのまにか、お花の師匠が青汁屋さんになり、さらに親も弟2人も青汁屋さんになってしまったわけである。
     当の田辺さんは、ただ今、東京で、遠藤青汁友の会の支部をつくり、また横浜で、青汁スタンドを開いていると、いろいろな人が相談にやってくる。そうした人々に共通している様子は、だいたい、こうである。

     第1に、高血圧、肝臓病、胃潰瘍、神経痛といったものになやまされているとのこと。
     第2に、仕事の都合もあるのか、外食が多く、ご馳走を食べ、酒とコーヒーを沢山のんでいるとのこと。
     第3に、これまで度々、医師の診断をうけたが、なかなか治らないので困っているとのこと。
     第4に、青汁を飲んだら、酒をやめなくても、病気が治るか、という注文をつけること。
     第5に、当人に聞いてみても、また宅へ参上して台所診断をしてみても、台所と調理が、一家の栄養工場としては、まことに貧弱であり、とりわけ青野菜は殆んどなく、カン詰ビン詰と菓子その他既成の加工食品が非常に多いこと。

     病気は、当人の養生と 医師の診断で治るものを
     こうした人々は、ちょっとやそっと青汁の話をしても、容易に分かるものではない。ハラの中では、病気は、医師がクスリで治すもの、と考えているらしい。だから、この頃は、青汁の話を本気でする前に、まず当人が、心いくまで、医師を変えても、クスリで治療してみるように、すすめてみる。
     だが、病気というものは、当人が、自分自身も養生とりわけ食養生につとめて、本気になって治そうとしない限り、そうは簡単に治るものではない。けれども、本気になって養生につとめるものは、実際そう多くはないらしい。そして、自分の病気は、どうにも仕方がないと、なかば、あきらめる向きも少なくないようだ。
     けれども、なかには、医師とクスリでは、どうにも治らないと、得心がいった末、青汁でなんとか治らないかと、本気になって相談に来る人もある。こんな人には、こちらも本気になって、親切に相談にのってみる。

     食養生は、青汁の飲用と 飲食物全体の改善で
     ところで、青汁は、養生とりわけ食養生のひとつの手がかりであって、決して全能万能ではない。青汁は、人その人の飲食物全体の様子によって、効き目のあらわれ方が非常に異なる。
     来談者は、この飲食物が、栄養上著しくかたよっており、その上、有害有毒物もかなり多い。飲食物全体を徹底的に改めない限り、青汁を少々沢山のんでも、容易に効き目があらわれない人ばかりだ。

     徹底的な食養生は 当節では至難なこと
     ところが、こうした事情と、その具体的な方法は、ちょっとやそっと説明しても、なかなか分ってくれない。たとえ当人に分ってきても、その世話をする主婦に納得させるのが大変である。やっと納得してくれても、当節の飲食物の市場では、実行が至難なわざである。
     だが、なんとかして青汁で治りたいと、真剣に相談に来た以上、そして、こちらも本気になって相談に応じた以上、至難なわざでも、やりとげねばならない。こうして試みたのが青汁養生所である。

     労働しながら 青汁と青野菜の生食のみ
     幸い、千葉の田舎に、青汁材料を栽培してもらっている人がいる。旧工場跡で、ポロではあるが広い家もあり、畑も広い。そこに一人預けてみた。中年の新聞記者で、堂々たる体格の持ち主であるが、高血圧で困りぬいている男である。この人に、こうしてもらった。

     第1に、 ぶっ倒れそうにならない限り、終日、気のむくままに、青野菜作りの手伝いをすること。
     第2に、そこで作った青野菜を、食べられるだけ沢山、青汁にして飲み、サラダにして生食すること。
     第3に、これ以外に、豆腐を少々食べてもよいから、近くの豆腐屋に自分で買いに行ってよい。だが、これ以外のものは、よろしいと云うまで、いっさい何も食べないこと。
     第4に、医師にもらっているクスリは、のみたければ、のんだらよい。
     第5に、近くに開業医があるから、心配なことがあったら、相談に行ってほしい。

     効果、大いにあがる
     この人、医師にもらっていたクスリは飲まず、別に近くの開業医に相談に行くこともなく、指示した通りに、やり始めた。ところが、2週間ほどで、気分がまことに爽快となり、体が軽くなってきた。これまで困りぬいていた動悸、息切れ、頭痛、肩こり、目まいといったものを、あまり感じなくなった。事実、体重が減り、血圧も下り始めていた。
     勤め先には、1カ月の休みをもらっていたので、その後は、だんだんと普通の食事に切りかえ、普通の勤務ができるようにした。そして、今では、体も軽く、はればれとした気持で、毎日仕事に精出している。だが、普通の食事といっても、青汁と青野菜の生食を取り入れて、栄養上、完全に調和したもの、しかも危険有害食品を排除したものであることは、いうまでもない。
     こうして、これを「青汁養生所――グリーン・ホーム」と名づけて、真剣に青汁養生をしたいという人を預かって、その最も有効適切な養生法を、目下、実地に則して研究している。

     理想的な養生法
     なお、いうまでもないことであるが、この養生指導は、医師でない田辺さんが、勝手にやっているのではない。医師の指導のもとに実施しているのだ。
     また、この養生法は、これまで遠藤先生が、多くの患者に、入院または自宅療法で試みて、確実な効果を収めているものである。これを、田辺さんが、さらに発展させたのであって、体の様子に応じて労働させながら、しかも空気のよい田園で試みているのだ。
     遠藤先生が、かねがね、ぜひやってみたいと思っていたことに適切に試みているわけであり、ひとつの理想的な養生法である。


 
4. 祷り (カレル・人間)

     祈りが病的状態に及ぼす影響についての我々の概念は、殆んど瞬間的に治されたいろいろの病気、たとえば骨結核や、結核性腹膜炎や寒性膿瘍や骨炎、化膿性創傷や、狼瘡や、癌のような病気の視察からでき上っている。
     治癒の経過は個人によってあまり違うものではない。屡、非常に大きな苦しみを伴う。これから突如として快癒の感が湧いてくる。そうして数秒にして、或は数分にして、長くて数時間にして、傷が閉じ、症候が消え失せ、食欲が戻ってくる。
     時として、機能的な混乱が、器質的な故障よりも先になくなって行く。ポット氏病による骨の変化や癌性腺腫などは2、3日おくれて治癒の後まで残ることも時々ある。
     奇蹟的な治癒は、肉体の修繕の経過が非常に速くなるというのが特徴である。解剖的な損傷の治癒の速度が、普通の速度よりも非常に大きいことは疑うべからざることである。
     この現象に必要かくべからざる条件は祈りである。しかしながら、病人自身が祈ったり、病人自身が宗教的信念を持たねばならないという訳ではない。ただ、病人の傍の誰かが祈りの状態にあればいいのである。
     かくの如き事実は、甚だ重要な意味があるのであって、まだ我々が知らない性質の関係が、精神と肉体の間にあることを示すものである。


 
5. 食品添加物の影 いわゆる「恐るべき食物」について


 
5-01. まえおき  

     近代の化学・工業・交通機関等のすさまじい発展と、一般消費者の要望と業者の利益が相互に助け合って食品の加工・保存法が短期間の内に真に目覚ましい発展を遂げて来て、今や我々消費者が日常、口にする市販食品で、何等かの食品添加物の用いられていないものは殆ど皆無となってしまっている。現代食品加工業は、この添加物なくては全く成り立たないとも言えよう。昔は自分の住んでいる土地の近くに出来るものを、その季節にしか食べられなかったのに、今では金さえ出せば、殆ど世界中の食物をどんなものでも、ほしい時に何処ででも口にすることが出来るようになった。全く便利になったものだ。これもいわゆる文明開化のおかげだろう。そうして見た目にも味わった舌にも一応の快感を与えてくれ、食欲のない病人にも、食欲を掻き立ててくれるようになった。又味の少し悪いものや、色の優れないものや香りの余りない、或はそれらの低下したものなども、添加物により手軽に味も色も香りも、より引立ったものにも変えることも出来るから、比較的低廉でありながら、おいしそうなものが経済的に余り余裕のない人々の口にも、かなり容易に入れられるようになった。
     これらは確かに食品添加物の発達と普及の賜物だろうが、現在殆どあらゆる市販食品中に、それぞれ何種類宛かの添加物が用いられ、しかもその傾向は益々強められて行く一方のようである。中には「食品」とは言っても、天然の食品的要素は殆ど何も入っていないで添加物(と水)ばかりというもの迄現われて、しかもそのようなもの(インスタント・ジュースや清涼飲料など)が成長産業の一つというようにさえなって来ているという。かようにまでなって来ると、如何に添加物の有難味があるとしても、私は些か首を捻らざるを得ないのである。何故かというと如何に世界一、薬好きの日本人にとっても、食品添加物はやはり食物ではないということである。
     近年、添加物の慢性毒性、発癌性、発癌補助性が、学界で取り上げられて来たが、医薬品のように人間の一生に於て時々、例外的に、しかも個人個人に対する医師の適当な指示の下に与えられるのならよろしかろうが、食品添加物は現在では胎児時代から死ぬ迄、毎日毎食、好むと好まざるとにかかわらず、又医師の管理によることなく、殆ど強制的に摂り続けさせられるから問題と思われる。
     尤も、添加物濫用の危険性に対して一時よりは大分、一般の関心も払われ始めたが、未だ未だ、とても十分とは言えぬ段階に留まると思われる。


 
5-02. 発癌性・毒性は?

     添加物についての毒性の研究は近頃大分盛んになって来たが、研究が始められたのは終戦後であると言ってもよいぐらいであるから、未だ未だ極めて不十分な段階に留まるが、以下極めて簡単に触れて見よう。

    (1)着色料の発癌性について
     添加物の急性中毒は、余程の過失か故意によって、大量に、或は不純物を用いたりせぬ限り起らぬだろうし、又、たとえ起こっても、その症状が明らかであり、直ちに注目されるからまだよいが、発癌性や発癌補助性とか慢性毒性などということになると、我々の日常生活中にそのような可能性の考えられるものは余りにも沢山あり過ぎるから、その因果関係を確かめることは難渋を極めるし、その障害が潜行的に進み、外から判るようになった時には、既に病状が進み過ぎており、又そうなってからでは処置が特に困難な肝障害が多いから一層困るのである。
     近年は、悪性腫瘍が漸増しつつあるとされ、文明諸国を挙げて悪性腫瘍の研究に力が入れられており、国連の世界保健機関、或は又我が国でも癌研究所・癌センターを始め、諸大学医学部が日夜究明に寝食を忘れて努力をしておられるわけだが、添加物中の着色料と発癌については、諸癌学者により早くから強く注目されていた。
     さて、国際対癌連合に於て、諸国の政府が使用を許可している合成着色料の中で「発癌の危険性〜疑いがある」と指摘された(1956年)ものの数は、日本では24種の肉12種で、世界第2位という寛大な行政振りであり、米国の12種中5種より大分成績不良である。何事も米国を見習いたいとすると、これでは不宵の?弟子となる。日本での許可色素中、橙色・緑色・紫色の色素は全部対癌連合でマークされたものばかりである。
     本年4月1日に厚生省は、我が国での許可食用色素赤色(全部で11種)1号と101号についてはラットの実験に於て肝腺腫・腎変性を見たので人の健康上にも疑問があるとして、本年10月1日以降、一切の食品への使用を禁止する旨、厚生省令及び告示改正を行なった。
     又、我が国での許可食用色素黄色(全部で5種)2号・3号のような油溶性色素を許可している国は今日少ないとされるが、慈恵医大、公衆衛生の竹村望教授らの研究によると、これら二つの黄色色素の検索した全部の製品に、強い膀胱発癌物質β―ナフチラミンを証明したが、それは製造過程において使用するβ―ナフチラミン残留のためという。
     日本政府の許可色素中から、癌研究に於て世界的に、或は国内的に権威ありと自他共に許すべき機関により、かくも発癌への心配あるものとしてマークされたものが続出して来る上に、2種以上の添加物間に相乗〜相加作用があり得ることが指摘されてくるとなると、「恐るべき添加物」という声は強ち、「添加物ノイローゼの声」と一笑に付することも困難となって来よう。尚、我が国で癌研究で最も権威ある学者の一人である癌研究会附属病院長の黒川利雄博士も、近著「ガンの実体」中に、悪性腫瘍と食品添加物・殺虫剤・農薬との関係や洗剤の発癌助長性に触れ、更に化学肥料の人体への影響の危懼を述べておられるのは注目に値しよう。

    (2)胎児への影響
     岩手医大の田中領三助教授によると、最も無害な人工甘味料として国の内外で認められて来たシュガロンを始め、サッカリン・ズルチン・エリスロシンでさえも、その実験動物半数致死量の2000分の1、140分の1、70分の1、7分の1を唯の1回、受胎4〜10日のマウスの胃内に投与すると、母マウスには殆ど変化が認められなかったのに、受胎18―9日目の胎仔の過半数に致死的効果を認められたという。その後、同助教授は確実性を高めるために、かなり実験を重ねられたが、それによると、大筋としてはその成績に余り変わりはないと考えられる。かような実験方式は従来の毒性検定には行なわれなかったものである。若しこの検討法の価値が認められるなら、従来の他の一切の許可添加物についても本検定法により再検討するべきことは勿論、種々の医薬品についても本法による再検討をする必要が出て来ると言えよう。
     それはともかく、現在の一般市販食品中に、かような添加物の入ってないものを見つけ出すことはかなり困難であるし、又都市生活者の妊婦で、かような食品を僅か1日だけでも全く口にしないことは余程特殊な条件下の人でなければ恐らくむづかしかろう。マウスと人間とでは勿論、話が違って良いわけだが、すべての薬品類の人体についての安全性は、従来、動物実験での成績に殆ど全く依存せざるを得なかった。となると、かような現在の一部の人間にとり都合の悪い?成績の出た時のみ、動物実験による成績だからという理由で、人間への適用〜準用を拒否するのは不合理であろう。

    (3)肝臓には?
     近年我が国では肝機能異常者が多いと云われて来ている。これらの人々の中、果して何処迄本当に臨床医学的に意味ある肝機能異常者があるかが問題であるが、反証が明らかでない限り、やはり一応、多いとせざるを得ないのだろう。ところが、生体内に摂取された異物―化学物質の解毒は肝臓に於てなされ、肝臓から排泄されるのが主と考えねばなるまい。とすると、近年の肝機能異常者の増加の因の一端を、かような食品添加物・農薬・その他諸々の医薬品・化学的汚染物・洗剤・化学肥料などが担っているかも知れないという検討がなされることも強ち無駄なこととも思えない。又注意すべきはそれらの化学物質の毒性・発癌性等については相加・相乗作用のあり得ることも指摘されて来ていることである。
     生物には適応力があり、添加物の有害効果にも、次第に生体が適応するだろうから、それ程、心配することはあるまいという人もあろう、しかし、生物の適応能力は一般に一定の限度内のことに留まるし、又何世代もの間に徐々に生じ得るのである。化学的合成添加物が用いられ始めたのは僅かにこの数十年に過ぎぬ。一つの添加物にさえ、そのような短期間に十分適応し切れるようになるとは考えられない。しかも、刻々新しい化学物質が出廻って来るのだから、とても、それらの多数のものに十分には適応して行けるわけがあるまい。
     かような添加物は、現在一般市販食品中には先ず例外なく幾種類宛かのものが使用されている。かようなことでは、解毒機能や排泄機能の余程ズバ抜けて優れた肝臓や腎臓などを持っていないと枕を高くして眠れぬようである。では強肝薬ということになるかも知れぬが、その強肝薬も必ずしも安心ならぬとあっては、愈々以て頭をかかえてしまうということになるだろう。


 
5-03. 放射線処理法の登場!

     添加物ではないが、添加物に関連して一言つけ加えたいことは「添加物警戒」の声が次第に学会でも高まって来たために、その中でも特に毒性の点で問題視され易い防腐剤に代わるものとして放射線処理が世界的に取り上げられて来て、現在迄の実験では有害性を証明されないので愈々実用化され始めようとしている。
     この方法によると、牛乳は毎日経っても腐敗しないし、イチゴも2週間経っても鮮度が落ちないし、リンゴも完熟状態で貯蔵出来、しかも経費は極めて低廉というから、腐敗し易い農産物にはもってこいと喜ばれそうである。売り急いで値を叩かれることもなくなり、面倒な加工も変質の心配もしないですむ。その上、大変な経費節減になるのだ。正に食品工業のみならず農業全体は一変するだろう。私に言わせれば「それは人間の食生活での第4革命になるだろう」だ。第1の革命は火食、第2の革命は農耕、第3の革命は農薬・化学肥料・食品添加物の使用である。
     それはともかく、米国では1昨年2月、既に高線量照射で完全殺菌した罐詰ベーコンの製造販売が許可された。それより遥かに少量の照射をした食品は勿論間もなく正式許可されようとしており、この方法で処理した食品で、1970年迄には商業ベースで販売されるものは穀物・芋類・野菜・果実・動物性食品等あらゆる面に亘ってかなり多くなるだろうという。我が国でも数年内には、実用化されて市場に出廻る見込とのことだ。
     しかし、日常食品の大半が本処理法を受けるようになれば、それを長年月摂り続ける人間全般に対し果して全く危険性はないものかと私は心配である。食物が腐らないということには、食物の外からの微生物の作用を阻止する以外に、恐らく、食品中の酵素を不活性化することも加わっている筈である。細胞が生きているからこそ変質も起るわけだ。変質せぬということは細胞の生きることでの一大変革の結果とも考え得るだろう。生あるものには必ず死があることは古今・東西を問わず万物に通ずる鉄則だ。放射線処理では蛋白質の変化が起こり易いことは常識であるし、酵素も不安定な蛋白質部分を持っている。又放射線処理をする原食品の諸農作物は既に生産過程で農薬処理により酵素活性が多少にかかわらず障害される可能性も考えられよう。
     癌と酵素との関連性も指摘され始めていることでもある。又農薬の支えで生産され、更に照射線処理をした市販の食品の氾濫は、消費者の選択の自由をやはり奪うことにもなろうから、少なくとも私は、もっともっと長期にかけて視野の広い十分な研究の上にしてほしい。


 
5-04. むすび

     以上、我々の日常生活に滲透し切っている食品添加物にまつわる暗い影について概略を説明した積りである。かような実情では、国家に法規があり、行政当局が監督に努力しているからというだけでは、消費者が必ずしも十分に安心出来なくても無理もあるまい。添加物を始め種々の化学物質の氾濫〜薬害や諸々の文明病を恐れ、「ノアの箱舟」的に逃れることを願って宗教に頼る人々も中にはいるという。それもよいかも知れぬが、添加物などの眼前の問題を根本的に解決するためには、消費者・研究者・業者・行政当局がそれぞれ、自分達のみならず、愛する夫・妻・或は次代を担う子供達の健康維持・増進という大きい目標に向って、一致協力して行かぬことには、殆ど全く何ともしようがないだろう。
     本来なら、行政当局の強力な指導があれば最も手取り早いのだろうが、残念乍ら、実際上の今迄の成り行きから見ると、先ず消費者が自覚し団結して行政当局やメーカーにその意志をはっきり行動に示して伝えたり、良心的な業者と協力して健康上望ましくない恐れのある添加物などで加工せぬ食品を確保することが最も行なわれ易い方法かと私には思われる。
     尚、添加物問題に絡んで、我々を考えさせるのは、単に添加物自体の毒性や発癌性などという問題よりむしろ、文明とコマーシャリズムと人間の健康〜幸福とのバランスの問題であろう。眼前の便利・多収・営利のためのみでなく、もっとも長い眼で広い視野から、これら3つのかね合いを熟考しないと、意外な重大な事態が遠からず起こらぬとは言えまいと思う。

    (紙面の都合で一部省略したことをお詫びします。)編集者


 
 
6. アオキチさんは ほうとうに幸福

     友成 左近 

     「青汁教室のアオキチさん」と題して、6回、青汁教室に出席している方々の行状の一端を稿にものしてみた。ものしている間に、その健康の喜びに感じ入った。だれしも求める幸福は、幸あれと、ひとにつくす喜びであると、つくづく思い知った。 (友成左近)

    わがままに打ちかって 丈夫になった喜び
     アオキチさんたちには、それぞれ、厄介な病気で苦労した方が多い。いろいろと、医師の治療をうけ、養生をした、そのはてに、青汁を飲んで、やっと丈夫になったのだ。青汁で救われたと実感している。
     しかも、この青汁は、そうおいしいものではない。いうなれば、飲みずらく、まずいものである。それに、毎日、作って飲むとなれば、それ相応に手数がかかり、厄介である。どんなにすすめられても、飲もうともしない方が多く、たとえ飲み始めても、毎日つづかない方が、これまた多い。
     青汁を飲み始めるには、それ相応に決心が必要である。毎日、作って、必要なだけ多量に飲み続けるには、よほどの努力が必要である。手術をうける場合と、ちょっと様子がちがって、みずから、わがままに打ちかって、丈夫になろうという決心とたゆまぬ努力が必要なのだ。アオキチさんたちは、こうした決心と努力のはてに、丈夫になったのである。
     厄介な病気をした後の健康は、それだけでも嬉しいことである。アオキチさんたちは、この健康を、みずからも努力して、ようやく、かち得たのであれば、その喜びは、また格別である。みずからアオキチさんを求めては、互いに顔をあわせ、その喜びを共に分かちあっては、また喜んでいるのだ。そして、青汁を、より正しく、より広く、より深く理解しているのである。

    話題にして 友に幸あれと願う喜び
     それだけではない。この喜びに突き動かされて、友人知人にも青汁をすすめる。会えば、必ずといってよいくらい、青汁を話題にする。「また青汁か」と云われることも度々である。
     だが、この頃は、健康であることが、まことに、むつかしい。とりわけ中年をすぎた者は、カラダのどこかに故障を感じている。感じていない者はない、と云ってよいくらいである。会えば、必ず、これを互いに気づかって話題にしている。そして、困った困ったと、悲観したり、グチをこぼしたりすることも少なくない。
     アオキチさんの話題は、「青汁のんだら、丈夫になるよ」と、明るく、積極的である。この話題、青汁のように、いささかハナにつくようであっても、友に幸あれ、健康であれと願う好意にみちたものである。しかも、人ずての話ではなく、自刎の体験と喜びに裏づけられたものである。
     とかく、われわれは、人に会えば、グチをこぼしたり、人のうわさ、かげ口をきいて、自分の不満や不幸をなぐさめることが多い。アオキチさんたちは、こうした愚かな卑しい話題に終始しなくてもよいのだ。

    足をはこび手を労して 実際に人につくす喜び
     アオキチさんたちは、青汁や青野菜食を、ただ話題にするだけではない。ただ言葉で人にすすめるだけではない。この方に丈夫になってほしい、と思えば、みずから足をはこび手を労して、「これ、この通りに」と、すすめるのだ。青汁をもって行って、いっしょに飲む。青野菜や青汁材料をもって行って、いっしょにグリーンサラダを作って食べ、青汁を作って飲む。また招いては、そうする。
     ハタからみれば、「なにをモノ好きに」ということであろうが、アオキチさんたちは、そうせずにはおれないのである。そうすることが、また嬉しいのだ。
     なるほど、どんな幸福論をみても、ほんとうの幸福は、人に幸あれと願って、身をもって、つくして喜ぶときに、初めて味わうことができると強調している。アオキチさんは、ささやかながらも、まさに、その通りなのである。
     いうまでもないことであるが、こうしたアオキチぶりは、初めから、ご指導くださっている遠藤先生に感化されたことであり、見習っていることである。これは、ぜひ云いそえておかねばならない。


 
7. 町の中でケールの鉢づくり

     田辺 弘 

     横浜、吉野町3丁目の繁華街に住む某会社社長夫妻は、長年青汁材料に苦心されたが遂に玄関先や庭木の間、物干場、屋上等を利用して昨年秋から20鉢、今春は70鉢に増殖して見事なケールを作り、毎日御夫妻で2、3合づつ、青汁を飲むことができるようになりました。其のおかげで血圧も下がり毎朝の様にケールの虫とりをして居りますと話しておられます。こうして見ますと何の花よりも、菊つくりなんかよりもケールはきれいでもあり、身体を丈夫にしてくれるので近所の人に進めて居るのですが青汁の味をきらってなかなか作る人はありませんよ・・・・町の人でも、ケールは作れるのですが作らないのですよと笑っておられました。



8. 青汁と合掌

    東京 H.S. 

     病気になって苦しまねばならぬと云う事は一寸考えただけでも、いやなものです。すきで病気をしてる方はありませんが、食生活のあやまりから、知らず知らずの間に、病気をしやすい体質を自分自身が作っているとも言えます。
     健康な時は、食事のあやまり等は考えてもみないのですが、だれにも、スキキライがあって、本当は、キライな食物が其の人に必要な栄養である事が、自分で病気をしてみると、よく解ります。私も、酒がすきで、毎日毎日、ひやで、しかもコップで、呑む折り肴も食べず、長年のやってたものだから、一昨年の暮頃から胃がいたみ出し、医者に見せたら、レントゲンを取り、胃潰瘍と診断されました。
     早速青汁も飲み、医者に云われるまま、食養生もしていましたので、段々と直って、2ヶ月後には、少しレントゲンに出るたけで、随分直ったと云われたので、安心して、青汁は毎日飲んでるのだから、この位は酒をのんでもよかろう、この位は食べてもよかろうと、安易な気持で又元の様な食生活にもどり、以前と同じ事をくりかえしている内、又々胃がおも苦しく、午後4時か5時頃になると、何も手に付ぬ程いたみ出し、腰のあたりまでもいたくなるので、病院の先生に、どうして直らぬでしょうかと尋ねたら、貴方が摂生しないからと云われます。
     自分では相当考えて、食物も注意してるつもりですがと言うと、おこり出して、うちで知らんと言い渡されました。
     そこで、知人に話したら、東京によい専門の胃腸病院があるから行ってみたらと進められ、それではとつれて行って頂き、レントゲンを取って頂いたところ、ハッキリ潰瘍があるので明日から入院しなさいと云われました。早速入院をと考えましたが、会社の都合もあり、相談して通院する様にきめて帰宅しました。
     今度こそ。徹底して食養生をやってみたいと思う矢先青汁友の会の田辺氏に話したところ。医者の云う様にして居ったのでは病気は直らぬ。本当に直す気があれば私の云う通りやってみなさいと、ジャガイモを主食とした菜食主義を進められ、其の日から実行に取りかかりました。
     実行し始めて20日目に又、レントゲンを取って頂きましたところ、きれいに影も形も潰瘍の後はありませんと云われ、まるでうその様な感じでした。
     ここで、自分を反省してみますと、良いと人が進めて下さる事を、其のまま、自分で受け入れる気持があったからこそ直ったのだ、とつくづくそう思います。自分の我がままが強い間は、どうしても人の言う事を聞き入れる事ができません。
     健康な時よりまずい物ばかりを食べるのですから、どの1品のオカズにしても、ジャガイモの一切れにしても、心から感謝をし、此の1パイが自分の血となり肉となるのだから、と合掌する心があればこそ、始めて元々の元気な、より健康な身体が作れるもので、病気を案じる前に、先ず其の心がまえから作って行く事が、一番大切な事と信じます。青汁の愛好者の皆様は特に御存知と思いますが、よい食養生を知っていても、毎日の実行が出来なかったら何にもなりません。私の様に青汁はのんでるから、この位は食べても、この位は呑んでも、と言う気持こそ、自分をますます病気の温床に追い込む様な結果になります。
     どんな病気でも、米を1つぶも食べない事。パン、うどん、そばも、一切食べず、ジャガイモと豆腐を主にして、生野菜、野菜の油イタメ、鳥ガラと玉ネギ、ジャガイモ、ニンジン等を入れて作ったスープ。クダモノ、青汁、豆乳。
     食べる物のバランスを考え、全部主食がわりに頂く事。右の様に実行されれば、足は軽く、現在の私は夢の様な有難い健康な毎日を送っています。

    (株式会社 あづま本舗社長)



9. 人並の活動

    旭川市 S.M. 

     1日として欠かさず実行しておりますが、何年来病身で、活動が思うように出来ませんでしたが、おかげ様で、青汁飲用実行後、ともかく人並みの活動が続けられるようになりました。



10. 3年来の下痢

    宇和島市 T.S. 

     3年来の腸カタル。下痢気味にて困っておりました。
     ご指導の如く、朝青汁1合と一緒にバターを食べておりますが、便がかたまり、下痢は治りました。
     20日程になりますが、大変よいように思います。



11. 効果におどろく

    兵庫県 T.T. 

     胃腸よわく、かつ腎臓にて、長らく苦労いたしましたが、青汁を始めて約2ヶ月、効果の顕著さにおどろいています。



12. 絶対必要

    高知市 H.M. 

     青汁はすでに4年ほど前からやっておりますが、その効果はとてもよく、今日の日本人の体質改善(日本人本来の体格)には、この自然にかえることが第1と思われますし、まことに今日街に出まわっておる食品は、いずれも恐るべき食物として、われわれの体質に害毒を与える薬品が加入されておることは事実であり、これらの害毒を消すためにも青汁は絶対必要なものであります。



13. 質問箱

    尾鷲市 K.N. 

     問
     ケールとキャベツを混合して飲んでは悪いですか

     答
     少しも差支ありません。
     その他の野菜や野草や木の葉でも、質のよいものであれば、いっしょに飲んでよろしい。







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