健康と青汁タイトル小 <1965年7月15日発行 第107号>
 目次




1. 肝臓をまもるには

     医学博士 遠藤 仁郎 


     ちかごろ肝臓の悪い人がすごく多くなったようです。
     私どもの病院でも、10年もまえにはさほどでなかったのですが、その後、年々ふえ出し、現在では、内科入院約250名中、肝臓の悪い人はなんと実に35−40名に上っています。そのうちには、ビールスによる流行性肝炎もあり、いわゆる黄色い血の輸血によっておこる、やはりビールス性の血清肝炎(輸血性肝炎)もあります。しかし、そういうはっきりした原因のない慢性の肝臓病も少くないのです。どうしてでしょうか。
     これには、今日の誤った日常生活、ことに食養のまちがいや、いろいろの薬品類の濫用といったことが、大きく関係しているのではないでしょうか。肝臓には、複雑かつ多岐にわたる機能がありますが、中でも大切なのは解毒機能です。体内で出来たものであろうが、体外からはいって来るものであろうが、およそ体のためにならぬもの、有害なものは、すべて肝臓で処理され解毒されます。


    体内毒  代謝の過程中にできる有毒産物(中間代謝産物)、腸管内での分解で発生する毒素、心身の活動によって生ずる毒素(疲労物質)など。
    体外毒 酒、タバコ。変質した食品たとえば黄変米や腐敗食品にできる毒素、農薬、食品添加物(種々の薬品、色素、人工甘味、香料)、洗剤など飲食物に付着あるいは混在して摂り入れられる有毒物。さらには医薬品、ことに最近の有力な新薬類には肝臓を悪くするものが少くありません。

     従来の習慣食は穀類、肉、糖、脂、酒に傾き、良質野菜が少いので、熱量源(糖質、脂肪、蛋白質)ばかりが多く、それらの体内処理に必要なビタミンやミネラルが乏しいという、甚しい不完全食になっておるために、代謝は不完全となり、有毒代謝産物が出来やすいので、それだけでも、肝臓にかかる負担は大変大きいのです。

     ところが、その上に、食品そのものは、殆んどすべてが、大なり小なり加工され、種々の有害物をもった飲食物となっています。そして、原料食品(農、畜、海産品とも)や飲料水にいたるまで、農薬や洗剤あるいは工場廃液による汚染をうけています。空気もしだいに汚れて来ました。さらに医薬品、ことに新薬類は甚しく濫用されている、という今日です。
     その一つ一つに含まれている有害物の分量は、あるいはとるに足らぬほどの微量であるかも知れません。しかし、空気からも、水からも、食物からも、また医薬品からもと、いろいろの毒物がとり入れられていれば、結局、それを始末しなければならぬ肝臓は、たえず過労の状態においこまれざるを得ません。それだけでも度がすぎれば、ついには肝臓をいためるにいたるでしょうが、こうして疲労をかさね、抵抗力を弱めているところへ、ビールスなどといった発病因子がやって来れば、すぐにもまいってしまうでしょう。こういうわけで、肝臓病時代といってもよいようなことになってしまっているのではないでしょうか。そうしてみると、この肝臓病も、いろいろの点で不自然不合理になっている、いわゆる文化生活のためにはぐくまれた文明病の一つといってよいでしょう。

     ところで、現在、肝臓病の予防、治療には、まだ、これといったきめてはありません。いま流行の肝臓薬にしたところが、あまり当てになるものはありませんし、中には、却って、有害なものもないではありません。それは、薬なるものの本質からもわかることです。肝臓に効く効かぬを決めるには、いろいろある肝臓の機能のうちのどれかを目安にして、それが、この薬によって強められるかどうかを調べて決めるのです。しかし、そういう作用のあるものも、すべてが肝臓のためによいものばかりではありません。
     たとえば、私どもの社会にとって迷惑なものが、何かやって来たとしましょう。すると、そこには、必ずや、この招かざる客の害を受けまいとする、活発な防衛運動がおこるに相違ありません。この際、このちん人者そのものは好ましくないものですが、そうした社会活動をあおりたてる刺激、つまり薬にはなるわけです。
     それと全く同じことが、肝臓薬でもいえます。大量は有害なものでも、ほんのチョッピリであれば、肝臓は極力これを排除しようと努力し、その活動をさかんにするので、肝臓機能をたかめる薬になりうるわけですが、その度がすぎれば却って肝臓を害する可能性は十分にあります。
     そのよい例は、以前もてはやされたメチオニンです。これが発売されて間もない、私どもでもまだ入手の容易でなかった頃のこと。肝臓病であったある薬剤師が、「最新の良薬」とばかり無暗にのみ、ために病状が急に悪化したのを診たことがあります。
     このことは、その後、学会でもやかましくなり、今ではもう使われなくなってしまいました。グロンサンまた同様。甲論乙駿、いまだ帰一するところのないのは周知のとおりです。その他、曰く何、曰く何と、全く雨後の筍のごとく、肝臓薬は市場にあふれていますが、それらの効果について確定的なものは何一つありません。
     それはちょうど、最近の特効薬の出るまでの結核薬さながらで、よいという薬が多いということは、本当に効く薬はないということですし、中には、好ましくない副作用のあるものもないではないのですから、薬だけに頼るべきではないし、そうした薬の使用はすべて、医家の指図によるべきもので、マスコミの宣伝にのせられて、出鱈目の素人細工は断じてやるべきではありません。
     まして、嗜好飲料なみに店頭で飲むアンプル薬などとんでもないことです。また、ああいったものが濫用されていて、しかも弊害がないというのであれば、それは、恐らく、いわゆる毒にも薬にもならぬものに相違ありません。

     そこで、肝臓の病気にとりつかれぬためにも、また、その治りを早めるためにも、もっとも大切なことは、肝臓を愛護し、その抵抗力を強くする以外にはないわけです。そのためには、まず栄養を完全にすること。良質青菜の葉を十分に配した緑葉食、青汁。また、さらに肝臓を加えた肝臓緑養食、青汁など、うまく調和がとれた―良質蛋白質だけでなく、ビタミン、ミネラルに十分余裕のある―食をとり、代謝の完全をはかって肝臓の負担を軽くするとともに、肝臓の機能をよくし、つねに十分の余力をたくわえておくこと。
     また、つとめて有害物をとらぬよう注意すること。個々の食品は、すべて、必ず安全、無毒性の純正食品とし、農薬のかかったものや、有害添加物の危険のある加工食品をさけ、洗剤の使用にも慎重であること。そして、日常生活を合理化し、適度の活動と十分の休養をとって心身の過労をさけ、便通をととのえ、尿利をはかり、飲酒、喫煙、甘味の濫用を慎しむばかりでなく、薬の便用にも十分の注意を払うこと。
     これらは、いかにも平凡極まることがらであり、また、いかにもまわり遠いようですが、肝臓をまもるには、やはり、これが一番確実であり、根本的なことだと私は確信しています。


 
2. 節制する国民

    ヒンドヘーデ曰く
     大いに節制する国民は向上する。古来、文化の進みたる国民にして、漸く節制の途より遠ざかり、飽食奢侈に淫じたるものは、終に亡びざるためしなし(メルラア)。
     古代ローマのいまだ進展途上にある間は、食事は簡単で、貴族といえども粥をとっていた。全盛時代にはVomitoriumと称する小部屋を設け、豪奢な宴会が催された。

     古きギリシアの盛時に当っては、兵役の調練をしながら、無花果、胡桃、チーズ、玉蜀黍、パンより外の物を食べはしなかった。それが所謂スパルタ食である。ギリシア人は、斯くして富を致し、強くなった。亭薬を得た肉を食べ出した軍人は弱くなった。力を失ったダイオヂーニスはそれを牛や豚を食ったからだと謂った。
     ギリシアはローマに負けて滅びた。そのローマは大麦と油とを食べて居た。ヒポクラテスの所謂筋に力を与へ、久く耐ゆるに最も適した食というのを食べて居た。ローマは世界の富を集め豪奢に耽溺した。北方の蛮民がやって来た。ローマはうたれた。蛮民が富を得た。そして今贅沢道中を練って居る。この儘進めば歴史は必ず繰返す。

     ロシアから、亜細亜から、猛きのがやって来て、西欧羅巴人及びその分体たる亜米利加人は打負かされるであろう。大砲を用いてでなく、仕事づくで、我々は到底競争にかなわないであろう。
     此際、我等の自ら救うべき途は唯一つあるのみ。世界大戦の結果に顧みて、再びスパルタに復帰するのだ。今の世の人が自ら進んで此の途をたどるであろうとは殆んど考えられない。誠に嘆しいことである。困窮にあらざれば人間をして健康に適する暮し方をする気にならせないのは事実であるらしい。

     シーザー時代にもローマ人は謂った。最多く肉を食う国が一番強いと。しかし、ローマ人がまだ強かったのは、その祖先が大麦と油とで暮して居たからだ。我々が今日強いのは、我々の祖先が挽割麦と馬鈴薯とを食っていたからだ。我々の子孫が今のままで強くして在り得るかどうか、甚だ疑はしい。

    英のKingsfordの言葉
     我国(英)の農業者の食卓には、以前は、肉とか酒類とかが惣客上らなかった。今時の者が仕事に耐える力を備えているのは、其の質素な祖先のお蔭であることを忘れてはならぬ。農業者が毎日肉を食うという事は、まだ30年とはならない。それでももう退行の徴が見えて来た。子供等は親ほどの健康をも、体格をも備えず、病気に対する抵抗力をも余程失った。

    (宮入 食べ方問題)



3. 青団子汁

     白米は良くない。
     パンも安心できない。
     ウドンやソバも純粋なものはない。
     およそ市販のものには、実際、どんな仕懸けがしてあるか、どんな混ぜものがしてあるか、知れたものではないのです。できることなら、何もかも家庭でつくって、安心して食べたいものだと、今では、誰れしもが思うことですが、なかなか、それも大変なことで、とても、出来っこありません。
     仕方なさと、便利さのため、ずるずると、市販のもので済ましているわけですが、できそうなものから、何とか実現してゆきたいものです。そこで一つ。少々手数はかかりますが、こういうのはどうでしょう。戦時中のことを思えば、やれぬことはない筈です。

     小麦を粒のままでもとめます。これも、自分の畑で、肥料にも、農薬にも、気を配ってつくったものに越すものはないのですが、これは、ちょっとむつかしいので信頼できそうな農家からゆずってもらいます。それを製粉します。
     自家製粉が理想で、安心ですが、これも、信頼できる製粉所にたのめば、まず間違いはないでしょう。せいぜいフスマもすりこんでもらいます。しかし、フスマがはいっていると変質しやすいので、1ヶ月位で食べてしまえる程度の分量を製粉しておきます。

     そして「蒸しパン」や「流し焼き」などにつくるのもよろしいが、簡単なのは団子汁です。それも、菜っ葉の粉(青汁粉末、緑養粉末)を1−2割入れた青団子。(むしパン、流し焼きでも同じ)こうすれば、栄養的にも完全食にちかいし、卵や牛乳がはいればなお結構です。
     汁の実には、季節季節の野菜(なるべく緑菜、人参、南瓜などの有色菜)、芋類、豆腐、油揚、卵、小魚なども入れます。これに緑の団子を適宜の大きさにちぎって投げこみ、味は自家製の味噌。あるいは塩味。それもなるべくうすく。味は殆んどつけてないくらいのうす味でも、結構おいしくいただけます。腹ごたえも、腹もちもよろしい。味がうす過ぎて食べづらければ、味噌をそえるか、自家製の塩昆布少々をそえます。ソバ粉でも同じことです。また、小麦粉にキナ粉や大麦粉=そのまま粉にし、あるいはコガシ(ハッタイ)粉、キビ粉、芋粉=サツマイモをうすく切って乾し粉にしたもの、などを混ぜてもよろしい。


 
4. 団子

     以前の農家では、米穀調製の際に多くの屑米が出た。
     土臼で籾磨をする際に砕けた米をイリコ、ユリゴというが、新潟県の山村では、これを挽いた粉で手まりほどにまるめた団子をつくり、藁火で焼いて朝食にした。祭事、祝事の時には小豆またい菜の味噌あえ、塩辛などを入れてつくる。
     佐渡では、米を精白する時に出る胚芽や外皮や砕米などのばさばさするものや、藁麦の粉をメクソ、メカスといって、メカス団子をつくって常食にした。
     岩手県の稗貫郡では秕(しひな)を粉にひいて団子にして昼食や間食にした。
     石川県河北郡では、米を舂く時に臼の外にとびちった米を拾い集めたものをアラモトといい、正月7日の株団子をつくるダンゴモンだという。
     諸国のツツボダンゴも籾磨の際にこぼれた土まじりの籾をいきよせて、団子をつくって、物日の供物にする。

    (民俗学辞典)


 
5. 蓼

     タデといえば、まず郷里の川が思い出される。
     真夏の太陽を一杯にうけて、川原一面に生い繁った川蓼。悪太郎どもと、瀬の一部をせき切り、上手から、搗きつぶした汁を流して魚をとったこともある。冬は、枯れた蓼原に、小鳥のワナ(コブツといった)を仕懸けたり、雪の日にはトリモチを仕懸けたりしたものだ。
     その頃、この川では鮎がよくとれた。投網(とあみ)で瀬うちをやったり、淵に足網をひきめぐらして、一網打尽にごっそりとったこともあった。魚籠の蓼をかきわけて、香りたかい銀鱗をみるのは、とても楽しいものだった。
     しかし、ただ獲るのが面白かっただけで、特別な食べ方は知らなかった。通人によれば、このとりたての鮎を、その場でつくった蓼酢につけて、頭かぶりに丸ごと食べるほど旨いものはないそうだ。また、どこの料理屋でも出す塩焼鮎にも蓼酢はつきものだ。これも、もとは、おそらくその場で焼き、すぐそこにある蓼がつかわれたことだろう。いずれにしても、自然にそなわったそのままのところに、真の味があるということだ。
     もっとも、蓼が使われるのは、手近な調味料というだけでなく、解毒の効があると信じられているためでもあるらしい。貝原益軒著の大和本草には「凡そ蓼は魚毒を殺す。魚膾と鮓に加ふべし」とあり、一茶の句には、肴屋の裏と知れけり蓼畑ともあるほどで、今でも刺身には必ず「芽蓼」がつく。
     但し、解毒の目的には、相当の分量をとらねば実効は覚束ないだろうが、あの辛さでは、「蓼食う虫も好きずき」「好いて食えば利根になる」とはいえ、とても十分には食べられそうもなし、食べるべきでもあるまい。
     「然れども、血液をかわかし、へらす。多く食すべからず。性よからず(大和本草)。馬や豚でも、食べすぎると急性胃腸炎や血尿をおこすという。だから、やはり薬味としての意味しかないといってよかろう。けれども、ただ香辛味だけではなく、ビタミンやミネラルの供給源をかねている点から、そうでないものに比べ、大いにすぐれているとはいえるわけだ。
     なお、「羹に加えればその汁甘い。乾蓼を僧家に用ふ羹の甘味を助け、鰹魚を用ふるが如し。(大和本草)」とあるから、こうした意味で仲々調法な調味料とみえる。
     また、サラダの薬味にしてもよし、イヌタデ、ボントクタデといった辛味のない馬鹿蓼ならばサラダの材料にもなる。私は夏から秋にかけては庭の雑草の葉をサラダにするが、これらも、そのうちだ。
     味がとくによいわけではないが、真夏にもよく繁ることと、「目を明にし、口を温め、風寒に堪え、水気を下し、(中略)大小腸の邪気を除き、中を和し、気を益す。(医心方)などとあるのを買っているわけだ。
     なお蓼の生汁は霍乱や痩利によいらしい。蛇咬に搗いてつけ汁をのむといい、駆虫の効もいわれている。橘南渓の蕉窓雑話には、犬蓼の摺り汁が著効を奏した和田東廓の話が出ている。もっとも、これらはいずれも緑養共通の効で、蓼に限ったことではないようだが。


 
6. 肝臓マッサージ

     肝臓のはたらきをよくするのに、肝臓マッサージとでもいいますか、こんな方法もあります。

      一、肝臓の圧しもみ運動
       肝臓を上、下から圧しもんで、血行や胆汁の流れをよくしようというもの。

        呼吸にあわせて
         腹式呼吸で息を吸うとともに、肝臓を強く下へおす気持で、気ばり。息を吐くとともに、肝臓を上におし上げるつもりで、力を入れて腹をへこます。胸式呼吸で、息を吸うとき、肝臓をおし上げるつもりで、力を入れて腹をへこまし、息を吐くとき、肝臓をおし下げるように、腹に力を入れる。

        呼吸と無関係に
         また、同様のおし下げ、おし上げる運動を、呼吸と関係なくやる。いずれも、一度に10回〜20回。いつやってもよし、何度やってもよろしい。暇なとき、思い出した時、何回でもやっておく。肝臓だけでなく、胆嚢や冒腸のはたらきもよくなるし、腎臓や脾臓にも多少の影響はあるでしょう。肝臓や胆嚢の病気には、便通のよいこと、尿利のよいことも大切ですから、その点でも無駄ではないわけです。

      二、肝臓部の震動
       その他、肝臓部を叩いたり、ゆさぶったり、震動をあたえるのもよろしい。

        肝臓部を叩く
         肝臓部というと右胸下部です。この部を前、横、後から、握り拳でもよし、平手でもよし、指先だけでもよろしい、トントンと軽くたたく。肝臓部をゆさぶる、肝臓部にあてた手でおしゆさぶる。肝臓をゆさぶるつもりで横隔膜を上下へ動かす=腹の皮を走らすように、はやく動かす。震動器(バイブレーター)かける。


 
7. 昼寝

     夏季、一時間の午睡は、健康上たいへんよいことで、今では、欠かすことのできないもののようにさえ考えられています。確かに、熱帯地方では、保健法として一般に行われていますし、
     わが国でも、古川柳に

        食後の一睡万病圓

     ともあります。
     しかし、また

        昼寝をするのは病の相

     ともあり

      • 昼眠るを得ず人をして気を失はしむ(千金方)
      • 昼は必ず臥すべからず 大いに元気を損ふ(養生訓)
      • 昼間に眠らぬことは最も重要な健康則の一つ(サレルノ衛生養生書)

     ともいわれて、昔の養生家の多くは、きびしくこれを戒めています。
     ここにも、今の人と昔の人との健康度の差がうかがえる、というものでしょうか。


 
8. 遠藤青汁の会 昭和40年度総会より その一

     遠藤青汁の会では、昭和40年度の総会を5月23日に開いた。
     例年通り、場所は、学校青汁給食の創始校である倉敷西小学校。
     時間は、午前10時より午後3時まで。参会者は、全国各地より約70名、司会は、貝原常任理事。会長の遠藤先生の挨拶につづいて、39年度の事業経過と40年度の事業計画、これに伴なう決算と予算の承認決定、役員の改選を行なった後、遠藤先生の指導のもとに、青汁の体験談や青汁普及の方策談をかわした。
     このうち、ぜひ読者に知らせて参考にして頂きたいことが沢山あるが、その主なもの、つぎの通り。なお、会議中の飲み物は、青汁とササ茶と番茶。昼食は、グリーン・サラダと牛乳と黒パン。青汁材料は、ケール栽培の開拓者である倉敷の永山さんの寄贈。サラダ材料は、倉敷遠藤青汁教室の寄贈。会場や飲食物の世話は、倉敷西小学校の方々や青汁教室の方々その他の有志。ただただ深謝。

    (文責在友成)

    一、正しい理解と堅い信念を
     青汁について。こう力説されるのは、遠藤先生であり、すべての参会者も同様である。青汁の普及をかえりみると、これを広く一般に普及し始めたのは昭和29年前後であり、マスコミによって、ちょっとしたブームを起こしたのは、36年であるが、37年には、「青汁は有毒である」という大変な書物の新聞広告で、ブームは水をさされた。このため、会員は、一時、目立って減少したが、その後は、徐々にではあるが、だんだん増加している。
     このため、会の収支は思わしくいかず、38年度は、遠藤先生の多額の寄付で、どうにかツジツマをあわせたが、単行本の印刷代金が一部未払となった。けれども、39年末には、「健康と青汁」100号記念発行のために、全国各地の青汁体験者から、思いがけなく多額の寄付があって、未払金が全部すみ、会の会計がやっと身軽になった。
     いったい青汁は、その性質上、マスコミによる普及には、どうも不向きである。体験者が身をもって友人知人に伝えていって、初めて地について普及するものである。それには、健康と青汁について、より正しい理解と、より堅い信念をもつことが、ぜひ必要である。

    健康に、青野菜は不可欠的に必要、有効
     健康と青汁についての考え方は、ひと口でいえば、こうである。
    • 第一に、青野菜は、それも生の青野菜は、病気の治療にも予防にも、また健康の増進にも、必要かぐことのできないものであり、また極めて有効である。
    • そして第二に、これは、少量では目に見えて効果があらわれないのであって、必要なだけ多量に、それも、できるだけ質のよいものを、とらねばならない。その目安は、人その人の平素の食べ物その他によって、いちがいには言えないが、この頃の日本人の食構成からみて、日に体重の1%以上である。
    • けれども第三に、これだけの青野菜は、生では、とうてい食べきれないので、汁にして飲むのだ。青汁にすれば、青野菜200gが約1合となる。そこで、毎日、毎度の食事に、できるだけ青野菜を沢山とった上、青汁を1合、いな2合3合と飲めば、大いに効果があらわれる。
    • ところで第四に、こうして青野菜を沢山とるのは、各種の栄養素の調和をはかるためである。栄養が完全に調和していることが、病気の予防や治療や健康の増進に、必要かぐことのできない土台なのだ。
    • けれども第五に、この頃の日本人の栄養は、まことに不完全不調和である。熱量や蛋白質は、ほぼ必要なだけ、いな人によっては過剰に、とっているのが、各種のミネラルとくにカルシウムと、各種のビタミンとくにAB2が著しく不足しているのだ。
    • ところが第六に、この不足している栄養素が最も多量に含まれているのが青野菜であり、青野菜をおいて他にないのだ。しかも青野菜とくに生の青野菜には、いろいろな実験から、まだ知られていない重要な栄養素が最も多量に含まれていると、思われるのである。
     まことに昔ながらの知恵であって、至って平凡で卑近なことである。だが、これは、科学的に研究しても全くその通りであって、これ以外に、これにまさる方法のない、生きた知恵である。

    飲食物は、すべて安全食品で
     ところが、ここで、とくと留意しなければならないことは、こうした青野菜は、危険な農薬や下肥を一切使わずに作った、安全清浄なものでなければならない、ということである。それだけでなく、飲食物は、すべて、危険な農薬の残存していない安全食品であり、人工の甘味料、着色料、防腐剤、漂白剤その他の危険な添加物のはいっていない、安全食品でなければならない、ということである。
     というのは、この頃の市販の青野菜には、殆んどすべて、多かれ少なかれ、危険な農薬が残存しているのだ。その他の食料についても同様である。とくに加工食品には、殆んどすべて、多かれ少なかれ、危険な添加物がはいっている。昔ながらの安全食品は、ごくまれであり、全く、この頃は、危険食品時代であり、有毒食品時代である。

     この頃、成人病が重大問題となっているのは、ひとつには、このためである。これは、もともと老年となって初めて、やむをえぬ老化現象として、起こるものであるが、この頃は、壮年の間に、もう多数起こっているのだ。いな青年にも、かなり起こっている。この頃、とくに目立って増加しているのは、肝臓や腎臓の病気である。ここ10年位の間に、ケタちがいに増加している。そして、これは治療が厄介で、慢性化すると、全治はまず困難である。いうまでもなく、この病気は、毎日の食物が、栄養上、不完全不調和である上に、こうした有毒物を毎日多量に食べこむので、その解毒処理にくたびれてしまったためである。この他、高血圧、動脈硬化、糖尿病、神経痛なども増加しているが、同様の事情である。

     精神薄弱児や不具者が生まれるのも、やはり同様の事情であると思われる。ところが、こんな病気は、オイソレと目に見えて起こるものではない。何ヵ月、何ヵ年かたつうちに、知らぬ間に起こってくるのだ。けれども、いったん起こったら、治療が厄介千万であり、生命にかかわることもある。この事情を賢明にわきまえて、飲食物はすべて安全食品でまかなうように、最善の工夫をしなければならない。

    仲間をつくって安全食品確保の道を
     そこで、われわれとしては、危険食品時代である以上、安全食品を手に入れる道をつけねばならない。少なくとも、毎日ぜひ食べねばならない重要なものには、必ず安全食品をとり、それが不可能であれば、できるだけ有毒物の少ない食品をとる道をつけねばならない。

     これまで、青汁の普及にあたっては、その材料は、必ず安全清浄なものでなければいけないと、たえず力説してきた。遠藤青汁の会で世話をしている青汁は、すべて安全清浄な材料であるが、これ以外に、青汁の世話をしている向きがあり、これは、まことに気がかりである。
     また、家庭で青汁を作っている場合、その材料が、安全に自家栽培したものであればよいが、そうではなく、市販のものであれば、これまた気がかりである。その他、生食用、調理用の野菜についても同様である。

     そこで、まず第一に、各家庭で、せめて青野菜だけは、できるだけ沢山、安全に自家栽培をすることを普及したい。これが困難な家庭は、仲間をつくって、例えば「倉敷安全青野菜の会」のようなものを作って、信用できる人に栽培し配給してもらうように、組織作りを普及したいものだ。

     第二に、いわゆる主食には、できるだけ米を少なくして、小麦粉その他の雑穀を、できるだけ多量に利用するように普及したい。これまで、米とくに白米は、主食として重宝されているが、もともと栄食上不完全なものである。それに、岡大農研の小林教授の調査によれば、最近の米は農薬に著しく汚染されており、とくに水銀の含量は許容量をはるかに越えており、そして、これは外皮の部分に多いとのことである。このため、これまで、白米はビタミンが少ないので、七分づき、半つき、玄米を、といわれていたが、これでは、水銀の含量がだんだん多くなるので、かえって危険である。といって、白米にすれば、ビタミンが不足する。少々強化米を入れても、栄養上なお不調和である。おまけに、口ざわりがよく、あっさりしているので、とかく食べすぎ、ますます栄養が不調和となる。そこで、この米を、できるだけ少なくしたいのだ。
     そして、その代わりに、小麦粉や豆、キビ、ソバなどの雑穀や芋を利用したいのだ。こうしたものには、危険な農薬の残存量が比較的少なく、栄養上からも、白米より、はるかに調和しているのだ。といって、市販のメリケン粉やパンは、白米よりは、ましであるかも知れないが、あまりアテにならない。土地の小麦を粉にした、昔ながらの小麦粉が、はるかにすぐれている。
     倉敷では、ただ今、こうした小麦粉、ソバ粉、キビ粉が入手できる道が開かれたが、各地でも、こうした道を開いてほしいものだ。

     第三に、念のため言い添えると、極力、既成の加工食品を利用しないようにしたものだ。添加物が多量に含まれているものが、非常に多いからである。

    「健康と青汁」その他の著書を活用して
     青汁の効用と安全食品の必要と、その工夫については、ありきたりの常識では、どうにも判断しかねることが多い。それほど、この頃の食事情は健康上おかしくなっているのだ。
     これに対処して、自分と家族の健康を守り、友人知人の健康を念願するには、いわば常識はずれの理解と堅い信念が必要である。このため、遠藤先生は永年苦心しているのであり、その成果を著書にし、また毎月「健康と青汁」に書いて、広く人々に訴えているのだ。
     マスコミにのったものとはちがって、いかにもドロくさく、アカぬけしていないところもあるが、これ以外に、健康をはかる立派な手がかりはあるまい。富める人にも貧しい人にも、だれにでも、でき、しかも最も確実で、決して間違いの起こらない手がかりである。読みずらくとも、ぜひ読んで、正しい理解と堅い信念をもってほしいものだ。そして、広く友人知人に伝えて、健康を共に喜ぶようにしてほしいものだ。
    (つづく)


 
9. 中性洗剤

    岡山県 M.N. 

     衛生知識の普及から、どの家庭でも中性洗剤がよく使われるようになってきた。
     洗剤について考えてみると中性洗剤と合成洗剤があって高級アルコール系洗剤、石油系洗剤、非イオン系洗剤に分かれ、型にはハード型(地下バクテリアに分解されない型)ソフト型(分解される型)がある。その製品の販売種別を調べてみると、石油系39種、高級アルコール系10種、非イオン系10種その他が8種あり、その商品の中にアルキルベンゼンスルフォンサンソーダ(ABS)が数多く使用されている。
     ABSの使用はきわめて危険であるといわれている。やや安心して使用できるものは、非イオン系のようだ。昭和三十五年、第16回日本公衆衛生学会で洗剤の皮膚に及ぼす害について発表されて注目を引いた。
     専門家たちは、ABSについて、自浄作用がないため、水洗4回くらいでは完全にとれず、皮膚から体内に侵入して酵素の働きをさまたげ、赤血球を破壊し多くの病気の要因になると注意されている。殺菌作用があり、放射能を洗いおとすかのごとき宣伝にのって野菜、果物、食器などを洗うことは全く危険である。
     アメリカではすでにABSの製造は禁止されており、世界保健機構(WHO)は昨年、ABSはガンに関係あるものと発表されている。また西ドイツでも、ハード型洗剤の製造販売は禁止されている。このように外国では対策が考えられているとき、日本では完全な対策ができていないことはまことに残念なことだと思う。家族の健康を管理する主婦は、正しい科学的知識の上に正しい使用法をよく身につけて、台所の恐怖をなくするために努力しなければならないのではあるまいか。

    (成田政子・岡山県栄養改善協会長)40、5、12山陽


 
10. 青汁教室のアオキチさん その5
前号参照クリック

    東ニ高血圧デ弱ッテイル友アレバ
    行ッテ青汁ヲ飲マセ丈夫ニナレヨトイイ
    西ニ肝臓ヲ病ンデ疲レテイル友アレバ
    行ッテ青汁ヲ飲マセ元気ニナレヨトイイ

     宮沢アオキチさんのメイ作である。
     このアオキチさん、友人が病気にでもなれば、東に西に訪ねて、青汁をすすめる。このすすめ方が徹底している。
     平素でも絶えず知友の健康を気づかう
     このアオキチさん、平素でも、友人知人に会えば、口ぐせのように「お互い、中年をすぎたら、カラダには、よく気をつけねば、いけないね。とくに食べ物には、よく気をつけようではないか。あまりご馳走を食べると、いけないよ。青野菜をしっかり食べると、いいよ。青汁を飲むと、丈夫になるよ」と言って、健康を気づかい、青汁をすすめる。いっしょに食事をするときには、必ず、こうした養生訓を一言のべる。友人、「また始まった。ご馳走が拙くなる」とまぜかえす。

    だれしもカラダに多少は故障がある
     だが、そうはいっても、中年すぎたものには、だれしも、カラダのどこかに、多かれ少なかれ故障がある。疲れ易いとか、目がかすむとか、ドウキがするとか、肩がこるとか、腰がいたむとか、オナカがもたれるとか、気分がすぐれないとか。年のせいかと思ったり、仕事が忙しいせいかと考えたりするが、あのアオキチの元気さに比べると、そうでもないように思われる。
     そう思って、できるだけ気をつける者は、たいしたことには、ならずにすむ。だが、なかには、おかまいなしに、元気を出しすぎる者もいる。こうした手合は、必ずといってよいくらい、病気になる。高血圧になって仕事を休んだり、肝臓や腎臓が悪くなって入院したり、胃カイヨウだ手術をしようと言われたり、神経痛になって身廻り処理が不自由になったり、ただごとでは、すまされないようになる、

    青汁を持って行って飲むまで帰らない
     こうなったら、このアオキチさん、もう、じいっとしておれない。とくに親しい友人には、早速、青汁を持参して、見舞におしかける。「ボクの養生訓をマジメに聞かんからだ。今日は、ハラの底まで聞き入れるんだ。さあ飲んだ飲んだ。飲んでしまわにゃ、帰らんぞ」と強談判である。「今日は、こらえてくれ」と逃げれば、「よし、今日は、ボクが代わって飲んでやる」と、ひと息に飲みほし、「明日、また持ってくる。明日は、こらえんぞ」と念をおす。「コイツに飲ませにゃ」と思ったら、飲むまで日参する。飲み始めても、日参して青汁をとどける。「よし、これなら毎日かがさず飲む」とよみとるまで続ける。

    友情にほだされて飲みやがて正しい理解を
     いかな青汁嫌いでも、これには降参する。なぜ青汁が大切なのか、よく分かって飲み始めるというよりも、友情にほだされて飲むのだ。飲めば、だんだん効き目が出てくる。そうなれば、今度は、すなおにアオキチさんの養生訓を拝聴するようになる。拝聴しているうちに、青汁のことがよく分かり、ついアオキチ振りに感染されて、宮沢アオキチの弟子となる。といって、このアオキチさんの、する通り、言う通りに、すべてに徹底することは、むつかしい。ある友人、胃カイヨウが治るにつれて、再びタバコを始め、ヤセガマンを言って曰く、「ボクが、タバコまでやめてしまったら、キミは、ボクに養生訓をたれる楽しみがなくなろう」。

    付記
     倉敷では、毎月第三金曜日の夜、7時から2時間、倉敷中央病院の古久賀会舘で、遠藤先生ご指導の、公開無料の青汁教室が開かれています。この稿は、これに出席された方の体験談の一端です。(友成左匠)


 
11.(カワラヨモギ)

     黄疸によい、つまり肝臓によい、というものにカワラヨモギがある。
     和名は川原に生ずるヨモギの意。
     漢名の茵は陳(ふる)きに因(よ)って生ずるの意。
     春さき古株に群がり出る毛状の新芽の銀色に光る風情はなかなか小粋なものだ。
     本草には、
     「風湿寒熱、邪気熱結、黄疸を主(つかさど)る(本経)。とか、
     「全身発黄、小便不利を治し、頭熱を除き云々(別録)とあって、
     熱病や黄疸によく、利尿作用がある。
     ふつうは煎じて飲むのだが、
     「細に切り羹(あつもの)にして食う、生食もよし(食医心経)」とか、
     「危子(クチナシ)田螺(タニシ)とすり爛らし酒で服す」とか、
     「酒に醸す」、
     などしても利用される。また、ヨモギと同じように駆虫の効もあるし、
     「久服すれば、身を軽くし、気を益し、老衰に耐え、顔色を白くし、快活にし、天年を長くする。白兎は食って仙となる(本経)。」
     と不老長寿の効もいわれている。
     川原に行けばいくらでもあり、株を移せばどこでもよくそだつ。この肝臓病時代、そして肝臓薬の流行時代、ひとつ(カワラヨモギ)ブームでもおこしてみてはどうだろう。


 
12. 青汁で高血圧征服

    川崎市 K.S. 

     高血圧は気候と深い関係がある、とかねてから医学的な説明を聞いていた私が、過去二回あった毛細管の切断と言う診断に、前記気候と言う事に何かこだわりたくなるものがありました。

     第一回目は37年3月中旬。第二回目は38年6月初旬。何れも医者にかかりている時の事でした。青汁の会にてケールを知り、服用を始めると共に、食生活の改善を強調され、大いに努力しました。先ず毎朝食前に1合服用。一方食事は麦を主体として7・3の割り。副食物は野菜と植物性油が主体と言う調理で続けております。医薬を離れて既に一年以上になる現在、心身共に極めて快調。一時は200を越す血圧であった私が140前後と言う理想的な状態を保ち、毎日愉快に勤務しております。
     高血圧に対するケールの効果の偉大であることは言うまでもないけれど、食生活にも大いに心を配る必要のあることを痛感しております。只主食切換えの為め、食事担当の家内の努力も偉大であることを考えねばなりません。要するに、最初教えられることを忠実に、確実に守り、而も永続することが最上と考え、今も継続、今度も永続したいと考えています。
     尚ケールは血圧のみならず、胃腸の活動を非常に活発にすることをはっきり感じましたと共に、心身の疲労恢復にも絶大の効果のあることを感じています。毎朝1合のケールの為に血液はどんどん清浄され、若返えり、血管のコレステロールも清掃されて、活気ある若々しい血液が体内を涛々と流れ回る日のあることを信じて飲用を続けています。


 
13. 語らずにはいられない

    横浜市 K.H. 

     自分の体験(少し食べすぎると胃が重く、肩が張るのが、嘘のように、体が軽くなりました)を通して、知人に青汁の話を、片端しから話しております。
     健康な人、不健康な人を問わず、語りすすめております。信仰の弘法(ぐほう)と同じく、自分が実践して、よいと感じたことは、語らずにいられないものです。動脈硬化の重症で、歩けなかった知人が、やっとぼつぼつ歩けるようになったのですが、今一歩すっきりしないので、やたらと新薬を飲みあさっていたのですが、薬の乱用の害と、青汁の効果について話してあげたところ、ここ一週間くらいで、便秘が治り、体が大変軽くなったと、よろこばれております。


 
14. 「ヘズリ」の青汁

    坂出市 N.K. 

     先日は盲腸炎の事につき青汁の効能おたずね申上げましたところ、早速ご丁寧なるご指示をいただき誠にありがとうございました。当地方の伝説に、盲腸炎には「ヘズリ」と申す草を3日間食べたら治るということを申し居り、この言を聞いて、早速「ヘズリ」を探し、青汁にして3日間服用いたしましたところ、日一日と盲腸部の腫れが小さくなり、3、4日目には殆んど手に触れぬ程小さくなりました。
     この頃「ヘズリ」は老化して種を結ぶ程度にて、春先のような水々しい姿はありませぬ。日陰の湿地に多少残って居ります。これを探して青汁にしました。お医者さんの投薬を願い服薬の傍飲みましたものゆえ、服薬の効もあったものと思いますが、主として「ヘズリ」の効能と信じます。「ヘズリ」は「ハコベ」とも申すという人もあります。


 
15. 白髪へる

    岡山市 M.K. 

     私は便秘、腰痛、胃弱、痔の出血などで困っておりますが、ジュースをのみはじめて、どれも、少しづつ解決しております。ジュースを服用して一番効用のあるのは頭髪で、白髪がだんだんなくなり、大変よろこんでいます。


 
16. 夜間トイレに行かなくなった

    調布市 M.H. 

     スリ鉢で、キャベツ。つまみ菜、カリフラワー等の青汁を愛用しております。お蔭さまで、夜間トイレに行かなくなりました。身体が温まる為でしょうと、とっても喜んで居ります。


 
17. 質問箱

    藤沢市 T.T. 


     本紙103号に姫路市の高島光男氏の「松葉をかんで代用」の記事につき、高血圧にもよいでしょうか。


     昔から中風に松葉汁や松葉茶、松葉酒がいわれているように、高血圧にもよいものです。但しヤニの強いものですから分量がすぎるとよくありません。高島氏の記事の通り、昔から指の太さくらいがよいといわれています。


 
 コラム紹介

    老を養ふは一の安の字を占(たも)つを要す。
    心安く身安く事安し。何の養か之に如かん。
    老人の養生を忘れざるは固より可なり。
    然れども己甚しきに至れば則ち人欲を免れず。
    労すべきは則ち労し、苦しむべきは則ち苦しみ、
    一息尚ほ、存しなば人道愆(あやま)ること勿れ。
    乃ち是れ人の天に事ふる道にして、
    天の人を助くるの理なり。
    養生の正路は蓋し此にあり。

    言志耄録



    簡易淡白なる食は摂生及び長寿に利あり。
    天然の法則に従へば益々長寿なり。
    若し天然の法則に従はざれば益々虚弱となる。
    濃厚なる食物、多量の肉食は早死の因。
    最大長寿の実例者は少年時代より、主として野菜を食い、
    いまだ曽て肉の味を知らざるものである。
    フーフェランド



    フユイチゴ
     本紙103号に、須磨の西川慶治氏の記事が出ましたが、詳細を知りたいとの投書がありました。フユイチゴとも、カンイチゴともいいます。ふつう、山林の木かげとか、藪のかげなどに、蔓状に地面を匍ってのびています。葉や実の形は図のようです。これは牧野富太郎著「日本植物図鑑(北際館発行)から転写しました。



    養生の道色々言へば千言万句、
    約して言へば惟(ただ)これ三事のみ。
    神気を養ひ、色慾を遠ざけ、飲食を節する。
    此事簡易なれども、人これをきかず。
    もし聞く人あれども、其の身に行ふことなし。
    中年の後、漸く覚りて命を延べんことを求む。
    日暮れて道を急ぐに異ならず。
    (曲直瀬玄朔)



    一物必ず一味あり。
    一物一味の天恵を散逸せしめず、
    各々本味を発揮せしめ、
    一物一性を献し、
    一椀一味を成さしむるは
    料理の真髄なり。
    (木下謙次郎)



    歌謡 ど根性渡世船
    深山 旅愁
    人のしたあと 繰かえしても
    芽なぞ出ないは わかってる
    智恵をしぼって また勝負
    ドントこいこい 波頭
    俺は八起の 渡世船

    恋はおあづけ 花咲くまでは
    今日もきびしい 風のなか
    汗が涙で よごれてる
    ドントこいこい 波頭
    俺は木の葉の 浮き沈み

    これと決めたら 度胸を据えて
    たとえ火の雨 矢の風も……
    夢は捨てない ど根性
    ドントこいこい 波頭
    俺は乗り切る 渡世船
    1964、12、8



    汗なしに甘さもない
    天は自ら助すくものを助く
    幸運は我等の努力の産物なり
    ヒトパデサ(サンスクリットの寓話集)



    ケール葉の味このむらし白き蝶 むらがりとべり広き葉の辺に
    しばらくのいとまもあらずケール葉の 虫に食われしあとおびただし
    害虫を退治するすべ問わるたび ただ楽しみにとり給えと答う
    みてあればわが顔かすめこしぼそは ケールの虫をくわえとびゆく
    人ごとにむげに嫌えど農薬の うれいあらずと教う青虫
    ヒナ子



    中庸の徳たるそれ至れるかな
    (論語)








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