<1962年7月15日発行 第71号>
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目次
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1. 療病講座 ノイローゼ
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2. 青汁通信(1)
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洗剤のこと
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青汁粕のこと
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私は、青汁は粕が白くなる程しぼらず、青々として半分は栄養が残存するようなのを、湯通し、蔭干し、焙じ上げ、石臼と摺鉢で粉化し、貯蔵。下記のごときものの熱処理、蔭干し粉と混合し、青汁の飲めない人の栄養食として贈呈しておりますが、病弱の人で中々よろこんでくれるようです。
茶、柿、青シソ、赤松、裏白樫、月桂樹、山椒若葉、ダイダイ葉、弱焙じ胡麻、粉乳、きなこ、にぼし弱焙じ粉、ヒジキなど一日大さじ1杯位をふりかけに、但し無塩。
(湿温季節には、粕は乾燥せず、肥料にします。弱絞りですから、油かす程度の高級完全肥料かと思います。分解液化も迅速で虫のわき方も少く、他の腐れ肥料とはちがいきれいです。鶏糞混用の液肥はうすく、使い具合よろし。)
昨年春から本年3月まで1ヶ年間、右の混合粉を贈った人のうち、注目すべきもの(皆医療と併用です)
- 七十余才の婦人。中気病臥1ヶ月後より食用開始。3ヶ月で元気づき、6月末より軽井沢別荘に行き、ヨモギ、オバコ、フジ、クワ、イチジク、その他の山野材料で青汁、初秋帰京。拙青粉続用。11月3日には快気祝。依然青粉と青汁少々。元気よろし。
- 70才余の老婦人。昨年春高血圧で倒れ、臥床(但し中気とまではならず)拙粉を続け(青汁は用いず)、秋にはすっかりよくなり、何でもできるといっています。
- 六十余才の婦人。昨11月、外出中卒倒。軽い中気の症状。12月より拙粉食用と、青野菜の湯通し生食、その他先生のご指示等実行。本年3月末大体快癒。医家の同意にて外出。外湯行きを始め、目下ますます元気よく、何でも出来るとのこと。
- 昨春より高血圧悪化し、どうにもならぬ55才位の人。「青汁の効用」熟読。拙粉4ヶ月位ですっかりよくなり、血圧は「下りすぎた」位に恢復したとのこと。
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絞り具のこと
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私は冬でも、一度に、1升5合から2升位の汁をとりますので、手をはぶく為、次の手製具をつかって、ミンチを廻す間に大体絞り、さらに両手で絞ります。もともと「青粕」主義で(粕を冷蔵して料理に、乾して粉に、夏は肥料に)、また仕事の都合上、3日に一度絞り、高力冷蔵多量飲用し(ケール多いときは二百本位つくります)。材料をふんだんに使いますので市販の道具など間に合うことではありません。
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以下次号 |
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3. 總会紀念講演要旨 農薬の被害について
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梁瀬 義亮
緒論
医学の発達が謳歌される昨今、都会と云わず、農村といわず、肝臓病・腎臓病・精神病・ノイローゼ・胃腸疾患・白血病・癌、等々の病気はますます増加し、また原因不明の自殺・交通事故・犯罪・心身耗弱等が多い。ことに農村に於て、原因不明の、あるいはごく些細なことからの自殺や健康な筈の農村青壮年の訳の分らぬ心身耗弱が大へん多い。私は奈良県五条市の一開業医であるが、此等の最大原因の一つが、日々の食物生産に用いられている農薬による慢性中毒によるものであり、国民健康の危機が近いことを知り、憂慮にたえず、微力を捧げて解決に努力している。
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五条市に於ける集団パラチオン中毒事件
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昭和33年夏頃より、五条市内に奇妙な患者が多発した。すなわち肝炎症状・脳神経症状・口唇炎・舌炎・歯齦炎・胃腸カタル等の諸症候を種々の組合せで併発する患者群である。同時に小鳥が脳神経傷害を起して死亡することが市内各所で起った。
私は色々原因を探索し、ついに野菜に原因のあることを発見し、周辺野菜生産地をしらべ、パラチオン(ホリドール)が、無謀にも、殺虫用よりはむしろ新鮮度保持のために用いられていることを発見した(すなわち出荷前日に1500乃至2000倍のパラチオン液にひたしたり、又は溶液を散布すると、野菜の新鮮度が保たれ、市場価値が上ると云うのでさかんに用いられた)。
私はこれによって得た知識をもとに、農民を観察し農村で用いている農薬とその使用状況をしらべているうちに、生産者にも消費者にも、パラチオンのみならず、他の様々の農薬による慢性中毒が極めて多い事実に気付いた。
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農民に現存の如き農薬を使用させることは間違い
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元来劇毒薬は医師・歯科医師・薬剤師等、専門の教育を受けたもののみが用うべきもので、一般の人が用うべきでない。しかるに、数滴で人間を殺すような猛毒を、薬学の知識のない農民に、しかも食料生産に用いさせ、尚その上、それらの多くは深達剤ないし浸透剤といって、植物の根・葉・果実・花等、全体に滲みわたり、10日ないし2ヶ月位植物体内にとどまって、その期間は人工的有毒植物となっているのであるから、これでは、事故が起るのも当然である。
事実、農民間にパラチオン(このものには、指導員の指導による集団防除以外は用いられぬ、と云う規則が有るが、実際は個人使用・個人保管・不正使用が行われている)・エンドリン・EPN・ニッカリン・フッソール等によって、事故・犯罪・自殺等が多く起っている。慢性中毒に至っては、更に驚くべき広範囲に起っている。
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現在使用されている主な農薬
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現在市販されている農薬には次の2種類がある。
- 接触剤・・・天然殺虫剤‐除虫菊、デリス粉等でこれを植物に散布すると表面にのみとどまって、体内へ滲入せず、従って洗い落せるものである。
- 深達剤および浸透剤・・・これ等は植物に散布されると植物体内全般に行きわたり、一定期間は植物体内に残留し(残効期間と云う)、殺虫・殺菌・殺ダニ効果を示す。
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残効期間
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植物に散布された深達性あるいは浸透性農薬の残効期間については、いろいろ異ったデーターが出されている。同一農薬でも、散布される植物の種類、農薬の濃度、天候・季節等によっても異るものと考えられるが、一般に云われているよりずっとながいように思われる。
これについては十分な研究が必要であると同時に、その農薬が検出されなくなっても、その分解産物に有毒なものが出来ないかを研究する必要がある。
例えばパラチオンは、体内で分解されてパロクリンとなって毒性が増加し、ペストックスはそれ自身は無毒であるが、肝等で酸化されて始めて毒性を発揮する如く自然界に於ても、このような分解産物が出来ないかを研究する必要がある。パラチオン散布後4日目の水田に農婦が入ってはげしい中毒を起したにもかかわらず田の水よりパラチオンが検出されない事があった。
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何故慢性中毒が看過されたか
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戦后さかんに用いられるようになった農薬の中で、最も人体への影響の注意されたのは有機燐剤である。有機燐剤中毒の時には、血中コリンエステラーゼ値が下る。これが、中毒の唯一の指標とされ、その下降があれば中毒状態であり、その値が恢復すれば中毒より恢復したとみなされていた。相当激しい中毒でも、大体1ヶ月を経れば血中コリンエステラーゼ値は恢復するし、ごく微量の有機燐剤を連続与えても血中コリンエステラーゼ値が下らない。従って有機燐剤の蓄積作用はない。急性中毒も、重症のものでも2ヶ月も経てば恢復する、と断じられて、それ以後の訴えは、専らノイローゼとされた。
しかし多くの患者の経験より、私のいいたいことは、血中コリンエステラーゼ値低下は有機燐剤中毒の時の一つの症状にすぎず、燐剤は、此れ以外にも、脳細胞・神経細胞・肝細胞・造血器等に破壊的変性的な変化を与える。従ってコリンエステラーゼ値のみで中毒があるとか無いとか、あるいは恢復したとか、せぬとかいうのは誤りである。
パラチオン散布中に急性中毒を起して倒れた農民が、2ヶ月はおろか、2年も精神病者同様であったり、あるいは精神的肉体的に、7年たってもなお荒廃状態にあり、ぶらぶらしている例は多くある。又ごく微量のパラチオン含有の野菜果実を連続摂取して徐々に慢性中毒に陥った例も多い。
ごく微量といえども、連続的に永く摂取されるときは、細胞の生活に重大な障害を与えるのである。1回量・1日量と共に、総量が問題になるこのことが等閑に附されていた。以上の理由で農薬の慢性中毒が看過されていた。
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大久野島の例
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大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合の島で、旧陸軍の毒ガス製造工場があり毒ガス島と云われていた。戦時中1400〜1500人が毒ガス製造に従事していたが、微量の洩れて来るガスを呼吸していたため、多くの死亡者を出した。
戦後工場は撤去されたが、生き残った従業員より、肺臓癌・腎臓癌・咽頭癌・慢性気管枝炎の患者が多く出て、問題となった。戦后わかっているだけでも、すでに200名が死亡しており、昭和36年7月31日現在わかっている生存者669名中(女208人)の中、約4割の268名は廃人同様で、労働不能である。パラチオンを始め、多くの農薬は毒ガスあるいは毒ガス類似のものである。此等毒ガスの霧の中に立って、不完全な防禦装備で作業する農民、日々その微量を食物と共に食べている消費者の将来を、この毒ガス島の実例が暗示している。
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農薬使用の現況
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化学肥料と農薬を二大支柱とした現在の農法は、数量的増産のみを考えて、人間の健康と生命を無視した『死の農法』である。
化学肥料は一時的に作物を大きくはするが土壌を悪くする。すなわち、物理的には団粒組織を単粒組織にして土を硬くし、含気・含水・保温力を低下する。化学的には各元素間のバランスを悪くする。
例えば硫安・過燐酸石灰・塩化カリ・硫酸カリ等酸根を有するものは、土中のカルシウム・マグネシウム・マンガン・カリ・亜鉛等を流出せしめ又カルシウムを施すとカリーが流失しまたカリーを入れると亜鉛・マンガン等を流失せしめる等々。また土中のバクテリアは植物の生活に極めて大切であるが、化学肥料は土中の有効微生物を減少せしめる。
かく土壌の性質が悪くなるので出来て来る植物は形ばかり大きくても味が悪く病虫害をうけ易い。そこで農薬を用いる。農薬は害虫も殺すが、同時に益虫も殺す。しかも益虫(天敵)の方が農薬に対する抵抗力が弱い。従って天敵がなくなる。他方害虫は農薬に対して抵抗力があり、徐々にその力を増す。天敵がいないので、害虫は我が世の春とばかりに繁殖する。
例えば田の蜘蛛は、1アール当り大体6〜7万匹もおり、1日に20〜21万匹の虫をたべる。この蜘蛛は農薬に極めて弱い。で蜘蛛がいなくなり、螟虫やウンカは妨害なく繁殖することが出来る。又鳥類・魚類・土中の微生物も減少する。農薬に含有される様々の元素が土中に蓄積して土地の物理的・化学的性質を悪くする。従ってそこに生育する植物はいよいよ病弱となる。病虫害はますます多く現われ、更に強力な農薬を必要となる。
かくして、この悪循環は、生産者・消費者の幸福と健康と生命をおびやかすのである。このような理由で、農民はますます強力なる農薬を大量かつ濃度大に用い、これに応じて天敵はますます減少し、害虫は抵抗力を増大する。この10年間、農薬を用いて、害虫はかえって増加した。かくて、米穀・蔬菜・果実等、現在市販の農作物で、農薬の用いられてないものは無いといっても過言でなく、しかも農薬の残存しているものも相当出荷されている。かくして農民は直接農薬の侵襲をうけ、消費者は毎日毎日微量の農薬を食物と共に食べ除々に健康を蝕まれてゆく。
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パラチオン(ホリドール)
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パラチオンは第二次大戦中ドイツでつくられた強力なる神経毒ガスに若干の改良を加えたもので、数滴でよく人を殺す猛毒である。
植物には1000ないし2000倍液を用いるが、これを散布すると植物体内全般に深達し、約3週間残留する。この残効期間21日というのも、天候・植物の種類等により、もっと永くなる場合も、短くなる場合もある。
パラチオンは口から、皮膚から、また呼吸により人体に入り、脳神経・肝臓・消化器・内分泌・造血器等に、機能的あるいは組織学的の変化を起す。急性中毒の時は主として、コリンエステラーゼ障害による急性神経障害により、頭痛・眩暈・嘔吐・腹痛・下痢・痙攣・失神・死亡等来す。
慢性中毒については、前述の如く、従来、中毒量以下の微量のパラチオンが連続体内に入っても、積蓄作用あるいは其他の障害はないように考えられていたが、この場合でも、連続人体内に入ると徐々に全身のあらゆる器官をおかし、人体は荒廃する。
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其他の農薬
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パラチオンには販売使用に一定の制限規則が有るが、其他の猛毒性の浸透剤あるいは深達剤は自由に販売され使用されている。
その上多くの農民は、これ等が人畜無害と誤認している。これ等の農薬の急性中毒・慢性中毒は、パラチオンとよく似た症状を呈し、使用量が多いだけにその中毒例も多い。
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EPN
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エンドリン
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フエーンカプトン
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フエーンカプトンは低毒性有機燐剤として、大して恐れられず、殺ダニ用として果樹・西瓜等に用いられる。この中毒例はパラチオンに似ているが、症状は軽い。深達性があり、残効期間は2週間位。西瓜等では散布後日ならず収穫する例が有り、危険である。
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PCP
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PCPは塩素系の化合物で、近頃除草剤として用いられている。毒性は低いようにいわれるが、仲々の猛毒である。泰国のバンコックで、荷おろし中24名が包装の不十分からPCPを浴び、全員肝・神経障害を起し、その中6名死亡したと云う。日本でも死亡例が有る。最近は米だけでなく、蔬菜・玉ねぎ・薯類等にも用いられるので注意を要する。
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フツソール
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フツソールは弗素の化合物で、最近は梨・みかん等によく用いられる。毒性はパラチオンの1/5であるが、残効期間が大変永い。浸透剤ゆえ、消費者の被害が大きくなる可能性が大きい。成書には散布後1ヶ月経つと無害と書いてあるが、もっと永い様に思われる。
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有機水銀剤
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水銀剤は年々多く使用されつつある。米に、野菜・果実等に、5万トン位用いられる。米作には稲熱病の予防と治療に用いられ、キウリ・トマト等には、ボルドー液に混じて、3日にあげず散布されている。酢酸フエニール水銀として用いられるが、このものは深達性と残効性が有る。岡山大学の小林純教授の実験によれば、すでに白米に最高1PPm(百万分の1)玄米で5PPmの水銀が検出された由である。なお酢酸フエニール水銀は避妊のゼリーに用いられている。時々副作用を聞くので注意を要す。水俣病(熊本県水俣町附近の魚介を食すると神経障害を起して死亡す)の原因が工場下水からの有機水銀といわれているが、日常の米・野菜・果実に水銀が含まれ、次第に増量するということは誠に憂慮すべきことである。
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砒酸鉛
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土壌汚染の問題
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年々8万トンの農薬が田畑に散布されると、これ等水銀・砒素・燐・塩素・弗素・銅・亜鉛等を含有した農薬は、だんだん土中に蓄積される。
米国農務省昆虫研究所ヤキマ氏によると、土壌に農薬を散布して3年半后に検査したところ、表面より6インチ深さの間に、DDT50%、BHC14%、アルドリン15%が残存した。これ等は根から吸収されるのである。
コダ・マーチン博士(全米自然食協会々長)の講演によれば、現在食料品店で売られている食物の殆んどに農薬の残りが含まれているという。一例をあげると、米国議会で決めた食品のDDT許容含有量は7PPm(PPmは百万分の1)であるのに、最近個人的に行った分析によるとDDTは、卵−50PPm、チーズ150PPm、パン100PPm、乾燥フルーツ60PPm、バター200PPmと、遙かに許容量を上廻っていた。これらを連続摂取することが、米国に於ける変性疾患(癌・心臓血管病・精神病等)の多発の最大の原因の一つとされている。
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生物界の混乱
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農薬によって生物界のバランスが破れる。しかも悲しむべきことには害虫増加の方向に。過去9年間農民は命を的に強力な農薬を用いたが、その結果、今や益虫・益鳥・益魚(天敵)は減少し、害虫の増加は種類量共に驚くべく増加し、害虫の農薬に対する抵抗性は増強の一途をたどっている。
最近徳島県・高知県にパラチオンに対し、現在の5倍の抵抗性を持つ螟虫が現れたと報じられている。最近私の地方では、稲にヨトウ虫が発生した。未だかってなかった現象である。9月半ば農民は夜中にパラチオンを散布して中毒患者も現われた。
又徳島県でもハスモンヨトウが異常出現して、元来虫害の少い葱・サツマイモ・サトイモ等を喰荒し、400ヘクタールが被害をうけ、700万円の費用をかけた薬剤散布も効無く、ついに自衛隊が火炎放射器を用いて焼き払った。林檎・桃・梨等は昆虫がいなくなったので、人工交配をしなければならなくなってしまった。ある昆虫学者は、若し今のような農薬使用がつづけば近い将来に野菜果実が出来ない世が来る可能性が大であるといっている。
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健康農法を
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上述の如く、現代農法は化学肥料と農薬を重視しているが、これはただ一時的数量的増産のみを考え、生命を無視し、化肥・病虫害・農薬三者の悪循環を起す『死の農法』である。農学者も、政府も、健康を重視した農法を研究すべきである。又民間にあって、健康を重視し、農薬・化肥を使用せず、立派な収穫をあげている民間の諸団体の研究結果をも十分検討採用すべきである。
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4. 歌謡物語 麦笛の歌
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H.H.
・・・・・・机の上に花瓶がわりにしているポマドールの六角型のあき瓶に、
黄バラの一枝を投げ入れしているのがいま直径四吋ほどにひらき、
ほのかに甘い匂いをただよわす。
匂いにさそわれて花を眺めると・・・・
一匹の蟻が花びらの肌に接吻していた。
花びらは二ひらを机の上に散らして・・・・。
― 私は涙の味方になりたく思う ― 作者
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「雅美(まさみ)ちゃん一度広島へ遊びにいらっしゃいネ」
伯母が言ったのは昨年のことである。
傷ついた心の重荷を少しでも軽くしたいと思う雅美は、旅の終着駅を一応広島にきめると列車の人になった。窓のむこうの風景は、黄ばんだ麦畑がお百姓の忙しさを見せていた。
電化された山陽線での列車の乗心地は気持よく思えるのであったが、悲恋の淋しさの中に置かれた今では、かえって往日のような黒煙の見える列車のほうがこのましくさえ思えた。
梅雨のはしりと思えるどんよりした空は、それでも雲の切れ目をみせて時々青空をのぞかせた。それは雅美のすくいでもあった。列車の前一輌目は人顔が少ない。したがって座席がすいていると知って乗ったが、農繁期のためか、普通の日に輪をかけたほど人がまばらだった。悲しみを抱いての旅、ともすると沈み勝な心を支えて、勇気づけようと窓に頬を寄せて移りゆく景色にまなこを注ぎ、車輪の音をきいていると
願うとも叶わぬ恋と知るゆえに淋しき想
麦笛に祈りをこめてあの人の幸福うたう
――麦笛の歌の最後の一節が、瞼の裏を濡らして来て涙が目のふちに溢れてくると、白い指でそっとぬぐうのだった。
雅美が看護婦を志望し、現在のように看護婦の肩書を持つまでには次の過去があった。父は長わずらいの末に他界したのだが、その病床中、これと言う充分な看護がしてあげられなかった後悔もあったし、看護の智識を知っていたら、今少し父に楽な目をさしてあげられた――この高度な愛から一度は看護の実際を身につけて置きたいと思った。
その頃――白い服へのあこがれは切実なものがあって・・・・・・母の姉が倉敷市に居るのをさいわいに、自分の気持をこまごまと話した。母の姉は産婆だったので病院関係にも知人があったことは好都合であった。おなじ看護婦になるのなら高等看護学校を卒業して置くほうが有利だと教えてくれたので、そうする腹をきめたのであった。
この叔母のすすめる病院の試験を受けたのは雅美(まさみ)が福山の成美高校を 業してからであったが、学校での成績が良かった雅美は優秀な処で高等看護学校の試験にパスしたし、高等看護学校を無事に卒業すると3年ほど恩返しにと、この病院で勤めてから、倉敷の叔母が、住居を岡山へ持ったので、いっそのこと自分も岡山へかわって勤めた方が何かにつけ良いと思い、現在の光南病院に勤め替をしたのだった。
ひたすら病魔とたたかう患者に、日夜、崇高な看護の心を捧げる白い冠をいただいた白い制服を着た看護婦さんを、成美高校時代によく見ていた頃には雅美には尊いうらやましい職業に思えていた。
しかし実際にその中へはいりこんでしまうと想像した程でないことがわかった。仕事上での気使いには精神的苦労の大きなこともさることながら、同僚間でのトラブルには時には深い溝が出来ることを知ったし、仕事の上ではみにくい心の争いがうずまく事をも対人関係で分った。
こんなことを知るにつけ、またわかるにつけ自分だけはこうは有りたく無いと思った。この道を志した当初に決めた清らかな奉仕の精神だけは捨てまいとした。対人関係ではつとめて冷静な心を保つようにして居た。
良心のありかたを間違うまいとした雅美にも、自分では自分の心をどうすることも出来ない悩みに誘われて行ったのだった。看護婦だって女性である。まして雅美は年頃の娘である。それとなく異性を心の面影に抱くようになったとて無理からぬこと。――患者と看護婦のあいだでは、同情心からかよく恋がめばえて深いものになると言われる。あわれなものへ誘われる愛――女性特有の心理なのであろう。
光南病院に勤めるようになってからは内科の病舎に配属されていたが、外科の病舎に配置がえになっての、秋の或日の午後のことだった。病室の第三号室で見た頭に繃帯を巻いた患者に、遠い日の高校生の男性の面影があるのを知って、自分の目をうたがった程に驚いた。しかしそれは他人の空似だった。
――ひどい降雨の日に学校帰りをパンクした自転車を持てあましていた時、自転車を肩にのして自転車店まで持って行って下さった。そんなことがあって、学課のことで2、3度話しあった高校生のたのもしい人だった。好きな人と言う気持が、今ではもう一度あって見たいと思わす青年の面影なのである。――心のすみに追いやられて居た存在が、病室で知った患者坂田によって再びクローズアップして来た。
遠い日のあの青年を慕うとは言うものの、会える望みのない雲をつかむような思いだった。(特に女は身近な人や過去に於て心に残った顔に似た人を愛する)と言われるが・・・・・・仕事の関係で病室まわりで坂田とも話す機会が多かった。それと今ひとつは心の人に似た顔だちが自然に親しみを増して行かしたのでもあった。
日を重ね、言葉をまじえて居るうちに坂田が絵が好きなこと、坂田が描く絵は人の心を魅するものがあることがわかった。病室を訪れる友人の話しではその絵筆の腕を高く買われている事も分った。雅美は高校時代から文学が好きだった。したがって絵を描くことも好きだった。スケッチ風の画のそばに短い詩を書き添えなどしたこともあった。
坂田が病院内を歩くようになっての或日――非番の時間を見て娯楽室ぞいの温室で、坂田と絵のことに就いて話題を持つことが出来た雅美は、自分の姿をスケッチさしてくれと言う言葉に心よく応じたのである。それ程に迄いまは心の中の坂田であったのだ。
おなじように農村で産れた二人には共通点があった。バルコニーで月を眺めているとき雅美が唄った“麦笛の歌”を坂田は手帳に書き取った程だし、この歌が私は好きなの・・・と口に出した雅美だった。歌は月の明りを縫って、夜風をゆすりながら次のような歌詞を雅美の口から、二度こぼして消えていった。
想い出の姿呼びつつ
唇に麦笛あてる
流れ出る切なきしらべ
あの人の胸にとどけよ
逢うことも今は遠のき
月みれば風さえ恋し
幻を抱きよす今宵
唇づけの吐息は燃える
願うともかなわぬ恋と
知る故に淋しき想
麦笛に祈りをこめて
あの人の幸福うたう
雅美(まさみ)には楽しい日がくりひろげられつつあった。
非番の日が待ち遠しかった。
その時間の多くをさいて坂田と居る時をつくった。或る時は病院内のクロバーが密生している空地に腰をおろして語り合うこともあったし、黄昏のクルミの樹の下で二人の時を持つことも有ったが、温室ですごすのが大部分であった。
坂田は黄昏が好きだったので、二人で暮ゆく空を眺めて居る日もあった。現代では特にこんな傾向が強くなったが−女性は自分が心から愛する男性だったら、唇を重ねても後悔しない・・・・・・いつだったか読んだ本に書いてあったことを雅美は想い出していた。坂田が心をこめて描いたと言う看護婦姿を、壁にピンで止めたスケッチの自分を見詰めて・・・・・・そのスケッチの画はいつの間にか坂田の面影に変っているのだった。
真実の恋がめばえた場合は、清い恋をしたく思っていた。
人目をさけるような暗い恋は不純に思えて、明るい恋をしたく思った。
恋の花園に咲きにおう雅美はこんな恋であるようにと祈って日々を送っていた。
汗を流して働いたあとの微風の涼しさは気持が良いように、病院での仕事には張りが出てきて、雅美は毎日が愉快な夢のなかに居るように思えた。――人間は自分が喜びの頂上に居る時にこそ、最も気を付けなければいけない。――つまずきはそんな時に心の隙をねらって来るからだ。
坂田には妻が居るのだが、生き別れみたいになって居た――家庭の事情でいたし方のない事とは言え、心と心に溝が出来て遠のくことは、愛情の面でもうすらぎをみせるのが自然の理であった。したがって坂田を見舞に来るのも、これ迄に一度しかなかったし、それも義理立てにしたようなものだった。しかし夫婦である以上、もとの愛情の仲にもどらないと誰が言い切れようか。そんな妻らしい女性の訪れを見ない坂田の身辺の様子から、まだ独身なのだろうと思ってる雅美には、退院も近い或日、坂田がしんみりとした声で――僕には妻が居るのだが、別れたも同然な現在でも、籍を抜き切れない事情があるのだ。君が愛してくれてる深さを強く感じるほど、すまない気持がしてならないのだ。僕も君を人一倍に愛しているだけに、この言葉を切り出すのが怖かった。もっとずっと早く告白すればお互の苦しみを軽く出来たのだけど――坂田の目もとはうるんでいた。この言葉が心をいやと言う程たたき今日までの楽しい夢を急転直下、谷底にほおり込まれた時の、あのお先まっ暗な絶望に変えてしまったのである。
或種類の女性だったら妻子があろうと、情熱の燃えるにまかして愛する人に、総てをささげて自分のものにするであろう。しかし純情さを失なってない雅美はそれほどドライにはなれなかった。
哀れな女―雅美は、坂田が退院すると、数日たってからのこと、幾日かの休みをもらって旅立ち、どこかでおもい切り泣きたい――泣いてやり場のない悲しみを消してこようと思った。――このいたいけな願いが・・・・・・いまこうして山陽線の列車の人にして居るのだった。
中年の男が参議院選挙に就いて議論を飛している声さえが、雅美にはわずらわしかった。今の傷ついた心を、心からなぐさめてくれる人と、二人きりで静かなところで話して泣きたかった。こんなとき成美高校での無二の親友であった二ノ宮純子さんが居てくれたらと思うのであった。実家へも立寄ってみたかったし二ノ宮純子さんに会えるかもしれない望みもあって、福山駅に途中下車した雅美は、母に会ったが悲恋のことは口にしなかった。
母の話しでは二ノ宮純子は、いまは北海道に行って居らないとのことだった。
雅美は福山城の城趾に佇って、むせぶように“麦笛の歌”を唄うのであった。想い出の姿呼びつつ唇に麦笛あてる流れ出る切なきしらべあの人の胸にとどけよ
完
・・・・・・雅美よ、泣くがよい。さめざめと泣いたあと、悲恋の想い出を忘れてしまうのだ。君の恋は美しかった・・・と作者は言いたい。
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5. 質問箱 青汁の機械
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宮城 Y生
問
青汁をつくるによい機械はありませんか。スリバチでは、余り時間がかかります。
答
今では、随分いろいろの機械が売り出されているようですが、私どもの試験してみた範囲では、いずれも一長一短があります。安価で能率がよく、長もちすること、また応用面の広いことなどの点から、私どもは、やはり田辺式ミンチが、いちばんよいと考えています。
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6. 他山石語 ジューサー合戦 電気メーカー「夏の陣」
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平塚市 M.M.
この国にミキサーが売り出されたときは、ハウザー療法の波に乗って調子のよい滑り出してあったが、最近のジューサーも“青汁ブーム”にのって好調だという。家庭電機器具メーカーの間でも「ことしの勝負はジューサーでいく」と、大いに肩を入れている
ところで、これまでのジューサーは、ミキサーの蔭にかくれて、あまりパッとしなかったが、倉敷中央病院の、遠藤仁郎博士が「青汁の効用」を発表して以来「青汁を飲めば心臓病をはじめ、あらゆる病気がなおる」ということで、ジューサーに対する認識が高まってきた
たとえばビタミンCを毎日千ミリグラム摂るためには、皮と中袋を捨てればミカンで120個分にあたるが、そのままなら4個で十分。そのうえ天然ジュースには綜合ビタミン剤にもないビタミンPや葉酸が多量にふくまれているので、材料を生かして飲むにはミキサーよりもジューサーというわけだ
この“青汁ブーム”で有卦に入っているのは元祖格の富士電機だが、そこへ目をつけた三洋は昨年5月発売に乗り出し、松下も12月から名乗りをあげた。今年に入ってからは東芝が3月中旬に発売、日立、早川もすでに試作段階を終わって、近く戦列に騎首を揃えようとしている。いうならば“ジューサー夏の陣”だ
それだけにPR合戦もはなばなしく、富士が“健康と美容”を基調に“朝はジュース、夜はクッキング”と料理面からも攻勢をかければ、三洋は特約店に特別指令を出して、全国の料理店、飲食店の系列化をねらい、松下は“ナマの栄養をとりましょう”と割烹学校の先生まで動員しての抜け目のなさ
さてこの勝負、いずれが判定のポイントを稼ぐか、試合はもはや第三グラウンド。各メーカーそれぞれのボデーや遠心離のバランスにものを言わせての秘術を尽くしている。ともあれ、注目される今夏商戦の一つであろう。(37・4・28=日本工業新聞)
「健康と青汁」4月号に遠藤先生がおかきになった電気ジューサーの記事を、ご参照下さい。今夏予想される電気メーカーの「ジューサー合戦」さてどんなものが発表されますか?青汁党の皆さん、充分ご検討のうえ、現在ある製品の欠点が改良されたものでない限り、くれぐれもお金のむだづかいにならないようご注意願います。
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7. 高血圧の妙薬
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長野県 S.O.
青汁の効用につき私が、初めて知り得たのは昨年の4月26日、日本経済新聞紙に掲載された飯村満さんの体験談からでした。その談より遠藤博士主宰にかかる青汁の会や仝博士の御著書等紹介され、早速青汁読本、青汁の効用等を購読し頗る感銘する所ありましたので速やかに青汁の会に入会し同時に青汁を飲み初めました。これが5月の初めでした。
それより1ヶ月間位は別にききめも感ぜられませんでした。が2ヶ月程続けましたら何となく食慾が出て来、同時に気分が好くなって来ました。更に3ヶ月程経ちましたら75才の老年にもかかわらず若い青春時代の夢を結ぶ様になりました。
全く肉体も精神も若返った様に感ぜられ、青汁が斯くまで効用があるものかと不思議に思われました。私は一昨年来高血圧と不眠症で悩んで来た所です。それが青汁服用すること4ヶ月程で血圧はほぼ安定し不眠症の方も半年位で正常の睡眠もとれる様になりました。
斯くの如くして私は青汁服用すること1年満たずに完全に元の健康体に戻り得る様になりましたこと自分ながら驚くの外はありませんでした。青汁は私にとっては真に神薬と申したい程の妙薬であります。それのみならず、私の妻も多年高血圧で悩まされておりましたが私と一緒に青汁を飲用するに至り何時の間にか血圧は低下する様になり今日では医薬を用いずに済む様な健康体になりました。
以上青汁の効果に対する私の体験をご報告申上げると共に青汁御研究の権威遠藤博士の御功績に対し衷心敬意を表し併せて飯村さんの御親切なる御指導に対し深く感謝する次第であります。
(36、9、4)
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8. 肩のこりがとれた
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大阪府 H.H.
3月の下旬に種をまきまして、6月の中頃より、少しづつ、スリ鉢ですって、のんでおります。
沢山芽が出ましたが、空地が少ない上に、主人に花畑を大半とられまして、ケールの植える場所がございません。それでも今十本ばかり見事にそだっております。一枚づつ、葉の裏を返して見るのが私のとても楽しい時でございます。十本もあれば充分だと思っておりましたが、さて飲んでみると、足りないことに気がつきました。そして、この間、茎の中程から腐って来まして二本が駄目になりました。
経験のない私ですので、こんな時どうすればよいのか困っております。日照りがつづきますので毎日水をやっておりますが、それがいけないのでしょうか。続けましてより約2ヶ月ですが、不思議なことに、ちっとも肩がこらなくなりました。
今までは、針を持てば背中がだるいような、息が苦しくなるような事で、何にも出来ず、ごろごろころがってばかりおりましたが、今年の夏は、次々と仕事もかたづき、あまり無理をすると、秋頃に倒れてはいけないと思いつつも、からだの調子がよいものですので、おかげ様で、毎日いそがしい日々を送らせていただいております。咳も不思議に少なくなりました。(36・8・20)
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9. 夏まけを征服
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札幌市 K.Y.
今年の春より、家の空地にケールとかき葉大根をうえて、青汁を実施いたしました。
私は、夏になると、身体の調子が、毎年狂って居りましたが、今年は非常に快調で、1週3日の夜勤もらくに勤めることができました。先日ソ連の核実験のため当地におきましても、多量の灰が降下したために、よくわかりませんが、心配のため、現在、一時中止しておるようなわけでございます。当地はもう雪も近く、あといくらも青汁は実施できませんが。(36・11・9)(充分水洗していただけば結構です。くわしくは本紙64号=昨年12月号をごらん下さい。)
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10. 食慾増加
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秋田県 Y.A.
ここは山の中で、野草や木の葉はいくらでもあります。愛飲しはじめてから10日位ですが、早くも効力があらわれてきました。友達も、近頃顔色がよくなったといってくれるし、自分で、食欲が出て、気分も良くなって来て、今までの暗い気持がだんだん明るくなって来ました。(36・7・16)
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11. 心臓性浮腫なおる
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12. 青汁ニュース(2)
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前文参照 |
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病気による欠席状況
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健康の一つのバロメーターとして病気にかかり具合を考えることができますが次のグラフは、病気のために一人当り何日欠席しているかを調べたものです。これによるとやはり青汁の連続飲用者の方が欠席が少く、そして昨年度より本年度になってますますその差が大きくなってきています。
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う歯
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処置・身処置、乳歯・永久歯のすべてを含むう歯を児童一人当り何本ぐらい持っているかを調べてみた結果、35年4月から36年4月にかけて乳歯のはえかわり等のため、両者ともう歯は少くなっていますが、その後未経験者群には僅かながら再びう歯が増して来ています。
それに対して飲用者群にはその後う歯にかかる者はなかったということになります。又、35年4月と37年4月を比べると未飲者は0.4本のう歯が減っているのに対し、連続飲用者は1.3本も減っています。
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皮膚病・寄生虫
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又寄生虫の場合もこれと同様のことがいえ、未飲者群では35年前期に比べ36年後期には1.3%増しているのに対し飲用者群では2.1%減少しています。これによっても「いくら清浄野菜でも或いは生野菜のことだから寄生虫がわきやすいのではないか?」という心配はいらないことがわかります。
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13.あなたも青汁を
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広島市 A.H.
- いいと言うから 飲んでみた
あれから幾月 経つだろう
段々増えてく 青汁党
冷やかしながら 僕も飲む
今日の健康 保持のため
- 青汁礼讃 する人に
とんだところへ 利くと言う
笑い話しも 和やかに
青色吐息 せぬように
明日の健康 作るため
- 何と言っても 葉緑素
補給するのさ くすりだよ
飲みにくいのは なれるまで
みんなで飲もう 青汁を
もりもり仕事 するために
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コラム紹介
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白沙云う、人となり多病なるは未だ羞づるに足らず。
一生病無きは、是れ吾が憂なりと。 (菜根譚)
身を守るは守るの本なり (孟子)
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静なり。
知者は楽しみ、仁者は寿(いのち)ながし (論語)
最大の自然のめぐみは緑葉にあり
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