健康と青汁タイトル小 <1962年6月15日発行 第70号>
 目次




1.疲れをとるには

     医学博士 遠藤 仁郎 

     疲れをとるには砂糖水がよいと、よくいわれます。また、酒という人もあれば肉という人もあります。そして、それぞれに、何がしかの効能もあり、理窟もありますが、私は青汁をすすめます。
       はげしい運動でつかれた時には血糖(血中のブドウ糖)がへっています。
     これを補うにはブドウ糖を注射するか、飲めばよいわけですが、砂糖でも、米麦などの澱粉食でもよろしい。これらは、すべて、体内でブドウ糖になり、血中に送られるからです。
     すき腹でヘトヘトになっていたものが、飯にありつくと、忽ち、元気になるのも同じです。砂糖水だと、吸収が早いだけに、より早く効きます。そこで疲れをとるには砂糖水といわれるわけ。
     ところで、ブドウ糖は、体内すべての活動のエネルギーのもとですが、これが、完全に分解利用されるためには、十分のビタミンBが必要で、もし不足すると、その分解が不完全となり、代謝の途中で有害な中間産物ができます。
     そして同時に、他の諸代謝もうまく行かず、疲労という現象があらわれます。白米飯や砂糖の過食による夏期の倦怠疲労はまさにその典型です。
     ですから、運動の後や、空腹の疲れをとるのに砂糖水の一杯は有効でもあり、無難でもあります。しかし、糖質代謝の異常にもとづいている疲労の場合に、砂糖水をのむのは少しも意味のないことですし、砂糖の効用を過信するの結果は、つい砂糖や菓子の濫用となり、糖害だけでなく、添加されている色素や薬品、あるいは人工甘味の害もさけられぬことともなるわけです。
     したがって、疲労を防ぐため、またはその恢復のために砂糖を用いるのは、あまり賢明とはいえません。

     つぎに酒は、興奮刺戟作用によって、血行をよくし、機能をたかめ、代謝を促進して、疲労物質を除くことにも役立つのでしょうが、主なものは、むしろ、大脳の痲酔作用によって、疲労を忘れさせる、いわば一時的のまぎらかし効果にすぎません。また一面、この酔心地のために、とかく量をすごし、習慣性をともないやすいので、これまた、疲労恢復策としては、あまり感心したものではありません。

       また肉を食っても、元気が出、疲れが治るといわれます。
     それは 、味のよい肉によって食欲がますためでもあり、一方、肉食でエネルギー代謝がたかまり(約30%増します)、余分の力が出て、元気づいたように感じられるためでもあります。
     しかし代謝が、30%もたかまるということは、実は、肉の成分である蛋白質の分解過程が複雑かつ困難であるため(色々有害なものができるので)、それを始末するのに余分のエネルギーが必要なからです。だから、これも、結局はからだの負担を一層増し、疲労をかさねるだけのことです。
     このことは、肉食をさかんにやるスポーツマンが、疲れやすく、早く衰えることからもよくわかると思います。そこで、これも、体力の消耗を防ぎ、疲労の恢復をはかるためには余りよい方法とは考えられません。

     最後は青汁ですが、これには糖分や蛋白質といった、代謝の負担になるものは殆どありません。そして代謝を営むために必要なビタミンやミネラルは豊富にあり、すべての機能は円滑かつ活発で、疲労物質の処理も完全に行われるのですから、疲労しにくいし、恢復もはやい道理です。
     そして、また、実際、青汁をはじめてみて、まず感じることは、疲れぬということです。そこで、私は、疲れをとるためには、砂糖水よりも、酒よりも、肉を食うことよりも、青汁をのむことだと思っていますし、仕事の後の青汁の一杯ほどの疲労恢復法はまずあるまい、と信ずるものであります。



2.みんなで歩こう!! ―熊本健康の会徒歩部の紹介―

  1. 熊本健康の会とは
     熊本健康の会は、熊本市に現存する各種の健康法の研究機関を綜合して、昨年設立されたものであって、共通の目的、即ち「健康」に向って、共同研究と実践を推進するものである。現在数百名の会員を擁し、包含する機関も、多種多様であるが、全会員は喜んで毎月の例会に参加し、その非営利性、献身的、実践的、積極的な運営と指導に満足して居る様に見受けられる。
     旺盛なる研究心を以て、綜合的な健康指導に日夜努力していられる医師小川糺氏を会長に戴き、会の実務推進には、郵政局の井原辰夫氏が、殆ど単独で席の暖まる暇もない程の活躍をして居られる。

  2. 毎月の行事
     熊本健康の会では、毎月定例行事として、第1日曜日に徒歩の会を、第3日曜日には、例会を開催することになっている。徒歩の会は、徒歩部に於て企画実行に移されるが、その方面の御世話は、整体術の権威であられる吉村晋先生に毎月御願いすることになって居る。又、例会に於ては、各方面から、健康の増進と、幸福の確立に役立つと思われる題目を選定して、その道の権威者を招聘し、講演会と研究会を開催することになって居り、この力の御世話は青汁会社の藤田富雄氏に御願いしてある。

  3. 立田山を歩く
     9月は例月の通り、多数有志会員の参加を得て、立田山への徒歩の会を実施した。 言うまでもなく、毎月、歩く場所は変化する。山あり、海あり、川ありで、その為に筆者の今まで知らなかった珍しい場所を歩く機会に恵まれて、健康と共に、二重の喜びを得ている。
     昭和36年9月3日、日曜日、絶好の徒歩日和。筆者も子供二人を伴い午前9時半産交バス中央発着所に集合する。集まる者は老若男女一定せず、全くこの会の性格を物語っている。
     午前9時50分、高森行バスに全員搭乗。一里木下車。吉村先生に案内されてダラダラ坂を立田山に向う。目標は立田山農園。緩傾斜であるから、女子供の足でも、ゆっくりと楽に登れる。20分程行くと、第一目標の立田山農園に辿りつく。ここは東洋繊維工業KKの直営になるラミ−生産を主体とした立田山農園であり、その外、ブドウ、スモモ、クリ、カキ、山林樹苗等も生産している所である。総面積約100町歩との事である。山守所長から、いろいろと園内の状況して頂く。
     丁度、農園はブドウの収穫最盛期、農園を尋ねて来る人には、市価よりも遥かに廉価で、直売されるとの事である。然もモギ立ての新鮮そのものだ。
     熊本市近郊にも、こんな素晴しい場所があったのかと、皆な口々に洩していた。今後は連絡次第、各家庭への配達をサービスする由であり、全く有難い事だ。これも徒歩の会の余徳と言うべきであろう。
     大分時間も経過した。次の目標へと歩を進める前に記念撮影を行う。
     第二の目標は茶工場だ。道々の周辺の山は、殆ど前記東洋繊維工業KKの所有山林である。百町歩という面積は誠に広いものだ。歩けば広さの実感がわいてくる。歩けども歩けど、生憎ソョとも風がない。ムシ暑い。しばらく歩を運べば、熊本市内を一望に収める山角に至る。眺望絶佳、しばし我を忘れて嘆賞する。
     更に山道を辿ること数刻、涼風至る峠に出る。生れ変った様に元気になる。皆々ホッとした表情。これからはズッと下り坂だ。この辺まで来ると、一行の列は前後100メートル位はなれている。子供は割合に元気である。只、空腹を訴えるだけだ。山腹を何回か曲折して、やっと目的の茶工場に到着。丁度正午で、女子工員さん達が、思い思いにおひるの弁当を開いていられる所であった。入口に、巨大なコルクガシが、聳立しているのが特に印象的である。工場の中は新しい茶の香りがプンと匂っている。冷たい井戸水をグッと飲み干せば、今までの疲れが一辺に吹っ飛ぶ思いである。
     工場長の御好意によって、小高い丘の家に案内して頂く。広間の障子を開け放せば、四方から山の涼気が吹き抜ける。全員シャツを脱ぎ、ズボンを外し、靴下をとって、やっと自分の体になった感じがする。
     お茶の接待を受けて、各自持参の弁当に舌鼓を打つ。我が家や、食堂で食べるのとは又格別違った旨さである。これ又、徒歩の会ならでは味わえぬ第二の功徳である等と考え乍ら、握り飯をほおばる。
     中食が済んで自由時間だ。各人の健康法の体験談に花が咲く。吉村先生の整体法のお話になると、全員耳を傾けて聞き入る。日常の健康に直ちに応用できる素晴しいお話ばかり。
     「人間には、夫々自分の知らない体癖がある。その体癖を治さずして、幾らラジオ体操などをやっても、完全な効果は期待できない。」と説明される。その体癖とは何か?理論は無用である。参加の会員が、交る交る吉村先生の前に出て、体癖の診断と矯正をやって頂くので、全く臨床講座である。吉村先生の説明は続く。「これ丈の操法で、一応その人の体癖は完全になるが、又、翌日は元の体癖に戻る。従って、1週間位は、毎日続いて整体操法を受ける必要がある。」
     実際に吉村先生の診断法と整体操法を見ていると、素人にでもその効果が分る。足の一方の短いのが、一回の操法で、同じ長さになる。体の捻れいるのが直ちに真直ぐになる。初めて見る人は、正に神技かと驚くであろう。
     或る一人の会員が、施術後「腰が大へん軽くなり、楽になった」と、シミジミ述懐して居られたのを見ても、その効果の程が知れよう。今日は、会員だけに、子憩を利用しての秘技の直伝であるから、一切無料で施行して頂ける。これ叉、徒歩の会の第三の功徳であろう。
     早や午后3時だ。もうソロソロ帰路につかねば、と考えている時、井原幹事から、会の連絡事項伝達がある。「純正食品部」の設置提唱である。
     現在、市販の食糧品は殆ど不良食品である。天野慶之博士の言を借りれば「恐るべき食物」であり、「殺人食物」になりかねない。これ等と絶縁しない限り、如何に青汁飲用や、健康法を行じたとしても、完全な実効を挙げる事は不可能である。
     ここに着目した熊本健康の会では、近く「純正食品部」を設置して、生産者と直結し、会員に対して、健康のための必須純正食品を斡旋提供する計画である。
     当面差当って、種油、醤油、味噌等から始め、漸次巾をひろげて、ゴマ油、小麦粉、ソバ粉、梅干、生食用野菜等々に手を伸ばしていく予定である。
     これで、熊本健康の会もいよいよ足を地につけた実効ある会として、益々全会員から親しまれ、会員の健康の増進に寄与して行くであろう事を確信しつつ、散会。帰路についた時は午后3時半であった。




3.生命の泉 ケールと共に八年

    岡山市 T.M. 

     昭和29年春ごろのことである。倉敷中央病院の遠藤先生のところへ入院する患者は、皆青汁を飲まされ、どんな病気でも大変経過がよく、早く治るのだという話を聞いたのが、青汁と私との縁の始まりであった。私も医者のはしくれであり、殊に公衆衛生の実践を生涯の仕事としているので、そのことには一寸興味を覚えたけれど、実は何も知らない私は、最初は少しくらい馬鹿にしていたのである。中央病院の主任栄養士の糸島さんに、青汁とは一体どんなものかとおたづねしたところ早速「青汁読本」という遠藤先生の著書と、1ヶ月間の青汁試飲を寄贈して下さった。大して深い関心があったという程でもなかったが、その頃私は初老から中老への坂を登る疲労感その他の自覚症状か可成り強く、血圧も中等度に高かったので、ものは試しと飲んでみることにした。
     例の青くさい液体、余り飲み心地がよいとはいえない。顔をしかめ、唇を硬直させながら一気に飲みくだす時の様子は自分ながらおかしい位の姿だったにちがいない。だがまてよ、これは気のせいかも知れないが、今飲んだ青汁が身体の隅々の細胞にまで滲透するような一種の快ろよさがないでもないぞ!とそんな心境を覚えたのも事実であり、はっきりした当時の印象として生々しく思い出すことが出来る。10日も続けた頃には、日々の疲労が驚くばかりに軽くなった。青汁を飲まない以前は随分と疲れが大きかったのだなということがはっきりわかる程であった。疲労の強いことは気分を沈爵にし、甚だしく不安定な暮し方をしていたということが、あらためてわかったような気がした。最近すっかり自信に似たものが精神的にも肉体的にも意識されるようになったのだが、これが青汁のおかげであるということは、その後78年続けてみての体験ではっきり動かせない事実になってしまった。
     その頃、倉敷市西小学校の貝原先生の学童による青汁飲用成績を見て、更にその感は深くなってゆくのだった。体格上の改善、疾病に対する抵抗力は、恐らくは頭脳のはたらき学業成績をも向上させるであろうことを、科学的根拠はともかくとして、私は私なりの体験を通じて信ずるようになった。理論的うらづけも間違っていまいし、年とってからではあるが、私自身、多少頭の調子も胃の調子もよくなった。血圧も正常値、血液像も良好、広島に於ける原爆の特別被爆者である私自身としては、ある種の心配が取り除かれるのにも有効であった。
     遠藤先生、貝原先生の御好意により、自宅でケールを栽培し、家族は無論のこと、近隣縁者、病弱な人をも青汁党にすることにこの上もないよろこびをもってつとめているのがこの頃である。ケールが年中庭の一隅に成育している美しさを見ると、全く悦に入ってしまうのである。一枚一枚の葉が貴重な生命の泉のように思えてくるのである。ケールは年中収穫出来る。私はケールを生命の一部分として、いとしく眺めくらしてさえいる自分を発見する。
     昨年7月倉敷から岡山へ移り住んで、イの一番にやったことは、庭を掘り起こしてケールを播種したことだった。2ヶ月もすると青々と生育し初めた。隣近所の質問にうまく答えているうちに、たちまち45軒へ蔓延、6軒7軒と伝染している。この余り経費のかからない健康長寿法は益々ひろがりつつある。
     こんな境涯を与えて下さった遠藤先生、貝原先生、糸島栄養士さんのことは、私にとっては一生有難い、忘れ難ないものになってしまった。
    (筆者は津山保健所長)



4.歯ぐきの出血とまる

    福岡市 K.I. 

     このたび「青汁の効用」を見せていただき、早速手近なレタスをジュースにして、1日2回、朝夕服用しましたところ、歯ぐきからの出血(歯をみがくときに出血していた)が止まり、従来、牛乳を飲んで下痢をしていたのがなくなり、その効果に驚いています。
    (36、9、19)



5.ハイキング

     深山 旅愁 

    蒼い雲の 碧さの中の青さに包まれて
    ここ高倉山の頂上に思う
    山の急な斜面をよじ登りのぼり
    からだを包む藪のなかを
    野獣のように枯れ葉をこいで来た・・・
    今日の行程は
    とても長い距離に思えるのに
    ・・・歩きぬいて来た足に驚く
    肌をしっとりと濡らした汗の・・・
    風の愛撫にまかせる心地よさよ
    長時間の歩行に耐えぬいた者のみが
    しみじみと知る歓びだ
    見るともなく見ると・・・
    髪の乱れをかきあげる近くの小娘
    積雪をみせる中国山脈が
    つぶらな眼に写って居る
    おーい と呼んだら・・・
    深い山峡に声がこぼれてゆくだろう
    草の深い山の頂に佇っていると
    しみじみ思う
    二三人でもよいから
    気の置けない者たちで
    今日のように また歩きたいと・・・
    蒼い雲の あの碧さが・・・
    手でつかめそうだよ
       (1962・2・4)



6.一級酒のような尿となる

    平塚市 M.M. 

     青汁の効用の驚くべきであることを知りまして、その夜、直ちに、小松菜で青汁をつくり、コップ一杯を飲みました。
     ところが、胃の中の重苦しいモヤモヤした感じがスーととれたような感じがいたし、翌朝、気分が如何にも爽快でございますので、これは大変な著効があるぞと思いましたが、家内は、「気のセイでそういう感じがするだけでしょう」などと笑っていましたが、私はそう思えませんので、以後、毎日青汁をコップ一杯づつ飲み、4日間つづけましたところ、夏季には特に濃厚な、番茶のような尿が出て居りましたのが、うすい一級酒のような透明な尿が出はじめまして、家内もその著効を認め、驚きかつ喜び、感謝いたして居ります。
    (36、7、10)



7.リウマチ痛治る

    三鷹市 S.Y. 

     知人のすすめで青汁をいただくようになり、リウマチの痛みも去り、大よろこびいたしております。
    (36、9、4)



8.青汁ニュース(1)

     岡山県和気郡伊部小学校

     伊部小で青汁給食を始めたのは昭和35年7月からで、その後約1年半を経過し、1人約300回飲用を続けて来たわけですが、その効果はどうだったでしょう。
     このことについて去る2月16日伊部小で開かれた岡山県教育委員会指定の学校保健教育研究会の席でも発表し、当日県内各地から参加されていた学校教職員や校医の先生方から「やっぱり青汁はすばらしい」と感心していただきましたが、その時の発表の要旨を中心に近況をお知らせして、飲用はもとより調査などにも色々ご協力下さっているお礼にしたいと思います。


    長期飲用者と非飲用者の比較

     本校で青汁給食をはじめた当初からずっと引続いて(約300回)飲用している児童(2年生から6年生まで142名)と同じ期間、全然飲んだことのない児童(同、147名)について色々の面から比べてみました。

    体位の増加量


     先ず、青汁給食の開始前である昭和35年4月から、本年1月までの間にどのくらい体位が増加したかを比べたのが、上のグラフです。
     これでわかるように、青汁をずっと続けて飲んでいる児童は全然飲まない者よりすべての点でより大きく成長しているといえます。(5年生の胸囲だけは飲まない児童の方が大きくなっていますが、これは飲用者郡には男子が多く、反対に未経験者郡の中には、ちょうど胸部の飛躍的発育期に当っている女子が多かった為、男女を平均したこのグラフではこのような結果になりました・・・。同様の傾向が体重の場合も見えています。)


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9.質問箱

     京都市N生


    菜種油をうんと入れよ、という説がありますが。


     良質の脂肪、ことに植物油は入れるほうがよろしい。
     脂肪にとける成分の吸収利用をよくします。青臭味や辛味もへります。
     しかし、入れなければ効力がないというものでもありませんし、そう沢山も必要ではありません。私どもは、1合の青汁に、サラダ油2―3―数滴でよいと考えています。また乳汁などをいれる場合は、必要ありません。








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