<1960年11月15日発行 第51号>
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目次
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1.サツマ芋
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医学博士 遠藤 仁郎
| サツマ芋 | 白 米 |
熱 量 | 118 | 342 |
蛋白質 | 1.3 | 6.4 |
カルシウム | 24 | 6 |
燐 | 33 | 160 |
ビタミンA | 10 ※ | 0 |
ビタミンB1 | 0.15 | 0.10 |
ビタミンB2 | 0.04 | 0.04 |
ビタミンC | 30 | 0 |
※ カロチン芋では1000〜4000 |
サツマ芋はよい熱量食品ですが、もちろん、その熱は米麦にくらべるとずっと少いものです。それは水分が多いからです。蛋白質も相当あり、質的にも穀類と大差はありません。しかしアルカリにとみ、ビタミンBとのバランスの点では、はるかにまさっています。カルシウムは24ミリグラムで、穀類にくらべ著しく多くあります(白米では僅か6ミリグラム)。そしてカルシウム対燐の比もよろしい(この比は1:1‐2が理想的とされていますが、サツマ芋では1:1.38、白米では1:26.7)。また熱量の割にビタミンB1の多いことは、さらに注目すべきです。芋の熱量は、ほとんど糖質(澱粉と糖類)と蛋白質によるものですが、これらの1カロリーについてB1は1ガンマ(千分の1ミリグラム)あればよいのです。それが、なんとサツマ芋では1.27ガンマもあるのですから、よほどの余祐があるわけです。なおビタミンCのあること、カロチン芋ではAにもとんでいます(ふつうの白い芋では僅か10単位にすぎませんが、カロチン芋では、色の濃さによって1000から4000単位、あるいはそれ以上のものもあります)。
こうした諸要素のそろっていることは、主食品としては比類をみぬところでありまして、栄養バランスの上からいえば、穀類はもとより、豆類よりもさらにすぐれた食品というべきであります。ですから芋を主食にすれば、少くとも邦食欠陥の一つであるビタミン類(ABC)の不足は大いに緩和されます。
また、今一つよいことは満腹価の大きいこと。つまり、すぐに腹にこたえ、適当な副食物なしには、とても充分には食べられない。このことも完全食を得やすくするのに重要なことです。
このようにいろいろの点で邦食の改善に有利な性質をもっており、またそれだけに、穀食にくらべ刺戟性も少いと考えられるので、私はこのんで腎臓炎、高血圧、糖尿病、その他の治療食に応用しています、病体の負担をかるくすることにかなり役立つように感じられます。
かように栄養上すぐれている上に、味はよし(嗜好の差はありますが)、収穫は多く、価も安いのですから、もっともっと利用すべきものであると思います。もっとも芋ばかりを主食にすることは特別の場合(芋地方あるいはある種の病気のばあいなど)に限られ一般には無理でもありましょうが、一日一食くらいを芋にすることは、さほど困難ではないでしょう。
芋飯などそのよい例で、芋と米と同量を飯にたくとすると、カルシウム:燐の比は1:6.43、1カロリー当りのB1は0.54ガンマ(白米では0.29ガンマ)となり、そのバランスは白米飯よりは、ずっとよくなりますから、その害も少くなります。小麦粉の衣をきせたテンプラ、アワテ餅(生芋をアンに入れた小麦粉団子)も同じです。そのほか、蒸したり、焼いたり、から揚げしたり、あるいは汁の実にするなど食べ方はいくらでもあります。
寒さに弱い欠点はありますが、適当な貯蔵法を講ずるのもよいし、乾燥しても良いでしょう。少し手はかかりますが蒸し芋を乾したカンコロも重宝ですし、切り乾しした芋粉は、そのまま、あるいは小麦粉、ソバ粉、その他の粉と混ぜて、用途はすこぶる広い。しかし、利用法はどうであろうとも、ともかく、芋は主食品。米麦と同格のもので、ふつう一般にやられているような副食とすべきものでないこと、そして適当な蛋白質食品と、充分な野菜ことに緑葉類を配してはじめて完全食となるものであることは、よく心得ていなければなりません。
いずれにしても、現在、このすぐれた芋が食糧として用いられているのは、ほんの少量にとどまり、大部分は家畜の飼料、あるいは澱粉原料にしか利用されておらず、いたずらに腐敗するにまかされているものが少くないというのは、まことに勿体ないことです。
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2.吾等の安眠法
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鏡野町 H.W.
睡眠の健康に重大なる関係をもっている事は誰もよく知っている所ですが、さて、此睡眠を支配し調節する事は中々容易な事ではありません。何か心配事があり心に懸っている事があるとき、これをいくら考えても仕方がないから一睡して英気を養わんと思っても、さて中々自由に眠れるものではありません。又明日は重大なる用事があるから今夜は早く眠ろうと思ってもそう容易に眠れるものではありません。心配事があったり又は大なる失敗をした後、これをいくら考えても駄目だから眠るに如かずと思っても、たやすく眠れるものではありません。
英国の大宰相を何回も勤めたグラヅドストーンと云う偉人は、いくら重大な事件が起っても、これはもう今日は考えまい、明日の事と云って、机の引出に其書類を抛り込んだら、十分間には熟睡に入る事が出来たと云う事です。これはグラヅドストーンの様な偉人にして始めて出来る事で、凡人の吾々には容易に真似の出来ない芸当です。
又仏蘭西の豪傑ナポレオンは睡眠を一日4時間しか摂らなかったと云う事です。これはナポレオンが軍事行動に就いて馬に乗って行軍する時、馬上にあって馬から落ちないだけの(フイジイカルスピリット)肉体的精神だけは起きて居るが其他軍事上及び他の重大なる精神的方面を支配する神経は全部眠って居って、其間に充分な休養が摂れて居ったからだと申すことです。これもナポレオンの如き英傑にして始めて出来る事で、到底吾々凡人に出来る事ではありません。
尚一つ白隠禅師について斯様な話が御座います。白隠禅師と云う人は近代の傑僧ですが、其人がまだ修業僧であった若い時代に、兵庫から大阪迄乗船された事が御座いました。疲れて居られたと見えて乗船するとすぐ眠りに就かれた。所が船が港を出るとすぐ大変な時化に遇って、船頭共は一生懸命に船を操るし、乗客達は一生懸命に神仏に祈願するしして、やっと助かって大阪について船を港につけると、禅師は始めて目を醒し、船が港にあるのを看て、船頭に船はまだ出さぬのかと尋ねられた。所が船頭が『此寝呆坊主めが、あれ程の騒ぎを少しも知らないで眠って居たとは呆れ果てた坊主だ』とひどく罵りましたので、禅師が起きてあたりを見回わされたら、時化の惨状がなまなまと残っていたので、これでは船頭の怒るのも無理はないと思われて下船されたと云う事です。
これなども達人の睡眠の如何なるものかをうかがう事の出来る好例かと存じます。序ですが白隠禅師の内観法と云うものは現代人の健康増進にも大に寄与して居る様です。それなれば、吾々凡人は如何にして、毎日何程の睡眠をとったらよいでしょうか。これは其人々の体質、習慣、年令等によって一様には申されますまいが、一日8時間と申しては少し贅沢でしょう。7時間もしくは6時間位が適当な所ではないでしょうか。それもなるべく深い睡眠をとる事が必要です。
毎日6時間7時間と申しても、時に重大なる用件があって規則正しいそんな睡眠の許されない事があるでしょう。時には、極端な例ですが、徹夜でもしなければならない事もあるでしょう。そんな時には後でなるべく早い機会に其睡眠不足を補う様にしたらよいでしょう。
昔日本の封建時代の武士に『寝るのも御奉行』と申して居るものがあったそうです。これは深く味うべき言葉ではないかと思います。此言葉の内のもの字に非常に深い意味が有るかと思います。不要な時の夜更しなどを慎みて、眠れる時には、適当な睡眠をとって置いて、起きて働く時に充分の働きが出来る様にし、尚いざ鎌倉と云う時に遭遇した場合には存分に働こうと云うのではないでしょうか。
兎に角つまらぬ事に心を労して適当な睡眠がとれないと云う事は非常に残念な事です。そこで、私は次の様な自誡の格言を作りました。
(1)死児の齢を数えぬ事。
(2)取り越し苦労をせぬ事。但し此場合打つ手がある時は打って置く事。
(3)現在の事にベストを尽す事。
(1)で過去の自分の知恵分別の不足、或は境遇や時の不可なりしための失敗をすっかり忘れて仕舞い、(2)で将来の漠然たる事に杞憂を抱かない事。但し将来の事には確実性があってこれに対して予め適当の方法を講ずる事の出来る事件もあるでしょう。其場合には適当な処置を講じて置く事は勿論の事です。そうすれば問題は現在の事に限定されます。それに対しては己の全力を尽す事です。自分の全力を尽しても我々は欠陥の多い凡人の事ですから、不備な事も多々あるでしょう。併しそれ以上は神様の引受けて下さる範囲と心得て安心する事です。所謂人事を尽して天命を俟つと云う所でしょう。但し此際ベストの安売は深く慎まねばならない事と思います。斯様な心境で一日一日送って行く事が吾人平凡人の採るべき最良の方法ではないでしょうか。又同時に安眠法でもあると存じます。
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3.青汁と私
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青汁をはじめてからもうかれこれ20年近い月日が流れた。腎臓炎の治療に、たまたま、庭で作っていた小松菜の青汁が大変よく効いたのが、青汁に病みついた最初であったが(青汁の名称もその当時の名残)、その頃の私は不思議にも、青臭いといういやな感じはなく、むしろ、飲用後の爽快な気持の方がすてがたく、毎日楽しんで飲んだものである。(勿論添加物など一切なしで)
近頃青汁が随分ひろがって来て、家庭で作って飲む人がだんだんふえて来たが青汁がまずくて飲めないという苦言をあまり聞かなくなった。覚悟の問題である。苦い薬のことを思えば、はるかに、飲み易い(但し作りたての場合)筈である。
青汁は終戦前、食生活の非常に切詰められた苦しい時代に、生れたものであるが、私達は、その当時は、一坪の土地も貴重に思われ、開墾しては色々のものを植えた。大根、水菜、小松菜、小蕪、かぼちゃ、人参、とうがらし、トマト等。あらゆる野菜を植えて食糧の足しにした。しかし習慣というものは恐ろしいもので、今考えて見ると、勿体ないことに、折角作ったものを皆煮炊していた。しかも、大切なビタミンや、カルシウムのとけた煮汁は皆捨てていた。
しかし腎臓炎になって、野菜が自分の食餌に重要なものとなり、その価値を知ってからは、煮汁も、皮も今まで捨てて顧みなかった大根葉(優秀な成分を持っている。)も、全部利用することに目ざめた。青汁が日常生活に重要な役割を占める様になったのも、この時からである。
生食(自然のままの食物)が人体に絶対に必要であることも、青汁を飲んではじめて経験した。そしてそれからの私の食生活は独特の方法で押通し腎臓炎にいちぢるしい効果をおさめた。即ち、無塩の水の中に、青葉(大根、その他の菜類)を主体に、芋(中でも馬鈴薯が一番優秀)小麦、人参その他の野菜をきざみ込み、かるく煮て、煮汁とも食べるというやり方で、食後は、少量のビタミンB1と(現在は玄米食にしてB1を使用せず)必ず、茶碗に一杯のつくりたての青汁、牛乳は1‐2合、間食は果物だけ。この食事を一日3回3年つづけて、さしもの頑固な腎臓炎を克服することが出来たのである。
この経験で私は腎臓炎の治療には忍耐がいかに大切であるかを知った。今では普通の人々と少しも変らない生活をし、健康に恵まれて、3、4里の道を歩いても次の日に疲れをのこさない。勿論蛋白も全然出ない。青汁を初めて長男の肺炎に使って確かに効果はあったが、これは期間が短かかったのでよくわらない。私の場合は、最初、小松菜の青汁を飲んだ。その日の尿が急にきれいになったのをこの目で見たのでどうしても青汁の効果を信じないわけにいかなくなり、長期間悩まされていた濁りがとれた時のよろこびは今でも忘れることが出来ない。
当時私の腎臓炎には薬がないことをきかされ、実に悲しく、残念に思ったことであったが、今では青汁といういう武器のあることを体験で知ったので、少しも恐れないし、又常用しているから、再発することもなさそうである。青葉作りに明け暮れした二昔をかえりみて、当時私達が抱いた夢――青汁普及と大量生産、供給――が多くの人々の御協力で実現されている今日、苦難の記憶はうすれて、ただよろこびだけが、私を幸福につつむ。(35、9、14)
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4.肝炎の子供
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福山市 S.F.
3年生男子
1年生の10月の運動会をたのしく済ませた後、どうも体がだるそうに一寸の暇でもねころんでいる。12月の末に風邪をひいて、1月の初め病院につれて行き診察の結果、肝炎といわれ、以後、注射と内服薬をつづけるが、子供のこととて安静にするといっても仲々守れず、2年生になっても体操をやすませていた。食事も進まず、偏食はする。顔色は悪く、どうすればよいかと迷っていた時に、青汁をのませたらといわれ、2年の夏休みから飲用を初めました。
お蔭で其年9月の体重は減少を見ず0.3kg増加しました。食事もよくたべて、風邪は一度も引かないし、診察を受けたところ、肝臓異常なしとのこと。以来ズット青汁を飲用させております。只今満9才1ヶ月で、身長132糎、体重32.5kg毎日元気で勉強してくれますので、家族皆でよろこんでおります。(福山市引野小学校)
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5.脱疽と青汁
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船穂町 K.S.
当方主人は昭和31年の中旬に脳溢血に罹り、医療の傍ら青汁を欠かさず飲用し、その効果に就ては当時発表させていただきました通りですが、34年の秋から、足の指が最初は、2本痛むと申しておりましたが、次第に拡がり、痛みも烈しくなりますので受診。意外にも脱疽病との診断にて、現代医学では、確実な治療法はなく、遂には膝関節部より切断する様な事にもなる恐ろしき病気との事で、本人はもとより、一同心痛して居りました。
おりもよく、青汁紙40号が届き、遠藤先生療病講座にレーノー氏病(脱疽)に就いての御記事を拝見致し、飛び立つ思いで読みますうちに、此の病気に罹られた3人の方が、青汁と食養生に依り見事に全快されたとのこと。大いに力を得て、従来使用のミキサーでは薄いので、新たにミンチ機を購入して、濃い汁を一日に3合位飲み続けましたところ、驚く勿れ、進歩した今日の医学ですら治療法の無いといわれる難病も、1ヶ月足らずで、大分痛みもうすれ随って次第に睡眠もよくとれる様になりまして、愁眉をひらいた次第であり、これに依りまして一層青汁の霊効を確認した訳であります。
併し、何分年寄りでもあり、従来より中風の為めに気力に乏しいため、今一つ食養生がたりないせいか、全治という域に達しませず指先は、5本共毒蛇の様に腫れて、一寸あたっても痛いのですが、疼く辛さはなくなり、誠に有難い青汁と何度となく話しては感謝して居ります。就きましては、今後も欠かさず青汁を飲み続けるなら、厳寒といえ共、よほど調子がよく、昨年罹病当時の様なことは恐らくあるまいと安心して居る次第であります。世に同病にて苦しまれる方、又は他の色々な病気で悩まれておる方に、一日も早く、青汁の奇効が認識される様、その普及に一層の御尽力を賜わります様お願い申上げます。
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6.ケンカのたねがなくなった
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倉敷市 B.K.
私は生来、野菜が嫌いで肉オンリー。心配する妻が野菜をつけると、「馬にくわす」オカズときめつけ、いつもケンカだ。おかげで運動不足と脂肪過多で脚気になり困っていた。私の友も私以上の肉好きだが、非常に元気。問うと青汁が原因との事。早速私も飲む事にしたが、どうもあの後味がニガ手だ。しかし、良薬口にニガシの通り、そうそう良い事ばかりではないから懸命に飲んでいる。おかげで通じがよくあり、食事時に妻とケンカする必要がなくて、嬉しい。
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7.眼底出血治る
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福岡県 K.B.
拙者儀、2年程前より今日まで青汁療法を続けております者にて、かねて眼底出血により右眼の全く見えぬこと約1ヶ年、不自由に苦しみました。青汁療養を懸命につづけて、お蔭様にて只今では拙なき手紙も書けるようになりました。私も全く嬉しくて嬉しくて、誰れかれとなく私の喜びを話しております。(35、3、25通信より)
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8.わけがわからんです
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“食品”部門は秘密会
国際ガン学会議は9日午後1時半から東京帝国ホテルで開会式を行なったのち、第一日の会議にはいり「地理病理学からみた胃ガン」「対ガン」「食品添加物」の3部門が討議された。とくにパリ大学トルオー教授が座長をつとめた食品添加物部門では討議の内容については一切外部に発表しない、という申し合わせをし注目された。
これはジュース、バターをはじめ、あらゆる食品に使われる色素、防腐、増量、漂白剤などがガンをつくる原因物質になるおそれがあるので、対ガン連合ではこの問題を正式にとりあげ、食品関係者に勧告を出すことになっていた。しかし、第一日の会議では討議内容が外部にもれると「政治的なゴタゴタがおこるおそれがある」として、出席者がテープレコードで記録するのも断わるといった“秘密学会”となった。利害のある食品メーカーからの圧力をおそれたものといわれるが、このような国際学会では初めてのことだと関係者はいっている。
これは去る10月11日の朝日新聞の記事です。これほどの重大問題の討議が、しかも国際学会でもあるというのに、秘密会にされるとは、一体何としたことでしょう。一般大衆の福祉を無視し学会の権威を失墜すること恐らくこれより甚しいものはないでしょうが、なぜ、こうまで遠慮や気兼をせねばならぬのか、お偉いかたがたのなされることは、私ども青汁仲間にはトントわけがわからんですナ。
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9.胃腸の工合よし
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10.料理に青葉を入れましょう
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玉島市 S.T.
パン、流し焼、キントン、酢味噌、汁物、カレー、テンプラ、飯、コロッケ、オムレツ、生酢(酢の物)等に出来るだけ多く青菜類(ケール、人参葉、油菜等の様に質の良いものをミジン切り又はミンチで潰すか、物によっては絞って青汁にして入れる)を入れてみますと、野菜を味良く、大量に食べることが出来ます。又主食のかさが増して食べる量がへります。一石二鳥といえましょう。其の上菜食嫌いの人でも、子供でも菜葉が楽に食べられます。色々とお試し下さい。
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11.愛情の青汁
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札幌市 S.T.
そろそろ北海道は雪も近づき、生鮮野菜の入手も次第に容易くなくなってまいりましたが、何とか工夫して毎日青汁の服用に努めております。お蔭様で日増しに健康体を保持できますことは全く以て青汁の賜物と喜んでおります。今朝など妻が、「青汁は愛情がなくては根気よく続けて作るわけにはいかないものですね」と、暗に自分の努力を認めてほしいような口吻でしたが、そう云われてみるとたしかにそうだと思った次第です。(34・10・21通信より)
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12.質問箱 乳酸菌飲料は?
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岡山市 F.
問
青汁に乳酸菌飲料を入れるとよいとすすめられましたが、いかがなものでしょうか?
答
「乳酸菌」そのものは結構なのですが、つけてある「甘味」が問題です。乳酸菌は糖分から乳酸をつくり(それで乳酸菌というのですが)スッぱくなってしまうので味つけには、多くの場合、そういう変化のおこらぬ「人工甘味」がつかわれます。私どもの調べでは5種のうち4種までズルチンがはいっていました。このズルチンはながい間には肝臓に癌ができるという物騒なものです(幼い子供たちには特に危険)。そこで、そういうものは避けたほうが安全だ、と私どもは考えています。
見分け方
1週間もそのままにして(寒い時はコタツにでも入れて)おいてから、飲んでみて、スッぱくなっていたらよろしい。それでも甘かったら、人工甘味が入れてあるか、あるいは生きた乳酸菌がおらぬ証拠で、どちらにしても不良品です。
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コラム紹介
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わたしが、われらの精神や我等の学芸が案じ出したることを排斥するのは、それらのために、人々が自然を、その規則を放棄したからである。そこに、節度と限界を忘れるからである。(モンテーニュ随想録、関根正直訳)
人間の革新には、その身体と精神とが、自然の法則にしたがって発達し得ることが先決要件である。いろんな教育学派の説や理論に準じてではない。人間は幼少の時からして、この工業文明の信条や現代社会の基底となっている原則や主義から解放されてあることを要する。(カレル著人間 桜沢如一訳)
口は身の怨を致す。これを獄の戸となす。ただ入るのみにして出でざるなり。(普門品経)
欲するものなきは神にひとしい。けれども欲しい物が最小限に少ないのは神に近い。(ソクラテス)
大内 青巒
放捨諸縁絶百慮
雙脚長伸入華胥
此時薬病倶忘了
唯覚身心自晏如
老病幸遁塵世縁
幻身横在薬炉辺
一枕三戴臥三昧
教外飽参睡夢禅
安禅何必拘跏跌
横臥閑眠亦一途
清夢時遊安養界
不知病苦在幻躯
十一月句
深山 旅愁
貧乏に座せば落葉が火をくれる
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