<1960年3月15日発行 第43号>
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目次
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1. 生食菜のつくり方(1)
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医学博士 遠藤 仁郎
私の方法
緑葉食青汁、食膳の緑化に欠かされぬものは生食できる菜っ葉類の供給。市販の野菜には大概下肥がつかってあるし、農薬もかかっているかも知れぬ。虫は薬で始末できるとしても、農薬は恐ろしい。そこで、安心して生でたべられる野菜は、自分でつくるか信頼できる農家に委托する他ありません。
栽培地
陽あたり、風通し、水はけのといこと。1日少くとも6時間以上陽のあたる所といわれていますから、樹木や家屋のかげは駄目。垣に囲われた風通しのよくない所では病害や虫害をうけやすい。水はけの悪い所や地下水の高い所もよくない。それは根の発育に土壌の空気が関係し、湿気が多すぎると発育が悪いからです。で、畝を高くしたり、排水溝を設けることが必要になります。また他所の汚物や農薬をうけたり、汚水の流れこんだりする恐れのない所でないと、折角骨を折って清潔につくっていても不潔になってしまいます。なお生食の生命である新鮮さのため、また管理の点からも、家の裏庭とか附近の空閑地といった所が便利です。私の家は蓮池を埋立た所で、庭は南側ですが、家と塀との間にあるので、余り条件はよいとはいえません。
土つくり
移って来て家の内が片づくと庭を掘り起しました。深いほどよいのですが、まず2尺くらい。石や、ビン、鑵などの邪魔ものを除き、土はなるべく小さくくだきました。栽培に適した土は、手で掘るとかたまるが、つつくとすぐにばらける、というのがよいのだそうですが、石炭殻や赤味かかった粘土質の山土ばかりでした。そこで草や落葉、ワラ切れ、ムシロ、コモ、タタミ表などの切れ端し、台所のゴモクなどを混ぜこみました。これをくり返しているうちにしだいにボロボロの良質耕土になりました。
種まき
広い地面があれば、条をたてて播くのですが、私は庭が狭いので、普通のまき方のほかに、4分の1坪位を単位に、うんと厚播きし、伸びるにしたがい間引き、あるいは片隅から抜いてゆき、全部終れば播きかえする、というやり方をしています。(これは箱作りにも応用できます。ミカン箱を3〜4箇用意し、次々に播き、食べ終れば土を作り直して、また播くという風にやれば都会のアパート住いでも、また北国の冬でもやれるでしょう。)種子の上に覆う土は、雨でたたき出されぬ程度にかるくかければよろしい。
苗つくり
苗を作るには、苗床にまき、適当の大きさになれば、根をいためぬよう、土塊のついたままを、よく耕し軟くした土地に移植します。
配置
播付けや根付けには陽当りを考えて、早くとるもの、丈の低いものは南側に、ながくおくもの、丈の長くなるものは北側に、また多年性のものは掘りかえしに邪魔にならぬ場所に植えつけます。
肥料
専門書にはむつかしいことばかり書いてあって、結局どうすればよいのか、素人の私などには呑みこみにくいので、私は私なりに簡単に、「菜っ葉をつくり、それを持って行くのだから、欠乏して来るのは葉の成分だ」。だからそれを補えばよい。作物の肥料は結局われわれの栄養と同じだろう。完全肥料というのがあるにはあるが、こいつおそらく、学校の所謂完全給食だの家畜の完全飼料が、実は甚だ不完全であるように、きっと何かが欠けているに相違あるまい。
化学肥料ばかりだと、一時はよく出来てもやがて土地が荒れてしまうということだ。また、われわれの栄養でも家畜の飼料でも、菜っ葉をうんと添えてはじめて本当に完全になるように、肥料にも、それを充分に施しさえすれば必ず本当に完全になるにちがいない。化学肥料は有機質が充分にあってはじめて素晴しい効果を現わすというのもそれだろう。
と解釈して、ともかく堆肥だ緑肥だというわけです。
ただしその堆肥も正式に作るのは面倒なので、平素からつとめて敷草を多くしておき、また庭の隅に積み重ねておいて、機会毎に混ぜこむ、といった横着な方法をとっています。
その他には風呂の木灰をいれ、また石灰をまく程度で、殆んど肥料らしい肥料は使いませんが、ごらんの通りよく出来ています。
なお石灰は、もともとわが国の耕土には乏しいものですし、雨で失われる上に良質葉菜類の栽培では特に損耗が著しい。
たとえばケールには0.3%のカルシウムが含まれており、反当少くとも1500〜2000貫はとれますから、それだけでも5〜6貫(坪当では15〜20匁)は減る勘定になります。
これは従来から甘藍作りの肥料として、反当過燐酸石灰七貫といわれているのと一致するようです。また石灰が不足していると、野菜に摂られるストロンチウムの量がふえるといいますから、この点からも充分の施用が望ましいわけです。
下肥は一切使いません。これも完全に腐熟したものは差支ない筈なのですが、汚染の危険を伴いやすいので、やはり避けた方が安全です。
また化学肥料は、いわば注射薬のようなものですから緑肥堆肥類を主肥料とし、これに補助的に用うべきものです。
私は肥料屋にすすめられて合成肥料なるものをやったこともありますがうっかり葉にかけてすっかり駄目にしてしまったので一度切りでやめました。むしろ鶏糞、魚粉、油粕などの方が素人には無難だろうと思います。
(つづく)
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次号参照
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2. 青汁二年(4)
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前号参照
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小松 K.K.
勿論、一人一人の高血圧症の原因を厳密につきとめ(他の病気についても同じことが云えるのだが)依って来たるところを知った上で、対策を講じなければならぬことは云うまでもなかろう。
医学を無視したり、ないがしろにする新興宗教的な療法の危険のあることも云うを俟たない。
信用出来る医者にかかるのはこのましい。
療養法をまもることもよろしい。
高貴薬をのむこともよろしかろう。
私は忠実に権威のある専門家の指図にしたがいながら、なお且つ素直に一つの実験を身をもってためしてみた上で、素直にその結果をみきわめただけのことである。
その故に私は人々に素直に青汁を当分のんでご覧なさいとおすすめするのである。
大事な健康のためなら1ヶ月や2ヶ月、生野菜の汁をのむ位は何でもなかろう。
製薬会社から苦情が出るかも知れないし、専門医は鼻の先でフンと一笑するかも知れないが。
はじめのうちは少しのみづらいこと位何でもないことだろう。そのうち誰にすすめられなくても、日に2、3合と進んでのむようになる。
そうなったら、もう占めたものである。私など生きているかぎり、のみつづけることと思っている。繰返して云うが、勿論信頼のおける医者の診断をうけ、病気の依ってきたる原因を知り、それに応じた養生をすることは賢明である。
しかし、その養生のかたわら、努めて青汁をのまれたら、といいたい。
たとえ医者の科学的、懐疑主義的な苦笑や皮肉に見舞われても。
費用は日に20円とかからない。野草ならいくらのんでも無料である。もう一つ参考にまで云っておきたいが決して高血圧恐怖症(ノイローゼ)にかからぬようにすることである。
10年前、高血圧症と診断されたとき(せいぜい165位しかなかったのだが)大きな精神的ショックをうけた私はその医者に、どうすれば治りますかと訊いたところ、さあ今日の医薬では治す方法はないようですね、と冷く答えた。
そのときの「非人間」な言葉のひびきに押え切れない憤りをおぼえたことを私はいまだに忘れない。
こんな医者がいるかぎり新興宗教の門前は市をなすにちがいない。一昨年私にすすめてくれ、毎日丘の上までケールを届けてくれた一婦人の親切さ、思いやりに心打たれることがなかったら、恐らくは私は青汁を発見することにならなかったであろうが、私がお医者さんたちに求めたいものは、この心づかいと仁術としての医学のモラルである。
ちょっとした自覚症状があっても、心配で心配でおちおち寝られぬ人が沢山ある。
その心理作用で血圧はもっと高くなる。血圧がいくらあるのかときくと160とか170あると云って蒼い顔をしている。
そんな気の弱い人たちには、インドのガンジーは250以上あったが、暗殺される日まで元気そのものだった、と私は答えることがある。
安心立命とまで行かなくとも、生死の問題を前にして一応肚のできた人士は、そんなに心気逆上することはない、精神力とかモラルの力というものの強さは、もっと信用されてよいのではないか。
私はここ2年この方、いささか精神過労だと思うような仕事をしている。
早朝から午後の1時2時ごろまで、ぶっとおしに仕事をすることは稀ではない。それで殆ど疲れをかんじない。朝起きると必ず厠に行く。朝食は至極簡単。牛乳入りのケールの青汁1、2杯。ケールがないときは緑野菜か野草の汁、それにパンかオートミル。仕事のあと青汁1杯。
昼食はそばかうどん一つ、サラダ類のやさいはつとめて食べる。
それから半時間ほど午睡(冬も同じ。)散歩1時間あまり。それから2、3時間仕事。相撲か野球のテレビがあるときは、見ながら午睡していることもある。
夜食は少し肉か魚をとるが、米は殆ど玄米に近いものをごく少量。果実や野菜を多く食べる。
酒はビールの小瓶。仕事中に煙草は絶対にのまないが、精神活動をしげきするために、ウイスキーを水でわってのむこともある。
これは止めたいと思っているが、仕事の調子が出るときは、ちょっと破目を外すことがある。就寝の1、2時間前、一家全部で青汁、よく寝られるので有難い。
(以下次号)
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次号参照
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3. 緑乳雜記 −友成左近兄へ−
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金光町 I.T.
友成君、久しくお目にかかりませんが、お変りありませんか。
「健康と青汁」誌上で貴兄のお名前を拝見して、なつかしく存じました。
実は私も金光教本部につとめていた多河という方からすすめられて、昭和25、6年頃から青汁に親しみ、今日に至っています。もっとも、その間長らく京都へ行っておりましたため、やむなくやめた期間も相当あります。
26年晩秋、原因不明のケイレン発作を起し、27年夏、その原因を調べてもらうため、相当長期間、倉敷中央病院遠藤内科に入院、28年と昨年の2回、遠藤先生から教えて頂いた京大病院荒木外科で手術をうけ、今日に至っています。
今日は、貴兄への手紙の形式で、青汁雑記をモノさせてもらいます。
(1)グリンジュースはグリンミルクである
青汁は緑乳(私はこの名の方を好みます)の別名があるように、薬というよりも食物です。私は青汁を食事の内容として、食事前か食事中にのみます。
家人曰く
「今飲んで御飯がたべられぬから後でのむように」と。
私曰く
「これは私の食物だから、食事の時にのむのだ。今青汁をのんだために1杯や2杯御飯の量がへってもよい。50才近くなった私の体には、この方がよいのだ。長生きさせたいのなら、緑乳をのませてくれ」と。
(2)私のタバコ、口をミンチにして
青汁を作るヒマのない時は、青汁の材料を口中に入れてバリバリかんで、口中で青汁をこしらえるのです。
先日も5軒家の親戚からケールをもらったので3、4回やってみましたが案外オツなものでイケます。
新聞を読みながらでもラジオを聞きながらでもパリパリやるのです。人と話をしながらでもやります。
これは緑乳の宣伝効果満点です。もちろんカスものみこみます。便秘の時など液だけよりもよろしいようです。
友成君始め青汁党の皆様、ためしにやってみて下さいませんか。
この方法が便利なのは夜床に入ってからでもできることです。
食器食品消毒用の洗剤で消毒したケールを枕頭においてムシャムシャやるのです。
(3)青汁でうがいをする
私はヒドイ歯槽ノウロウがありますので、緑乳でグルグル歯槽にあたるようにウガイをし、それをそのままのみこみます。
遠藤先生の奥様が青汁でガンコな歯槽ノウロウを治されたということを、芦きき、それがズット頭にあったからです。
(記憶ちがいかも知れず、一度遠藤先生にたしかめて下さい。もちろん奥様の場合は青汁をのまれてよくなられたのだと存じますが)
(4)良薬口にうまし
ヒマのある時はケール、オバコ、ドクダミの類をミキサーに入れてジュースにしてのみますが、甘味類を入れない方がアッサリしていて、かえってよろしい。
良薬口にうましと、舌とノドに云い聞かせて、ダ液をまぜて消化をよくするためよくかんでのみます。あとで必ずバターをかじります。消化を助けるためです。これも入院中、遠藤先生からうかがったことです。
(5)水の代りに青汁をミキサーに入れる
ミキサーで作る場合の液体をどうするかについて工夫しました。
それは、一番最初は水を入れるが、その次からは最初つくった青汁を水の代りに入れてミキサーをかけます。(私方では家内の忙しい時は小学校5年の末男が、たのむと喜んで青汁を作ってくれます。時に大根おろしを使うこともあります)。
それにしても六高文乙時代は、お互いにわが生涯の最良の時でしたね。
友成君芝生にねころんでロウケンマントウをほおばりながらデル・デス・デム・デンにあけくれたあの頃がなつかしくてなりません。
あの時分、貴兄はデブさんでしたが相変らずですか。私はひどくこえてきましたよ。
近日、旧六高の同窓会が開かれるそうですが、行かれたら旧師旧友の各位へどうぞよろしく。
そして大いに青汁讃美論をブッて下さい。私は右前頭葉手術で左手足の運動不自由のため、近頃の同窓会にはトント御無沙汰していますので各位へくれぐれも宜しくお伝え下さい。
遠藤先生にも長らく御無沙汰していますので宜しく御礼申し上げて下さい。
(34・12・3)
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4. いのちとべんとうは自分もち(上) −高橋一郎兄への返信−
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友成 左近
高橋君、久方ぶりにお便り拝見して、懐かしく嬉しくてたまりません。
大病されたのですか。それに耐えぬいたのですね。そして、青汁を毎日のんでおられるのですか。実は、私も大病して、どうにか生き続けることができました。
昭和25年1月腹部にややこしい病気が起こり、倉敷中央病院で手術をうけ、半年ほど勤めを休みました。
それから27年末まで、手術後3年無事にすごせば再発の心配なし、といわれていたので、3ヵ月に1度位ずつ診察をうけながら、どうにか無事にすごし勤めもでき、ヤレヤレと思っていました。
ところが、そのヤサキ、28年初め、余病が起こり開腹手術を3回うけ、2年半ほど勤めを休みました。
この間、マサカ死ぬとは思いませんでしたが、少々とりみだしたことも度々あり、いま思えば、はずかしいやら、おかしいやらです(こんど、ああした目にあっても、ああは取り乱したくないものと思っていますが)。
けれども、ともかくどうにか耐えて生き続け、30年6月より、当地に転勤して、再び勤めています。
旅行その他遠出が少々不自由であり、時折腹痛も起こるので、半人前にも及ばぬ仕事をしていますが、それでも、ちゃんと一人前に生きています。いのちは一つですから。
近くお訪ねして、この生きていることの喜びを、お互いに語りあいたいのですが、とりあえず、これを原稿にしてみました。そしてその見出しに「いのち と べんとう は自分もち」という言葉をつけました。
この言葉は、中学生の頃、父や近所の方につれられて山に薪きりに行く道すがら、よくきかされたものです。
その頃はもちろん、その後も、この言葉の意味はよく分らなかったのですが、この度大病して、やっと分りかけてきたようです。
尊い人生の知恵ですね。
(1)生きていることの責任と喜び
高橋君、私たちはなぜ生まれてきたのか、よくは分りませんが、生まれた以上は生きていかねばなりませんね。そしてただ生きてさえいれば嬉しいものですね。これもなぜだか、よくは分りませんが、少なくとも妻子や親兄弟や友人たちが生きていてほしい、どうであろうと、とにかく生きていてほしい、と期待をかけ念願していることは確かです。
この期待に応えるため私たちは生きている責任があるようです。そして、この責任は、他に誰も代ってくれません。自分自身でなければ果たせません。だからこそ、生きていることはただそれだけで嬉しいのでしょうね。
こうしたことは、かって先輩から時折ききましたね。六高時代「光は暗より」の著者岩橋武夫さんからも聞きました。
戦場へ行って生きて帰ってきた友人からもききます。
私は、この度の病気で、このことが少しは分ってきたように思います。
けれども高橋君、生きていくことは、やはり苦労なことですね。
そして、この苦労に耐えていかねばならぬ自分自身は、いかにも弱いものです。
この頃、私はつくづく、この弱い自分自身を、決してバカにすることなく、いためつけることなく、よくいたわってやらねばならないと思っています。
よい生き方をするように、積極的にいたわってやり度いと願っています。
(2)生きいくことと正しい食べ方の責任
高橋君、この頃はよくこえているそうですが、六高で初めてお目にかかった頃から、ずうっとやせすぎでしたね。
東大に入って下宿してからは、太りたいといって、色々工夫していましたね。
桑木さんの哲学概論のノートでしたか表紙の内側に、こんなことを書いていたのを思い出します。
“でっぷりと赤いからだの 持ち主たらん
ぼくも来年は 22となるから”
私は、その当時、タルというアダ名の通り、デブでした。
人並に丈夫であったので、およそ健康のことなど気にもかけず、食事も、人並に習慣的に、いなデタラメにやっていました。
いまから思えば、ずい分ムチャもしていました。
中年となって、ややこしい病気にかかったのは、そのためかどうか知らないがとにかく大病をしました。
それでもなお、おかしなことながら、病気の治療や健康に、食事の仕方が重大な関係をもっていることが、シカと分らなかったのです。
これがショウネに入ったのは、29年初め、からだが全く衰弱して、手術をせねば治りそうもなく、手術をするには体がもつまい、という段になってからです。
高橋君、分りきったようなことながら、生きていくには食べねばならず、食べるのは、他ならぬ生きていく自分自身ですね。
そしてどんなものを、どのように食べるか、ということは、生きていくために極めて重大なことです。
生きていく責任をもつ私たちめいめいは、生き通すことができるように、正しい食べ方をする責任がありますね。
お互い、幸い大病に耐えて生きている以上、できるだけ正しい食べ方をしましょう。
口先には少々まずくとも、他人さまが何といおうと別に迷惑をかけることでなければ、自分のいのちは、自分で食べて自分で生きていかねばならないからね。
(つづく)
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次号参照
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5. 新婚夫婦に青汁飲用を厳命
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須磨 K.N.
私はここ数年来、結婚の媒酌人をつとめます度に、新夫婦に青汁の服用をすすめるというよりも厳命して居ります。
それは、夫婦の健康ということはいうまでもありませんが、更に立派な赤ちゃんを産むという目的のためであります。
おかげさまで、どれもこれも美事な赤ちゃんをもうけて居りますので、大喜びをいたして居ります。
各々その発育の状況は統計にまとめて発表いたす考えでございます。
赤ちゃんの名前は両親の希望により、全部私が命名いたしました。
こうなりますとまことに楽しみなもので、結婚後3年も経過して子供の出来ないところへは、媒酌人自らさいそくに廻るという塩梅で時に「世話焼きも度が過ぎますよ」と愚妻から叱られる始末でございます。
(34、11、17、通信より)
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6. このよろこびを
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7. 青汁とわたし
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ふくやまし きたよしず 三年生 K.K.
わたしは小さいときから青じろい顔をしておりました。
青汁をのめと、うだのおばちゃんがいわれるので、はじめはくさいし、口のところまで、もっていくといやでしたが、げんきになるのだと思い、がまんしてのみました。
いまごろではのまないとさみしいようです。
正月におじいちゃんのところへいきましたら、顔いろがよくなりげんきそうになったとみんながよろこんでくれました。
ほんとうに青汁がいいなといいました。
よわい友だちもみんなのんでげんきになるといいなと思います。
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8. 質問箱
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笠岡市 D.K.
問
胃腸が弱いため青汁をのみ始めて2年近くになりますが、効果が全くないとは言えませんが、果して・・・?と疑問も抱いております。
昔から牛乳を飲むと下痢を致しますが何故でしょうか。
どのような方法をとりましたらよいのでしょうか。
答
青汁は野菜の補いです。
薬ではありませんから、それだけで、いつも効果があるとは限りません。
毎日の食ものがひどくまちがっているのでないでしょうか。
ご検討ねがいます。
牛乳で下痢するのは一つは体質です。
これにも食餌全体が誤っていることも関係します。
重曹を入れたり、石灰水を入れて飲むのも一つの方法です。
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コラム紹介
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