<1960年1月15日発行 第41号>
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目次
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1.最上の料理
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医学博士 遠藤 仁郎
一般家庭の料理も大いにすすんできました。学校でもいろいろおそわるし、参考書も沢山できています。新聞や雑誌、ラジオにテレビと、毎日、それはもう、世界中のといっていいほどの目あたらしい料理が紹介されます。そして、多忙な農山村でも、栄養や料理の講習会がさかんに催されています。またみんななかなか熱心であり、評判もいたってよいようです。まことに結構なことと申すべきでありましょう。しかし、それでつくづく感じられるのは、料理のあり方は、果してあれでよいのだろうか、ということです。
どうも、ほんとうの意味の栄養の改善とか合理化ということとは、およそかけ離れたご馳走。それも珍らしい、ひとの知らぬ新奇さをきそうといった、一種の虚栄料理に堕しつつあるのではないでしょうか。どの献立をみてもまことに立派です。出来栄えもすばらしい。色目もよく、味もよさそうです。けれど、経費はどうでしょうか。手数はどうでしょうか。また、栄養学的にはどうでしょうか。それから材料食品の安全性はどうでしょうか。
多くのものが、経費と手数を食い、人工を加えすぎ栄養的には却って偏った(不完全な)ただ見た目と舌ざわりばかりをよくした料理のように、私には思えてなりません。そして、安全性ということになると、いろいろ珍らしい材料が用いられ、また文化的と称せられる瓶詰や罐詰食品その他の加工貯蔵食品の使用が多いだけに、はなはだ気がかりです。
ところで、私は、最上の料理というものは、経費はかからず、手数もとらず、それでいて、味はよく、栄養的にはすぐれ、しかも絶対安全な料理でなければならぬと思うのですが、それには、自家菜園からひきたての清浄安全野菜(緑菜)の少しも手をかけぬ、自然そのままの生食にまさるものはないと考えます。
自家栽培ですから、全然お金はかかりません。浄水で洗うだけで食膳に上すのですから、これほど手数のかからぬ料理はありません。そして、その味。いかなる料理の妙手の腕前でも、新鮮な緑葉のそれに及ぶものはありますまい。調味料も簡単なものほどよく、無ければさらによいのですから、ここでも経費が助かります。しかも、栄養的に、これにかなう完全食品はちょっと見あたりません。
また、これほど立派な、これほど真心のこもったご馳走は、またとあるまいと私は信じています。ご馳走という言葉を考えてみてもわかることですがこれは、なんでも茶道から出た言葉だということで、お茶席の主人が、招客のために、文字どおり馳り走って、心をこめてとりそろえたもてなしもの、という意味だそうです。
すると自家栽培の新鮮野菜ほど、その意味にピッタリするものはないではありませんか。自家菜園というと、何でもないことのようですが、、実は、なかなか簡単にはまいりません。とくに、安全な清浄栽培のための心づかいとなると、とても生やさしいものではありません。まず、土地の選択が大切です。よそからの汚水を冠ったり、流れこんだりしては困ります。水はけはよく日当りも風通しもよくなければなりません。そして、その整備。これにもかなり骨が折れます。
さらに、種まきから、その後の育成の間の、なみなみならぬ配慮と努力。肥料が安全でなければならぬのはいうまでもありません。しかし、化学肥料だけでは、質のよいそして味のよい野菜はできませんから、いつもから充分の堆肥の用意を怠ってはなりません。また、農薬もうっかり使えませんから、客に出せるほどのナッパをつくるには害虫の駆除だけでも、いいかげんの手数ではすみません(もっとも私は平気で虫のくったのを出しますが)。
こうしたことがらを勘定に入れると、おいそれと、そこいらの食料品店で買いあつめた珍味類(どんな物騒な混ぜものがしてあるかも知れぬ)とは、まるで、わけがちがいます。しかも、その栄養価や安全度はまさに100%なんです。とても、これほどのもてなし、これほどのご馳走はありっこないと申す所以であります。大事な家族の健康のためにも、また遠来の珍客のためにも、第一流の、いや最上の料理として、あえてこれをおすすめしたいと思います。
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2.青草のまじない
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支那では古くから正月7日には7種の菜を以て羹を作り、立春の日には春餅、生菜をくい、3月3日には鼠麹汁に粉を和して龍舌拌とし、2月2日、3月3日、5月5日などには踏青といって人々は野山に出て草を摘んだという(荊楚歳時記)。実際今でも野草類はかなりひろく利用されているらしい。
だいぶ以前のこと、後藤朝太郎氏だったかの著書で、病人があると戸板で野外にかつぎ出し、下ろした所にある青草をたべると治る、という習わしがあり、これを「青草のまじない」というといったことを読んだことがある。
抱朴子には「籬陌(まがきとみち)の間顧眄すれば皆薬なり」とあるから、いかにもさもあり相な話であるが、こんなことも青葉青汁の効能を知ってみると少しも不思議でも何でもない。ばかりか彼らの民族性の底知れぬ根強さも、たしかにこうした所に培われているに相違ないとつくづく感じさせられる。(25、2)
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3.青汁二年 (2)
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前号参照
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K.K.
血圧よりも胃腸の具合が急にわるくなったのには容易ならぬ想いを抱かされたきりで刺すように胃が痛みだした。口の中が、いつもかさかさして話をするのも不便な想いをした。胃潰瘍ではないか。ひょっとしたら癌の前兆ではないか、そんな心配までした。不安で眠れぬ夜もしばしばあった。
その上に、若いころから(もう30年以上も)持病の痔核が、幾ヶ月かひっそりしていたのに、それが再発した。私の痔はすっかり慢性になったきれ痔という奴であった。生命の心配はないので、外科手術などしないで放ってあったが、随分苦しめられたものである。長年の間、痔の薬と灌腸用の通具は身辺から離さなかった。いまでも想い出して苦笑するのだが、太平洋戦争がはじまると同時に私は危険な自由主義者として牢屋にほうりこまれたが、そのときも坐薬や下剤、灌腸用具、消毒のアルコールなど七つ道具を、ひそかに留置場にまで持ちこんだものである。それほど痔には悩まされていたのである。
ペン大会のお客をすっかり送り出してから、私は芦屋にでかけた。十日ばかり何もしないで専ら静養していたが、ここかしこ疲れもとれないし、あちこち身体の故障は根をおろした感があった。一夕、どうしても断り切れない講演をたのまれて大阪に行った。疲れがひどいので、坐ったまま話をした。すぐ咽喉がからからになりしょっちゅうコップの水をのまねばならなかった。帰途、心配して送ってくれた知合いのK夫人が、倉敷中央病院の内科医長の遠藤博士推奨のケールという野菜を搾ってつくる青汁療法をやってみたら、と熱心にすすめてくれた。ケールのお陰でK夫人のご主人は長い腎臓病を完全に治したと云う。親切には打たれたが、心中殆ど真ともにうけとらなかった。気やすめ半分の世俗的な療法の一つであろう。それ位にしかうけとらなかった。頭から懐疑してかかる、否定的なインテリの通癖からであろう。
翌日のあさ早くから、ケールという野菜の葉が一束芦屋に住むK夫人から届けられた。自宅の広い庭でつくっていられるらしい。私の芦屋の親戚の邸は、山芦屋でも最も高台にあり山道をのぼるだけでも一苦労であるのに、そこまでわざわざ届けてくれた夫人の好意は重々有難く肝に銘ずるけれども、そのケールという名の野菜をみると、こんな葉っぱをのんで、何んの病気にきくのだろうと、いささか馬鹿らしく思われた。
葉の巻くまえのキャベツの青い葉っぱの部分があるが、それとそっくりである。匂いを嗅いでみるとキャベツと同じ青臭い嗅いがした。のんでみたいと思わなかった。打っちゃらかそうかと思った。しかし折角の好意を無にしてはならない、と義姉や女中にたのんで、葉をよく洗い、それを擦り鉢で(擦り鉢でするのが、まどろしければ、肉をひくミンチ或はミキサーを使ってもよいという夫人の話だった)すってもらった。それを晒し布でこしてもらうと、美しい濃緑色の青汁がコップ一杯になる。一口のんでみた。青臭く味も少しいがらっぽくて、のみにくい。慣れるまでは、カルピスか牛乳をまぜて、というK夫人の注意があったので、カルピスをまぜてのんでみた。まだ少し癖はあるが、青臭くて咽喉を通らぬという程のことはない。これ位のものならのめるといった自身がついた。
二、三週間ばかり芦屋にいるあいだ、毎朝届けられるケールを飲んだ。ケールの味になれてくると、カルピスの甘さが邪魔になってきたので、それからは主として牛乳をまぜてのんだ。少し蜂蜜を入れるような工夫もした。
そのうち身体の調子が少しづつであるが、目立ってよくなってきた。先ず胃腸の調子が良くなり、胃壁を刺す痛みがすっかりとれ、口中の嗄きもなくなった。痔の大敵である便秘も何時しか退散した。したがって痔の出血も、しだいに微少になった。尾籠な話であるが、水洗便所で毎朝大便をみる不安からのがれるようになった。蒼みがかった、見るからに健康な便をみるようになり、安堵感でほっと胸をなでおろした。かたからず柔かすぎず、あたかも牛や馬の糞をおもわせる自然な快便になって行った。出血が遂に嘘のようにとまっただけでも心愉しかった。
11月ごろ芦屋を去るとき、見ちがえるような身体になっていた。軽快な心身をもって東京にかえってきた。K夫人の親切さ、友情を心から感謝しながら。青汁の徳を説くだけでは恐らく私は青汁をのむことはしなかったであろう。幾日もつづけて丘の上まで届けてくださったあの親切、誠意に動かされたからであろう。
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次号参照
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4.青汁が少々まずいことの効能(下)
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前号参照
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友成 左近
さらに、こんなこともありはしないでしょうか。心理学者や精神医師たちは、よく「人生に責任を感じ希望をもっているとき、人の心は平安である」といっています。からだの健康を保っていくことは、確かに、人生に対する重大な責任の一つです。そして、それには、食事にそれ相応の工夫と努力が必要です。とりわけ、だれでもぜひ食べねばならないものは、あまり好き嫌いをいわず、なんでも食べねばなりません。
ところで、だれでもぜひ食べねばならないもの、しかも沢山食べねばならないもののうち、とかく忘れられ嫌われ易いものに、青野菜とくに生の青野菜があります。青汁は、この生の青野菜を、できるだけ沢山食べ、しかも胃腸の負担が少なく、最高度に消化吸収するように、それから汁だけしぼりとったわけです。
ところが、青汁にすると、アオくさくなって、少々まずく感じるようになります。もっとも、夜が冷え、さらに霜がおりる頃の青汁は、野菜独特のうまみが強くなって、ちょっと捨てがたい味わいとなりますが、春から夏の間は、長らく飲んでいる者でも、別にそうおいしいものではありません。やはり少々まずいものです。それに、ケールその他の青野菜を買ったり栽培したりして、毎日つくって飲むとなると、少々手間もかかります。こうした手間を惜まず、そうおいしくもないものを毎日つくって飲むというのは、いったい、なぜでしょうか。
それは、少々まずくてもこれを毎日のんでいると、シンから健康となる、という希望をもっているからです。健康とならねばならない、と責任を感じているからです。この希望と責任は決してイワシのアタマではありません。実際そうしている人々の経験です。学問的にも十分裏づけることができるのです。それで、青汁を毎日のんでいると、からだがシンから健康となるだけでなく、それが少々まずいため、かえって、ささやかながらも毎日のむ度毎に「これでシンから健康になるのだ」という希望と責任を感じるわけです。この感じは、おいしいものを食べた時とは、また格別のものです。別にシャチこばったものではなく、ある種の抵抗を感じながらもごく自然に起ってくる、さわやかなものです。だからこそ、この感じが心にある種の平安を与えるのではないでしょうか。そうだとすれば、青汁が少々まずいことにも、ひとつの効能があるわけです。いささかコジツケみたいなことになってしまいましたが、悪しからず。(34・10・21)
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5.ぼくと青汁
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小学校3年生 T.T.
ぼくは、青汁を、ようちえんのときから1本ずつのんでいます。ときどき、とばすときもあります。はじめは飲みにくかったが、今はなんとも思いません。このあいだ、岡山にいったときから青汁を牛乳びんに、いっぱいずつ飲むことにしました。
青汁を飲んでせいせきが、あがったお友だちもあります。またうんどうもじょうずになった人もいます。学校へいかれないような、よわいこが、青汁を毎日4本ずつのんでげんきになって、学校へいけるようになった子もいます。
みんな青汁をのんでげんきな子供になりましょう。またゆきがふったり、しもがふったりしている、寒い日におとうとと、千メートルぐらいをはしってきます。あとで体が、ぽかぽかしてあたたかくなります。とんどにあたるよりあたたかくてきもちがいい。
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6.かみ酒
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米果物などを嚼みて、
壺の中に吐き貯ふれば、
夜を経て酒となる。
真蝋の美人酒といへるは、
美人をして物を咀み含みて作らしむが故の名なりといふ。
我が邦にても、酒つくることを醸(か)むといひ、
大隈琉球には皆嚼みて作れるためしあり。
大古の人のおほやうにさかしらげ無き、
人の嚼みたるものをも嫌はずして飲みたるなるべし。
今は我かためにも嚼むものもあるべからず。
又人の嚼みたるを飲むものもあるべからず。
智は進み情は退きたるなり。
かくて世のありさま
貧しきものの酒は水の如く
富めるものの酒は油の如くなりぬ。
賓主相悦びて飲むも、
おもへばただただ銭を酒盞に盛りて飲むにひとし。
貧しきものには、あらあぢき無の世や。
(幸田露伴、洗心録)
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7.学園ニュース
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8.消化性潰瘍
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掛川市 F.
御指導賜りましてより青汁を始め3ヶ月余。私もお蔭様で目に見えて健康をとり戻して、青汁の効用を自分自身の体で体験させて頂きました。
まず1年や2年続けるうちには、と気長に考えておりましたが、こんなにも早く健康への扉が開かれたことは、全く神秘的な緑の秘力。感謝の念一杯で、今はすがすがしい味いをたのしみながら、一日とて欠かさず青汁の飲用を続けております。まず6年来苦しんだ腹痛が殆どなくなりました。そして、市立病院で消化性潰瘍で潜血反応(+)が、飲用1ヶ月で、マイナスとなり今は医師もびっくりした程以前とは血色がよくなり、疲れ易かった体、頭の疲れがなくなり、さっぱり致しました。体重は3キロ程増加しました。かさかさだった皮膚がつやを増していきいきとしてまいりまして、足の冷えもなく、胃腸の調子はとても良好で、食欲がぐんと出てまいりました。この体験に確信を得て、会った人毎にすすめており2、3の人はケールの種子のお願いをして一生懸命始めようと準備しております。(34、10、20通信より)
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9.口臭がとれる
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10.全くおどろくばかり
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笠岡市 K.T.
私も家内も青汁の服用と他人さまへのおすすめには本格的です。私の神経痛は過去4年間少しもおこりません。また家内の胆石も数年来発病いたしません。いかなる流感でもかかったことがありません。家内のごときは過去3年間に体重が3キロもふえました。全くおどろく次第です(34、6、17通信より)
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11.結核血沈よくなる
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横浜市 匿名
私は去る昭和27年1月発病、両側性空洞肺結核にて入院中のものですが、喀血(32年7月)後は抵抗力減退一時再起を断念したこともありました。
ところが去る1月11日号週間読売にて青汁の会の記事を拝見、わらをも掴みたき心境のところに感ずる処あり、矢も楯もたまらず、正月早々から今日まで、夢中で時節のあらゆる野菜をとり入れ、1日180cc飲用し続けて居りますうち、去る2月12日の定期検査の成績が、これまで一度も到達することが出来ず、40−70−80台であった赤沈が、5−10と、間違いと思われる程の好成績をしめしましたので、いよいよ自信を得て続けて居りますが、3月の結果を更に朝待して確信を得たいと思っている次第です。(34、2、20通信より)
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12.お医者は繁昌
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5年つづきの大豊作だ
麦や芋など見向きもせずに
皆さんどうぞよく搗いた
白いおまんまうんとこ上れ
おかげでお医者は繁昌します
牛肉豚肉鶏肉も
脂肪がのっておいしくなった
豆腐や豆はちゃんちゃらおかし
皆さんごちそうたんまり上れ
おかげで青汁屋も繁昌します
近海ものは減ったとて
広い大洋のむこうから
いや南極のはてからも
魚や鯨がどんどん来るよ
おかげでお医者は繁昌します
輸入砂糖はどっさりあるぞ
砂糖大根の栽培も
軌道に乗って来たそうな
うまいおかしをたらふく食いな
おかげで青汁屋も繁昌します
瓶詰かん詰はじめとし
便利な加工食品は
いろんな薬がいれてある
きれいな色がつけてある
おかげでお医者は繁昌します
自然の恵みだこれだけは
安心だろうと思っていたに
果物野菜も農薬の
かかってないのはないという
おかげで青汁屋も繁昌します。
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13. 質問箱
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松葉の青汁 三重県 K.M.
私どもでは清浄野菜はとても望めませんので松菜汁を飲みまして1ヶ月程になります。とてもからだの調子がよいように思います。
- 松葉の量(一つまみオヤ指程ですが、もっと多くてもよろしいか。
- 只今朝食後1回ですが、食前の方がよいでしょうか。何回も飲みましたほうがよろしいでしょうか。
- 若い人がのんでもよろしいか。(松葉は昔から中風の薬というものですからいやがります)
答
- 松葉のヤニの中に刺戟性の成分がありますから、やはり昔からいわれている拇指程度がよいでしょう。よくうすめて飲んで下さい。
- 食前でも食後でも食間でもよろしい。また何回でもよろしい。
- 若い人にもよろしい。
砂糖とサッカリン 西宮市 Y.S.
純砂糖は使いたくないのですが万一使いたい時は?
答
少量でしたら砂糖がよろしい。粗製糖、糖蜜はなお結構です。サッカリンは純粋精製品は害はないのですが粗製品にはよくないものが含まれています。
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コラム紹介
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天行は健なり(易経)
天は道に法り道は自然に法る
自然の道は乃ち長生の道なり(老子)
一月句 深山旅愁
人々に歩いて欲しい秩序道
哲人プラトンは市民の理想的食物は菜食、
之によって長命し、子孫は幸福なるべし、
と述べてゐる
(田所、食品化学より)
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