健康と青汁タイトル小 <1959年12月15日発行 第40号>
 目次




1.レ−ノー氏病

     医学博士 遠藤 仁郎 

     レ−ノー氏病というのは血管を支配している神経(血管運動神経といいます)の興奮性がたかまって、血管が痙れんするためにおこる病気です。
     はじめは、これからのような寒い季節とか、冷い水にさわるとき、手足の指先の色が変り、蒼白くなったり、紫色になったり、あるいは冷えたりしびれたりしているうちに、しだいにはげしく痛み出し、ついには死んでミイラのようになってしまう(脱疽)もので、いろいろの薬や手術か試みられてはいますが、どうもまだこれという確実な治療法のない、そして結局は指や手足を切断せねばならぬことにもなるという、まことに厄介かつ悲惨な病気です。
     しかも、どうしてそれほどひどい血管の痙れんがおこるのか、その原因については全然わかっていません。 多分、ほかの原因不明の病気と同じく、体質が大きく関係しているのでしょう。そして食物や嗜好品にも少からず関係があるように思われます。
     タバコで血管が痙れんすることはよく知られていることです。また穀・肉・糖にかたむいた、ミネラルやビタミン類の乏しい食物でも、神経の興奮性がたかまって、血管が痙れんしやすくなり、血行がうまくゆかなくなります。冷え性や寒がりやにはこうした偏食家が多いものです。
     このような条件が、素質のある人に強くはたらくとついにはこういう恐ろしい病気にもなるのではないでしょうか。南方熊楠先生によると、「ハーバード・スペンセルの社会学に、英国にて貧人が脱疽を病むと生意気なと笑ふ」ということが出ているそうですが、これは、この間の消息をよくものがたっている、うたがった言葉のような気がします。
     明治の時代、一代の名優とうたわれた田之助がこれを患い、次々と手足を切りついにダルマのようになったといいます。そして師匠を足蹴にした罰と噂されたそうですが、おそらく贅沢三昧の生活が禍したのでしょう。
     いずれにしても、これらの事柄から考えられることは、食の改善によって、軽快あるいは治癒することもあるのではなかろうか、ということですし、事実また青汁で治った例があります。ほかにもあるでしょうが、私の知っているだけでも3人はこれでよくなっています。その第1は本紙7号に体験記をのせられている総社市の中田氏、第2は同12号の井原市の横溝氏、第3は横溝氏が指導された方。
     中田氏は2度目の脱疽で困っていられたのですが、タバコや酒は止め、動物性のものも一切断ち、主食をへらして生野菜を多量にとり、野草の青汁を三度づつ飲んで、ついに全治されました。
     横溝氏は、毎夜はげしい痛のために悩みぬき、まさに手術の一歩手前というところでしたが、青汁を3合のんでさしもの痛もやわらぎ、初めて安眠出来だし、おいおいに恢復されました。しかし食餌が普通の病院食であったためか、かなりの日数がかかったそうです。
     この横溝氏が指導されたかた(名前を聞洩らしましたが)は、これも相当ひどい症状であったそですが、絶食して青汁だけを、しかも1日4―6合飲み、4―5日でもうあらかたおさまったといいます。
     どんな場合にも、このように効くかどうかは断言できますまいが、ともかく有害因子はつとめてこれを避け、同時に、食の完全化、日常生活の合理化をつとめて止まなければ、完全治癒再発防止も決して望みなきにあらずであろうと思います。
     またたとえ治りきらぬまでも、決して無駄ではありませんから、この病気で悩んでいられる方、その傾向のある方は、何はともあれまず完全食。しかも、加工食品や貯蔵食品はつとめてさけ、安全な純正食品ばかりにすること。
     穀肉糖の偏食を直し、質のよい緑のナッパ類をうんと摂って、ミネラルやビタミン類に充分余猶のある食べ方にし、さらに青汁をしっかり飲むこと。そして酒やタバコなど有害なものはつとめて除くこと。ともかくこれを熱心にやってみることだと私は考えます。



2.グリーンコロッケ

    富山市 K.T. 

     コロッケは私どもに親しみやすい西洋料理の一つ。きょうもコロッケ、あすもコロッケ。
     普通には、肉と玉葱を入れたジャガイモの団子を揚げたものですが、ちょっと工夫すると、とてもよい完全食になります。
     肉の代りに、骨も腸わたも一緒くたにすりつぶした小魚や肝臓。
     キナコ、これもすりつぶした納豆、ゴマ、ナンキマメなどを加えてもおもしろいでしょう。
     玉葱の代りに、微塵にきざんだパセリ、セロリ、シソ、ニラ、ネギ、ニンニクや良質の菜っ葉類(ダイコン、カブの葉、ケール、コマツナ、ミズナなど)人参南瓜などを充分にまぜます。
     これだけでも栄養素のよくそろった完全食ですが、野菜類さえ充分であれば、飯やパンにそえてもりっぱなものです。皆さん一つ、こういうグリーンコロッケをどうぞ、これなら毎日、いや毎食でも結構いいですなあ。



3.青汁二年 (1)

    小松 K.K. 

     本文は小松先生(評論家、仏文学者、日本ペンクラプ幹事)が、この10月、ブリヂストンタイヤ株式会社のBSニユースに特別寄稿されたものです。お許しを得てここに転載させていただきました。謹んで御礼申上げたいと存じます。

    グリーン・ジュースと云った方が生野菜とか青汁というより耳ざわりがよいので、はじめはこのように呼んでいたが、このごろ私はむしろ好んで青汁と云っている。田舎っぽい語感であるが、その代りずっと田園的な実感がでているからだ。
     私が青汁をのみはじめてから、ちょうど満2年になる。毎日の経験を700幾10日がくりかえしてきたわけである。さいしょの2、3ヶ月のあいだは、私独りだけで黙ってのんでいた。誰にも話さなかった。そのうち私の実験の効果がはっきりしてから、はじめて家族全員にすすめ、毎朝毎晩のませるようになった。
     妻、娘、男の子、それに女中。東北地方出の女中などは、野菜や野草や時には庭の木の葉まで擦りつぶして、青臭い葉っぱの汁をのむ私をみて、怪訝な顔をしていた。子供たちも、厭々のんでいたが、10日たち20日すぎて、青汁の効果がありありと現れてくるのをみてとると、もう私が勧めなくても、一人一人すすんでのむようになった。妻は忽ち愛飲家となり、おっかなびっくりのみはじめた女中までそのうちに青汁を欠かさなくなった。やがてそれが一家にとって楽しい掟とも云うべき習慣になった。
     家族全員の実験の結果に自信をもつようになってから(私がのみはじめてから半年ぐらい経ってからであろう)私や妻は親しい人々や友人、知己に私たちの実験について話すようになった。相手の感心如何によっては青汁をすすめるようになった。私たちの経験を押しつけるのでなくて、いささかなりとも人のためになればといった気持からであった。無関心な人たち、懐疑的な人たち、小馬鹿にする人たちは、縁がないのだと諦めるより仕方がなかった。しかし青汁をのみはじめた人たちの多くは、そのうち熱心な常用者となって行った。
     そのうち、ぼつぼつ新聞や雑誌の紙面などで、家内の青汁賛の言葉が出るようになった。家内はフランス料理研究を専門にしている。料理は勿論美味しくなければならぬが、また、栄養の豊かなもの、健康をまもるものでなければならぬというのか彼女の研究の眼目である。年令にくらべてかなり若くみられがちなのであるが、ここ1年この方またぐっと若返った感のあることは確かだ。それも青汁のせいじゃないか、といったことが話題になった。
     この春だったか、朝日新聞の家庭欄で、若々しくみえる中年女性に、若さをたもつ秘法をきく特別記事があって妻もその一人にえらばれたことがある。彼女は自分の経験として青汁の効果をかたった。保健、栄養になるだけでなく、青汁が美容にも関係があるかも知れぬとなると、世間はもっと問題にする。
     私たちからすすめられて青汁を飲用するようになった石黒敬七氏(旦那は2年まえ脳軟化症で倒れたが、半年まえぐらい前から、ずっと快方に赴いている)をはじめ、その他文化人、文筆家(作家湯浅克衛氏は文芸家協会の最近号で多年の宿病であった糖尿病がすっかり治ったとかいっている。また数学者笹部貞市郎氏は2度も脳軟化症で倒れ、半身不随の身であったのが青汁を常用するようになってから歩行も殆ど普通になったばかりか、現在数学大辞典の完成に日夜努められるだけの健康をとり戻された。齢70幾才である。)や医学博士までが、それぞれの経験を書いたり話したりするようになったので、最近いよいよ話題になってきた。そんなわけで、私もとうとう青汁についてかくことになった。念のために断っておくが、これが最初に筆をとった経験談である。
     どうして私が熱心な常用者となったのか、とよくきかれる。
     ちょうど2年あまりまえ昭和32年の9月、世界ペン大会が東京でひらかれた。主催者側日本ペンクラブの委員の一人として、私は会期中目の廻るような忙しさだった。50名ちかいフランス代表たちの世話をするだけでも忙しかったが、その上私の家に2人の代表が宿をとっていたので、平均日に3、4時間ぐらいしか睡眠がとれなかった。
     大会がすんでからも、一月あまりのあいだ、日本に滞在した友人のフランス作家か幾人もあって、しょっちゅう面倒をみてやらねばならなかった。10月に入ると心身の疲れがどっと出てきた。疲れとともに、十年来の高血圧が自分でも、はっきり判るほど昂まってきた。高血圧症にはすっかり慣れっこになっていて、心身の養生で一応下げる自信の持ち主の私も流石に気になり出した。


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4.青汁が少々まずいことの効能(上)

     友成 左近 

     友人や知人にあって、談たまたま、肩がこるとか、頭が重いとか、その他いろいろ、からだ具合のことが話題にのぼることがあります。そうなると、アホウのひとつおぼえみたいに、「じゃ、青野菜をしっかり食べては・・・、いっそ青汁にして飲んでは・・・、最初はちょっとまずいかも知れないが、そのうち馴れてきますよ・・・。」と、私たちの経験へ話題をすすめていきます。
     ところが「どうも、からだ具合が悪い」と訴えるほどの人は、たいてい、野菜とくに青野菜が大嫌いな方です(でなければ、お菓子が大好きか、モノすごい大食家です)。それで「野菜が大嫌いなのに、そんなまずい青汁なんかカンベン・・・」ということになり、この話題も、この辺りで尻きれとなることがしばしばです。 時には「じゃ、いったい口先の方が大事なのかい、それとも、からだの方が大事なのかい・・・いつでも両手に花、というわけにはいかないよ・・・」という辺りまですすむこともあります。

     こんな時、私は、ひとりこんなことを考えてみることがあるのですが。
     なんでもおいしく食べている人の表情と、好き嫌いのはげしい人の表情には、なにか異るものがありはしないか、ということです。しいていえば、好き嫌いのはげしい人の表情には、どこか、うすいかげのようなものがありはしないか、心の動きに、ある種のゆがみがあるのではないか、ということです。もとより、人の心の動きや表情は、まことに複雑なものであり、例外は非常に多く、いちがいには云い難いことですが。
     もしそうだとすれば、なぜだろうか。それは、好き嫌いのはげしい人には、どうしても完全栄養食がとれにくいので、栄養状態が悪くなり、からだがシンから健康でないからでしょう。昔から「健全な精神は健全な身体に宿る」といわれています。からだがシンから健康でなければ、心にゆがみも起り表情にもかげがさしてくるわけです。
     また、食事は、人生で最も楽しいことの一つです。そして、これは毎日毎度のことです。好き嫌いのはげしい人は、この毎日毎度楽しいはずの食事が、とかく十分楽しめないわけです。「これは嫌いだ、あれはないか」と、内心みたされないことが、しょっちゅう起るわけです。これが心にシコリを残し、ある種のゆがみを与えるのではないでしょうか。


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5.牛のお乳

    泉佐野市 O.J. 

     私は20数年前、工学博士佐藤定吉先生のお話を聞いた時のことです。先生は応用化学の大家だそうです。「牛にお乳がないのです。草のなかにお乳になるものがあるのです。牛が草を喰べて、出て来たのは、牛のお乳です。牛の中で行われて牛乳となって、出て来る行程を、人の手でやればよろしいわけです。」
     何分にも20年も前のことですから、私は先生のお話の内容を、自分勝手に思い込んだかも知れません。しかし、羊や山羊又は牛にしても、草を喰べて、乳を出しているに間違いありません。このヒントから草の汁は最も近道をしているわけです。牛から搾られたお乳は、消費者の口に這入るのに、何時間かかることでしょう。ところが青汁はどうですか。私は最も「命」の満ちあふれた栄養品であると思っています。
     私たちの生命を支えるものは単なる物質ではなく、生命を持っているものばかりです。
     青汁は、ほんとうに、手軽な、安あがりの最良の、栄養品であります。



6.青汁の功徳

    御津町 S.T. 

     私は55才の時喘息症に罹りました。
     其当時は長井錠として定評のあるエフエドリン錠を常用し、一時を糊塗して居りましたが、煙をすうて発作を圧える米国の特許妙薬あることを聞き神戸の商館を経て買い求め、併用して時逃れの療法を続け「喘息患者は割合に長生きする」との諺通りに、25年間生き延びまして、もう何時死んでも年に不足はない。これからは日雇組と同じ心境で、一日一日の寿命を楽しんで居りましたが、80歳の年始めに肺炎にかかりました。
     喘息に肺炎は絶対の禁物で、大概の者は往生するとも聞いて居たものの医師の計いで彼の流行のペニシリンを打って貰い、又友人山口君発明のアフレーベンを注射して頂きましたら一週間で全快。破格の命拾いをしましたがペ剤の副作用らしく、夫れ以後血尿が出だし時には尿道閉塞という憂き目にも遭いました。院長の診断の結果、手術以外に方法は無いと申されるので高令であるから、これが最后と覚悟をきめて入院した所、貧血性で血圧90であることが判明したので、院長は匙を投げてしまいました。
     寿命はと尋ねると、マア2、3年だとの御宣託。今度こそは最終の引導。所謂離れ小島の捨小舟同様の場面に陥りました。とは謂え天帝様は未だ老子を愛護して下さると自信満々、自己判断で素人療法もがなと千思万考して居る途端、遠藤博士から青汁療法の貴重な本を頂きました。
     先生は私の父と祖父様と無二の親友であり、同所の生まれでもあり、今では縁家であるので、先生の信頼感が深かったのが、溺れんとする時は藁でも把むとの偶話とは違い、令名噴々たる先生の指導を天来の福音と拝聴して、爾来人参葉及大根葉等々生食と食膳には野菜本位の料理とを続けて居る際、津山の親友石川泰正氏から、腎臓には熱帯生サボテン属のアロエを生食せよとの注文が来ました。考えて見れば遠藤先生の主義主張と同様の目的なので一層信念を高めてこの新療法に耽って居りました。
     もっとも時折病院にも行って注射等をうけては居りますが、84才の今日まで、六感に異常もなく、町会議員まで奉仕が出来るのは、ひとえに青汁療法の功徳と感謝して居ります。又一面には彼の108才まで長命された天海僧正の「気は長く、勤はかたく、色薄く食ほそうして心広かれ」との戒句を默唱しながら、物ずきに100歳まで生き延びてはと、大隈侯爵の意慾を真似ながら蠢動して居る次第であります。



7.完全食への希望

    八幡市 E.I. 

     最近の老生の体験を申上げます。
     私明治44年36才の時病院を建てまして、その当時まで1日3食していました。
     病院創立当時、夏6月で昼食満腹と倦怠をおして診療を続けることの苦痛のため、昼食を廃止、玉露の茶を沢山に飲む習慣をつけて今日まで続けておりました。
     昭和32年の秋頃より青汁を始め、2ヶ年を経過致し、他の食餌は旧態のまま2食を続けていました。
     本年7月頃より空腹を感じますので昼飯を始めました。オートミールに青汁200cc。非常においしく頂けます。
     朝食の味噌汁に青汁注加を始めたいと考えて居ります。
     健康状態に異変は感じません。
     完全食への希望であります。(34、9、5通信より)



8.千万言も及ばぬ

    丸亀市 N.S. 

     私も元気に過しております。「青汁のおかげ」千万言をついやしても感謝の気持をあらわすことは出来ません。



9.多年の秘結

    鏡野町 H.W. 

     私多年秘結気味にて困って居りましたが、青汁と同時に緑葉食、殊に残渣の相当あるもの、例えば焼甘藷豌豆、蚕豆の如きものと皮ごと食すると云う風に食事致して居りましたら、多年の秘結が全快し、毎日青黒色の快便があるように相成りました。
     老人の身にも斯かる奇蹟的な応現があものかと驚喜致して居ります。(34、6、30通信より)



10. 質問箱

     当地の駅勤務者駅員に、広島原爆の時に兵隊に居て原爆死体収容に従事せるもので、若者にも不拘顔色悪しき者あり。青汁を飲みたいと云うて居るが、原爆症に青汁がよいでありましょうか。


     よいと思います。青汁を中心とした栄養改善で健康を恢復した方もあります。少くとも悪い影響は全然ありませんから、ともかく熱心に実行されることをおすすめします。



     青汁用によい野菜の種類をお教えねがいます。


     ケール、キャベツ、コマツナ、カブ、ダイコン(カキハダイコン)、ナタネ、ミズナ、パセリ、シソ、ニンジンなどでしょう。



11.筋肉リューマチ

    井原市 H.Y. 

     前年来リューマチ病(筋肉)にて困っておりましたが、お陰様で病気はよくなり、事務遂行(薬局職員)上支障がなく喜んでおります。(33、3、10通信より)








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