<1958年11月15日発行 第28号>
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目次
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1. よくねむるには
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医学博士 遠藤 仁郎
いつでも、どこでも、すぐにねむれる程しあわせなことはありありません。
もともと神経質な私など学生時代からねむれぬことがよくありました。
ことに旅に出たりすると、はじめの1、2日はどうにもねつかれず、いつも閉口したものです。
それが、今ではよくねむる。むしろねすぎるくらいにさえなりました。年のせいで暢気になったためでもありましょうが、どうやら菜っ葉をよく食い青汁を飲んでいるからのようです。
ながい冬の夜、ねむられぬままに夜通し悩みつづけていられる方もあることでしょう。
そういう方々におすすめしたいことは、
- ねむれぬことを気にせぬこと
- 生の緑の菜っ葉を主とした完全食にすること
- 睡眠薬はなるべくのまぬようにすること
です。
まずねむれぬことを苦にせぬこと
ねつきが悪い、夜通しうつらうつらして殆ど眠れぬ、といったことがあっても、食事が出来るようなら大丈夫です。
物の本など読むと、不眠の害がいろいろ書きたててあるので、大変気になるものです。
私などもそうでした。そして何とかしてねよう、ねなけりゃあ、と気が気でなくなり、無暗にあせり出す。
あせればあせるだけいよいよ頭はさえ眼はさめてしまう。
だが考えてみてごらんなさい。戦争などはもとより、平素でも、切端つまった仕事がある時など、いわゆる不眠不休の活動を何日も続けてやり、少しも弱らぬ人もあります。もっともそういう人は元来頑健なからだの持主であるからでもありましょう。
けれども、少くとも一晩や二晩ねずとも少しも障るものでない証拠にはなります。たとえその時は眠れなくても、後でぐっすりねむり、疲れを恢復しさえすれば、結構とり返しはつきます。
また少しも眠れぬように感じてはいても、案外「しん」はねているものですから、大抵の場合心配はいりません。
「眠れにゃあ、いつかまたねむれる時にねるさ」、とたかをくくって、ねた振りをして横になっておれば、しだいに気持も落付いて来て、いつか眠れもするし、ねむらなくても大してそうからだにこたえるものでもありません。
ともかく、あんまり気にせぬことです。
次に食物は生の菜葉を主にした完全食にすること
ねつきが悪かったり熟睡できぬのは、神経が興奮しやすくなっているからであり、この興奮性の高まりは神経の栄養の不適当なことに原因します。
そこで、なるべく完全食をとって血液状態を正常にし、また興奮性の飲食物をへらして神経を鎮めるようつとめます。
米や糖分を多く食えばねむくなります。眠れるからよいようなものの、これでは長い間にはからだを悪くします。肉や魚や卵がすぎると刺戟になり、茶やコーヒーではいよいよ眠れなくなってしまいます。
ところで、それらの害毒を消してくれるのは質のよい緑の菜っ葉類です。ことにそれらを生で食い、青汁にしてのむと、神経はずっと落ついて来ます。
疲れすぎると眠れぬものですが、緑葉食、青汁で疲れなくなり、その恢復は早くなりますから、いつでも楽によく眠れます。
「青汁をはじめてから夢を見ぬ」とよくいわれます。それほどに熟睡もします。また眠る時間は少くて済みますから、いつでも快く目醒めるようにもなります。
チシャに睡眠作用のある成分のあることはよく知られていますが、これは何もチシャに限ったことではなく、どんな青菜っ葉にも同じ効能があるもののようです。
最後に睡眠薬はなるべくのまぬこと
睡眠薬は「くせ」になりやすいし、薬の害もないわけではありません。
なるべく薬にたよる悪いくせはつけたくないものです。
この意味からも私は青菜っ葉を生で食べ青汁をのむことをおすすめします。
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2. 大根のはっぱ
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倉敷市 H.E.
今年も又大根のおいしい時節がやって来た。
終戦前後のどさくさの中での大根葉の思出は忘れがたい。
大根葉といえば、以前の常識では、決して歓迎されるものでもなく、まず、食べられないものとして、ごみ箱に捨られるか、八百屋の店先で黄色にかれてしまう運命のものであった。
ところがこの大根葉は、戦争中を都会の物質不足の中で暮した私達に思いがけない経験をさせてくれた。
終戦前、私達は京都市桃山町に住んでいた。
周囲一面の畠で春は麦、夏は胡瓜にトマト。それがすむと8月半から畠一面大根の小さい二葉が土上に顔を出す。お百姓がそれを次々と間引いて、1本の大根が成長するのに充分な間隔にしてしまう頃には、葉は30センチ位に伸びてみずみずしい青い葉っぱになっている。
それから二旬ほどすぎて大根の白い根が土の上ににょきにょきのぞき出す時分になると、葉は見事に成長して、葉末の露が朝日にきらきらかがやく姿を見るのは実にすがすがしく気持のよいものであった。
この頃から大根がぼちぼち抜かれ初める。お百姓は青青と成長した大根を引抜くと、先ず土を払い、次に折角立派に成長した葉っぱを何等ためらうこともなく、まるで厄介者をとり払う様に、大半もぎ取って捨ててしまう。そして少しだけ葉のついた大根を籠に入れて帰って行くのである。
青葉の栄養上の重要な役割や雑草の利用についてかねがね主人からきいていた私は、いかにも無造作にすてられる大根葉が勿体なくて、何とか利用の方法はないものかと考えずにいられなかった。
しかし、捨られているとはいえやはり人様のもの、取ってくるのはいかにも後めたい気持になり、日に日にすたって行く葉を恨めしげに眺めていた。
ある日のこと、とうとう我慢出来なくなって、丁度来合せたお百姓に思い切って、捨葉をもらう約束をしてしまった。こうなったらしめたもの。子供と一緒に籠を持って毎朝畠に出かけては、一人ではとても持きれない大根の葉っぱをせっせと運んだ。そして間もなく大根葉の加工作業が初まったのである。
勿体ないとはいえ、とても一度に消費し切れない大根葉の山をみてはさすがに一寸とまどった。
そこで、これを熱湯にさっと通して乾燥することにした。こうすると、葉は丁度お茶の葉の様に美くしい緑色をのこし、(酵素を熱で殺してあるので破壊作用が止る)、しかも冬の乾燥期のこととてまことにきれいに乾上る。
これを揉んで粉にして保存した。主人は更にもちをよくするため油をしみこませることを考え出しヤシ油に混合したりした。
この乾燥葉は、倉敷へ移転してからも、郷里の母が受継ぎ続けて下さった。お蔭で腎臓炎を起し二度目にたおれた時にも、これが大いに役に立ち大変早く快癒することが出来た。
それ以来大根葉は、薬万能の私の考えを根底から覆した様である。
「大根葉は栄養のあるものよ、病人にも効きますよ」などと、あう人ごとに言い出したのはこの頃からだったと思う。いかにも医者の家内らしくない言草であるが、経験が私にそういわすのである。
世の中は一応平和をとりもどし、都会にも戦前の生活が蘇がえり、あらゆる物質や食物が氾濫して何一つ不自由のない生活が出来る様になった。
にもかかわらず、習慣的に日かげ者にされた大根葉はいよいよ顧みられず見捨られたままである。八百屋の店先に切捨られた葉っぱや、芥箱の中で大根葉を見る度に10年前のあの大根畠のことを思い出す。
そして叫びたくなる。「大根葉は人間の食べるものですよ、これを捨てるのは大切な栄養を捨てることですよ」と。
大根葉をもっと大切にしましょう、そして私共の栄養改善のためにもっともっと活用しようではありませんか。
- 生の大根葉はかなり固いものでも、みじん切りして蒸パンや、味噌汁に入れるとおいしくいただけます。
- 乾燥大根葉も蒸パンや小麦ダンゴに混ぜると栄養のバランスがとれてよい相です。
- 細かく刻んで天ぷらにしてもおいしいです。
- 其他の方法―焼飯やいため御飯の中に細かくきざんで人参などと一緒に混ぜる。又御飯が煮上ったところへみじん切の大根葉を少量の塩と一緒に混ぜると、かほりのよい「菜飯」になります。
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3. 交際と話題と青汁(2)
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前回参照 |
友成 左近
私たちは、常々、人々と交って暮しています。この交際には話題が必要です。商用その他の用事で人に接する場合、駅でキップを買うように、用件だけ、そのものずばりで、すべてことがうまく運ぶとは限りません。
用事に関する話だけをムキ出しにするのではなく、絵は額椽にはめ、食べ物はお盆にのせて出すように、他の話題にのせたり包んだりして出さねばならないことが多いものです。
また、近隣や友人とは、とりたてて用事というほどのこともなく、日常交際している場合が多いのですがここでも、やはり話題が豊富でなければ、どうもうまくいかないものです。
話題が貧弱であると、とかく顔を合せることも少くなり、顔を合せて、同じことの繰返しで、お互に退屈してしまうことがあります。
そして、とかく酒を飲むとか勝負ごとをするとか、ということになり、そのうち、酒をいっしょに飲むこと、勝負ごとをすること、それ自体が交際となってしまうこともあります。
また話題が貧弱であると、とかく、人の噂さが中心となり、しかも、これが、本人が聞いて喜びそうなことであればよいのですが、とやかく云ってほしくないことや、ありもしないデタラメに陥ることもあります。
自分の身辺の愚痴や自慢に終始することもあり、またとかく官能的なことに落ちてしまうことも少くありません。こんな話題は、誰にもそう愉快なことではなく、また、なんだか人柄もゆがめられるようで、とうてい、よい交際は続きません。
交際には、話題が、文化、スポーツ、生活、社会、経済、政治など各方面にわたって豊富であることが大切です。そうすれば、相手により、場所柄により、用件により、うまく額椽をはめたり、お盆にのっけたりすることが出来ます。
けれども、今一つ、話題に大切なことがあります。
交際が相互の意思の疎通であり、相互の信頼関係である以上、話題は、互によかれかしと願い、好意に支えられたものでなければなりません。意識的であれ無意識的であれ、内心何か求めているものを、話題の中でみたすことが大切です。話しあった後、何かよいことを話しあったと、ホノボノとした残り香が続くことが大切です。
好意に支えられていない話題は、あたかも路傍の野師の饒舌のように容易に相互に意思が疎通するものでもなく、相互に信頼しあうようになるものでもありません。青汁を飲んでいて、本当に健康を味っていると、話題が一つ増えるというのはこのことです。
人間だれでも生身である以上、どこか具合の悪いこともあり、従ってまた、健康は、人の生命と勤労と幸福に係わることで、人生最大の関心事です。このため、健康に関することが交際の話題にのぼることが少くないわけです。こんな時、「それは、それは・・・」と、ありきたりの言葉で受け流すのは、何とも好意の少いことです。
青汁のことなど話題にして、受け答えするようにすれば、話は何か積極的な好意に支えられて明るくすすめられるわけです。しかも、この青汁は、のもうと思えば、その日からでも飲めるものであり、また誰にも全く有益無害なものであり、さらに費用もそうかかるわけではありません。
それに、青汁の話は、舌をかむような小むつかしいことではなく、いかにも自然で素朴で、少々おもしろさも伴っています。また最初は少し飲みずらくてもそのうちおいしくなる、というわけで、ちょっとしたスリルもあるわけです。
といって、相手かまわず場所柄もわきまえずに、青汁を話題にするのは、いかにも慎しみのないことです。
また、人その人が馴れ親しんでいる食事のことや苦労して続けている食養生をアタマからケナシつけることは、エチケットの足りないことです。
さらに、医者も薬もあったものではなく、青汁さえ飲めば誰も必ずすぐ健康になると、狂信的におしつけがましく話題にするのは、全く思慮のないことです。
青汁が、それ自体、いかにも自然な食べ物である通りに、これを話題にするのも、互に話し合っていく間に、出すべき時に自然に出したいものです。
(ここに書き連ねたことは、青汁飲用者が、折にふれ、会って話している時、いつも話題にのぼることですし、去る七月廿五日に開かれた常任理事会の時にも雑談の間にのぼってきた話題の一端です。文責は友成にあります。)
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4. (随想)生きていた鼓動(6)
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前号参照
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霖雨はやんだようだけれど
雨雲は まだ黒く空をおそっている
あの娘が 息をひき取ったのも
ちょうどこんな日だった
南手の病棟から けさ早く
死体を横たえたタンカが一つ
白布でかくされて窓下を通ったと云う
私の肺部にも同じような菌がしがみつき
肉層を喰い荒していると思うと
蒼白な遺体は他人事ではない
もしかすると いや考えた方がよい
私の心臓の鼓動に 刻々と
のしかかって来てるのかもしれぬ
背筋を ひやりと冷たいものが
小走っておりたのを知った
霖雨はまた降りだしていた
胸部患者が闘病し勝つ為にはあく迄もねばり強い精神力を持って、あせらず、失望せず、よし、光明は遠い遥かな彼方であろうとも常にややもすると、おそいかぶさって来る暗い不安が万一、生命の綱であるプルスをと切れと切れにしようとも、その最後の幾つかのプルスを、支えぬき、生き抜くぞと云う力強い信念の鼓動が、生命を守り抜くにあると云われています。
私は苦悩にもだえさせられることもあります。――毎日終日を眺める視野のはんいは限られた場です。でもその景色の中に、少しでも変化を発見すると気がまぎれ、心は救われるのです。
がしかし、病室を訪づれる人も足たえて、病室の外は向うにとぼった電燈のあかりが、ちらほら闇に見えてるだけ、その時刻になると黒い建物の上部の方に星がまたたいて居るのが、哀愁のなかに家庭で過ごして居た頃のことを、あれこれと誘いだして来ては、ぼおっと光線を投げているベッド上の電燈ホヤの灯のぼやけた中で、記憶のなかの人達の姿を型づくり、それは動き、それは口をきき、臭い匂すらただよわし始めるのです。
すると、たまらなく懐しくなり、眠むろうとしてもねむられない夜の幾時かを、苦しみもするのです。
病舎の廊下づたいに、記憶の歩みは別の私の足を運ばしはじめます。
先程から、低く力弱い、切れにくい咳を続けている患者の病舎の前迄ゆきます。
と、その患者をあわれむかのように、あの人も早や長く入院されているのに、元気になれるだろうか、気の毒なことだなあ、と云っている自分を発見するのです。他人ごとではすまされません。
もし身にふりかかってくるとしたら・・・・・・。
最悪を考えるとぞっと悪寒がするのです。絶望感はこんな時に起ります。
そして、この世の中がたまらなくいやになってくるのです。
私は――、胸部を病む患者が闘病し勝つ間にはこのかって耳にした言葉を思い出して、何度となく思い浮かべ、心の張りを取りもどしたことでしょうか、私は底なしの悩みを続けました。
悩み悩んだ末に、生きるのだ。生きれる。きっと生抜いてみせる。
これぐらいのことで溜息を吐いてはいけない。そう決心しました。
信念を捨てずに、病菌と決闘の日々を繰返すのだと心に教え込みました。
(以下次号)
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次号参照
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5. 鮭の臓物料理
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北海道には鮭の臓物料理が多い。
鮭の脊髄を塩辛にしたメフン、頭を骨ごと薄く切って酢につけたヒズ、アイヌ人の料理だと云ふが鮭の臓物も肉よりは旨い。
熊が秋、鮭の川に登るのを爪を引掛けて捕ったのを、腹の処だけ喰べて後は捨てると云う話だから、人間とは逆だ。
(大河内正敏 味覚、1947)
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6. 青汁のおかげか
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倉敷市 S.Y.
私の末っ子は、夏は夏病み冬は風邪と毎年のように弱っていた。
いろいろ食物にも注意し、また回虫ではないかと何度薬をのましたかわからない。
しかしどうも思うようにならなかった。
丁度3年生のはじめに学校から青汁をすすめられて飲みはじめました。
その夏は、今年はえらい元気だなという位で大した気にもとめず冬を迎えたのですが、冬もこれという風邪もひかないで元気に3年を終えました。4年生の夏も至って元気でまた冬を迎えたのですが、御承知の通り昨年は全国的に風邪が流行して、休校の学校が続出したのです。
家族も軽重は別として一度はみんな罹患しました。ところが毎年いつも真先に風邪をもらって来るこの末っ子のみは、遂に一度もかからなかった。
のみならず非常に元気であった。不思議なこともあるものだとはなし合ったのですが、結局青汁のお蔭ではなかろうかということになったわけです。
こうして、あらためて子供の顔を見なおすと、なるほど例年になく頬べたが真赤で非常に血色がよい。とにかく私の家であの子がこうした元気をとりもどしたことについて、青汁の外に思いあたることがない。青汁のおかげにちがいないと家ではきめている。
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7. 急性の神経痛
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8. さて皆さんはどれをお選びになりますか?
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貝原 邦夫
天高く馬肥ゆる健康の秋もいつしかすぎて、巷に村に師走の風が身に泌みる頃となりました。
全国にまん延した流感におびえたのは、一昨年の今月からでした。
毎年学校で、あちらの席からも、こちらの席からも山彦のこだますように子供達の咳声を耳にする感冒も今月からです。
厚生省は昨年度の健康白書に、4人に1人は慢性病患者がいると、又国民栄養の実態に、大豊作で白米の食べすぎと、青野菜食の減少をなげいています。
白米の食べすぎの害を防ぐには、ミネラル(カルシウム等の鉱物質)ビタミンを多量に必要とします。
この栄養素の不足が今日の悲劇の最大原因だといわれていますが、さて皆さんはどれをお選びになりますか・・・・・・。
食品100グラム中の栄養分析表
| 熱量 | 蛋白質 | 脂肪 | 糖質 | カルシウム | ビタミンA | B1 | B2 | C |
白米 | 342 | 6.4 | 0.8 | 77.4 | 6 | 0 | 0.10 | 0.04 | 0 |
牛乳 | 59 | 3.0 | 3.2 | 4.5 | 100 | 100 | 0.03 | 0.15 | 0.5 |
ケール (青汁材料) | 40 | 3.9 | 0.6 | 7.2 | 225 | 10000 | 0.15 | 0.325 | 125.5 |
牛肉 | 133 | 20.1 | 5.7 | 0.3 | 6 | 10 | 0.06 | 0.08 | 2 |
牛肝 | 124 | 20.5 | 3.5 | 2.5 | 5 | 5000 | 0.30 | 2.20 | 30 |
大根 | 16 | 1.1 | 0 | 2.8 | 28 | 0 | 0.03 | 0.02 | 20 |
大根葉 | 40 | 5.2 | 0.7 | 3.1 | 190 | 9000 | 0.10 | 0.30 | 90 |
キャベツ | 18 | 1.5 | 0.3 | 2.4 | 47 | 0 | 0.08 | 0.30 | 40 |
白菜 | 13 | 1.4 | 0.1 | 1.5 | 33 | 100 | 0.05 | 0.05 | 40 |
小松菜 | 25 | 2.7 | 0.3 | 2.8 | 140 | 6000 | 0.10 | 0.15 | 90 |
リンゴ | 46 | 0.3 | 0.4 | 10.3 | 5 | 10 | 0.02 | 0.03 | 5 |
ミカン | 50 | 0.9 | 0.3 | 11.0 | 16 | 2000 | 0.10 | 0.03 | 40 |
註 単位熱量はカロリー、蛋、脂、糖はグラム、カルシウム、B1、B2、Cはミリグラム、Aは国際単位 総理府資源調査会食糧部決定 改訂日本食品標準成分表(昭29版)による。ケールは米シャーマン氏による。 |
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9. トリ喰い損いの記
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8月末日の夕方知人より「若い病鶏を上るからたべなさい」と云う伝言に、子供はよろこんで貰ってかえった。
見ると鶏は足が立たず、横になった切りでグッタリしている。なるほどこれではダメらしい?と思いつつ私は、子供に早速青汁を盃1パイほどに、家畜用のコロイカルを混ぜて飲させました。
翌日は少し元気になっている。家内がお礼に行ってきくと、
「コンクリートの養鶏場内で、カンカンに照りつけられて多分日射病になったのでないか?と手当をしたがダメ」
と云う事であった。
そこで私は家族の者に命じて、「凉しい湿気のある木蔭の草の上に置き、1日3回青汁とカルシウム一辺倒で押した。」
すると2日目には片足が少し立てる様になり、3日目には起ち上り4日目には少し歩きだし声を出した。
5日目にはほとんどよくなり、7日目には徒る元気になった。
今月末頃には初卵を産むのではないかと、子供達は1番に誰れがたべるのだと、やかましい事である。
お蔭で私はトリをタベ損こなったという次第。呵々
病鶏の青汁のんでシャンとなり
青汁を飲んだ廃鶏シャンとなり
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10. 質問箱 癌にきくか
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福島県 T.O.
問
ある雑誌に先生の主唱される青汁が悪性の癌病にも適応して著効を奏すると記してありましたが?
答
この「著効を奏する」ということが、苦し「よく治る」という意味であれば、それは間違いです。
近頃青汁で癌が治ったとか治るとかいう人があるようです。
ご覧になった記事も多分そういう人が書かれたものでしょう。
私どももどうぞそうであれかしと念じてはいますが、私にはまだ治した経験もなく、まして著効を見た経験もありません。
癌はビールスで来る病気といいますから、バイ菌による病気と同じく、体の抵抗力が大いに関係します。
そこで青汁を中心とした完全食がよい筈です。また実際病気の経過には確かによい影響を与えるようです。
けれども、ながい間熱心に青汁をやっていながら癌が出来、そのために亡くなった方もありますから、青汁だけで癌が予防できるとか治るなどということは軽々しく申すべきでない、と私は考えています。
(遠藤)
兵庫県 T.Y.
問 ほかの野菜
冬枯期にはいかなる野菜、草木を使用しますか?
答
越冬性の緑菜を秋からしっかり用意します。ケール、アブラナ、コマツナ、ミヅナなど。
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コラム紹介
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(歌謠) 浪人哲学 K.I.
気にはしないぜ からっぽ財布
草の葉かじって 水のんで
俺は居るけど 生きてるよ
お蔭なことよと 手をあわす
他人の事なぞ かまっちゃくれぬ
この世じゃ 自分を頼るだけ
馬鹿な奴がと 笑うなあ誰よ
てんと様には わかるだろ
せまい所に あふれた人は
食うや食わずで同志打ち
俺も浪人 してるがよ
菜っぱ?るで 元気だぜ
1958・9・18
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