<1958年6月15日発行 第22号>
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目次
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1. 療病講座 日曜断食
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医学博士 遠藤 仁郎
断食(だんじき)で病気が治り、病ぬけがするといいます。
確かによいものらしい(私には経験がないので「らしい」としかいえませんが)。なぜでしょうか。いろいろむつかしい説明がされているようですが、簡単にいえば、平素、不完全な食餌(美食)を食べすぎて、体を酷使しており、肥りすぎたり、大量にできる代謝産物や、充分に始末されず排泄しきれぬ老廃物が体内にたまり、そのため体力、抵抗力を弱めて、色々の故障の原因となり、またその治りを悪くしています。
そこで、食餌を断ち、水だけ飲んで、つかれた体を休め、たまった邪魔物を掃除しよう、そして元気をとり戻そう、というのが断食のねらいであり、その功徳だと見てよいと思います。
絶食して、消化器や代謝器や排泄器を休ますことがよいことは、説明するまでもありますまい。いきている体は、食物なしには生きられぬから、絶食すれば自分の体を食ってゆきます。つまり完全な肉食になるわけです。その間、体温になりエネルギーになるのは主に脂肪ですが、これが燃え分解するためには糖質が要ります。しかし体には糖質の貯えは少く、すぐになくなるのであとは蛋白質(筋肉)を分解してこれを補給します。ために、絶食すると脂肪が減るとともに肉もやせます。
一方この際に生ずる体液の変化(酸性化)が刺戟になって諸機能がたかまり、代謝も排泄(皮膚、腸、腎、肺などからの)も盛になります。で、水分を充分に補うてそれをすすめれば、体は洗い清められることになります(浄血作用)。こうして疲労は恢復し、体重はへり、血液はきれいになるので、健康状態はずっとよくなり、病気に対する抵抗力は増し、治りもはやめられるわけです。
しかし、そういう良効を得るためには、10日なり2週間なりの断食が必要で、正しい指導はもとより、かなりの覚悟と努力なしにはとてもやり通せません。また、体質や体力にも充分気をつけねばなりません。古方でいう所謂「実証」の人(ずんぐりよく肥った、骨組のふとい、血色や元気のよい)は本当の適応症で、こうした人には安心して強行できますが、反対に、ひょろ長い、やせ、顔色の余りよくない人では、却って悪くすることがあります。
随分以前のことですが、胃が悪くて断食し、あとで結核が出て、そのため亡くなった人を、私は知っています。またも一つ、あとの注意が大切です。
かように断食は、適応によっては確かによいものですが、後のやり方を間違うと全く意味のないものになってしまいます。もともと断食などということは、食べ過ぎ、しかも偏った美食を飽食しているから、必要にもなるわけです。ですから、1回だけいかにも厳重な断食をやるよりは、平素の食べ方を正しくする方が、遥かに効果的です。常に緑葉食を中心にした完全食を少食しておれば、それだけでも大抵の場合目的を達することが出来ますし、それでも足らねば一週一回、たとえば日曜日だけ断食することです。勤めを休んで活動力を恢復するように、胃腸にも一週一度は休養を与える。そしてその日は、朝から晩まで一日中、何にも食べず、水だけ飲む。あるいは生の野菜果物だけを、なるべく無塩で少し食べるか、そのしぼり汁だけ飲んでおく。
こうして日曜断食を続ければ、健康状態はずっとよくなるし、病気の治りもよくなります。私は高血圧や動脈硬化、糖尿病、胃腸病、肝臓、腎臓、心臓病、喘息、その他の治りにくい病気に、これをすすめていますが、仲々よいようです。むつかしい注意や、大した覚悟も努力も要らず、どんな人でも、家庭で、安心して楽に実行出来、ながく続けられるから、本式の、道場などでやる厳格な断食よりは、むしろよいのではないかと私は考えています。
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2. 鮎の味
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G.M.
全体鮎の味は川に因って違ひます……
同じ川でも場所によって味が違ひます……
何故場所によって味が違ふと云ふに、鮎の食物たる硅藻の種類が違ひ、復たその多い処と少い処とで違ふからです……
硅藻のことを俗にアカと申しますが、一番上等なのは極の清流に大きなカブラ岩が沢山あって、其の岩が極く緻密な質で滑かだと、青アカと云って極く細かい柔かい硅藻が附きます。
粗質の岩には俗にマグソアカと云ふ褐色の硅藻が附きます。その上等なアカを沢山食べて居る鮎で無ければ肉が肥えて味が良くなりません……
3日も4日も大雨が降り続いて大水が出て、岩に附いて居る硅藻を押し流して了ふと、其後五六日間に漁れた鮎は餌に飢えて居るから味が悪う御座います……
20日も一月も晴天が続くと、川の水が減少して鮎の住み場が狭くなりますのに、硅藻が余り成長し過ぎて硬くなりますから、鮎は矢っ張り餌に飢えて味が悪くなります。
硅藻も野菜も同じ様に、発生した計りの若芽が柔かくて美味しいので、その若芽を充分に食べた鮎が最も肥えて居るので、漁夫仲間では新しい硅藻の事を新アカと申します……
雨が降って古いアカを押流した後、照り着く様な晴天が五六日続くと新アカが沢山出来ます。それを充分に食べた様な鮎を上等な場所で漁ったのが最上等の味になる。
(食道楽、秋の巻、昭3)
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3. 太陽は唱う
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玉島市 田辺 弘
(太陽は万物の母、食物だけでも自然のものをと。)
私が生んだ人間に
改良作物つくれとも
人工食糧つくれとも
加工食糧つくれとも
私しゃ教えたことはない
人のつくった食物や
薬だけでは丈夫にゃなれぬ
元気な身体はつくれない
人数がいくら殖えたとて
私の命のあるかぎり
みんな私がつくってあげる
折角あげた食物を
煮たり焼いたり薬をかける
これじゃ私がたんせいこめて
作ったものがあまりにも
人のお役にたちかねる
土を大事にいたわりなさい
土からもらった食物は
人の力じゃ出来やせん
勝手きままな物ばかり
つくって食べて居るならば
私の見える所にも
地球の上に住むことも
出来なくなってしまいます
ここらで一つ食物を
考え直して昔のような
丈夫な身体をつくってごらん
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4. 横山大觀先生のお酒
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主治医 A.O.
先生は一日に酒1升飲んでいるということがいわれておりますが、その酒1升というのは、7合の酒に3合の水を割るか5合の酒に5合の水を割るので、いわゆる生のままではないのです。
だからアルコール分が多いといってもそんなに強いものではない。ただ酒だけを飲むと酔い方がひどいというか自分に合わないということで必ず7・3か半々に水を割って飲んでおった。だから、水分としては1升は飲むけれども、酒は正味5合か7合ということになっておりました。
(医海時報52号より)
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5. 播州のネバリ団子
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K.G.
麦を春いた時糠の中に残る。米でいへばメンザイに相当するもの。
糠をふるいにかけて粘りを出し、これをこねて団子とし、朝の味噌汁などに入れる。
餅搗の時には、これに少し餅米を入れて一臼や二臼はどこの家も搗くのが普通であったが、今日はもうそんなことをする家は一軒もなくなったといふ。
(食物文化誌)
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6. 伝説
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大豆と小豆
肥後の山鹿では、下宮の彦獄権現の山と、蒲生の不動岩とはきょうだいであったといってをります。
権現は継子で母が大豆ばかりたべさせ、不動は実子だから小豆を食べさせていました。のちにこの兄弟の山が、つなをくびにかけて首っぴきをした時に、権現山は大豆を食べていたので力がつよく、小豆でやしなはれた不動岩はまけてしまって、首をひききられて久原といふ村にその首がおちたといって、今でもそこには首岩といふ岩が立っています。
(柳田国男 日本の伝説、神いくさより)
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7. 養生訓
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何でも自分で自分の身に合うように定めねばならぬ。
どれほど食べればその身の一日に足るかを定め、その日その日の経験により将来の基礎をすえ、さてすえた基礎をば断じて動かさないことにして、いささかたりとも過分ということをしないように心がける。
(コロナロ)
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8. 福山西小学校の青汁給食成績
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9. 青汁について
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徳島市 B.H.
終戦の前後、某市役所に勤めていましたが、部下の職員はほとんど女子ばかりで能率が上らぬうえ、当時進駐軍が日本の国内事情査察のため緊急に資料を集めていたので、その仕事の至上命令が次々と降り、夜も昼もない有様でありました。
家族達を疎開さし、単身居住のため食糧の買あさりもできず、栄養不足が手伝って、その年の暮遂に病気にたおれ、翌21年の春から田舎へ引揚げ療養を始めました。
当時インフレで周囲の農家は儲けた儲けたのさわぎにひきかえ私達は衣料を米にかえて辛じて飢をしのぐ有様でありました。
生活は苦しくなる一方なのに回復ははかばかしくなく焦るばかりでありました。その上一年目で病気のため遂に職を失うことになりました。生か死かの岐路にたったわけであります。
一時はどうしようかと悲嘆にくれましたが病床で呻吟のすえ、たどりついた最後のものは病を克服し、再び明るい活動の日を再現しなければならないということの一点でありました。
病弱では結局何にもならないという平凡にして而も永ごう不滅の真理を身を以て体得したわけでありました。
そこで、まず体の改造ということに着目し、自分自身の体をしずかに分析しました。
私の胃腸は実に弱くすぐ下痢をするというたちでありました。胃腸が弱くては栄養がとれない。この食糧不足の時代、体力をつけるには胃腸の働きを100パーセント引上げ配給量だけで充分の効率をあげるようにしなければならないと考えついたのでした。
随分と永い間あびるほど胃腸薬を飲んで少しも効めのなかった私にとって薬はもう何の魅力もありませんでした。正座、腹式呼吸、灸、指圧等々あらゆる物理療法にも見放されていた私でありました。しかし何か最後にきめては、ないものかと考えめぐらしました。ちょうどその頃東京から親戚の医者が見えたので、事情を話したところ、埼玉県に小沢六三という特殊療法の研究をしている医者があるからといって紹介状をかいてくれました。そこで私の病歴、性質、食物に対するし好、年令など詳細に書き送りました。小沢六三先生の回答には、甘いものや肉類好きで野菜をとらないため血液が酸性化してその為不眠症や下痢症状をおこしているので、菜食主義に改めること、まず、応急手当として、ゴマ塩を作り食事のたびごとにご飯にふりかけてたべること等の御趣旨でありました。
半信半疑で早速実行したところ10年来の下痢症状がぴたりと止ったのです。私のよろこびは文字どおり筆舌につくしがたく全く天に昇る心地でありました。あらゆる薬や物理療法で治らぬものが、どうしてこんなに簡単に治るのかとおどろきました。こうしたことから特殊療法以外に私の体質を救い改善する方法はないと確信するに至ったのでした。
蛋白質、糖分偏重であり、カロリー主義一点ばりであった私は、このときから野菜食につき改めてみなおし始めたわけであります。それから野菜食の効果についての文献をあさりましたが、戦災後のことで書物の入手はむつかしく、なかなか苦心したように記憶します。煮たものより、煮過ぎないもの、煮過ぎないものより生食がよいということを思いつき、そこで最初は少量の生野菜を食事どき醤油をつけたべました。そうしてだんだんと量を増やしてゆきましたが、胃腸の障害などがあり、そのつど休んでは又始めるなど根気よくつづけました。とにかく健康になりたい一心でありました。
だんだん効果がみえ昭和23年春離床できるようになり、翌24年疎開先から徳島市内へ復帰し、勤めるようになりました。そうして焼跡を借って菜園を作り、野菜食の研究をつづけました。原形では、せっ取量に限りがあるので、すり鉢ですり布でこして液汁として用いると多量にとれることが判りました。
そうして毎朝出勤前飲用することにいたしました。昭和28年電気ミキサーを買い本格的になり、家族達も皆飲用するようになりました。昭和31年ふとしたことから遠藤先生が学問的に体系づけておられ、更に勇断を以て市販をすすめられている話をきき勇気百倍し、青汁に対しいよいよその効果への確信をいだくようになりました。
昭和32年玉島市の畑野耕男先生の紹介で岡山より木村氏が徳島市へ来られ青汁の市販を開始され、方々の病弱者の救済にてい身されています。何分未開拓の事業で販路も少く、採算上のご苦労も並たいていでないと頭の下る思いです。ふり返ってみますと私の野菜食研究も10年近くなりました。頑固であった下痢症状、不眠症、風邪ひきぐせ等々はいつの間にかうすらぎ、ますます健康への自身を深めている次第であります。一層の御指導をいただき一生の事業にますます研究を新にし、自他共に明るい健康社会を築き上げたいと念願しています。
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10. ネフローゼ児
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東京都 E.K.
お蔭様で、発病後(小学2、ネフローゼ)今日で40日間、毎朝食後1合の青汁を飲用致して居ります。
二木先生の御指示を仰ぎ玄米、菜食、無塩、無糖の食療法を併用し、経過非常に良好で、日に日に目に見えて全身の浮腫が引き、さしもの難病(病院でも、二木先生からも、助からない病気と聞かされました)も3週間で殆ど全快と思われる程の身体つきとなり、その後まだ蛋白がいくらか下りて居りますが至って元気でおります。
発病後十日目位に病院で診ていただきましたら、衰弱が甚しいから、入院して徹底した食療法をしないと結核になる、と入院をすすめられましたが、お断りして、ただ玄米正食と青汁の飲用を実行いたしましたがその両用が如何に効果的であったかが実証されまして今更の如く驚き且つ喜び感謝いたして居ります。
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11. 歯痛と青汁
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京都市 H.E.
親戚の子供達が、虫歯が時々痛んで困っていたのが、青汁を始めて、皆殆ど痛まぬようになりました。
京大教授K先生、血圧は普通ですが眩暈がして心配されて居ましたが、青汁を始められてすっかり良くなられました。
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12. 青汁で菜毒症
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広島県 Y.O.
一昨年8月に私共の同窓会の為、大妻校長先生に広島へ来て頂きました其時、一同に青汁をのみなさいと申されましたので、昨年8月まで続けて頂いて居りましたところ、大変気持もよく、血圧も下り肩こりもなくなり、血色もよくなりまして喜んで居りましたが、急にせきが烈しく出ますので医師の診療を受けましたら菜毒症だといわれ、入院いたしまして十二指腸虫を除いてもらいました。
(32、1、25日附通信より)
菜毒症というのは野菜の中毒みたいに聞える名前ですが、実は十二指腸虫によるものです。9月10月ごろに多いものですが、これは丁度その頃気候の条件が虫の為によいからです。青汁の材料は必ず清浄野菜にしましょう。
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13. 体重増加
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習志野市 H.N.
お蔭をいただき昨年10月より3ヶ月の間に1貫5百ほど体重が増加いたしました。柔道4段で18貫の体重でしたが、雑誌社のさし絵ならびに原稿を書く関係で運動不足から胃下垂となり13貫5百までやせて居りました。青汁の功徳にすっかり自信をとりもどしました。
(33、1、18通信より)
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14. 遠藤先生にお目にかかって
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堺 E.K.
今年の5月中旬、御来阪の遠藤先生に久しぶりにお目にかかりました。
ロマンスグレーの、長身の先生を想像しておりましたのに、少しもお変りないのです。
昭和10年頃の、大女医専の内科教授時代の先生、そして終戦後学会でお会いいたしました先生より、むしろお若くなられても、決して老けてはいらっしゃいません。黒い髪、艶のある皮膚、みんな昔の通り。青汁の御講義も聞きましたが、そのお話しぶりや、お声も若々しくてびっくりいたしました。目の前の先生ご自身に、青汁の効果を発見いたしました。
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15. 夏の飲物
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これからサイダー、ラムネやいろいろのジュース類アイスクリームなどの季節ですが、これらの中には、ズルチンやサッカリンなど有害な人工甘味や、有毒な色素で色をつけたものが少くありません。くれぐれも注意したいものと思います。
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16. 質問箱
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北海道 M.K.
問 ケールの管理
早速ケール種をまいてみましたら、ようやく生えて今では大きくなってケール汁をのめるようになりましたが、虫がたくさんついていて、のむ気持になれないのです。夏分でもケール汁のめるのでしょうか。またケールの管理方法をお教え下さい
答
ケールの汁夏でも冬でもいつでも飲めます。味がよいためか虫はよくつきます。しかし気持がよくないだけで別に毒にはなりません。よく洗ってつかえばよろしい。虫退治には、「こまめにとる」ことが一等ですが、害のない農薬ならかけてもよいでしょう。
宮崎県 M.H.
問 保存は?
調整後の保存は?服用時間(最適時間)は?
答
青汁は「生」が目的です。冷蔵すれば多少もちますが、なるべく調整後すぐ飲むようにして下さい。どうしても都合が悪ければ冷暗所におき、出来れば冷蔵庫に入れておいて下さい。電気冷蔵庫のように零下何度というほど冷すことが出来れば比較的変質いたしません。
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コラム紹介
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