健康と青汁タイトル小 <1958年5月15日発行 第21号>
 目次




1.療病講座 水虫

     医学博士 遠藤 仁郎 

     ぼつぼつ水虫の季節です。私もやったことがありますがまことにウットウしいもの。痒くなりだすと、とてもたまらなくなってしまう。たいてい夏のものですが冬にも出ます。そして炬燵や寝床でぬくもって来ると痒くなりだす。ことに最近はひどくふえたらしい。毎日のラジオや新聞でジャンジャン広告されているように、水虫薬の売れ行きはすごい勢で、以前の数倍にもなっているといいます。
     なんでもこの傾向は、ナイロン靴下が靴下界を牛耳りだしてからのことだそうで、薬屋とナイロン会社とが手を組んでいるんじゃないか、と冗談にいわれているほどだということです。これは、なるほど、根拠のないことでもなさそうです。水虫は一種のカビの寄生による皮膚病なので、温度と湿度が高ければ、その繁殖には都合がよろしい。そこで、夏分、水分の吸収のよくないナイロン靴下をはいていれば、えたりとばかり水虫のカビのはびこるのは、正に当然というものです。

     けれども、決して、それだけがその原因のすべてではありません。私は以前、年がら年中このために悩まされたものでしたが、その頃はいていたのは、水分をよく吸収してくれる木綿の靴下でした。今はナイロンにしていますが、ちっとも水虫は出ません。まえの私の食べ方は、穀肉の濃厚食に傾き、野菜が少く、菓子もよく食べていました。それが、緑葉食になり、青汁を飲むようになってから全然出なくなってしまいました。私のほかにも、多年の水虫から開放された青汁党の人は沢山あります。それは、ほかのバイ菌による病気の場合と同じく、穀・肉・糖に傾いた不完全食(熱量や蛋白質は多いが、ビタミンやミネラルの不足している)では、抵抗力が弱く、からだの方に、バイ菌やカビの寄生に都合のよい条件がそなわるからであり、緑葉食になり、青汁を飲めば、栄養が完全になり、からだの抵抗力が増して来て、バイ菌やカビを寄せつけないようになるからです。

     水虫のために手を焼いている方々は、ともかく、一度、平素の食習をふりかえってみることです。そして、もし間ちがっているようでしたら、私のように完全食になおし、あるいはせめて青汁をしっかりやってみてごらんなさい。からだ全体の調子はもとより、きっと、まもなく、水虫のウットウしさも忘れてしまうことでしょう。売り出されている水虫薬は、どれでも、効くことは確かに効きます。けれども、結局は、その時凌ぎの間に合わせにすぎず、原因になるカビは何処にでもいるのですから、からだの方の条件を無くしない限り、すぐにまた元通りになるのは必定です。ですから、水虫の悩みから完全に免れるためには、いたずらに薬ばかり追っかけまわすこともなく、もっと根本的に、バイ菌やカビの嫌うようなからだになることです。



2.胸上小学校の青汁給食成績

     児島郡胸上小学校では、昨(昭和32)年度から、学校で青汁給食を実施しているが、同年11月に調査された成績が、同校熊修先生によって発表された。同校の青汁は児童一人当りケール約50グラム。

    体重

    1年生69名の調査では、飲用児と非飲用児の飲用前(4月)の差は、

      男児0.6キロ(飲用児18.3、非飲用児17.7)、
      女児0.7キロ(仝じく18.3と17.6)
    であったが、飲用後(11月)
      男児1.2キロ(飲19.8、非18.6)、
      女児1.4キロ(仝19.6,18.2)。

    全校では、非飲用児の増加を100として、飲用児は男児167、女児216、平均182。なお7〜9月の3ヶ月の増加は、全校で非飲用児0.22キロに対し、飲用児は0.52キロ、実に2.36倍の増加を示している。


    身長
    1年生69名では飲用前(4月)の差は
      男児0.3センチ(飲110.1、非109.8)、
      女児0.4センチ(飲109.3、非108.9)
    であったが、飲用後(11月)には、
      男児0.4センチ(飲115.3、非114.9)、
      女児0.5センチ(飲113.4、非112.9)。

    全校では、非飲用児の増加を100として、飲用男児102、女児103。


    諸効果
    4月から継続飲用児71名についての調査では、
      食欲の進むようになったもの…………42名、否9名。
      便秘下痢をしなくなったもの…………31名、否4名。
      よく眠れるようになったもの…………39名、否5名。
      腹痛が少くなったもの…………………26名、否9名。
      頭痛が少くなったもの…………………28名、否6名。
      皮膚、爪、髪の色がよくなったもの…31名、否7名。
      虫歯の痛みが少くなったもの…………24名、否11名。
      運動の疲れがすぐとれるもの…………37名、否8名。
      感冒にかかりにくくなったもの………36名、否11名。
      感冒に罹っても早くなおるもの………37名、否5名。
      外傷化膿の恢復が早いもの……………21名、否10名。
      偏食がなくなったもの…………………33名、否12名。
      ひきつけなどがなくなったもの………15名、否6名。
      夏やせをしないもの……………………35名、否7名。
      記憶力がよくなったもの………………13名、否12名。
      鼻血鼻汁を出さなくなったもの………20名、否13名。

    流感罹患率
    4月からの飲用児70名では29名、(41%)、6月からの飲用児89名では39名(44%)罹患しただけであったが、非飲用児237名では132名(56%)が罹患した。



3.玄米粉食

    豊中市 I.N. 

     最近私の田舎、奈良市の山奥僻田舎の伯父をたずねましたが、「青汁は富国の汁」と感激している伯父だけに、90才夫妻は、その長男65才ともどもに青汁礼讃。お蔭で若返った顔や手の「しわ」が伸びたと生々した溌剌さであって、誠にうれしく思いました。
     その節、食改良の話に花が咲いて、玄米飯の代りに玄米の粉食と申しますか、玄米の粉末をつくって、毎食味噌汁又は粥の汁の熱いので、葛湯の方法で糊状にして、茶呑茶碗に3杯。約1合5勺(粉末)と副食物。即ち白米の代りに玄米粉を食っている訳になります。
     糠、胚芽等のビタミン、ミネラル、カルシウム摂取を考えたことになり、玄米飯の「すい飯」の繁を簡易化したとのこと。腹持ちが仲々よくて、胃膓の負担を軽減し、完全食になる。しかも青汁は常の通りに用いていると申し、先生の御教示を乞いたいと希望しておりました。また小麦粉についても、田舎産そのままを粉末にして使用して、市販のパンと比較してよいと思われます。(33・2・4通信より)


     実に羨しいことです。これこそ理想的な食べ方というものでしょう。粉食で玄米の欠点はすべて除かれます。新鮮な純正食品ばかりの食餌は正に自然の恵みそのものです。小麦粉も同様です。副食品にも充分の注意を払われ青汁を励行されるならば、必ずや百才以上の長寿をえられることでしょう。



4.青汁のおいたち(6)
特集ありクリック  ・ 前号参照クリック

     医学博士 遠藤 仁郎 

    ゴタゴタ1年

     正しい成長のためには内蔵する病根は除かれねばならず、撓められぬ枝は切りとられねばならぬ、と断を下してみて悟ったことは、いかにも会の無力なこと。会や良心的な支部に加えられる悪宣伝や妨碍行為はやられ放題。施す術もない。かてて加えて、たまたま起った福山支部の内訌、かねてくすぶっていた商標問題をめぐって岡山支部の安井氏も除名される。介入した人物のためには、却ってかきまぜられるといった塩梅で、事態はいよいよ紛糾するばかり、約一年の間ゴタゴタがつづいた。

     会はもとより任意団体。紳士的善意的結びつきに於てこそ統制もとれるが、離反分子や悪質者に対しては全く無力の存在でしかない。いかにして善良支部をまもるか。これには当然特許と商標が問題になるのだが、何分にも、種も仕懸もない野菜のしぼり汁のこと、とても特許は覚束ない。商標は、普及会の話の出た当時、会のものとして安井氏が大表出願し、登録されたのがあり、各支部ともこれを使用していた。
     ところが安井氏は、会からの度々の督促にも拘らず、言を左右にし、あるいは「法人になれば」との条件をつけなどして、一向にわたそうとせぬ。会を法人にしたいことは創立当初からの希望でもあったので、この事件がきっかけとなって進行。32年2月の臨時総会で社団法人化を議決。手続は秀島氏に一任することとなった。

     この席上秀島氏は、「青汁の国民保健上の重要性から、同志として協力したい」と発言、大いに会員一同を感激させたものである。しかし、当局との折衝の結果報告されたところによれば、法人化のことはどこかへけしとんでしまって、「当局は会社の設立、しかも早急の実現を強く主張している」。そして、「普及会支部は禁止の直前にあり、それを救う途は信頼できる会社をつくり、これに抱容するほかない」。また、「会社では私の指示する通りの、よりよい製品を、より安くつくる。」いや、それどころか、「私の拘負するすべてを実現する場にしよう」というのである。

     総会における秀島氏の言では、「会の法人化についてはすでに当局の諒解ずみ」ということであったし、会の発足当時から示された当局の好意的態度に拘らず、何故にかくも事態が急変したか、理解に苦しむ―そこにどういう陰謀がたくまれていたか、当時としては知る由もなかった――所であるが。ともかく、「それで支部が助かるのであれば」と理事会も諒承。私は、いわるるままに、なけなしの財布をはたき、親類縁者から掻き集めたそこばくの金を、これに注ぎこみ、かくて、秀島氏を社長(私は顧問)とするグリンケールという株式会社がでっち上げられた。会社設立の陰の人渡辺翁や秀島氏らは、初め、「支部は株主にする」との構想を示されたのであったが、これも後に、やはり当局の意向によるとかで、たち消え、代理店として契約加入することになっていた。


    普及会解散

     しかし、5月の総会では従来の「普及会」を解散し新たに、緑葉食青汁の普及のみを目的とする「青汁の会」を結成すると決っただけで、支部の問題は結論に達せず、後の話しあいに俟つことになった。それは、あらかじめ会社側から提出された契約条件が、余りにも一方的であり、また苛酷であったためであった。その後会社側は、何故か支部の合流を拒否し、懇談を希望した私の提案に対しても、「もはや妥協の余地なし」と回答する始末であり、しかも裏面では、めぼしい支部の引抜きや、除名支部の抱込みを策するなど、不可解極まる暗躍もあった。ために、支部の態度は硬化、会社への合流を潔よしとせず、有志を以て協同組合を組織し、会の精神を遵守し、あくまで「遠藤青汁」を護持するの決意を明にした。

     私は会社に対し、「会社はもともと真面目な支部をいかすためのものである。従って、それを除外したり、不純分子を抱き込もうとするがごときは、設立の趣旨目的と全く背馳するもので、かくてはもはや会社を存続する意味のない旨を強調。解散を要求したが、いれられず、逆に、「しからば会社を買いとるか、さもなくば会社は会社独自の行動をとる。」との理不尽なる決議をおっかぶせられた。そして、再三の交渉にもさらに誠意を示さぬばかりか、果ては青汁とはおよそ似ても似つかぬ「ケール」なる得体の知れぬ着色合成飲料の発売を始めるにいたったので、ついに私も完全にこれと絶縁した(32・9)。


    青汁の会及び協同組合発足

     一方、「青汁の会」は7月末創立総会をあげ、従来の普及会から営業部門だけを除外した純粋な普及啓蒙運動機関として再発足し、「協同組合」は10月、法的手続を完了、完全な企業団体として新発足し、組合員は同時に「青汁の会」の支部をかね、その事業に協力することとなった。その間、従来態度のあいまいであったものはおのずと離脱したので、所謂自浄作用をなした結果となり、「遠藤青汁」護持の同志としての結束はいよいよ純粋なものとなり、また強固なものとなった。

     これより先、これらの問題の片づきかけた8月、安井氏はいよいよその本性を現わし、「商標は自分のものだ」と主張、若干の組合員を商標権侵害で告訴した。私も検察庁へよび出されたが、さいわい小野山、豊田両先生のご尽力により、間もなく無事落着した。こうして、ようやく1年ぶりに落つきをとりもどした「青汁の会」と「協同組合」とは、互に表裏一体となり、緑葉食青汁の普及に挺身すべく誓い合っている次第である。もっとも、あの手この手の妨碍はいまだに跡を断たないが。


    結び

     青葉、青汁といい出してかれこれ15年。思えば随分といろいろのことがあった。随分多くの方のお世話になり、ご迷惑もかけた。これらの方々に対し、心からなるお礼とお詫びを申しあげ併せて一層のご協力とご支援をお願いいたしたい。また、多くの人に利用され、裏切られ、だまされもした。癪にはさわるが、所詮は身から出た錆だし、それはそれなりに何がしか役に立ってもらえているのだから、やはり感謝はせねばなるまい。とまれそのみちは決して平坦ではなかったが、幸い多くの同志の力ぞえによって、たどたどしい足どりながらここまで来た。まことに有難いことである。(33・3)



5.倉敷玉島訪問記(2)
前号参照クリック

    豊中市 I.N. 

    グリンジュース製造
     田辺氏の青汁工場を、遠藤先生の案内で内部を、洗浄槽、ミンチ、プレス、壜詰と周囲の壁面に清浄と衛生の警句もいかめしく、先ず手を洗い、マスクを用いと峻厳そのもので処理せられる情景をうかがえるのであった。
     カロチン藷に舌鼓を打って夕闇せまる頃ケール畑に急勾配の山畑に向った。数丁で山の嶺のケール畑に達した。地肌は花崗岩の分解した砂質土で、有機質に富んだ堆肥が土からはみ出ていたのは頼母しい限りである。畑にはポルトガル種とツリー種は交錯栽培せられ、剰え田辺氏発明の調味料としての燕麦の間作からレープの交ぜ植。今は昔の語り草英国トゲナシアカシアは畦の外で淋しき面影。六反歩に余る圃場は田辺氏理想の青汁供給一貫作業で年中自家産材料で数百人の愛用者に供給するほか、四国、大阪へと原葉の供給さえ引受けている趣である。

     これは往年悩んだ田辺氏自身の苦い胃潰瘍を救われた謝恩の犠牲的精神から発する救世軍ならではの感を深くした。日足短い秋の日は見る見る暮れてトップリと足許さえ覚束なく、道中青汁の製造に、その経営に、栽培に彼の苦心談は尽きざる中に田辺氏宅に着き、レープの苗の分譲を受け、倉敷の遠藤先生邸に引揚げたのであった。
     先生の家族的晩さんに御夫人の御用意特に私に対し糖尿食の実地指導で、実に慈父の愛に感銘の外なかった。食後スライドに、写真に西小学校貝原先生の苦心談市販の青汁協同組合の経緯等、夜の更けるを忘れて御指導であった。旅館池田屋を紹介せられて投じて又一驚、女中さんが青汁愛飲者。その普及はスバラシイ。

    西小学校へ
     11日9時西小学校に貝原先生を訪ねて、全校職員児童、PTA会員を通じて毎日原葉20貫を原料とした青汁は約5百人分以上に及ぶとの事。実に7ヶ年の経験の実績である。先生の意気は国民保健運動の一環として推賞すべきものであるとの信念で、学童を通じいろいろの統計を以て、斯道に貢献せられ、日々全国よりの視察団体多く、その応接に遑なき有様。給食室に案内せられ、青汁の製造工程から、給食の実况を視察して、何れもカメラに納めて辞去した。牛乳屋の妻君も飲むケールの青汁。天寿を完うする為の完全食には青汁は不可欠であるとは先生の結びの言葉であった。



6.38年間の神経痛

    奈良市 R.Y. 

     私は当年88です。50才前後から神経痛に苦しみました。此度遠藤先生の青汁で一生不治の病と諦めていた処、38年間の難病が全治しました。つづけてから今日で3ヶ月(1日の量1合)、便秘、眼のかすみ、手足のだるさなども同時に全治した。これは全く完全栄養で身体の健全で、抵抗力が強くなった故かと思います。これを毎日続けて居れば100才位の寿命は頂けるものかと確信して居ります。これは人間の病気を無くする方法ですから、第一、病院や薬屋のするラジオの宣伝、その他新聞雑誌に依る広告料の収入が激減するであろう。まず人助けの為に大いに宣伝しましょう。私は一般へ宣伝し、今この山村でも200人に及び、また奈良市長高橋正次さんへ余の実験談をしたが、仝氏は大いに共鳴せられた。今後青汁は「富国の汁」と言って欲しい。



7.胃痙攣

    山口市 G.N. 

     私の町に73才になる老婆があります。胃痙攣が持病で、長年毎月2、3回使を走らせて医師を招き注射をしてもらっていました。それが、ある奥様の紹介で4、5回私の宅に来ましたので、治療して上げましたが、私は、根治するには青汁を飲みなさいと教えました。それから2年半になりますが1回も起りません。青汁は主にヨモギ汁を飲んでおるとのことです。(33・2・14通信)

    付記 胃痙攣というのは多くは胆石症ですが、確に青汁はよいようです。(遠藤)



8.詩 緑の葉

    志波 S.S. 

     天と地の恵みを受けて
     人類の繁栄はより明るい

     自然を忘却しては
     本当の幸は有り得ないから

     かって私は
     植物生存の哲理を無視して
     生命への教訓を忘れていた
     肉食の多き事が健康と考えていた私は
     太陽と土の必要性に
     はっと胸を打たれた頃には
     死の一歩手前であった

     私の鼓動は君達へ呼びかける

       少しの空地でもよい耕して
       風化した下肥を打ち
       陽当りの良い其場所に
       緑の葉の種子をお蒔きなさい
       地肌を割った双葉が
       青く大きくなってから
       その葉から 健康を恵んでおもらいなさい

     今わたしの前にあるケールの葉
     これは外国のキャベツ
     下から下から摘み取って
     きざんでは生食している
     勿論搾って青汁にしても飲む
     絶望の…………
     あの死の一歩手前であった恐怖は
     も早や私の生命を…………
     動揺さしてはいない
     爽やかな季節の朝のなかにいて
     ほほえみは此様に元気だといっている
     せめても少し早く
     自然に近い食生活をしていたらと
     ベットにいた
     長い空白が惜まれてならない
    (1955、6、22)



9.質問箱 ビタミンのとり過ぎ

    大阪市 M.Y. 


     大阪毎日2月4日の記事(ホームドクター欄)にビタミンA・Dの過剰症のことが出ています。私は、青汁によるビタミン類はいくら取っても、不必要な分はすべて排出され蓄積されることはないから、多くとればとる程よい。即ち量の多い事を心配することはない、と同時に、また反面毎日とらねばならん、と理解し説明も致しています。私の体験でも異常を感じたことは3ヶ年間かってありません。如何なものでしょうかおたずね申上ます。


     ご説の通り少しも心配はありません。なるほどAやDは、余りに大量をとれば過剰症がおこります。しかし、それは、普通の食物からはあり得ぬことで、大概高単位の薬剤の場合です。大量のAやDのはいった糖衣錠などを子供がお菓子と間ちがえて食べたとか、神経質な母親が無暗にビタミン剤を与えた、とかいうような時に限られています。
     またAでは、それは純粋のビタミンAの場合だけで、カロチン(プロビタミンこれはビタミンAの前階段のもので体内でビタミンAになる)ではいかに大量を与えても過剰症はおこりません。青汁の中のビタミンAはこのカロチンですから断じてその心配はありません。なお青葉の中にはDはありませんからこれまた問題になりません。B群やCなどは余分に貯蔵されることはなく、不要分はどんどん出てしまいますから、もとより過剰症をおこす懸念は全然ありません。少しもご心配なくどしどし飲んで下さい。



コラム紹介

    大食家早く定量食べて死ぬ(川柳)








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