健康と青汁タイトル小  <1957年11月25日発行 第16号>
 目次



1.アレルギー体質

     医学博士 遠藤 仁郎 

     アレルギー体質とは正しく定義することは仲々むつかしいのですが、まあ、食物や薬品、毒虫や毒草その他のものにあたったり、かぶれたりしやすい、といった異常反応をしめす体質(特異体質)とでもしておきましょう。名前のように一つの体質には相違ありませんが、生れついた性質とばかりはいえません。恐らく生れつきの素質のある所へ、外界からの色々の刺戟が働いて、感作され、異常の反応をおこすようになるものと考えられます。
     それには、環境(気候や風土)に関係したものとか精神的のもの、その他がありますが、食物の影響も少くありません。何かを食ってジンマシンが出るとか、下痢するとか、喘息がおこるとかいうのもそれです。これは食品そのものが直接の原因になるものです(こういうものをアレルゲン性食品といいます)が、その他アレルギー体質をつくることにも関係します。

     その一つは、食物が全体として不完全栄養になっている場合で、その為に神経の興奮性が変化したり、あるいは不完全な代謝のためにできる有害物が、大切な臓器の働きをいためなどして、異常反応の下地をつくるようになります。たとえばカルシウムが不足すると神経の興奮性がたかまりますし、肝臓などが侵されると、体内の解毒が充分うまく行かぬ為に何かと感じやすくなり、アレルギー反応をおこしやすくなります。又飲食物によって色々の毒物が摂り入れられて、直接または間接に、同じ結果を招くことも考えられます。この問題は近頃やかましく注意されて来ましたが、全くやりきれぬ思いのするものです。このことは、最も安全な筈の自然の産物である農作物でさえ、今では農薬(随分劇しい毒薬があります)の洗礼をうけていないものはない、という事実だけからでも思いやられましょう。
     店さきの野菜や肉類(獣鳥魚介)には、イキをよく見せる為の薬品や色素がまかれたり塗られています。新鮮なものさえそうなのです。まして加工食品や貯蔵食品ともなれば、ただそれだけ(加工、貯蔵)の為にも変質している(ビタミンやミネラルが減る)上にミエをよくする為(白く見せる為には漂白したり、蛍光剤を加えたり、化粧料を施したりします。また色をよくする為には色素が使われます)、保存をよくする為(防腐、防虫剤)、軟くする為(軟化剤)、味をよくする為(安価に甘くする為の人工甘味料)などの目的で使われている薬品は実に夥しい数に上っており、学者によれば、恐らく数百種から千種にも及んでいるだろうといいます。実際、まさかこんな物には、と思う程の食品にまでは入っているのが実情です。しかも有害なものも決して少くはありません。

     その影響には、薬品を添加することで栄養価の落ちることと、薬そのものによる害毒とがあります。薬によっては、ビタミンを減らしたり無くしてしまうものもあり、またビタミンやミネラルの利用を悪くするものもあります。薬そのものの害では、直接有害なものの使用は勿論禁止されていますし、保健所あたりで監視をしている筈です(尤も、儲けさえすればといった当今の商人はそんなことなど一向頓着してくれませんから、少しも安心はなりません)。けれども、極く少量で直接には害のない程度のものは許されています。所が、実はこれが却って危いのです。というのは、無害とされている微量でも長い間には、積り積って恐しい害をすることが無いとは限らぬからです。
     人造バタの色つけに使われるバタ黄という色素で肝臓癌ができたり、無害だとして家庭で調味料にも使われている人工甘味料のズルチンも、長い間には癌をつくると分ったことなどはそのよい例でしょう。詳しく調べたらまだまだそうしたものが沢山見つかるかも知れません。いやきっとあるに相違ありませんが、何しろ千種類もの薬品であってみれば、一一それを調べ上げるなどということはとても出来るものではありません。それだけに心配でならぬわけです。なおもう一つはここで問題になっているアレルギー性の反応の原因になる可能性もあることです。私ども医者の方では、薬によってよくカブれるものや、初め何ともなくても長く使っている内にカブれるようになるもののあることは、よく知られていますが、同じことが飲食品に入れられている薬品でも当然あってもよい筈です。所で医薬品の場合、その数は多いといってもそう沢山ではありませんし、反応をおこしやすいものは大概きまっていますから、すぐに見当がつきます。けれども飲食品の場合のように、恐しく多数のものが入り乱れて使われているのでは、どれが原因になっているのか一寸見当のつけようがありません。どうもこうしたことが、原因の分らぬアレルギー体質の原因になっているのではないかと考えたくなります。少くともそうでないとは絶対にいえぬと思います。

     いずれにしても食品によってアレルギー反応のおこること、あるいはそれを助けていることは間違ないようです。そこで特異体質の方々にすすめたいことは、原因となる食品を食べぬようにするか、極少しづつから慣らして行くことは申すまでもありませんが、その他にまず栄養を完全にすること、特にミネラル、ビタミンを充分に摂るように努める(緑葉食にし青汁を励行する)と共に、食品の撰び方に注意し、なるべく新鮮な自然物、または自然に近い状態のものをとるようにし貯蔵食品や加工食品は一切これをさけることです。
     たとえば米は玄米、または粗搗米。小麦粉は全穀粉、少くとも色の黒いもの。そして搗精または製粉後時間の経っていないものとし、漂白したり蛍光剤化粧剤を入れたものはさけること、肉や魚や卵、果物、野菜類はすべて所謂「地もの」の新しいものとし、乾物、塩蔵、罐詰、瓶詰など加工品貯蔵品はさけること。甘味料は粗糖、蜂蜜などとし、サッカリン、ズルチンなどの人工甘味料はさけ、塩味の味噌、漬物、佃煮などはなるべく自家製とし、酸味は果汁とするなど、つとめて純正品とし粗悪品はさけること。煙草、酒はもとより、菓子類や嗜好飲料(サイダー、カルピス、ジュース類)、乳酸菌飲料、氷菓子などには色素や人口甘味の入ったのが少くないから、特に注意することなど、まあいわば原始的な自然食に帰ることです。何分にも長い間に培われた体質の異常ですから、一朝一夕に根治できる筈はありません。しかしこの方針で、根気よく少しづつでも合理化する方向へ進むように努めておれば、遂には多年の悩みから解放されることも決して不可能ではないでしょう。青汁を励行し、食生活を改めるだけで完治した例もあります。食品撰択の上に更に細心の注意を払うならば一層効果は著しくなるに違いありません。


2.血液の浄化

    泉佐野市 O.S. 

    1. 平安なる生活
    2. 血液の浄化
    3. 血液を動かすこと

     平素の健康保持はこの3つは是非必要です。血液は如何に大切であるかは祖先より十分知っています。婚礼の第一は血筋を申します。一番大切な事なのですから。又血で血を争うという言葉もあります。その血の浄化は青汁以外にないでしょう。青汁の実行とその材料の効用など学びたく思っています。その3に於てちを動かすことです。あんま、マッサージ、指圧、吸圧、灸、散歩、体操、等これ皆大局に見て、血を動かすのが目的です。
     今まで何故にこの「平凡の真理」の青汁の実行はなかったのでしょう。私たちの目的は肉体の保存ではなく、「いのち」の永遠性を目的として生存をしています。肉体は衣であります。だから私たちも「いのち」をそのまま食べるべきです。加工(人工)されたるもの、生命より遠ざかりたるものは、病体となりて肉体に表現されて来ます。この意味で青汁は最も平凡な「いのち」の食物です。


3.玄米粉食と青汁で

    伊勢市 H.D. 

     穀物豆類等を粉食するという御高説はまことに結構と存じます。私も以前からこれを実行し、かつなおこれを研究している次第であります。私の経験いたしました最近の実例をお話し申上ましょう。

     本年2月末、伊勢市在住の25才の農家の青年が私の草庵を訪ねて参りまして次のことを申しました。

      「私は4年前より胃病及び胃下垂にて、日赤病院その他諸方のお医者さんにつき、あらゆる治療を受けましたが、何としても治りません。今もこのように腹に木綿を巻いて胃の下垂を防いでいますが、不健康のために色々と悩み続けています。何かこれに対して方法はありますまいか」

     とのたずねでございます。
     私は答えて、

       「それは真に御同情に堪えません。胃の下垂はそんなにいつも物で吊し上げていても、決して根本的には治るものでありません。吊すことをやめたら、また直に元の如くだらりと下ります。それに対しては私の云う通りを実行すれば必ず治ります。」

     と申しましたところ、青年は

       「私は今まで随分と多くのお医者さんにも診ていただきましたが、先生のように必ず治りますと断言していただいたのは始めてであります。先生の申されることなら何でも実行いたしますから、その御説を承りとうございます」、

     とのことでございました。そこで私は、

       「次の5つのこと、
        1、玄米飯。
        2、指圧。
        3、カルシウム。
        4、青汁。
        5、肉食卵食砂糖食の制限。
       これ等を実行すれば、胃下垂は必ず治ります」

     と答えましたところ、青年曰く、

       「実は私は玄米の効能あることに就きまして、先年私の尊敬する先生から承りまして、それで治ればと思い実行いたしましたがそれが為に胃は以前よりも益々悪化しました。それで折角ですが玄米はもうこりこりでございます」

     とのこと。私はこの青年に対し、

       「貴方は玄米飯をたいて実行したでしょう。」

     と申しましたら、

       「その通りであります。」

     とのこと。私は

       「玄米は一概に飯にたいて食べなくてもよろしい。玄米を粉にして食べることにすると、その食べる方法はいくらもある。あるいは玄米粉を煉って味噌汁に入れ、また餅とし、パンとし、コーヒーとし、スープとし、玄米茶とし、そば粉の如く練って食し、工夫をすれば方法は沢山あります」

     と答えましたら、大いに喜びまして、

       「それならまことに実行し易いことであります。必ずこれを実行いたしまして持病を直したいものでございます。」

     と、3月1日より実行を始めまして以来まだ1ヶ月半にしかなりませんが、多年の病気はめきめき快方に向いつつ、今は何等の苦痛を訴えることなく、全然生れ変った如く血色もよくなり、疲労もなくなり便通もよく、加うるに従来の頭痛、皮膚病、尿後の不快、不熟眠等は全部治癒しました。


4. 青汁のおいたち

     医学博士 遠藤 仁郎 


    まえがき

     かねがね青汁の会の同志のものから、青汁のおいたちといったものを書いたら、といわれていたが、私は、まだその時期でない。そういうものは死ぬまえに書くものだ、などと冗談をいって澄していた。ところが、お膝元の一青汁業者(もと私どもの会の仲間であったが、好ましくない行為がたび重なるので除名された)が、青汁の創始は自分だ、とうそぶいているという噂を聞いた。(そういうことがあったので、早く書け、ともいわれていたのだろう)。もとよりこれは歯牙にかけるまでもないので、ただ一笑に附ていた。が、こんどは、人間医学社の大浦氏が、「大法輪」という月刊誌の10月号に、「青汁回生法」というのを載せられたが、その中で、青汁のはじまりについて、思いちがいされているらしいことを書かれていられるので、不本意ながら、どうしても真相を誌しておかねばならぬことになった。ただし、詳しいことは、とてもにわかには書きかねるので、ここにはあらましだけにとどめる。


    生葉汁は昔からあった

     さて、そのまえに、ちょっと述べておきたいことは生葉の汁の応用は決して新しいことではないということである。拙著「緑葉食・青汁の話」の附録に載せておるように、搗汁、擣汁、杵汁などという名称で、医心方という今から約950年も前に出た現存の日本最古の医書(丹波康頼撰)にもかなり出ているし、漢医方の集大成である本草綱目(明の李時珍著)には、驚く程沢山の例がのせてある。このように、生葉の汁は昔からあり(おそらく盛に)応用されていたもの、と思われるが、いつの間にか忘れられていた。それを、最近になって、また思い出して応用し、現在の知識で出来る範囲の科学的説明をした、というまでのことで、決して何も新しい発明でも発見でもない。


    生菜果汁療法とのちがい

     ただし、私のいう「青汁」は、これまでいわれていた「野菜果物汁療法」とはちがう。このことも大事なことなので、ついでに申し上げておきたい。今から3、40年まえ、西洋では「生(菜果)食療法」ということが大変流行した。生の野菜や果物を治療的に応用したもので、色々の病気に、すぐれた効果が認められた。もとはそのまま食べたのだが、やがて、汁にすることもはじめられ、「液状菜食」として賞用された。戦後はいって来たハウザー食も、それである。
     しかし、これらは、すべて、野菜や果物を「なま」のまま食べるというだけで、別に材料については注文はつけていない。(大浦氏や西氏その他の民間療法家のいわれていた生食療法も同じ)。けれども、私のいうのは「緑の葉」でなければならない。「いき」のよい緑の葉(草でも木の葉でもよろしい)をうんと食い、しかも、なるべく生で食べよう(緑葉食)、また、汁にしても飲もう(青汁、ほんとうに青い汁)というのである。そして材料は、ただ緑の葉であれば何でもよいのではなく、なるべくビタミンの多い、そして吸収されやすいカルシウムにも富んでいるもの、と限定されているのであって、これ(質のよい緑の薬に限られていること)が、これまでの生(野菜果物)食、あるいは生(菜果)汁とは根本的にちがう所である。


    栄養の完全化

     なぜかと申せば、私の緑葉食、青汁の第一のねらいが栄養の完全化にあるからである。拙著にも、また本紙にもたびたび述べているようにこれまでの私どもの習慣食には、熱量は充分であり、蛋白質もさまで不足はしていないが、それらに釣り合わねばならぬミネラル(ことにカルシウム)やビタミン類は、ひどく不足している。そのために、私どもの体格、体質が劣り、健康状態はすぐれず、早く老衰するようになっている。この欠陥をなおすには、ビタミン類や、吸収されやすいカルシウムに富む緑葉類に越したものはなく、その生食ほど大切なものはないのであって、青汁はそれを可能にする最も簡便な方法なのである。つまり、緑葉食は、私どもの栄養を完全にする一方便であり、青汁は実行しにくい緑葉食を容易にする一方便である。


    生きた力

     しかし、緑葉の生食(青汁)の効用は、決してそれだけに止るものではない。生の緑葉のビタミンやミネラルは、それが、ただ豊富にあるだけではなくて、生きた形、つまり「酵素」として存在する。この酵素は、体内の代謝に触媒としてはたらく大切な成分で、いわば生命のもとである。(しかし、巷間に売出されている所謂「○○酵素」といわれているものとは全く別のもの)。その他葉緑素をはじめ、数多くの有効成分(科学的に知られているものもあれば、まだ知られていないものも沢山あると想像される)がある。そこで、緑葉の生食(青汁)には、栄養の完全になることと、これら多数の要素との綜合効果が期待されるわけで(これが「生きた力」というものであろう)、これが青汁の著しい、時には神効ともいうべき程の効果をあらわすもとであろうと考えられる。


    青汁のおいたち

     さて、この青汁がいかにして思い出されたかの本論にはいるが、その遠い間接の原因は、私の抱いていた「栄養学への疑問」であり近い直接の原因は、戦時中の「食糧難」であった。


      栄養学への疑問

       私どもが教えられた栄養学は、熱量はいくらいる、蛋白質はいくら、それも、なるべく良質の動物性でなければならぬ、というのであったから、どうしても御馳走をしっかり食べねばならぬことになる。ところで一方、昔から、このような「美食飽食は多病短命のもと」だといい、反対に、とても栄養がとれそうにもない「粗食少食は健康長寿のもと」だといわれている。野菜や果物の大切なこと、とくに、その生食のよいことはよく承知していた。
       また、応召中姫路の陸軍病院で読んだ、宮入先生の「食べ方問題」、「続食べ方問題」で、第一次世界大戦で、祖国を飢餓から救った丁抹のヒントヘーデの菜食政策や、肉や穀物が増配されてもよくならなかった健康状態が、ジャガイモによって目立ってよくなったというドイツのベルグの経験も読んだ。そして、病人の特配には肉や魚よりは、むしろ、野菜をすすめるようにしていたものだが、それでもまだ、どうしても、その理由が充分満足には納得できずにいた。こうして、この矛盾した事実は、私にとって実にながい間解決できぬ問題であった。


      食糧難

       戦局は日に日に苛烈となり、食料の窮乏はいよいよ甚しくなった。いかにしてこれを切りぬけるかは、闇買するだけの力のない私には、まことに切実な課題としてのしかかり、四六時中脳裡を去ることはなかった。


    緑の葉!

     その時、ふと。それは忘れもせぬ、昭和18年10月20日の朝、便所の中でのことであった。「ああそうだ。ある、ある!葉だ、緑の葉だ!野菜の葉が、野草の葉が、樹木の葉が、いくらでも、無尽蔵にそこいらにあるではないか!」


    緑葉末油煉

     当時私は伏見の桃山に住んでいた。長岡越中という所でその昔、長岡越中の守の邸があった所だそうだ。あたりは一面の大根畠。畠には大根葉が沢山切り捨ててある。その日から家内も、坊主も、私も、その葉を拾い集めた。(まるで乞食に見えたことだろう。けれども、私どもにしてみれば、一本の大根が3家庭に分けて配給される、といったきびしい食糧難の時節に、これほどすぐれた食糧が、顧みられないままで捨てられているのは、余りにも勿体なくもあり、また慨かわしくもあった)。
     熱湯にちょっと浸して乾燥し、田舎から持って来ていた石臼で粉にした。大根葉だけではない。甘藷の葉、里芋の葉、大豆の葉、陰元豆の葉、南京豆の葉、蕗の葉、牛旁の葉、茄子の葉、樫の葉まで、およそ手に入るものは何でも利用した。ちょっと炒り、油を浸みこます、仲々おいしい。からだの調子もよろしい。緑葉末油煉と名づけた。
     1ヶ月経ったものを、大阪市立生活科学研究所で調べてもらったら、ビタミンCがかなり残っていた。これは面白い思いつきだと盛に吹聴した。病院(大阪市外守口の大阪女子医専附属病院)では、内科の諸君が、「遠藤教授提唱、新栄養食糧『緑葉末油煉』の作り方」というガリ刷をつくって、配布してくれた。新聞社へも報らせた。大阪新聞がとりあげて記事にしたので、かなりの問い合せがあり、わざわざ見に来た人もあった。町内の廃物利用展に出品して賞められたのも愉快な思い出だ。


    緑葉の優秀性

     文献はいろいろ漁ってみた。そして、その年の大晦日の夜半(この日私は当直で病院に泊っていた)、マッカラム氏著の「栄養新説」が、ついに私の多年の疑問を解いてくれた。そこには、緑葉の優秀性ミネラルやビタミン類が豊富にあるばかりではない。蛋白質も非常にすぐれており、動物のそれに匹敵するものであること、所謂養護食品の随一であり、他の不完全な食品の欠陥を補う能力の著しいこと、などが書かれてあった。ようやく求めていたものに行きあたったわけである。野菜でよいのは結局緑葉だけで、それに比べれば、他の野菜も果物もずっと劣っていること、「野菜がよい」という成績は、すべて「緑葉」での実験の結果であること、しかも、同じ緑葉でも、色の淡いものは駄目であり、色は濃くてもホウレンソウはカルシウムが利用されぬから、これも余りよくないこと、また緑葉はそれ自体が栄養的に完全な食品であるだけでなく、その豊富なビタミンやミネラルによって栄養素の体内利用をよくするため、熱量や蛋白質の必要量が節約されることもわかった。
     だから野菜(緑葉)を充分に食べれば(即ち粗食すれば)少食ですむわけだしそれだけに健康でもあり、長生きも出来る筈である。そして、反対に美食では、うんと食べねばからだがもたず、それだけに健康を損ねやすく、なが持ちもしにくい理由もよく納得できた。つまり、栄養学が科学したところが、ながい経験から知られた事実と全く一致した。
     「これでよいのだ。これこそ絶対に間違のない真理だ!」と私は雀躍りした。これまで、一口に野菜・果物といっていたのがいけなかったのだ。「野菜」とだけいえば、誰でも、食べよい軟いものを食べようとする。たとえば大根では根だけたべて葉は捨ててしまう。ここをはっきりさせなかった所に、今までの誤りの因があったのだ。ともかく葉だ。緑の葉だ。どうでも色の濃い質のよい菜っ葉でなければならぬ。ここまで来れば、次の1とび―同じことなら「なま」で、といって仲々充分には食べられぬから、いっそのこと汁にでもして飲もう(そうすれば楽に大量の野菜が食べられるわけ)、という所まで発展するのは当然であり、またいとも簡単なことである。


    青汁への飛躍

     昭和19年の春、家内が腎臓炎でねこみ、中学へ進んだばかりの坊主が風邪をこじらせて肺炎になった。家の横の空地にミツバのみずみずしい若葉がおい繁っているのを見かけた時、「こいつを汁にしよう」と考え、すぐに飲ませた。手伝に来てくれていた看護婦の戸石君(当時内科の主任。今は和歌山県御坊市在住)が、「これをですか?」と、いかにもけげん相な顔をして、摺鉢でゴシゴシやっていた姿は、今もありありと目に浮ぶ。
     毎日1−2合づつ飲ませて、肺炎は極めて順調に経過し、間もなく通学できるようになった。これが、私の青汁患者第一号である。次で、家内も飲み出した。それまでも随分大量の菜っ葉を食べてはいたが、その上に飲んだ小松菜(菜園につくっていた)の青汁がとてもよかったようだ。これも、毎日欠かさず1−2合、多い時は3合以上も飲んだであろう。やがて治った。これが第二号。(この間の家内の食べ方は、芋類小麦粉などを主食とし、大量の緑葉菜を添えた無塩食で、この経験は、後の私の緑葉食の概念の発展に大きな影響を与え、また、その基本となったものである)
     病院では、以前から毎週一度雑誌の抄読会をやっていた。緑葉食については、かねてから話していたが、ある日「青汁の活用は、病人食に不足しがちなビタミンやミネラルの補給法として最適なものと思う、と子供や家内のことを物語ったことから、病院での青汁熱は急にたかまり、多くの貴いまた素晴しい経験が次々に得られた。そこで、これまでの経験を次の3つの論文にまとめた。その第一は「緑葉食油煉」(昭20、1)これは「戦時医学」に掲載された。第二は「緑葉の利用に就て」(昭20、2)で、邦食の改善には緑葉の利用にまさるものはないことを強調した。「綜合医学」に出ている。そして第三は「緑葉療法」(昭20、3)これには病人食を合理化に完全にするためには、原則として、主食に対し約3倍量の緑葉が必要であること。常に若干量は生食すべきこと、生鮮緑葉の生食がこの療法の眼目であり、多量である程よいこと、最少限100瓦を「搾り汁」として用うべきこと、少量の油を入れて青臭味が減り飲み易くなること、などが記されている。この論文はガリ版刷として少数の知人に配布しただけで、ついに発表の機会を得ず、いまだに机の引出しの底にねむっている。
     その頃の呼び名は、私の家では「青汁」(これは家内がつけた)、病院ではドイツ語のグリン・ザフト(緑の汁)が通称であったが、その他「青汁」、「草汁」、「すり餌」などとまちまちであった。なお材料には、清浄野菜はないので、一般の野菜、野草、樹葉などいろいろとり集め、出来るだけ丁寧に洗って使っていた。参考までに、上記「緑葉療法」にある一節を掲げてみよう。「勿論、伝染病、寄生虫感染の危険を考慮しなければならぬ。生産方面に於ける然るべき措置、或は適当なる消毒法が望ましいが、差しあたり糞便汚染の懼れなき山野の緑葉を用いることも一策であらう」。


    倉敷轉勤

     倉敷へ転勤したのは昭和20年の3月下旬。話のあった時、院長に、「私は妙なことをやりますよ」と承認ずみであったから、青汁は私の表看板。患者ごとにすすめてみた。しかし、ここでは、大阪とはちょっと様子がちがっていた。何分にも、牛や山羊のまねをしろ、というのであるから、余りにも奇嬌と思われたのであろう。小馬鹿にして仲々素直にはうけ入れてもらえぬ。実行したのは二−三の結核患者位のものであった。今のようなよい薬のなかった当時のことだから、所謂「藁でもつかむ」といった心理からだったのであろう。けれども、やっと落つきかけた5月の初、3度目の赤紙が来て、まもなく応召してしまった。


    駐屯地で

     私の配属された部隊は、平均年齢42才という老人部隊で、病人が多いのであるが、支給されている医薬は戦闘にならねば手をつけるわけに行かない。町の薬屋には、もう、ろくなものは残っていない。幸い山の中であったから毎日草や木の葉を採って来させ、青汁をつくって飲ませた。(相当多量なので民家の餅搗臼で搗いてつくった)兵隊には、私のいいつけは天皇陛下の御命令なのだから、ぐずぐずはいわぬ。真面目に飲むから面白い程の効果が出る。(地方人から、薬草を食っている兵隊と評判されたほどである)伝え聞いて、地方の人たちももらいに来た。そして家でつくって飲む人もだんだんふえた。学校や婦人会や部落会などから頼まれて講演もした。
     こうして、9月下旬帰還するまでの経験は、とてもよそでは得られぬものであったと思う。(この意味で召集になったことは大変なプラスであったというべきであろう)。駐屯地は熊本県の人吉であったから、あの地方には、当時のことをまだ憶えていられる人も少くないと思う。


    終戦時の誓い

     やがて終戦。敗色は日に日に濃くなってはいたが、それでも尚、本土作戦に最後の勝利を信じさせられていた私たちにとって、これ程悲しいことはなかった。しかし、今度こそは、どうしても死なねばなるまいと覚悟していただけに、この時ほど嬉しいことはなかった。その喜びが大きかっただけに、大陸に、南方に、また広島に、非業の最後を遂げた多くの戦友の無念さを思うにつけ、生き残った私どもに課せられた責任の、いかに重大であるかを思わずにはいられなかった。
     この惨憺たる敗戦の原因は何であろうか。資源の乏しさもあったろう。科学の遅れもあったであろう。けれどさらに大きい、より根本的のものはわが国民全体の身体的、精神的頽廃−不健康ではなかっただろうか。しかもそれは国民栄養の過誤に由来しているのだ。真の健康なくしては、ほんとうの日本再建はあり得ない。何は措いても先ず栄養の改善だ。そして、その唯一の途はこれだ!日本を救うものは緑葉食、青汁のほかにない。この普及は死ぬべくして生きることを許された私に与えられた使命ではないだろうか。そうだ。これがためにすべてを捧げよう!と、静まりかえった医務室で、独り心に誓ったことであった。
     毛唐どもの威張り散らされるのはいかにも口惜しい。奴等の顔は見るのも嫌だ。病院はやめて田舎の山の中にでも閉じ籠ろう。小屋がけでも穴居でもよい。そして病人を救うことから始めよう、などとも考えた。敗戦にあたっての私の感傷といえばそれまでだが、実際真剣にそう思い、そう決心した。そして、帰還後辞職を申出たが、橋本先生のおすすめにより、これを撤回し、病院にあってその実行を期することにした。


    帰院後


      実験

       帰院後すぐやったことは、昭和20年11月から12月の2ヶ月に亘り、動物性食品は一切これを除き、穀、芋、豆類を主食とし(高々配給米2合3勺に相当する)、緑葉菜を充分(900瓦)に添えた食餌による減食試験であった。これは、それまでの多くの減食実験が、いずれも従来の習慣食によったものであった(そして熱量1500カロリー以下では障碍を招くと結論されていた)のに対し、私の緑葉食と比較してみるのが目的であった。この試験で私は、1700−1500カロリー程度の食餌で、秋の農繁期の田園作業(少なくとも3000カロリーはいるとされている)を2週間、その後1500−1200程度で(1200といえば米300瓦葉菜900、食塩という食餌である)、日常診療業務に従事したが、体重減少(開始時55瓩、最低47瓩病院の人たちには随分心配をかけたようであったが)をみただけで、気分はいたってよく、仕事の能率は却って上るという好成績を得た。またその後に行った穀肉食(昭和21年12月)と穀菜食(昭和22年2月)の比較実験でも、さらに緑葉食、青汁の優秀性に自信を得ることができた。


      調査

       一般の食習についても調査しておく必要を感じたので、当時は医員も多く(復員した若い軍医が沢山来ていた)、病院は比較的ひまであったのを幸い、外来患者の一人一人について、詳しい食習の調査をした。そして予想通り、野菜ことに葉菜類の摂取の少いこと、従ってミネラルやビタミンの不足の甚しいことを明かにすることが出来た。


    古醫方の青汁

     かたわら、わが民間療法(冨士川博士著民間薬その他)や古医書(医心方、本草綱目)にあらわれた青汁(内用例のみ)について調査し、同三書及び水戸烈公の「食薬」などから緑葉食の例をあつめた(昭22)。これらは後に拙著「緑葉食青汁の話」に収録した。


      病院の研究会

       昭和21年4月の倉敷中央病院研究会で特別講演(恒例により着任早々やる筈であったが応召でのびていた)として「緑葉食について」という題下に、緑葉食青汁の理論と実際について、それまでに得た経験をもとにして発表した。この稿は同年9月発行の「最新医学」に掲載された。その中に「青汁」という項があるが、これはおそらく「青汁」という言葉が医学文献にのった最初であろうと思う。これを見て第一に共鳴して来られたのが人間医学社の大浦氏である。氏はもとの阪大教授片瀬博士の酸塩基平衡学説の尊奉者で、つとに菜食ことに生菜食療法を唱導されていたので、この「青汁」には特に興味をもたれたらしく、大いに協力してやりたいからどしどし投稿して欲しいとの申出がそえてあった。


    「一人でも多くの人に」

     というかねての念願から、私は喜んでそのもとめに応じ、「健康食に就て」という稿が同年末から翌々23年の夏まで、14、5回に亘って掲載されたのを手始めに、次々と緑葉食や青汁についての稿を送った。前記「古医方に現われた青汁」も送った。たしか昭和24年春だったと記憶しているが、大浦氏が人間医学者から、「青汁療法」というガリ版の冊子を出されているが、その第1頁「由来」の項に、「青汁療法は古く昔からあったもので(中略)内用外用ともに民間では植物の緑葉汁を用いる習慣があった。青汁療法の名称は、倉敷中央病院内科医長の遠藤仁郎博士の命名である。旬刊人間医学には殆んど毎号遠藤博士の研究報告が連載されている云々」とあるのは、その当時の、事情をよく伝えているが、実際それからの人間医学は青汁誌の観があったし、いまもそうである。(未完)

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5.自然の恵

    飯田市 M.W. 

     天然自然の恵に日夜感謝しつゝいる私であります。自然の恵を受けながら、この世に生をもつ人間が天然自然の栄養素を知らず、無智にも薬石効なしとこの世を去る人間界に、実に偉大なる緑葉食、青汁の栄養素を普及御指導下さる事、私も闘病生活上に生甲斐のある光明を見出し、感激に秘みつゝ青汁を続行致していますが、最近青汁の会発行の、青汁読本を愛読致し力強く健康への歩みを認識致しました。
     私も今後は一層健康への福音、青汁緑葉食を病弱に苦しむ、世の人におすゝめ申上げ、1日も早く協力者を募り、支部結成を見、本部との親睦を計りよりよき導きをはかりたく準備を致しております。従来私の青汁食は実行日も浅く、野菜のみにて、研究の余地も多々あります。然し乍ら最近体力がめきめき出て来た事は事実であります。


6.真理は平凡
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    京都府 R.O. 

     原水爆、ストマイ、ペニシリンの時代に、スリバチで青葉をすりつぶして飲む如何にも原始的なお説のように思いましたが、つづけている内に、真価がハッキリと判ってまいりました。真理は平凡だ。大自然の恵みは昔も今も、亦永久に不変である。すべての生物は大自然の恵みなくして生はあり得ない、ということを痛切に感じてまいりました。只、速効と人工的の美味が無い為に中絶なさる人が多いので残念ですが、世の為人の為にたゆまず普及しております。(32、4、13通信より)


7.ケールをまく

    東京都 K.H. 

     雨が晴れて太陽の顔をみるのも庭土をふむのも久しぶりである。私は今、思いがけず再び送っていただいたケールの種子をまいている。水気の多い黒い土面に、ポツポツポツ、56の種子が、赤黒く、ぐの目に列んで、渋い帯模様の様である。今度こそは立派なケールに育てなくては。祈りにもにた気持で一つ一つ土かけ終る。さあ、これでいい。たのしい私の日課が一つふえた。私は私にこう云いきかせつつ、母なる土にゆだねた安心感に、ほっとして、椽に腰をおろす。ひたいの汗をぬぐいつつはるかなる方の御厚志を、また生きて働くよろこびをしみじみと思う。


8.青汁を終生の事業に

    別府市 T.T. 

     21歳で肺炎になり、35歳で再発、45歳で高血圧になった私が、61歳の今日、人一倍の健康となったのは、野菜の生食と果物は皮付のまゝ、魚は頭骨尾などの全体食の賜でした。
     今回遠藤先生の学説を承り、自分の体験にピッタリあてはまりましたので、世のため人のため、不老長寿の仙薬とも云うべき青汁を、終生の事業として推進したいと思います。最近試験的に試みた知人の中に、今迄毎日有った便通が3日位いになりコロコロとした兎糞の如く臭味がなく然も快通感があり疲れを覚えなくなったと申しております。非常に健康者の体験です。


9.体力の源泉

    岡山県 Y.T. 

     如何に青汁が、何病に対しても大きな効果の有るものだと云う事が愛飲者にはよく了解されました。時々色々の事情で休んでいると体のだるさが一入です。私は何時も病気が2つ3つ重なっているのですが、青汁を続けると、又少し元気を取戻し自分の用事を致します。今暫らく助けていただきたいと存じます。副作用のない様祈っていますが、健康人と同じではとても頑張れっこございません。完全食を望んで止みません次第です。ビタミンもカルシウムもこれ以上、とぼしくならない様に続いて青汁をいただきたいものです。


10.家内中よろこぶ

    河内市 匿名 

     私長年の胃膓病又近頃では血圧も高くなり注射もいたしておりましたがいっこうに思わしくなく、前々より野菜の青汁をよいと進められましたが、家では長続せずやめておりましたが、近所の方へ青汁を配達しておられるのを見て、すぐにお願いし約3ヶ月になり、今では医院にも行かず、体重も「8百匁」もふえて家中皆喜びおります。又となりの方にも進め、今では元気になったと喜んでおられます。私の家でも、はじめはいやがっていたものも、今では皆牛乳とまぜてのんでおります。ますます研究なされて下されおねがいいたします。


11.質問箱


    虫卵の始末 福岡市 K.O.


     下肥のかからない青野菜はございませんので、蛔虫がこわくて生でのむは心配です。カルキで消毒するとにおいが悪く、よい方法がありませんか?木葉ならば蛔虫の心配はないでしょうが、どの木が食用によいものかどうかお知らせ下さい。


     虫の卵や仔虫を殺す薬は今のところありません。熱湯に入れるのが最も有効ですが、成分がこわれます。清浄野菜の栽培が何より望ましいわけです。木の葉、カキ、イチジク、アカシア(飼料用の)、マツ、カエデなど



    乾燥野菜 笠岡市 K.T.


     生野菜を低温乾燥したものを、野菜端境期に食用しても、その効果は幾分でもあるものでしょうか


     乾燥貯蔵することで壊れるもの(ビタミン類)以外は残っていますから、かなりの栄養価はあります。熱を加えて(にえ湯をくぐらせるとか蒸して)乾燥したものならば、一層よろしい。



    松葉 下関市 S.S.


     62才ですが、血圧が高いのでこの頃は青汁療法につとめておりますが、松葉汁も大変効果のある様なので、これも実施したいと存じますが、次のことをお教え下さい。一、赤松でないと効果が少いですか 一、松葉より汁をとるには如何いたしたらよいでしょうか 一、汁は1日何グラム位のみますか


     赤松の方が味がよろしい。黒松はヤニが強く刺戟になります。汁をとるにはスリバチか石臼で搗き、水を入れてとります。刺戟のない「飲みごろ」にうすめて5勺−1合のまれればよいでしょう。



    放射能の危険 伊勢市 K.H.


     最近放射能の雨がやかましく言われていますが、野菜や野草の放射能についてどうお考えでしょうか。


     放射能性物質のうち今一番問題になっているのは、半減期のながいストロンチウム90のようです。雨になって地中に浸みこみ、これを植物が吸収して葉にあつまる。どうも菜っ葉を食うのはあぶないように感じられます。が、ご安心下さい。つい先頃岡山で開かれた日本土壌肥料学会で、京大食研の葛西教授が発表されたところによると、水菜や菜種など菜っ葉類は菜豆や小麦、トウモロコシなどに比べると、ストロンチウムを吸収することがずっと少いそうです。
     しかも膓管の中がアルカリに富んでいるとストロンチウムの吸収は妨げられると申します。また燐酸の少いものをとるとストロンチウムの排泄がよくなると申します。ところで、食品のうちで野菜ことに緑葉類ほどアルカリに富んでおり、燐酸の少いものはありません。ですからこれをしっかり摂っておれば、他の食品からは入るストロンチウムも出てしまうわけです。


12.私の体験

    豊中市 I,N, 

     爾来90日毎日朝夕欠かさずコップ1杯乃至2杯を食前に愛用しております。材料は清浄野菜の供給がないので、山野の草木で、昨今は専ら柳、桑、葛、藤、イノコヅチ、ツユクサ、ドクダミ、ヨモギ、松葉、松の新芽、独活、枇杷を用いております。
     1回量の青葉の適量はと思いますが、濃い程、多い程よいとの御指導で、相当に多く使用します。ミキサーでミンチして、ガーゼで搾りますが、その搾粕の繊維は捨てております。時に玉葱1/4ヶを入れますが、少し辛味があります。家族のものにも勧めております。4才の孫も少し調味すればよろこんで飲用しております。

     私自身の体験としては、

    1. 皮膚の光沢を増し、すべすべと滑らかになった。
    2. 毎年夏になれば、足の指の間が湿って剥皮するのが、すべすべとして、湿潤と剥皮状態が全くない。
    3. 慢性の蓄膿で、年配で手術を控えておったのが、近頃鼻汁が少く、嗅覚が回復して来た。
    4. 顔面の色つやが良くなって、健康色となって、生活に生気を添えている。
    5. 胃膓は平素丈夫な方であるが、青汁の飲用によって一時も障害と思ったことはない。便通をよくすることは確かで便秘に好適、下痢なんか一切ありません。
    6. 老化防止に、特に退エイしつつある視力回復はテキ面。頭脳明セキに卓効あること、ビタミン、ミネラル以外に未知の因子の作用か。
    7. 体質によって違うか知らぬがジュウヤクや枇杷の葉を1回に多量用いても障害はない。
    8. 20年来の糖尿で、年12回顔面、首筋に小さな腫物が出るが、今年は後頭部に5月から2回目で、1回目は治癒に1ヶ月、第2回目は目下治療中です。青汁の効果を期待しておりますが、まだそれを自覚するに至らない。一面糖尿の治療は年中心掛けて目下服薬中、食餌についても相当心掛けておるが遺憾に思っております。
    9. 少くとも1ヶ年の経験を以て、他人様へお話し出来るだけの資料を得たいと念願して、友人知己をはじめ一般にお勧めしたい。
    10. 老化予防と銘打っての高価薬が随分売出されている今日、私も随分やってみましたが、一切を切替えて青汁の愛用によって、より以上の効果を体験しておることは、実にありがたいことであります。
    11. 1日も早く全人類がこの天与の霊薬を常用せられ、「健康は青汁から」、「青汁なくして健康なし」の世界にしたいものである。
    (32、6、22)


13.自家中毒児

    伊勢市 K.H. 

     あれ程(2年生は殆ど休みが多く、出席日数もたらず、3年生になれない位休みました)、1ヶ月に2、3回もおこしていました自家中毒が、今の所、忘れられた様に丈夫になり、4月より5月の方が体重表にも1キロの増加を見せ、また流感で近所の同級の子供2人(いつも遊びます子供達また学校でもならんでいます)も休みましたのに、学級閉鎖にもなりましたのに、家の子供だけが流感にもならず元気に学校に通っていました。流感も大分下火にはなった様ですが、まだまだ何とも言えませんけど、今まで弱い家の子供がうつらなかったというだけでも不思議な位でございます。これは全く青汁のお蔭と感謝致しております。(32、6、24附通信)

     7月20日 1学期の通報録をもらい、終業式も無事に済ませましたが、最後に子供もとうとう流感をもらってしまいました。夕方頃より頭痛を訴え、体温も夜になるにしたがって上昇、最高40度5分まで示し、痙攣までおこしましたが、クロマイ服用後には、翌日37度5分程度に下り、翌々日には平熱となり、それでおわりました。心配してました自家中毒の方も、高熱時のみ比較的軽度の嘔吐嘔気をともないましたが、熱が下ると同時に嘔気も消失し、流感としては割に軽くすんだのではないかと思っております。

     7月29日 日赤で子供も私も検便をしてもらいました。2人とも虫卵陰性。青汁は家のだけでは不足なので、八百屋さんの菜が主となっているにもかかわらず、虫卵(−)だったのは、よく洗いさえすれば回虫卵の方はそんなに苦にしなくてもよいと思いました。子供は本当に元気になりました。貝原先生の御本にも、自家中毒だったのが青汁で癒ったとありましたのに力を得、子供もその気になり、青汁はよくのんでくれました。そのせいだと思います。徹底的に家中でのみます様になってから、子供に一番効果がはっきり現われました。体重も夏まけどころか、4、5日前主人と入浴に行き、裸で測った体重が6月の体重(7月不明)より2キロもふえ、25キロだったそうです。身長ものびましたけど、それにしても2キロ体重がふえ、夏まけもせず、元気になったことはたしかです。(32、8、25附通信より)

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14.水道赤痢事件と青汁

     この夏8月の吉備水道の赤痢禍は罹患者2千名に上り3名の死亡者を出すといった大事件でした。しかも青汁協同組合の吉備支所は、その水を使っているのですから大変です。たとえ平素から青汁で鍛えてあるとはいっても、大量の赤痢菌を飲まされてはたまったものではありません。どうなる事かと一時は全く気が気でありませんでした。が幸に無事でした。
     そこで青汁の影響について調べてみたいと思い、吉備支所に依頼して、愛飲の方々(家庭でつくって飲んでいる方もありましょうがこれは連絡のつけようがありませんので)に照会状を出しました。
     いただけた回答は33通人数にして121名。うち青汁飲用は43名(男19名、女22名、記載なきもの2名)。異常のなかったもの39名。(90.5%)異常のあったものは、多少おかしかったもの1名(青汁は5勺づつ4月飲んでいた)。下痢したもの1名(同量1月半飲んでいた)。下痢と発熱のあったもの2名(同量2月飲んでいた)の以上4名。
     青汁を飲んでいないもの78名(男33名、女45名)。異常のなかったもの69名(88.5%)。異常のあったものは、多少おかしかったもの5名。下痢1名下痢発熱3名の計9名。何分数があまり少いのでこれだけで兎や角いうのはどううかと思いますが、ともかく、多少おかしかった人もあるにはあっても、青汁を飲んでないものに比べると、その割合がすこしは少いのではないか、といった風に感じさせるようです。。


15.グリンジュースと流感

    倉敷市 S.M. 

     小学校4年生の三男は何処と云う病気もしないのに体格が貧弱で、他所へ連れて出ようものなら「2年生ですか」と聞かれる始末で、どうひいき目に見てもその位にしか見えないお恥かしい躰です。西小入学当時から青汁を飲ませていただいていますが、最初の頃は喜こんで飲んで居りましたものの、途中からはやれ「にがい」とか「飲みにくい」とか云っては怠っていた様でした。3年生から貝原先生の御熱心な御指導でかかさず続けて今日に及んでいます。
     全くなかった食慾も次第に増して背丈の方は大分標準に近づいて、元気に外で遊び廻っても疲れ切った様子もなくなりました。今年6月全市一円大流行した流感には長男次男(中学在学)共真先にかかり2人枕を並べて39度以上の高熱に苦しみ、医者よ薬よ注射よと手当をつくし1週間も困りましたが、見るからに細々とした体つきの三男は一向平気で毎日元気で通学し変った処とてありません。「こんなひ弱な体で流感にかかり体質をいよいよ衰えさせたらどうなろう」暑さに向う折とて、年寄りが先ずこう云って心配して居りましたが、青汁をいただいてビールス菌への抵抗力が出来ていたのでしょうか、流感の猛威も次第におさまり、とうとうかからないで終幕となり私共もホッと胸を撫でおろした様な心地でした。
     昨年11月からは虫風で寝ている母も西小から青汁をわけていただいて愛飲致して居ります。虫風にありがちの便秘もなく、青汁の効き目でしょうか?今まで伸ばす事も出来なかった左の掌がのびる様になり、左足も少しずつ動く様になった事は、もう再起不可能と思っていた本人はじめ、家人に一縷の望みさえ持ちはじめて居り、今更ながら青汁の効果の偉大さと、西小のおかげをしみじみと感じて居ります。


16.5ヶ月飲用の体験

    東京都 H.I. 

     私は2年前から紅彩炎、高血圧、神経痛にかかってなやんで居りました。今年の2月から青汁を飲み始めました。まだ5ヶ月の浅い体験ですが御知らせ致します。
     材料には小松菜、キャベツ、柿の葉、クコの薬など60匁を牛乳1合と共にミキサーにかけて約2合5勺の青汁を取って飲んで居ります。其の結果、今まで寝たり起きたりして居たので顔色も青ざめて居ましたが、1ヶ月半位から頬に赤味がさして来ました。それに力を得て熱心に飲んで居ましたが、4ヶ月目頃から両肩の神経痛の痛みが薄らぎ、今では楽に帯も結べる程に成り喜んで居ります。
     又頑固な不眠症で、2年前から毎夜睡眠剤を飲まなければ眠れなかったのですが、今月は10日位薬を服用しただけでした。熟睡できる様に成れたらどんなに嬉しい事でしょう。血圧(170)もまだ安定した処まで行きませんので降下剤も服用して居ります。紅彩炎は過労が原因ですが、これは仲々全快致しませんので困って居ります。これからも明かるい希望を持って一生懸命続けて行き度いと思います。何か御注意戴ければ幸せに存じます。


17.バス酔

    広島県 A.Y. 

     更年期障碍の頭痛めまいの婦人にすすめまして、よくなりましたと喜ばれました。バスにも酔われる人だそうですが、1ヶ月青汁を続けてバスに3時間くらい乗りましたが酔いませんでした、とのことでございました。(32、9、19附通信より)


18.質問箱


    ケール一辺倒でよいか 倉敷市 S.H.


     ケール一辺倒では栄養にして片よりはせぬか。それ以外の青葉菜も加えて頂くのが保健上綿上花を添えるのではないか、と存じますが?


     今まで調べたところケールほど栄養分の都合のよい物は余りありません。従来の食餌に不足しているものはすべて充分に含まれています。ケール一辺倒でよいと考えます。しかし他に材料があればいろいろ混ぜて使う方がより結構です。


    ケールの種子? 広島県 Y.O.


     ケールの種子の入手先をお知らせ下さい。


     今のところ市販されていません。試作用の少量でしたら差しあげますから本会あてお申込み下さい。ついでにつくり方を簡単に記しておきます。播種時期 この辺りでは春彼岸頃から晩秋まで、いつでも播けます。苗床に播き、3−4寸に伸びたとき、株間1尺5寸−2尺位あけて定植。肥料には化学肥料だけでなく、堆肥、緑肥、厩肥、鶏糞、魚肥、油粕などを、充分に施します。害虫 虫はよくつきます。若いときは農薬をやる。葉をとるようになってからはなるべくこまめに取ることが肝腎です。


19.ニュース

    その1 倉敷市立中洲小学校では本年4月より学校給食の一環として青汁の飲用をとり上げ、9月現在では園児、児童約600名が愛飲している。
    その2 倉敷市立万寿小学校でも2学期より青汁の製造を開始、約350名の児童が飲用している。


20.阿呆知経

     どうも今の世の中は
     かしこい人が多すぎる
     あげ足とりや 小またとり
     おしわけ 掻きのけ 突きとばし
     だます ごまかす ちょろまかす
     俺さえよけりゃの やみの世じゃ
     油断もすきも ありはせぬ
     全くもって住みにくい
     あんまり 悧巧に なるからだ
     なんと 皆さん ここいらで
     あほ葉を食って あほ汁飲んで
     もっと阿呆に なろうじゃないか

     どうも今の世の中は
     物騒なことが多すぎる
     なぐるけるなど じゃれ合いだ
     弓 矢 刀は ご愛嬌
     鉄砲 大砲は まだしもだ
     ついには 原爆 水爆と
     降る雨さえも 恐しい
     険呑 極まる世になった
     あんまり かしこく なるからだ
     なんと皆さん ここいらで
     あほ葉を食って あほ汁飲んで
     もっと阿呆に なろうじゃないか

     どうも今の世の中は
     病気のものが多すぎる
     せいはのびたが ひょろ長で
     肌はかさかさ どす黒く
     夏やせ 風ひき あたりまえ
     ウ歯や 近視の ふえること
     虫はしこたま 飼ってある
     結核だけは 減ったけど
     胃膓、肝臓、腎、心臓
     卒中や癌の多いこと
     いくら保険が あったとて
     これじゃ とってもたまらない

     もとはといえばお互が
     かしこくなって なまけ出し
     ご馳走でなけりゃ 元気が出ぬと
     白いおままに 肉 おとと
     卵やお菓子ばかり食い
     やさいはいやだ 菜っ葉など
     かすだとばかり 軽蔑し
     虫がこわいと たきつぶし
     煮汁は捨てた 出しがらを
     むやみ やたらに 味つけし
     ろくろく かまず 丸のみし
     素通りさせて いるためだ

     20のとびらじゃないけれど
     お互みんな動物だ
     牛や羊をみなろうて
     太陽大地のみめぐみを
     豊かにうけた青菜っ葉
     いきのよいやつ よくかんで
     食いさえすれば 簡単に
     こうした悩みは解消だ
     なんと皆さん ここいらで
     くだらぬ見栄は ふりすてて
     もっと 阿呆に なろうじゃないか
     うんとあほ葉を 食おうじゃないか


コラム紹介

      徳川家康食訓
      食事も美味計り給候てうまきものにあらず。
      平日の食物随分軽味のもの宜しく候。
      月に両三度美味給候て能よし承り及び候。
      (衛生史譚より)



      自然(太陽、大気、大地)の最大の恩恵は緑葉にあり



      痩麿も太姫も老幼も
      賞でて召しませ
      グリーンジュース
      倉敷天文台 本田  実







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